第三話: 異端の剣と、偽善の声
ーー打ち砕け
偽善という名の偽りをーーーー
ギルドの扉を開いた瞬間、喧騒と汗の匂いが押し寄せた。
戦場とは別種のざわめきが、広間に満ちている。
冒険者たちの視線が、報告に戻ったセリナと……その隣にいる俺へと集まった。
「セリナさんだ!」「戻ったのか……!」
「で、そっちの木刀野郎は何者だ?」
耳障りなざわめきが、突き刺さる。
木刀。確かに俺の腰に下がっているのはそれだ。
けれど、これしかない――いや、これでいいのだ。
セリナは群衆の質問を淡々とかわしながらカウンターへ向かう。
「巣の殲滅を確認しました。ですが……魔物の増加は収まっていません。」
その声は冷静で、だが奥底に鋼の緊張があった。
受付嬢が頷き、奥へ報告書を回す。その時――
低い声が背後から降ってきた。
「……随分と妙な武器を持ってるじゃねぇか。」
振り向けば、鋼の義手を備えた大柄な男が立っていた。
肩まで伸びた黒髪、片方の袖は空を切っている。
――ギルド長、グラント。
「木刀、だと?」
義手がギリ、と鈍い音を立てる。
「剣を選ぶのは自由だが、その顔は……死に急ぐ奴のそれだ。」
俺は目を逸らさずに答える。
「命を賭ける覚悟はあります。」
「覚悟だぁ? そんな言葉、死体には通じねぇぞ。」
グラントの視線は鋭かった。
しかし、さらに言葉を重ねることはなく、ただ一言――
「……死ぬなよ。」
そう吐き捨て、奥へ消えた。
緊張が緩んだ瞬間、別の声が割り込む。
「へぇ……木刀で魔物退治? 面白いね、あんた。」
振り向くと、カウンターの端に腰掛けている女がいた。
小柄な体をフードで包み、赤いリボンがちらりと覗く。
――情報屋、カナリア。
噂好きで、金と引き換えに裏の話を渡す女だ。
「名前は? ああ、いいや、言わなくていい。そういう無口なの、嫌いじゃないから。」
挑発とも軽口ともつかない声に、俺は無言を貫く。
カナリアはくすりと笑い、わざとらしく紙切れを取り出した。
「見た? この掲示板。」
それは報酬倍増の討伐報告だった。描かれているのは、陽光を背負う金髪の男。
――ルーク・ヴァレンティア。
「西方の貴公子だってさ。剣の腕も、女の心も、切り裂いちゃうらしいよ。」
カナリアは唇の端を吊り上げ、低く囁く。
「ねぇ、アンタも……“負けたくない”とか、思ったりしない?」
その一言に、胸の奥で何かが軋んだ。
しかし、俺は答えず、踵を返す。
背中に、カナリアの声が追いかけてきた。
「……人ってさ、折れないように見えても、簡単に折れるもんだよ。」
振り向いたとき、彼女はもう、別の誰かに笑いかけていた。
その笑顔の奥で、一瞬だけ冷たい刃が光った気がした。
――そして、その場の隅。
黒い外套を纏った長身の冒険者が立っていた。
顔はフードに隠れ、微動だにしない。
だが、床に落ちる影が……異様に濃い。
俺が目を細めた瞬間、そいつはすっと人混みに消えた。
宿に戻ったのは、陽が沈んでからだった。
鎧を解いたセリナは、窓辺に立ち、月光を背にして俺を見た。
「……少し、話、いいですか?」
声は静かだった。
だが、その奥に潜むものは、戦場よりも鋭い。
彼女は椅子に腰掛け、俺をまっすぐに見据える。
「――あなた、本気で、あれで戦うんですか?」
「あれ?」
「その木刀ですよ。」
視線が腰の木刀を刺す。
「今日、弾かれて……怖くなかったんですか?」
「怖くないと言えば嘘だ。」
「なら、なぜ?」
俺は少しだけ息を整え、言葉を選ぶ。
「剣は、敵を斬るためじゃない。己の心を、斬るためにある。」
「……何のために?」
「折れないためだ。」
セリナの眉が動いた。
「その信念で……誰を守れたんです?」
空気が、音を失った。
炎、血、焼け焦げた影。
俺は唇を噛み、視線を逸らす。
「……答える義理はない。」
「そう。」
セリナは立ち上がり、窓辺で双剣を撫でる。
「その道は、必ず何かを喰う。――私の魔剣みたいに。」
刹那、双剣の刃が月光にきらめいた。
その光は、美しく……どこか、冷たい。
夜。
俺は木刀を磨き、呼吸を整えていた。
――その時だ。
『……慈悲は、偽善だ。』
また、だ。
低い、甘い声が脳を揺らす。
昨日よりも、近い。
『折れろ。折れねば、お前は……何も守れぬ。』
(……違う、俺は……)
否定した瞬間、視界が赤に染まる。
焼け焦げた瓦礫、血溜まり。
その中心で、誰かが笑っていた。
「……っ!」
俺は木刀を握りしめる。
血が滲むほどに。
――闇に、笑い声が溶けた。




