十四
康平が幸子の元へ向かって間も無くして、部屋のドアが激しく叩かれた。
未明はそちらをじっと見つめる。
空に輝くのは、満月。そして、自分の身体がそれに反応し始めているのもよく判っていた。
恐らく、現れたのはアレイスの方だろう。だが、彼であれば、ドアに触れることすらできない筈。
未明は緊張で身体が強張るのを感じる。アレイスやキンベルであれば、彼女は充分に相手ができるが……。
ドアを叩く音は、それを破ろうとする意図を持っているのがありありと判る激しいものだ。じきに軋みをあげ始める。
そして、ついに、大きな音とともにそれが開け放たれた。ドヤドヤと入ってきたのは、五人の男たち――いずれも、魔力の欠片も感じられない、この世界の者たちだ。彼らは皆、生気のない眼差しをしている。
「考えたわね……」
理を違えるわけにはいかない未明には、魔力でこの世界の者に危害を加えることができないのだ。この男たちにかすり傷をつけることで、世界のどこかで大災害が起きるかもしれない――理を違えるというのは、そういうことだ。アレイスも同じの筈だが、男たちにかけられているのは操術で、ただ操るだけのもの――直接害するわけではないから、アレイス自身が理を乱すことにはならない。今まで訪れてきた世界の者は多少なりとも魔力を帯びていたので、何かあっても未明が抵抗することはできていたのだが、魔力が全く存在しないこの世界では、そういうわけにいかない。いつもとは勝手が違うことを、失念していたことに、未明は舌打ちする。
ジリジリと男たちから後ずさり、逃げ道を探る。
だが、放射状に近寄ってくる男たちの隙間を擦り抜けるのは不可能で、後はベランダから飛び降りるしかない。
いっそのこと一か八かで転移の術を使ってしまおうかと考えたとき、男たちがいっせいに飛び掛ってきた。三人までは身をかわしたが、四人目に腕を掴まれる。ハッと思ったときには、他の男たちにもどこかしらを捉われていた。
これでは、転移をしても一同を引き連れていくことになってしまう。
相手がこの世界の人間である限り、未明には打てる手がない。
――康平!
未明は、心の中でその名を呼んだ。
だが、応える者は、今、この場にはいない。
彼女は、なす術もなく、部屋から引きずり出されていった。
*
未明が連れてこられたのは、廃ビルの中の一室だった。
そこには、アレイスの他に、まだ数名の男たちが待ち構えていた。
「ようこそ、ミアカスール。お元気そうで何よりです」
「あんたもね、イヤになるぐらい元気そう。こんな手を使って、卑怯よ」
未明の言葉に、アレイスの返事はキンベルと同じようなものだった。
「いつものことじゃないですか、私が卑怯なことは。正攻法で敵う筈がないのは判りきったことですから。これでも、毎回、頭を捻っているんですよ。さあ、こちらに連れてきてください」
子どもの身体でしかない未明は、抵抗しようと足を踏ん張っても、いとも簡単に持ち上げられてしまう。
アレイスが立つ場所にはデスクがいくつか並べられており、未明はその上に転がされた。
「ちょっと、こんなところで晒し者にしようっていうの!?」
「まあ、私としてもギャラリーがいるのは恥ずかしいですが、仕方がないですよ。貴女を押さえておく者が必要ですから。――そろそろですかね」
アレイスに指摘されるまでもなく、未明は自分の身体が変化し始めたことを察する。
「――ッ!」
ビクン、と全身が震える。体内で炎が燃えているかのように熱くなり、未明の身体が光を放ち始めた。アレイスの見守る中で四肢が伸び、身体が丸みを帯びていく。顔立ちも大人び、彼女は一気に少女から成熟した女性へと変化した。
わずかな時間で変貌を遂げた未明は、清廉な眼差しで、見下ろしてくるアレイスを睨み付ける。
「やはり、その姿の方がいいですね。そそられますよ。流石に、先ほどのお姿ではやろうにもできません。さあ、最後にもう一度だけ選択するチャンスをあげましょう。どうします? 貴女の意思で『グールムアール』を渡しますか? それとも、奪われる方がいい?」
「どっちも、イヤ。あんた、解ってるんでしょ? 『グールムアール』はあんたには無理。死ぬのよ?」
「一瞬でも『至高の魔道書』の力に触れることができるのならば、本望です。たとえ死ぬとしてもね。私は、どうしても、その力を手に入れてみたい」
アレイスの目は狂信的な光を帯びている。心の底から、そう願っているのだろう――死をも厭わずに。
「私も無理矢理どうこう、というのは気が進まないんです。本当は、貴女が自分の意思で渡してくれる方がいいんですよ?」
アレイスが溜息をつきながらそう言い、未明へ手を伸ばす。彼女は懸命にもがくが、手足を捕らえた力は少しも緩まない。
アレイスの手が、成長してサイズの合わなくなっていた未明の服にかかり、一気に引き破られる。
無理やり奪われようが、進んで受け渡そうが、結果は同じ――アレイスの死だ。だが、未明には、自ら『グールムアール』を手放すことなど、できない。
ズボンも、剥ぎ取られた。
未明は、硬く目を閉じる。
だが、続いて彼女の五感に入ってきたのは不快な触感ではなく、鼓膜を震わす鈍い打撃音であった。