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居合  作者: 贈り物
序章
5/8

第五話: 宿る思いは

ーー信じろ

  己で鍛えた刃を信じてーー

 森は静寂に包まれていた。

 夜明け前の淡い霧が木々の間を漂い、濡れた土の匂いが鼻をつく。

 悠真は木刀を右腰に構え、ゆっくりと息を吐いた。

 この一呼吸が、命を分ける。そんな気配が、森に満ちている。


 ――試練。それがギルド長の言葉だった。

 「生きて帰れ。それが条件だ」

 簡潔で、冷酷な響き。だが、それがどれほど残酷な意味を持つのか、悠真はまだ知らなかった。


「……緊張してますか?」

 背後から、澄んだ声。セリナだ。

 振り返ると、霧の中、銀の髪が月光を受けて揺れていた。美しく、だがその双眸は氷のように冷たい覚悟を湛えている。


「緊張は、してるさ。でも――」

 悠真は木刀を少し押し下げ、目を細める。

「刀を抜くときに迷うのが、一番怖い」


 セリナの唇がわずかに動くが、言葉は出なかった。

 その瞳に映るのは、信頼か、不安か――判別できない。


 カナリアが、指を鳴らす。

「試練開始ッ!」


 その瞬間、森がざわめいた。

 ――ギシ、ギシ、と重い何かが地を踏みしめる音。

 霧が揺れ、空気が震える。悠真の全身が、戦慄に支配された。


 霧を裂いて現れた影を見た瞬間、息が止まった。

 それは狼――否、狼と呼ぶには異形だった。

 黒鉄の毛皮が、夜明けの光を鈍く反射する。

 牙は鉱石の刃のように鋭く、目は赤い灼熱を宿していた。

 その巨体は、馬よりも大きい。

 ――魔鋼狼マガネオオカミ


「……冗談だろ」

 口に出した声が、自分のものと思えないほど冷えていた。


 魔鋼狼が咆哮を上げる。

 空気が裂け、耳が痛むほどの轟音が森を揺るがす。

 瞬間、巨体が飛んだ――速い。

 悠真は反射で半歩退き、抜刀の一閃を放つ。


 ガキィィィンッ!!

 火花と金属音。

 木刀が牙を受け止めた瞬間、衝撃が腕を貫いた。

 弾かれる。

 悠真の肘が悲鳴を上げ、木刀には深いヒビが走った。


(……硬すぎる)

 息を呑む間もなく、魔鋼狼が着地し、低く身を沈める。

 次の瞬間――消えた。

「っ――!」

 背後から殺気。悠真は本能で身を捻る。

 だが避けきれず、肩を掠める爪。血の匂いが立ち上る。


「悠真さん!」

 セリナの声が遠い。加勢はできない。これは悠真の試練だ。

 森を駆ける。影を追う。

 ――だが、重い。木刀が通じない相手と戦うという絶望が、足を鈍らせる。


(俺の剣が……通じない?)

 胸の奥に、冷たいものが流れ込む。

 剣を握ってきた理由――刀一本で生きる意味が、音を立てて崩れそうになる。


 ――刃さえあれば。

 そのとき、声がした。

 誰もいないはずの森で。

 耳元で、囁くように。

 『そうだ。刃を求めろ。それで全てを断てる』


(……誰だ?)

 息が詰まる。時間が止まったかのように、音が消える。

 霧が濃くなり、世界が歪む。


 声は続いた。

 『木刀で何を守る? 何を斬る? その矛盾が、お前を殺す』

(黙れ……俺は、刃なんか……)

 『欲しいはずだ。本物の剣を、力を――この世界で生きるために』


「悠真さん!魔力を――武器に流せば!」

 セリナの声が響いた。

 現実が戻る。

 魔力?そんなもの、どうすれば――

 悠真は歯を食いしばり、深く息を吐いた。

(……気を刀に通すように。中心を、静めて――)


 刹那、木刀が淡い青白い光を帯びた。

 冷たい輝きが、霧を裂く。

 声が、愉悦に震えた。

 『いいぞ。その力だ。選ばれた者よ――もっと、もっと強くなれ』


(俺を呼んだのは……お前か?)

 『応えろ。刃を持てば、お前の願いは叶う』


「……俺は、刃なんかいらない!」

 悠真は叫んだ。

 次の瞬間、魔鋼狼が跳んだ。

 迫る牙。悠真は腰を落とし、居合の型を極める。

 時間が、引き延ばされたように遅くなる。

 息を吐く――一拍。

 全身の魔力を、木刀に流し込む。

 ――抜刀。


 バギィィィィンッ!!

 光が爆ぜ、音が砕ける。

 木刀の一閃が、魔鋼狼の顎を砕き、その巨体を吹き飛ばした。

 森が震え、静寂が戻る。


 悠真は荒い息を吐き、木刀を見下ろした。

 深いヒビ。それでも、折れてはいない。


「……勝った?」

 セリナが駆け寄る。

 その瞳に、驚きと安堵と、そして――恐怖があった。


「さっきの光……魔力、ですよね」

「……そうらしいな」

 悠真は答えながら、胸の奥のざわめきを抑えきれなかった。

(あの声……なんだったんだ)


 森の奥、深い闇の中で、誰かが笑った。

 『まだ刃を求めぬか。ならば――試そう。もっと、深く』


 霧が、ひどく冷たく感じられた。


――――――

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