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1563年現在の戸田忠次

 ここで1563年現在の戸田忠次について説明します。

 まず戸田氏と松平氏との関係は古くから良好でありました。しかし西から織田。東から今川に挟み撃ちに遭い、松平は織田に。戸田は今川にそれぞれ降伏。その後、松平は今川方に転じ、戸田も今川に従属する事を選択したのでありましたが……。

 その戸田氏の中で抵抗を続けた人物がいました。1人は戸田尭光。そしてもう1人が戸田忠次の父光忠でありました。彼らは渥美半島における拠点田原城に籠城。3年間今川の包囲に耐え忍んだのでありましたが力及ばず。尭光は船で知多へ。そして光忠と忠次は岡崎に逃れたのでありました。

 時代は下り、桶狭間の戦いで今川義元が討ち死にした事に伴い松平元康が岡崎で独立。これに忠次が従い、現在を迎えたのでありました。


戸田忠次「今、私がどちらに付こうが大勢に影響は無い。その事は否定しない。」


 迷っているのは、どちらが勝つのかを見極めているのでありますか?


戸田忠次「いや、そうでは無い。私の心は家康様にある。」


 では何故躊躇されているのでありますか?


戸田忠次「うちの拠点が何処にあるか知っているか?」


 えっ!忠次様に拠点何かありませんよ。ただでさえ貧しい岡崎に寄生しているだけではありませんか?


戸田忠次「……否定する事が出来ないのが辛い所である。私が言っているのは本家の拠点の事を言っている。今、戸田家は(今の愛知県豊橋市にある)二連木に本拠を構えている。そして彼らは今川方として活動を続けている。此度のいくさは徳川と一向宗の諍いであるが、一向宗の背後には……。」


 今川が居ます。


戸田忠次「そう。4月に臨時の徴税が行われた事を知っておろう。」


 今川氏真は1563年の4月。

「三州急用」

の名の下、臨時の徴税を実施。その目的は……。


戸田忠次「徳川家康と本格的に事を構える所存であろう。と言う事は、徳川と一向宗の戦いに氏真が乱入する。勿論、一向宗方として。そうなった時、私が家康様の側で戦うのは。」


 本家の立場を危うくする恐れがありますね。


戸田忠次「それだけでは無い。吉田城に当主宣光様の奥方が人質として入っている。今川を裏切った時、人質がどのような目に遭うのか。其方も知っておろう。」


 ここで記すのは不適切なものであります。


戸田忠次「奥川様を斯様な目に遭わせるわけにはいかぬ。家康様には、本当に申し訳無いと思っている。私は……一向宗に付きます。」


 仕方ありません。岡崎の者共も悩みに悩み選択しています。戸田様の決断。誰も否定する事は出来ません。

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