一
――何故、俺はこんなことをしているのだろう。
康平は真面目に自問していた。
手は、二人分の朝食にするため、一つのフライパンで同時にスクランブルエッグをかき回し、ウインナーを炒めている。
そう、朝食を二人分用意するようになって、すでに三日が経とうとしているのだ。
その間、未明の姉という女は、全くの音信不通である。いったい、どんなつもりなら、こんないい年をした男のところにわずか十歳の妹を置き去りにできるのか。生憎と康平にその趣味はないが、このご時勢、十歳の少女でもペロッとイかれてしまう可能性は充分にあるというのに。
件の少女は今日も目覚めると同時にパソコンの前に陣取り、ネットで次から次へと、色々なサイトを覗いていっている。暇つぶしにでも、と思ってパソコンを貸してやったら、すっかり病みつきになったらしい。三日間、起きている間は殆どパソコンの前にいる。
モニターだけでなくホログラフィも使っているから、キッチンからでも彼女が何を見ているのかが解る。あんなに移動が早くて、見ている内容をちゃんと理解しているのかと疑ったが、後で訊いてみると答えは的確だった――多分、ちゃんと頭に入っていっているのだろう。
「そろそろ飯が行くぞぉ。テーブルの上片付けて、コーヒー淹れといてくれや」
「わかった。ちょっと待って」
――なんだか、妙に馴染んでいるところがいやだ。
そう思って、康平は渋い溜息をついた。
その間も手際よくスクランブルエッグとウインナーを皿に分け、レタスとプチトマトを添える。ほぼ同時に、チンとトーストが焼きあがる音がした。
康平は片腕に二枚ずつ皿を乗せ、器用に運んでいく。
「ほらよ」
「うわぁ、いいにおい。おいしそぉ」
トントン、と、スクランブルエッグの皿とトーストの皿を目の前においてやると、未明は目を輝かせる。飯を作ってやると、だいたいこんな感じの反応をするので、康平は、正直、ちょっと嬉しい。
「ほら、食えよ」
「うん、いただきます! ――おいしい!」
未明は、実に作りがいのある反応を示してくれる。
自分もフォークを握って食事を始めるが、目は未明の様子を注意深く観察していた。
――こいつの国は何処なんだろう?
その疑問が、やはり頭に残る。
この三日間の様子をみていると、これまで日本の文化圏に住んでいなかったことは明らかだった。今でこそ『いただきます』と口にするが、始めの食事ではその挨拶も出ず、箸も全く使えなかった。風呂を用意してやってもきょとんとしており、シャワーに感激したのを見た時には、いったい何処の未開の土地から来たんだよ、と康平はツッコミを入れそうになったのだ。
日本で生活していなかったのは明らかだが――その割りに日本語は流暢だ。ネットをみている時の様子では、読むほうもできるのだろう。もしかしたら、凄まじく頭がよく、短期間で日本語をマスターしてしまったのかもしれない。
――まったく、わけの解らないガキだな。
内心でボヤいて、別のことを口にする。
「で、あんたの姉さんってのは、いつ迎えにくるんだ?」
「え、ああ、姉さん? そうね、あと三週間と少しってところかしら」
「あ、そう……三――ゲホッ」
さらりと聞き流そうとして、康平は息を吸い込み、それと一緒に入っていったトーストの欠片でむせた。ひとしきり咳をして、呼吸を整えてから、改めて訊く。
「ちょっと待て、三週間!?」
「うん、だいたい」
「ちょっと待て、姉さんはその間、何やってるんだ?」
「そうだね、時機を見てるのかな。――大丈夫、遅くとも一月後には、いなくなってるから」
――だから、何もいわずに置いておいて欲しい。
言外に、未明の目がそう言っていた。
この少女は、時々、妙に大人びた眼差しをする。その目でジッと見つめられると、妙に康平の胸は騒いだ。
ふい、と康平は目を逸らし、ガリガリと頭を掻いた。そして深々と溜息をつく。
「初めに引き受けたからには、最後まで面倒見るさ。お前の姉さんが迎えに来るまでは、な」
「康平!」
康平の言葉に、パッと未明の顔が輝く。
康平は、致命的に女性に弱い。年齢に限らず、女性に頼まれたら、断れない。これはもう、どうしようもないことだった。
「まあ、いい。まだしばらくいるんだったら、お前の服を買いにいくぞ」
「え?」
「それ」
康平は、ピッとフォークで未明の服装を指す。それは、康平のTシャツを被っただけの姿だった。ワンピースのように見えなくもないが、襟ぐりは広くて薄い胸が覗き込めそうだし、裾からは小鹿のような素足が伸びている。
「ここにまだいるなら、もうちょいまともな格好しとけよ」
「別に、いいよ、このままで」
未明は自分の身体を見下ろしながらそう答えるが、即座に康平が却下する。
「俺が嫌なの」
「……もしかして、イケナイ気分になっちゃう?」
「あほ。なるかバカ。一ヶ月間、この部屋に閉じ籠っているわけにもいかないだろう? 外に出るのに、この界隈をその格好で歩いていたら、三十分で拉致られるぜ」
そもそも、何故、未明がそんな姿でいるのかといえば、彼女が何一つ荷物を持っていないからである。
なんでも、未明の姉は『悪い奴ら』に追われているらしい。逃げる途中で汚れてしまったから、彼女が着ていた服はここに来た時に、すぐ捨ててしまったのだとか。
まあ、甚だ胡散臭い説明だが、康平も深入りする気はない。ろくに理由も確認せず人を匿うことなど、これまでにも何度もしてきた。
未明に目を遣ると、なにやら考え込んでいる。何か、気になることがあるようだった。
「どうした?」
「ん……」
「『悪い奴ら』が気になるのか?」
「まあ、ね。多分大丈夫だと思うのだけど……」
「意外に、人混みってのは隠れるのにいいもんだぜ? それに、そいつらが来たとしても俺がなんとかしてやるよ、ちゃんと」
康平の言葉に、未明がニコッと笑う。妙に賢しいが、こういう顔をすると、年齢相当に可愛らしくなる。
「そうだね。頼りにしてるよ」
そう、口には出していたが、未明の目の奥にある憂いを、康平は見逃さなかった。