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暗黒神話(旧)  作者: トウリン
変容
26/44

すみません。長めです。

R指定にするほどではないと思うのですが、ちょっと、残酷な場面が出てきます。

 目の前に横たわる、身体。

 手の中の銃。

 懇願の声。

 差し伸べられる、手。

 優しく響く、声――『あなたには、誰かを護ることなんてできないのよ』。

 それは、彼を打ちのめす声。

 ――そして、彼は……捕まった。


   *


 ――ちょっと、ほら、起きなよ。起きて、彼を見なよ。

 未明は、夢の中で呼びかける声に引き上げられるように、眠りから覚める。その声に聞き覚えがあるような気がしたが、誰のものかは思い出せなかった。

 ――……彼?

 未明にとって身近な男性といえば、康平しかいない。半分寝ぼけた頭で隣を見ると、珍しいことに、彼はまだ熟睡しているようだった。いつもは康平の方が早く起きるのに。

 時刻は午前九時。もう起きていなければいけない頃だ。

 風車の魔方陣も解除したし、あとは夜になったら次元の亀裂を塞ぎ、一晩休んで帰るだけ。門屋への説明を考える必要はあるけれど、まあ、何とかなるだろう。

 東京へ帰ってしばらくすれば、ここ数日おかしかった康平の様子も元に戻る筈だ。

 ――戻ってくれないと、イヤだ。

 切実に、未明はそう願う。

 康平が自分に何かを求めているのは解るのだけれど、その『何か』が何なのかが判らない。未明は、自分が康平を護りたいと思うから護るのに、それが何故か彼を怒らせているように思える。

「誰かと一緒にいるって、難しい……」

 思わずそう呟いたが、慌てて首を振った。そして、康平を起こしにかかる。

「康平、朝だよ。起きて?」

 声をかけただけでは、目覚めない。

「康平?」

 揺さぶってみた。

「康平、……康平?」

 何度名前を呼んでも一向に反応はなく、しっかりと閉じられた目蓋が震える気配すらない。

 ――これって……。

 遅ればせながらその不自然さに気付き、そして、思い当たる。

「ウソ……眠り病?」

 何故、康平が。彼はそんなに弱いヒトではない。

 そう信じようとした未明だったが、頭の片隅では、「本当に?」と問いかける声が聞こえてくる。自分も、康平が時折漂わせる『翳』に気付いていた筈だ。ただ、触れようとしなかっただけで。

「ねえ、康平。目を覚ましてよ」

 呼びかける声が震え、目の奥が熱くなる。

 このまま放っておいても、このあたりに漂う魔術の残滓が消え失せれば、いずれは目を覚ますだろう。だが、それまでの間、自分はまた独りになるのだろうか。

「イヤ。そんなの、絶対無理」

 ポタリ、ポタリと康平の頬に雫が落ちる。誰かとともに過ごす幸せを知ってしまったら、もう、一日だけでも独りではいられない。

 かつての生まれ育った世界でも、未明は孤独だった。周りにたくさん人はいたけれど、康平と過ごすようになった今は、あれは孤独だったのだと、判る。皆、未明を尊重し、ともに生活はしていたけれど、誰も康平のようには触れず、康平のようには笑いかけてこなかった。

 ――だから、護りたいのに。

 そう、護るのだ。

 こうやって泣いていて、何になる。

 未明は自分を鼓舞すると、両手のひらで頬の雫を拭い取った。

 待っていられないなら、迎えに行けばいい――自分には、それができるのだ。

「待っててね」

 康平にそう囁きかけ。

 未明はグッと唇を噛み締めた。


   *


 未明は深く深く潜って行く――康平の中へ。

 彼の心の中は厚い壁で覆われており、なかなか深層へ辿り着けない。

 どれほど進んだ頃だったろう。

 やがて、彼方にほのかな光が見え始めた。


   *


 子どもは、ようやく三歳になったばかりだった。

 NGOで難民救済に携わっていた両親はともに天涯孤独であり、子どもを託せる相手がいなかった。二人は迷った末に、政府と反体制組織が争うこの政情不安定な国に、子どもを伴った。

