第4話:洞穴で異様な気配を感じる第4話
魔神城前の混乱から逃げ延びたラグナードは、負傷した右腕の痛みに耐えながら森へ戻ろうとする。しかし森は異様に静まり返り、隠れ場所も見つからない。限界寸前で辿り着いた洞窟で休もうとした瞬間、洞内に満ちる“圧倒的な気配”に気づく。逃げ出そうと必死にもがくが、洞窟の出口の先に広がっていたのは、見たこともない赤い空の世界だった──。
腕は残っている。だが痛みは尋常ではなかった。 腕が痛いはずなのに、なぜか頭の奥まで響いてくる。 感覚はなく、ただぶら下がっているだけの状態。
逃げている間は気にならなかったが、追われるものがいなくなった途端、痛みが一気に押し寄せた。 「……これ、治るのか……?」
不安が胸を締めつける。 だが、立ち止まれば命を奪われる。 安全な場所まで逃げなければならない。
全力で走ったせいで、普段の隠れ家である深淵の森からは遠く離れてしまっていた。 この腕の状態では、あそこまで戻るのは危険すぎる。 血の匂いに誘われて魔物が寄ってくる可能性も高い。
自分と同じ大きさの魔物ですら、今の状態では逃げ切れる自信がない。 痛みは腕だけでなく全身に、そして頭の中にまで響き、何度も吐いた。
「痛い……」 涙がこぼれた。
弱い自分が悔しかった。 逃げ続ける自分が悲しかった。 そして、惨めだった。
動きが鈍い分、余計に考えてしまう。 孤独が胸に刺さる。
初めて見た“群れ”に期待を膨らませて向かった魔神城。 だがそこにあったのは、次々と倒れ、血を流し、餌として扱われることすらない魔神たちの姿。
──彼らは何を思って、あそこへ向かっていたのだろう。
森でしか生きてこなかったラグナードには分からなかった。
やがて、歩く力さえほとんど残っていなかった。 足を滑らせ、崖のような溝へと落ちる。
遠ざかる意識の中で、ラグナードの体がぎりぎり入れるほどの洞窟が見えた。 どういう経緯でできたものかは分からない。 だが、ここなら回復するまでやり過ごせるはずだ。
「……入ろう……」
よろよろと歩を進める。 途中、大型の魔物に丸呑みにされる可能性が脳裏をよぎったが、 もはや逃げる力も残っていないラグナードにとって、それすら本望に思えた。
そして、完全に体力と意識が切れかかったところで、その場に座り込む。
「……いったん眠ろう……目が覚めたら……いいな……」
そう呟き、意識を手放した。
ゾワゾワゾワ……ヒュオォォ……
ラグナードは目をカッと開いた。
今までに感じたことのない“圧力”が洞窟内を満たしていた。 自分の何倍もの大きさの存在が、触れられただけで即死するほどの強大な圧力。
顔を上げることすらできない。 膝は震え、喉は締めつけられ、呼吸が苦しい。 気づけば荒い息が漏れていた。 汗が噴き出し、体に力が入らない。立てない。
「……逃げなきゃ……」
心の中で叫ぶ。 この洞窟から一秒でも早く出なければ死ぬ。 ラグナードは本能で悟っていた。
まずは尻をずらし、少しでも出口へ近づこうとする。 ぐしゃぐしゃに潰れた右腕をついて立とうとした。
グシャッ。
顔から地面に倒れ込む。 涙が止まらない。
気が動転し、自分の体の使い方すら分からなくなっていた。 それでも“逃げる”という意識だけが脳に焼きついていた。
必死に動く。 数ミリしか進んでいないのに、心と脳は一日中動き続けたかのように疲弊していく。
一センチ、また一センチ。 少しずつ、少しずつ出口へ向かう。
圧力の正体など考える余裕はない。 ただ、生きたいという本能だけがラグナードを動かしていた。
どれほど時間が経っただろうか。
左手のひらは血にまみれ、顔も土と血で汚れていた。 足をもがき、顔を地面につけて進んだせいだ。
──入口が見えた。
明るみが差し込んでいる。
「……出れる……」
その瞬間、足に力が入った。 あとひと蹴り。 あとひと蹴り。 自分に暗示をかけるように動く。
そして、洞窟の入口にたどり着いた。
だが、目の前に広がっていたのは── さっきまで歩いていた森ではなかった。
木々はない。 赤い空。 ところどころ灰色のガスが漂う、不気味な景観。
足元は乾燥した石と岩のような地面。
動かない体で必死に周囲を見渡す。
右側──何もない荒野が広がっている。
左側──同じような景色が続いている。
その先の、さらに遠く。 黒い“もや”のようなものが揺れていた。
「あれは……なんだ……?」
じっと見つめる。 黒いもやは、ゆらゆらと動いているように見えた。
頭が整理できない。 ここはどこだ……?
ラグナードは、見たことのない土地に来てしまっていた。
──ここはいったい、どこなのだろうか。




