モミの木に眠る
冷たい風が当たり前になった十二月。街はせわしく、賑やかで、カラフルだった。
駅前の広場も飾り付けられ、日が暮れると綺麗なイルミネーションが瞬く空間になっていた。
日置を見つけたのは、そんな広場に置かれた大きなモミの木の下だった。いままで一度も駅で会ったことはなく、彼女が電車通学だということも知らなかった。
「よう」
珍しさと好奇心から声をかける。日置は視線を俺に向け、顔にかかった前髪をかき上げた。
「志甫」
「なにしてるんだ?」
「ツリーを見てた」
「けど、見てたの根元だろ」
「妖精がいるのは根元だもの」
囁くように呼ばれ、どきりとした。おかげで本来取るはずの反応が遅れる。
「えーと、聞き間違えた。もう一度、言ってくれるか?」
だが日置は答えず、視線をモミの木の根元へ戻した。つられて俺も植木鉢に植わった根元を見やる。プレゼントや雪の模造品で囲まれ、土の見えている部分は少ない。その少ない露出部分が、ほのかな光を放っていた。
最初、俺はライトが当たっているのかと思い、首をひねって視点を変えてみた。光は消えるどころか、見ているうちに強さを増してきた。だが眩しくはない。やわらかな光だ。
一体、これはなんなのか。眉根を寄せて考えていると、意外そうな口ぶりで日置が漏らした。
「へぇ、志甫にも見えるんだ」
「見えるもなにも……イルミネーションだろ?」
我ながら、言い訳がましいと思った。電気の光とは明らかに異質のものだ。それに、似たような飾りは他にない。
思った通り、日置は冷ややかな視線をくれ肩を竦ませた。
「じゃあ、もう行くね」
俺が言葉を継ぐ前に、日置は踵を返していた。長い髪とマフラーが、吹きつけた冷たい風に揺れる。
ちらり、根元に目をやると、やっぱり、そこには光が溢れていた。見えないなにかに、手を握られたような気がした。
*********
日置雪華。冬にふさわしい名前を持つ彼女とは、一年から同じクラスだった。だが言葉を交わしたことは数えるほどしかなく、たいした印象もなかった。
それが、たった一日で、二人並んで正体不明の物体を眺める関係になるとは。
「いつ、これ見つけたんだ?」
翌日の帰り際。どうしても気になり日置に声をかけた。日置はなにも言わずうなずいただけで、一緒に駅までやってきた。
「一昨日」
「で、これが本当に……妖精だと?」
「他に言い表せる言葉がなかったから、そう言っただけ。妖精が気に食わないなら、妖怪でもモンスターでもUMAでも好きに呼んだら?」
淡い光は、確かに妖精といった風情ではある。見つめていると気分も和むし、吹きさらしに突っ立っているのに暖かささえ感じられる気がした。
「別に、それは、まあ、いいんだけど。なんか意外な気がして」
「なにが?」
「そういうの信じてるように見えなかったから」
気を悪くするかな、と思ったが日置は表情を変えず当然のことのように答えた。
「信じてなかったよ。でも、自分と人とが同じものを見ているなら、それを疑う理由もないでしょう?」
「現実主義ってワケか。納得」
「……私も意外だった」
「なにが?」
「志甫って案外、素直なのね」
意味が掴めず、眉を寄せる。と、視線は光に向けたまま、日置の口元が笑った。
からかうような笑みに、いままでの会話を全力で振り返る。気付かないうちに、なにか恥ずかしいことでも口走っていたか?
「ほら、また人の言葉鵜呑みにして」
日置が声を上げて笑った。
「お前なぁ」
熱を持った顔をしかめて、そっぽ向いた。からかわれた恥ずかしさと不意に見せられた笑顔に、どう反応していいのかわからなかった。
「ごめん、志甫。怒った?」
日置が言う。済まなそうな問いかけに、こっちが悪い気がして
「別に……」
と、顔を戻すと、日置はニヤッと笑いかけた。
また、からかわれた。
熱を帯びたままの顔を引きつらせながら、日置の意外な一面に驚いた。みんなといても、どこか一歩引いた態度を取る日置に、冗談を言ったり人をからかったりするようなところがあるとは思ってもいなかった。
*********
日置と話をするのは楽しかった。熱心になにかを話すということはなかったけど、いろんなことを知っているし、どんな話題でも付き合ってくれた。考え込んだり、冷めた表情を見せたり、真剣な面持ちや……笑顔。これまで表面的な彼女しか知らなかったのだと、何度も思わされた。
けれど、ものの見方が俺や一般とは少し違っているのは、確かな事実だった。
それは、俺たちのことがクラスの連中に知られたときにも示された。
駅前広場の目立つ場所だ。毎日のように、なにをするでもなく二人並んで突っ立っていれば噂にならない方がおかしい。クラスメイトの面前でからかわれ、カッとなった。それでも誤魔化すか反論するか、迷う俺に比べ、日置は、いつもの通り冷静な声音で言った。
「それで?」
「それで、って……」
言った方がたじろぐ。
「話をしたり一緒にいたりするだけで、付き合ってることになるの? ならクラス全員、二十股ぐらいかけてることになるね。毎日、五時間は確実に男女揃って教室にいるんだから」
「二人だけでいるわけじゃ……ない、し」
「その考え、すごく危ないと思わない? 勘違いストーカーみたい」
それで終わりだった。あまりにも冷めた、突き放すような言い方に、それ以上、突っ込むものは誰もいなかった。俺も下手に照れたりせず、平静を保って受け流す術を学んだ。
けど、二人でいるときは別だった。