 両親は子どもに愛情を注ぎ込み、危険な国で、子どもは幸福に包まれていた。

 泣いたら、抱き上げてくれて。

 嬉しくても、抱き締めてくれて。

 頑張ったら、頭を撫でてくれて。

 だが、その幸せな日々は、唐突に終わりを迎える。

 両親が世話をしていた難民キャンプが、反体制組織に襲われたのだ。食事と医薬品を狙われて。

 母は子どもを護ろうとし、父はそんな妻と子どもを護ろうとした。

 耳を突き刺すような騒音が消え失せた後、冷たくなった身体の下から這い出して、子どもは何度も二人を揺さぶった。

 ……けれども、二人は目覚めない。

 子どもは、身を引き絞るように、泣き出した。


   *


 未明は、ただひたすら泣き叫ぶ子どもを前に、どうしたらいいか判らなかった。

 こんなに泣いていたら、壊れてしまう。

 そう思ったら、勝手に手が伸び、子どもを抱き寄せていた。

 これは、『彼』の記憶。実際には触れることはできないし、その頃の『彼』を助けることも、できない。

 それでも、未明は子どもを抱き締め、その胸に押し付ける。

「悲しいね……寂しいね」

 ただ、それしか言葉が思い浮かばなかった。

 ――不意に子どもが掻き消え――暗転する。


   *


 少年は、反体制組織に身を置いていた。

 死体が転がる難民キャンプの中で泣いていたところを、日本人は『役に立つ』から、と、殺されることなく拾われたのだ。

 少年には、善悪はよく判らない。

 ただ、政府とそれに与するものと戦うことを、教えられた。それ以外は、教わらなかった。

 少年はすこぶる優秀で、体術も、銃の扱いも、刃物の扱いも、爆発物の扱いも、全て、彼よりも年上の者を凌駕した。

 従順で高性能な、兵士――いや、兵器。それが、彼だった。

 ある日彼は、巡回途中でとんでもないものに遭遇する。

 それは、彼よりもいくつか年上に見える、少女だった。彼女は崖から落ちたらしく、足を怪我していた。

 不審人物は、全て報告する義務がある。キャンプに連れて行き、上の判断を仰ぐのだ。

 だが、その少女を見た瞬間、少年の胸に何かざわめきのようなものが走り抜けた。物心ついて以来、彼が見た女といえば中年の料理人くらいで、こんなふうに華奢な少女は目にした記憶がない。

 彼女の、怯えた瞳が突き刺さる気がした。

 立てた人差指を唇に当て、声を出さないように指示をし、彼女を抱き上げる。その身体は柔らかく、温かく、少年は妙に落ち着かない気分になり、同時に、誰にも害されることのないようにしてやりたいと、強く思わせた。

 彼を信じたから、ではなく、恐らく心底から怯えきっていたから、少女は少年の腕の中で声も出さず、暴れることもなく、されるがままになっていた。

 少年は、木々に隠れた洞穴へと少女を隠した。

 隠された少女は、不思議そうに少年を見上げる。彼女に非常食と水筒を渡し、明日も来ることを伝えた。

 数日もすると、少女の表情は次第に柔らかくなる。少年に向けて微笑みかけるようになるのも、それほど時間を要しなかった。控えめな彼女の微笑みは、少年の胸の中に明かりを灯す。

