カンカンカン
日常の微かな揺れと規則正しい音の中に、かろうじて己の存在を繋ぎ止めるひとりの女。静かな部屋を包む踏切の音と消えない残り香のなかで、彼女が辿り着いた残酷な孤独の結末を綴る短編小説。
『カンカンカン』
毎日毎回ほぼ時間通りに列車の接近を告げる警報器が鳴る。
うとうとしていた私は、それが鳴るたびに目を醒ます。
微睡みの中で無事に踏切を通過していった列車に安心する。快速電車は、定刻と1秒 と遅れていないだろう。
日常は毎日毎日ほぼ同じ事の繰り返し。刺激的な体験など滅多には味わえない。でも、それを味わえるのは生きている時だけ。生きている証、わたしはだから、踏切の音で自らの生存確認をするの。ああ、まだ生きているわ、って
ふと振り返ると、赤いカーペットの上に黒いボクサーパンツや灰色のスウェットが脱ぎ散らかしてあるのに気づいた。
それもいつものこと。ルーティンワークでそれらを洗濯機に放り込む。
彼が洗濯機まで持って行ってくれるのは極稀だ。彼はすでに会社に向かって行ってしまったようだった。朝ごはんを食べた後はない。
彼との行為はいつでも新鮮てま刺激的だ。ルーティンワークにはならない。だから飽きることはない。
洗濯機を回し終え、静まり返った部屋にぽつんと佇む。
彼の残した匂いを追いかけるようにスウェットを抱きしめても、胸の奥に広がる冷たい虚無感は消えない。踏切の音が告げる規則正しい日常だけが、かろうじて私をこの世界に繋ぎ止めていた。
夕暮れ時、再び「カンカンカン」と高い警報音が響き渡る。
いつもなら帰ってくるはずの時間を過ぎても、玄関の鍵が開く音は聞こえない。スマートフォンの画面をいくら見つめても、彼からの連絡は途絶えたままだった。ふと、洗面所の鏡に映る自分を見る。そこにいたのは、彼という刺激に依存し、自分自身を失ってしまった空っぽな女の姿だった。
彼にとって私は、気まぐれに訪れては脱ぎ散らかしていく部屋の背景に過ぎなかったのだ。
外の踏切が、本日最後の列車接近を告げる。
カン、カン、カン。
闇の中に消えていく固い金属音を聞きながら、私は悟る。生きている証だと思っていたあの音は、ただ私の孤独を正確に刻むだけの時計の針だったのだと。
静寂が戻った部屋で、私は二度と鳴ることのないスマホを握りしめ、冷たくなった床に深く膝を折った。もうどこを探しても、私の生存を確認する音は聞こえなかった。
【了】
作品の主人公である「私」から、**去ってしまった「彼」**へ宛てた手紙として書いています。
拝啓 脱ぎ捨てられたスウェットの主へ