学校でのことが、きっかけだったとは言えない。それまでも、日置が妖精を呼ぶたび気になっていたのだから。
ただ、それ以来、ますます緊張の度合いが増したことは確かだった。
元々、鋭い上、この数日ですっかり性格を把握された俺の態度が、日置に見抜かれるまでに、そう時間はかからなかった。
「妖精が幼生を陽性に養成するのって、どう思う?」
「なんだよっ。その意味不明な問いは!」
「どの言葉で挙動不審になるのか確かめようと思って」
耳まで染まっているのが自分でもわかった。俺だって、こんなことで狼狽えるなんて、おかしいとは思う。いままで誰に呼ばれても、こんなに緊張することなんてなかった。
諦めるつもりはないらしい日置に、しぶしぶ答えた。
「陽晴。俺の名前」
まともに顔が見られない。
「あー……そうだっけ? どんな字、書くの?」
「太陽の陽に晴れ」
「あったかい名前だね」
また、からかっているのかと思ったが、ちらりと見た日置はごく普通の表情をしていた。動揺した俺へ追い討ちをかけるように、日置はさらりと言った。
「陽晴。私は好きだよ」
その日、モミの木の下に立つ理由が完全に変わった。
*********
「今日で二週間。変化ないね」
日置は少しつまらなそうに言った。
「まあ、そもそも、これがなんなのかさえわかってないし」
「蛹のモスラみたいなものだと思ってたんだけど」
「妖精の例えが怪獣かよ」
「どっちもよくわからない生き物なんだから、似たようなものでしょ」
色気の欠片もない、むしろ馬鹿っぽい会話も、それはそれで楽しかった。だが、もう冬休みも迫っている。休みになるまでに、なにも変化がなかったら日置は、どうするつもりなんだろう。それに……。
「も、もうすぐクリスマス、だよな……」
「クリスマス……クリスマスかぁ。クリスマスかもしれないね」
思い切って言った俺をスルーし、日置は一人呟く。そして、しばらく無言のまま考え込んでいたかと思うと、不意に顔を向け聞いてきた。
「二十四日って、なにか予定ある?」
首を振る。激しく振る。
「じゃあ、朝から会える?」
「あ、ああ」
心の中で拳を握る。そして突き上げる。
「よかった。やっぱりクリスマスだよね」
なにがやっぱりなのかさっぱりわからなかったが、些細なことはどうでもよかった。日置の笑顔とクリスマスの約束。それだけで十分だった。
*********
期末試験が終わると、あっという間に終業式を迎えた。
帰り際、友達から明日のクリスマス、遊びに行こうと誘われたが適当な言い訳をして断った。眠れない夜を過ごして、二十四日の朝を迎えた。
「おはよう」
駅前に着くと、もう日置は来ていた。相変わらずモミの木の下を見つめている。声をかけると顔を上げて、微笑んだ。
「おはよう。寝癖ついてる」
頭を指差して言われ、慌てて髪に触れる。日置はおかしそうに笑った。薄曇りの空で風も冷たいのに、顔がカイロのように熱くなった。
「ええ、と……それで。これから……どうする?」
いろいろと予定を考えてはきた。けど、日置から誘ってきたのだし、行きたい場所があるなら、それで構わなかった。
日置はモミの木の下へ視線を戻すと、少し考えるように首に巻いたマフラーに触れた。
「いつになるか分からないし、一時間交代で見てる?」
「……え?」
ようやくデートに誘われたわけじゃないことに気が付いた。
膝から崩れ落ちそうなぐらいガッカリした。
それでも一緒にいられることに変わりはないと自分を慰め、寒空の下、いつものように並んでモミの木の下の光を見ていることにした。
*********
光は、それまでと変わりないように見えた。柔らかくて、温かくて、静かに輝いている。変化が訪れそうな気配は微塵も感じられない。
実際、なにも起きないまま日が暮れた。
「クリスマスだと思ったんだけどな……」
日置は、ぽつりと呟いた。
どこからかジングルベルの音楽が聞こえてくる。
「なにがクリスマスなんだ?」
「妖精が生まれるなら、クリスマスが相応しいでしょう? だから」
日置の横顔がイルミネーションの光に照らされて、少し寂しげに見えた。
「ああ……。でも、ほら、卵も蛹も孵るのは春だし、まだ寒いから妖精も出てきたくないんじゃないか?」
「なにそれ。冬眠してるってこと?」
日置は噴き出して笑った。
「志甫って、ときどき変なこと言うよね」
「日置ほどじゃないだろ」
日置は微笑んだまま、息を吐いた。ふわりと吐息が白くなびく。
「冷えちゃったね。時間ある? 温まってから帰ろうか」
「えっ。あ、ああ。大丈夫、全然」
思いがけない言葉に、返事がうわずった。
日置はモミの木の下の光を一瞥すると、歩き出した。あとについて俺も歩き出す。
「……今日はありがとう。一日付き合ってくれて」
「別に。俺も気になるし……」
なにより日置と過ごせるだけで嬉しかった。楽しかった。
「明日も、明後日も……ずっと一緒に」
口にしてからハッとした。そんなこと言うつもりなかったのに。
日置が足を止め、見上げてきた。顔が赤く見えるのは寒さのせいだろうか。イルミネーションに照らされているからなのか。それとも……。
きっと俺の顔も赤く見えていると思った。
日置は顔にかかる前髪をかき上げ、照れくさそうな笑みを浮かべて言った。
「明日は一緒にモスラの歌、歌ってみようか」
*********
翌日、モミの木の下の光は消えていた。
ただ、光のあったところに手を伸ばすと、かすかな温もりを感じた。
日置の手と同じぐらい温かかった。




