力の境界
玲奈が去った後、教室には沈黙が落ちていた。
つばさは腕を組み、じっと俺を見つめている。
「悠真……あなた、本気で玲奈の言葉を考えてるの?」
「……どういう意味だ?」
「"支配者になれる"なんて言葉に、まさか心を動かされたんじゃないでしょうね?」
つばさの声には、僅かな警戒と不安が混じっていた。
「別にそんなことは……」
俺はそう言いかけて、口をつぐむ。
本当にそうか?
玲奈を支配したときの感覚を思い出す。俺の命令一つで、彼女の身体は完全に制御された。あれほどの知性と威圧感を持つ玲奈が、俺の前ではただの人形のように——。
そして、その玲奈自身がそれを受け入れていた。
「悠真……あなたは、"境界"を意識したほうがいいわ」
つばさは真剣な目で言った。
「境界?」
「ええ。"力を持つ側"と、"持たざる側"の境界よ。あなたがどっちに立つのか——今はまだ曖昧かもしれないけど、いずれ決断を迫られるわ」
俺はつばさの言葉を反芻する。
確かに、俺は今"普通の高校生"として生きているが、この力を持った時点で、"普通"の枠から外れ始めているのかもしれない。
俺はこの力をどう使うべきなのか——。
そんなことを考えていると、突然、教室のドアが勢いよく開いた。
「天城悠真」
低く冷静な声。
そこに立っていたのは、**柊 木乃香**だった。
「木乃香……?」
彼女は無表情のまま、まっすぐ俺を見つめている。その鋭い眼差しは、まるで俺を試すような冷たい輝きを帯びていた。
「あなたと話がある。ついてきて」
そう言うと、木乃香は迷いなく教室を出て行く。
俺はつばさと顔を見合わせたが、結局、後を追うことにした。
***
木乃香が向かったのは、校舎裏の人気のない場所だった。
静かな空間で、彼女は俺と向かい合う。
「木乃香……何の話だ?」
彼女は一瞬、言葉を選ぶように沈黙し、やがて静かに言った。
「——私と戦ってほしい」
「……は?」
思わず聞き返す。
「試したいの。あなたの力が、"本物の強さ"かどうか」
木乃香は制服の袖をまくり、構えを取る。
その動きには無駄がなく、洗練された殺気が滲んでいた。
(……本気だ)
彼女は剣術の名門・柊家の娘であり、全国レベルの剣士だと聞いたことがある。
「遠慮はいらないわ。私は本気でいく」
そう言うと、木乃香の動きが一瞬で変わった。
次の瞬間——俺の目の前にいたはずの彼女が、視界から消えた。
「——速っ!」
俺が反応するよりも速く、木乃香の掌底が俺の腹部へと打ち込まれる。
衝撃が身体を駆け抜け、俺は思わず数歩後ずさる。
「……今ので終わりじゃないわよ」
木乃香は再び踏み込んでくる。その瞬間——俺は直感的に力を解放した。
「——止まれ!」
俺の声とともに、木乃香の身体がピタリと静止する。
腕も足も、中途半端な姿勢のまま、まるで時間が止まったように微動だにしない。
「……っ!」
木乃香の瞳が驚愕に見開かれる。
「すごい……本当に動けない……」
俺はしばらく彼女を止めたまま、そのまま観察した。
強靭な意志と鍛え抜かれた肉体を持つ彼女ですら、この力には逆らえない。
「……解除」
俺がそう言うと、木乃香の身体が一瞬ふらつき、解放されたことを理解したように大きく息を吐いた。
「……やっぱり、あなたは"本物"ね」
木乃香は静かに俺を見つめ、そして、驚くべき行動に出た。
彼女はゆっくりと膝をつき、俺に向かって深く頭を下げた。
「柊 木乃香……この瞬間から、あなたに忠誠を誓う」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
「……どういうことだ?」
木乃香は顔を上げ、真剣な瞳で俺を見据える。
「私の家系は、"強者に仕える"ことを誇りとしているの」
「だから、あなたが強いと認めた以上……私はあなたの剣となるわ」
木乃香の言葉には、一切の迷いがなかった。
「……俺は"主"じゃないぞ?」
「いいえ、あなたは"支配者"になれる」
まただ。
玲奈も、つばさも、そして木乃香までも——俺の力をただの"能力"ではなく、"支配の力"だと捉えている。
俺は、本当に"支配者"になるつもりなのか?
「悠真……あなたはどうしたい?」
木乃香は、まっすぐ俺の答えを求めていた。
俺は——。




