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暗黒神話(旧)  作者: トウリン
来訪
11/44

 目を開けると、未明の視界には、白く四角い天井が入ってきた。

 寝かされているベッドのヘッドボードには小さなランプが点いていて、それだけがほのかな明るさを保っている。

 『この状況に至るまで』を辿るのに、若干の間を必要とする。

 ――ああ、そうだ。『アレ』が……。

 久方ぶりに間近で感じた、あの気配――あのおぞましさ。

 わずかな隙間から覗いただけだというのに、未明の記憶の奥底に眠る恐怖を揺さぶった。かつて、彼女の故郷では、あの姿を視界に入れただけで発狂したものが数多くいたものだった。

 そういえば、と、未明は首を巡らせる。

 すぐにその姿は見つかった。

 未明が寝かされているベッドと出口の両方に目が届くように置かれた椅子に、康平は腕を組んで座り、顔を伏せていた。眠っているようで、ピクリとも動かない。

 未明は、しばらく彼の姿を見つめた。

 何故、自分は、彼に『アレ』を見せてしまったのだろうかと、自問する。

 『アレ』を見てしまえば、康平は彼自身の『現実』には帰れなくなってしまうかもしれなかったのに――彼を、『彼自身の世界』から引き剥がす権利など自分にはない筈なのに。

 何故、彼の優しさに甘えてしまったのだろう。

 そう問いかけて、未明は自嘲の笑みを浮かべた。

 答えなど、自ずと知れる――寂しかったからだ。

 事実のほんの一部を話した時に「護ってやる」と言われ、嬉しいと思ってしまった。自分が背負っている重荷を分かち合ってくれるのではないかと、期待した――隠してあることの方が遥かに多かったくせに、康平にそう言われ、罪悪感よりも喜びを強く感じてしまったのだ。

 何度も次元を跳んで、幾つもの界を渡り、どれほどの永い時を独りで過ごしてきたかは、未明自身、もう判らなくなっている。だが、これまで経てきた世界では、強大な力を持つ彼女に対して「護ってやる」と言った者などいなかった。

 きっと、初めて聞いた言葉に、舞い上がってしまったのだ。

 ――自分の弱さがイヤになる。

 未明は、身じろぎ一つしない康平を少しの間見つめ、ゆっくりと身体を起こす。物音を立てないように慎重に動いてベッドから下りると、衣服は昼間のものとは違っていた。多分、汚れたまま寝かせるわけにはいかないと、康平が着替えさせたのだろう。

 これでも中身はそれなりの年なんだけど……と思い、未明の頬が熱くなるが、きっと彼にとっては、見た目どおりの十歳そこそこの少女に過ぎないのだ。

 未明は足音を忍ばせてベッドを回り、出口へと向かう。転移の術を使えば一瞬でこの場を去れるが、魔術を使うとアレイスやキンベルに居場所を知らせてしまうことになる。着いた先で戦闘になるのが関の山だ。

 コソリとも足音を立てないように細心の注意を払って歩き、依然として顔を伏せたままの康平の前を通り過ぎる――通り過ぎようとする。が、突然に腕を掴まれ、一瞬息が止まった。

「――っ! ……起きてたの?」

「寝てた。けど、起きた」

 椅子に座った康平と立ったままの未明だと目の高さが殆ど変わらず、むしろ未明の方が少し高いぐらいだ。いつもの見下ろされる視線ではなく、何となく、未明は居心地の悪さを感じる。

「目が醒めたなら、説明してもらおうか」

 寝起きとは思えない鋭い目つきで、康平が迫る。だが、未明にはまだ迷いがあった。

「あなたとは、ここで終わりにしたいの」

「……まるで別れ話だな」

「茶化さないで。これ以上は、もう、本当にダメ。『アレ』だって、見せるべきじゃなかった」

「『見せろ』と言ったのは、俺だ。俺が訊きたいのは、まさにその『アレ』とやらのことだ。あとは、あの大男だな」

 キンベルのことだけならば話してもいいかもしれないが、彼のことを説明するには、必然的に『アレ』についても言及しなければいけなくなる。

 押し黙る未明に、康平が痺れを切らす。

「いいか? 満月になったらお前を犯ろうと待ち構えている奴を相手にするのと、会うなり殺ろうとする奴を相手にするのとは、大違いだぞ?」

 未明が手を振り払おうとしたのを感じたのか、康平の手にわずかに力がこもる。それは、痛みを与えずにいるギリギリの力加減だ。

「放して。もう、いいの。もう、力も戻ったし、護ってもらう必要は、本当はないの。いつも独りでやってきたんだから、また独りでやるわ」

「本当に、そうしたいのか? 独り『で』いいのと、独り『が』いいのとでは、全然違うぞ? お前が、本当に独りがいいというのなら、俺はこの手を放す。どっちだ?」

 答えようとして、未明の唇が震える。

 言わなければいけない言葉は判っていた。けれども、それは心を裏切る答えだ。

 未明は少し間を置いて、口を開いた。

「私は独りがいいの。あなたは、もういらない」

 はっきりとそう言い切る。これで、康平も手を放すだろう、そう思った。

 だが、彼は呆れたような顔になる。

「ばぁか。そんな顔して言われたって、『そうですか』って放せるかよ」

 そして、取られた腕を引っ張られ、未明は康平の胸に額をぶつける。

 ギュッと抱き締められ、ガシガシと頭を撫でられた。それは、まるきり幼い子どもに対する所作だったが、何故かとても心地良く、彼女は身動き一つできなかった。

「あのな、俺は昔、お前ぐらいの女の子を殺したんだ。……あれ以来、二度と女子どもは見捨てないって、決めてんだよ――基本的に、色んなことがどうでもいいが、それだけは決めてる。それで昔の俺が赦されるなんざ、これっぱかしも思っちゃいねぇ。単なる自己満足って事も解ってる。でも、俺は、そう決めてんだ。だから、実際のところは、『お前のため』なんかじゃないんだ。……まあ、お前が、人殺しなんかと一緒にはいられねぇってんなら、仕方ないけどな」

 自嘲するような康平の最後の呟きに、未明は彼の腕の中で勢いよく頭を振る。

 グリグリと胸元を擦られ、彼は息を吐き出すように笑いをこぼした。

「少なくとも俺の手が届く範囲だけでも、護らせてくれよ」

「でも……」

「俺がどうなるか、じゃない。お前がどうして欲しいか、で決めろ」

「……」

 この世界の者ですらない自分が、この世界の住人の運命を左右するようなことを望んでいいものなのだろうか。

 白紙委任状を渡されても、未明はまだ迷う。

 けれども、もしも望んでもいいのなら……。

「私……まだ、一緒にいたい。もう、独りは、いや……」

 囁きのような声が、確かに康平の耳に届く。

 お互いに、相手は誰でも良かった筈だ――護る相手も、すがる相手も。

 しかし、数多いる人間の中で、切実に望む者同士が出会ったのならば、それは何か意味があることなのかもしれない。そう、未明は信じたかった。

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