序
実在の場所やそれを示唆する表現が出てきますが、想像90%で書いています。「何か変」「これは違う」と思われた方や不快に思われた方がいらっしゃいましたら、ご一報ください。
朝起きると、隣に女が寝ていた。
そんな事態は、彼、黒木康平<くろき こうへい>にとってはそう珍しいことではない――同衾の相手が、どう見ても胸も腰もない、二次性徴の欠片もない、という子どもであることを除けば。
「どういうことだ……こりゃ……?」
呟いた康平は、昨夜を思い出すべく必死に頭を回転させる。勢いに乗って呑み過ぎたせいか、なかなか記憶は蘇えってきてくれなかったが、脳味噌を絞るうちに深海から浮き上がってくる泡のように、おぼろげな状況が見えてくる。
そう、帰り道で一人佇む女性を見かけ……。
「確か……声を掛けた時は、美人のお姉ちゃんだったよなぁ」
ぼやいた康平の疑問に、下から幼い声が返る。
「それ、私の姉よ」
両肘を突いて上半身を起こした少女が、面白そうに康平を見ていた。二つに分けてお下げにした栗色の髪に、猫のような栗色の瞳。明らかにガイジン顔ではないのだが、東洋人のものとも違う、国籍不明の顔立ち。確かに、昨夜の美人の面影をどことなく残してはいる。
――身に付けているのは、康平のTシャツのような気がするが。
「で、そのお姉さんは? なんだってまた、お孃ちゃんが俺のTシャツ着て俺と一緒に寝ているわけ?」
そう、それが今の彼にとって一番大事な問題だった。
「忘れちゃったの? 昨日、あなたの方から姉に声をかけてきたでしょう? 何か困ってるのかって。で、姉が私のことを頼むってあなたに言ったら、あなたは任せとけって、胸を叩いたじゃない」
「そう、だっけ?」
「うん。それに、ほら、そこに報酬置いてあるでしょ」
確かに、妙齢の女性に自分の仕事の話をしたのは覚えている。だが、彼女に仕事を頼まれたという記憶は、その部分だけすっぽりと抜け落ちていた。
指差された先を辿ってみると、サイドボードの上に手のひらに載るほどの袋がある。開けてみると色取り取りの宝石が詰まっていた。全て本物だとすれば、康平の数年分の稼ぎに匹敵するかも知れない。
「まずいぞ、俺。あの程度で記憶をなくすとは……年か?」
齢二十九にして自らの肉体の限界を知ってしまったのかと頭を抱える康平に、少女が右手を差し出した。
「じゃあ、よろしくね。私はみあかって言います──未明って書いて、みあかって読むの」
一度引き受けた仕事を投げ出すのは、信用第一である康平の看板に泥を塗ることになる。そもそも、彼は依頼者の『理由』には興味がない。報酬がもらえて、康平の気が向けば、依頼を受ける。そして受けたからには全うするのが彼の方針だ。
今回も、受けたというならやるしかないだろう。
まだ子どもらしい柔らかさが残るその小さな手を、康平は溜め息を吐きつつ取る。
実のところ依頼の内容さえよくわからない、万屋<よろずや>・黒木康平であった。
――この少女の手を取ったことが自分にとって大きな変換点となることは、この時、彼は夢にも思っていなかった。