招待客のざわめき
招待客のざわめきエドガードの言葉が、甘い毒のように私の耳に残る。
「特別な贈り物」——それは、きっと公爵家の紋章を刻んだ指輪か、それとも魔導石のペンダントだろうか。
いずれにせよ、私の未来を照らす光のはずだ。ホールは拍手の余韻に包まれ、弦楽の調べが再び優雅に流れ始める。貴族たちの視線が、私とエドガードに集中する。
祝福の視線……のはずだった。
「まあ、リリアナ様。エドガード様と並ぶと、まるで絵画のようね」
エルミナが再び寄り添い、扇子で口元を隠して囁く。
彼女の目は輝き、喜びが伝染するようだ。私たちは幼少期、王宮の庭で花冠を作り合った仲。彼女の家は交易で栄える中堅貴族で、ヴェルディアの没落を「気の毒」とは思いつつも、決して見下さない。
こうしたささやかな絆が、この華やかな檻の中で、私を支える唯一の糸だ。
「ありがとう。でも、あなたの隣の伯爵令嬢たちも、美しいわ。きっと今夜の華はみんなで分かち合うものよ」
私は微笑みを返す。社会的の輪は、こうして回る。貴族の舞踏会とは、言葉なき競争の場。ドレスの質、宝石の輝き、会話の機転——すべてが地位の鏡だ。
エルミナの言葉に、周囲の令嬢たちが近づいてくる。
ピンクのドレスを纏ったロザリア嬢、黒髪をアップにしたソフィア嬢。
彼女たちはランフォード公爵家のサロンで顔見知りだ。
「リリアナ様、本当に羨ましいわ。エドガード様との婚約、いつ正式発表になるのかしら? 公爵家のお墨付きなら、ヴェルディア領の借金も一気に……」
ロザリアの言葉は、祝福の仮面を被った棘。
借金——父上の領地管理の失敗が、噂の的だ。母の死後、魔導書の研究に没頭した父は、税の徴収を怠り、干ばつで借金が膨れ上がった。
婚約がなければ、私の家は破産寸前。
ロザリアの目は、好奇心と同情の狭間で揺れる。
「ええ、きっと今夜のハイライトになるはずよ。エドガード様の贈り物が、証かしらね」
ソフィアが付け加え、皆でくすくす笑う。笑い声は軽やかだが、私の胸に小さな影を落とす。
なぜか、母の幻影が脳裏をよぎる。
母は優れた魔導士で、「リリアナ、力は絆でこそ輝く」と教えた。
だが、母の死後、私はただの「没落令嬢」。
社会的の仮面の下で、誰もが本音を隠す。この輪の中でさえ、視線はエドガードを探し、私を「幸運な花嫁」として値踏みする。
ふと、ホールの隅でささやきが聞こえる。
年配の侯爵夫妻が、ワイングラスを傾けながら。
「ヴェルディアの娘か……ランフォード家がなぜあんな家に? 魔導書の噂はあるが、所詮は古い遺産だ。公爵子息も、政略結婚の犠牲ね」
棘が深く刺さる。怒りが、静かに胸の奥でくすぶる。なぜ? 私たちは互いに惹かれ合ったはずだ。
エドガードの瞳は、いつも私の炎魔法を「美しい」と讃えた。
だが、こうした噂は、貴族社会の常套曲。没落貴族の娘が、公爵家に嫁ぐなど、童話のような話。
私のドレスは母の形見をアレンジしたものだが、周囲の宝石に比べて地味だ。
視線が、重くのしかかる。エルミナが気づき、私の手をそっと握る。
「気にしないで、リリアナ。あの人たちは、ただの風聞よ。私たちは本当の友達でしょう?」
彼女の温かさが、冷えた心を溶かす。肯定的な光が、わずかに差し込む。エルミナの言葉は、母の教えを思い起こさせる。
絆——それが、私の真の力だ。だが、ささやきは止まない。侯爵の妻が、扇子で口を覆いながら続ける。
「それに、聞いた? エドガード様、最近王女殿下と親しいとか。まあ、婚約は政略だものね……」
心臓が、凍りつく。怒りと不安が、混じり合う。王女? それは、ありえない。
エドガードは私を選んだはずだ。
視線をホール全体に巡らせると、エドガードの姿が、群衆の向こうに揺れる。
彼は他の令嬢たちと談笑し、笑顔を振りまいている。
青い瞳が、私を捉えない。
予感が、黒い影のように広がる。このざわめきの中で、私はただ微笑みを保つ。
だが、胸の棘は、深く根を張り始めていた。




