元々は
私小平太が徳川家康に見出されたのは、私が松平家の菩提寺である大樹寺で学んでいた時の事。その大樹寺は浄土宗の寺院。そんな浄土宗の寺で私が勉強していると言う事は、私の実家が信仰しているのは当然浄土宗。浄土宗を開いたのは法然。一向宗も連なる浄土真宗を開いたのは法然の弟子である親鸞。師匠と弟子の関係に問題はありません。つまり……。
一向宗の教えの元となった浄土宗を信じる事を一向宗が咎める事は出来ません。浄土宗の立場から見て、一向宗が今行っている事は……少しやり過ぎなのでは無いでしょうか?そうですよね?酒井様。
酒井忠次「……私は(徳川家康や小平太と同じ)浄土宗でありますので、他の宗派の事を語るのは差し控えたいと。」
真宗同士でも仲違いしている所があるでしょう?
石川家成「一向宗は後発であるため、先鋭化しなければならない所があった。信徒を増やすためには同じ
『南無阿弥陀仏』
を信じる方々を引き入れるのが楽と言えば楽。これに経済的特典を付与する事により、言葉は悪いが
『強奪していった。拒む者を排除していった。』
そのため恨みを買われている事は否定出来ぬ。」
同じ事をここ三河でも繰り返そうとしているのでありますよ。
石川数正「元はと言えば。」
ならあちら側に立っていただいて構わないのでありますよ?
石川数正「それは出来ぬ。……わかった。大樹寺は殿の家の菩提寺でもある。唱える念仏に変わりは無い。今まで信じていたものが……異端であったと割り切り……浄土宗に鞍替えする。」
本当にそれで?
石川家成「私も同じ考えである。」
酒井忠次「そうなればすぐに動く。家中には多くの門徒が居り、去就に迷っている者も多い。時間が経てば経つ程、状況は悪化の一途を辿る事になる。急ぐぞ。」
石川数正「わかりました。」
浄土宗に改める事により一向宗による無間地獄から逃れる術を得た徳川の家老衆は、去就に迷っている家臣を説得。一向宗側を凌駕出来る規模には届きませんでしたが、十分渡り合える陣容を整える事に成功したのでありました。一方その頃……。
戸田忠次「うちは元々が曹洞宗。一向宗が何を言おうが関係ない。徳川様との良好な関係を今後も維持したいと考えている。しかし此度のいくさは徳川対一向宗と言った簡単な構図では無い。」
どちら様ですか?
戸田忠次「其方が居る所で、幾度となく徳川様にお会いしているのでありますが……。」
いえ。存じ上げております。ただ……。
戸田忠次「何でありましょうか?」
ここで登場するだけの価値のある方には見えないのでありますが……。