 彼女と離れたくはなかったが、歩けるほどに足が治ったら、すぐに近くの村まで連れて行くつもりだった。そうしなければならないと、解っていた。

 一週間ほども過ぎた頃であろうか。

 いつものように、少年は洞穴へと向かった。

 だが、いつもとは、何かが違っていた。

 洞穴の入り口には、明らかに男のものと見て取れる、複数の足跡。

 嫌な予感に、口の中に苦い唾が沸いてくる。

 覗きこんだ洞穴の中に求めた姿はなく――少年はすぐに身を翻した。

 地面に残る足跡を、獣のように辿っていく。

 さほど遠くない場所に、彼女は、いた。

 その姿に、少年は立ち竦む。

 ――息は、あるのだろうか。

 そう思った時、彼女の手がピクリと動く。ゆっくりと首が巡り、その目が少年を捉えると、彼女は微かに微笑んだ。

 少年はその無残な姿によろめきながら近付き、膝を突く。

 衣服は身体とともに切り刻まれ、血に濡れそぼっている。治りかけていた足は――膝を撃ち抜かれていた。

 手を伸ばして首筋に触れると、脈は仔猫のように速く、微かだった。

 少女が、彼に望みを囁く。

 少年は一度首を振ったが、重ねられた少女の言葉に、ゆるゆると拳銃を取り出した。

 ――護ってやりたかったのに。

 だが、今の彼女を救えるのは、その方法だけだった。

 外しようのない距離で狙いをつける少年に、彼女は一言呟き、微笑んだ。

 今までに何度も軽く引き絞ってきた引金が、途方もなく固い。彼は、全身の力を、指に集中させた。

 かつて少年が見惚れた微笑は、今も少女の口元に残っている。だが、それは二度と動かないのだ。

 少年は、固まった指を引き剥がし、拳銃を投げ捨てる。そして、小さくうずくまった。


   *


 未明は、普段の自分と同じほどの年に見える少年が縮こまる様を見つめていた。

 まだ細い背中に触れ、覆い被さるように頬を寄せる。

 でき得ることなら、凍えきったその身体に、自分の熱を全て与えてあげたかった。

「お願い……お願い」

 そう呟きながら、未明にも自分が何を願っているのか、解っていなかった。

 でも、口にせずにはいられなかった。

「……お願い」

 ――不意に少年が掻き消え――暗転する。


   *


 少年は、手製の葉巻が作り出す魔法の煙を、深々と吸う。

 それがもたらす多幸感と、鋭敏な感覚。一方で脳は朦朧として、何も考えなくて済むようになる。醒め際には必ずバッドトリップが待っていたが、その中では彼女に逢えた。

 少女は少年を罵り、呪い、責める――それは当然の言葉だったから、彼は全てを受けとめた。

 そうやって、少年は、日々をただ無為にやり過ごしていた。

 だが、ある日。

 いつものようにクサをやっていた彼の耳に、隣の男の話が聞くともなしに入ってくる。

 数年前に少女を一人『尋問』したことを、多幸感も影響してか、男は意気揚々と語っていた。

 少女は洞穴に隠れており、その状況から、誰かが匿っていることが明らかだった。男と数人の仲間たちがその人物を引き出すためにいかなる手段を取ったのかを、訊かれてもいないのにベラベラと喋りまくる。

 どんなふうに『尋問』し、どんなふうに彼女を扱い、どんなふうに彼女が啼いたかを。

 結局少女は何も喋らず、ただ男たちが楽しんだだけだった、と、下卑た笑い声をあげた。

 少年は、うまく回らない頭で懸命に考える――そして、悟る。

 自分は彼女に護られたのだ、と。

 かつてないバッドトリップが、少年を襲う。それは一昼夜続き、それ以来、彼が大麻に手を出すことはなかった。……彼には、するべきことができたから。

 少年は、まず、その男から『尋問』の時にいた仲間の名前を全て聞きだした。聞き終わると、男は崖から落とした。

 少年は、名前を聞き出した男たちの一人一人を、着実に息の根を止めていく。

 訓練中に、実戦中に、怪しまれることのないように、慎重に振舞った。

 最後の仇は政府軍との大規模な戦いの時に、やった。

 従順な兵器であった彼の豹変に、男は驚愕で目を見開き、次の瞬間には何も解らなくなった。

 全てを終わらせても、彼の中には澱が残った――仇を討つことは、本当に彼がしたかったこととは違っていたから。

 少年は倒れ付している男を見下ろし、立ち竦んでいた。


   *


 未明は黙って立つ少年に、そっと寄り添った。

 少年の心は渇望と後悔でいっぱいで。

 だらりと垂れ下がった手に、自分の指を絡める。

 復讐で彼が救われたとは、全然思えなかった。

 少年が心から望んでいるものは、何か別のものだと思った。

「あなたの望みは、何?」

 囁き、手に力を込める。

 ――不意に少年が掻き消え――暗転する。


   *


 青年は民間軍事会社の請負人だった。

 彼は外見的には日本人だったが、米国への入国歴は残っておらず、パスポートも持っていなかった。彼がその軍事会社の門を叩いた際にはその採用の是非について揉めに揉めたが、身体能力、戦闘能力は非常に高く、他社へ渡すのは惜しまれた。厳重に心理分析や尋問が行われ、虚無的で抑うつ傾向はあるものの、思想的な偏りや精神的な問題は認められず、結果、多くのことに目をつぶりつつ採用となった。

