第8話: 血に濡れた月《前半》
ーー戦え
己の運命に抗ってーー
夜の森は、静寂という名の刃を張りつめていた。
枝葉の揺れる音もない。虫の声すら消え、ただ月だけが木々の間を這うように照らしている。
悠真は、静かに呼吸を整えていた。
──感じる。
地の底から湧き上がるような、ぞわりと肌を撫でる邪気。
それは魔物の気配とも異なり、理を外れた「何か」が近づいている証だった。
「セリナ……。来るぞ」
「……はい。これは、ただの魔獣じゃありませんね」
セリナの声は低く、鋼のように研ぎ澄まされていた。
腰に下げた一本の剣――光の魔剣が、かすかに共鳴している。
ギルド長の指令は「森の奥に現れた強力個体の討伐」だった。
しかし、その気配は“試練”と呼ぶには異質すぎる。まるで――
──人の悪意すら感じさせる、意図された“罠”。
風が止み、森の温度が一瞬で変わった。
次の瞬間、木々の影から何かが飛び出した。
「来たッ!」
悠真は抜刀する。木刀とはいえ、その一閃は真剣の如き速さ――
……だが、空を裂いたに過ぎなかった。
「ッ!?」
右肩に走る痛み。浅い斬撃――が、異常な速度だった。
「ふふっ……惜しかったわねぇ? でも、次は首を狙おうかしら」
現れたのは、血のようなドレスを纏った女だった。
口元には微笑み。しかしその目は、理性なき獣のそれに酷似していた。
「カナリア……」
セリナが名を呟いた。
ギルドの記録にあった、存在してはならない“裏の戦力”。
黒幕が動かす“異界の手”。神に近い力を振るう者の傀儡。
「あなた……何者ですか?」
「わたし? ただの手先よ。神さまに言われたとおり、ちょっと遊びに来ただけ」
カナリアの手には、脈動する異形の刃。生き物のように呼吸し、赤黒い光を放っている。
「悠真さん、下がってください」
セリナが前へと出た。
その背に、決して揺らがぬ意志が宿っていた。
──光の魔剣が、鞘から抜き放たれる。
銀色の刃には微細な光粒が宿り、夜の帳に抗うかのように煌めいた。
「この剣は、光属性の魔剣。選ばれた者しか扱えません。……けれど、それだけです」
「ふぅん? つまり“奥の手”はナシってことね。いいの? それで勝てると思ってるの?」
「ええ。私はこの剣と共に在ると決めた。……今の私にできるすべてで、貴女を止めます」
「ははっ、強がり可愛い。でも、後悔しないでね?」
再び、刃が交錯する。
夜が、ふたたび赤く染まり始めていた。