 契約期間の五年を、彼はそこで過ごした。居心地は良く、それなりに親しい仲間もできた。様々な作戦に参加したが、その中には某国の反体制組織殲滅というものもあった。彼は自ら志願してそれに加わった――彼が自ら行動したのは、それだけだった。

 軍事会社に籍を置いている間に、会社が日本のパスポートを用意してくれた。危険な作戦ばかり志願していたから、貯えも充分にできた。五年の契約が切れると、社からの慰留を断って、彼は日本へと渡った。両親の故郷だと言われていたその地に行けば、何かが見つかると思ったからだった。

 都会の片隅でよろず屋を開き、様々なことを経験した。

 しかし、彼の求めるものは見つからない。

 彼自身、何を探しているのかが判らず、ただ闇雲に『何か』を求めた。

 そうやって、日本に渡ってから数年が過ぎ、ある日、彼は一人の少女と出会う。

 初めは、酔っ払って適当に依頼を受けただけだと思っていた。

 だが、不可思議な事件に遭遇し、彼は少女の『これまで』を知る。

 彼女は、その細い肩に、信じられないほどの荷を背負っていた。

 その重荷ゆえに、彼は彼女に『護ってやる』と告げた。

 彼女を護り通してやれれば、何かの『借り』が返せるような気がした。

 しかし、彼女と過ごすうち。

 まだ年端も行かない少女のように見えるのに、時々妙に大人びた表情をする。

 しっかりしているように見えるのに、時々妙に頼りなげな眼差しを見せる。

 次第に、その宿命ゆえではなく、『彼女自身』を護りたいという気持ちが膨らんでいく。

 彼女を庇護して、彼女に頼りにされたかった。

 この腕の中に包み込み、大事に護ってやるもの――自分が探していたものは『ソレ』だった。明確に認識したわけではなかったが、心の奥底で理解した。

 けれども。

 彼のその想いは一方的で、これまで独りで戦ってきた少女は、その手を必要としない――その手に気付かない。あるいは、護られるのではなく、護ろうとする。

 差し出したものは宙に浮き、彼は理不尽な感情だと承知しつつも、もどかしさと苛立ちを覚える――そして、絶望も。

 父も母も、かつての少女も、今共にある少女も――彼を護る。

 結局、自分は護られるだけで、何かを護ることなどできはしないということを、彼は思い知らされたのだ。


   *


 何もない空間の中、彼は胎児のように小さく丸まっていた。

 全てを拒絶するように、手足を縮め、顔を伏せている。

 力が及ばなかった『過去』に囚われ、『今』を否定しているのか。

 未明は彼に近づき、そっと髪を撫でる。

「ごめんね。……ありがとう。私、あなたが望んでいることを、知らなかった。私もあなたも、お互いを護りたいって思うだけで、相手がどう思ってるかを知らなかったね」

 髪に触れていた手を肩に、そして背中に滑らせ、覆い被さるようにして彼を抱き締める。

「でもね、過去はもう変えられないんだよ? 力が足りなかった過去は、変えられない。ヒトにあるのは未来だけだから。先に進むしか、ないんだから。でも、私も含めて、この先、あなたの力を必要とする人たちはたくさんいる。その人たちは、どうするの? ねえ、私……あなたと一緒にいたいよ? やっぱりあなたのことを護ろうとしてしまうと思うけど、あなたに『護ってやる』って言われて、嬉しかった――あんなに嬉しいことって、今までなかった」

 未明には、時が満ちてきたのが感じられる。精神体だけれども、身体が変わっていくのが、判る。時は限られており、彼女は自分の成すべきことを成さねばならない。

「私、もう行かなくちゃ。『アレ』を放っておくわけにはいかないもの」

 そう言って、もう一度、ギュッと彼を抱き締めた。

「私、待ってるから――あなたを、信じてるから」

 その言葉を最後に、未明はフワリと浮き上がる。

 どんどん遠ざかっていきながら、その眼差しは名残惜しげに彼に注がれたままだった。

 ――固く握りこまれていた彼の指先が微かに動いたことには、気付かなかったけれど。

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