第63話
「…もう、アキくんは本当に可愛いね」
水川さんは笑い過ぎたのか目尻にたまった涙を拭いながら言った。
「いや、自分でも変な事言ってる自覚はある。ただ、そうでもなけりゃ、男嫌いの君が俺と今こうして接してると思えないよ」
アキラが真剣な表情でそう言ったが、水川さんは頭を横に振った。
「あのね、アキくん。そりゃあ、わたしはたしかに男性が苦手だし、相手によっては嫌悪感を抱くこともあるよ?でも、男性が全員嫌いって訳じゃないんだ。学園にもたくさん男性の職員さんはいるし、シュヴーのパティシエのトシロウさんやアレンさんのことも信用してる」
「…そうだね」
「それにね。アキくんが正直に言ってくれたナイショの話みたいに、わたしも誰にも言っていない話があるんだ」
「…それは俺が聞いて良い事?」
「むしろ、聞いて欲しい、かな?…でも、恥ずかしいから小さい声でも良い?…じゃあ、耳をかして」
水川さんは黒猫の背中を撫でていた右手を外すと、自身の口の横に手のひらを当てた。
手が止まったことに気づいた黒猫が、不満そうにアキラの顔を見上げた。
ここなら誰にも聞かれないとも想ったが、彼女の言葉に従って顔を近づけた。
「…これでいい?」
「うん。…わたしもお正月にこの神社に来て参拝した時、ひとつお願いをしたの」
「ああ、うん」
アキラの耳に彼女の吐息がかかって少しこそばゆい。
水川さんが小声で秘密にしていたことをそっと教えてくれた。
「それはね、
『わたしも素敵な彼氏が欲しいです』
ってお願い事」
「は?」
思わず顔を離したアキラに向かって、水川さんが悪戯っぽく微笑んで続けた。
アキラの顔を見ていた黒猫の頭を軽く撫でてから、背中をゆっくり撫で始める。
黒猫は撫でる作業が再開されたことに満足したのか、喉をグルグル鳴らしている。
「聞こえなかった?『わたしも素敵な彼氏が欲しいです』って言ったの」
水川さんの言葉にアキラが少し躊躇しながら返した。
「でも、君は男嫌いで有名で…」
「だって、良く知りもしない人たちが、入れ替わり立ち替わりで度胸試しみたいに来るんだよ。まるで何かのアトラクションみたいに。毎回見せ物にされたら嫌になるよ?」
「そっか…俺も見せ物は嫌だったな。モデルやタレントみたいに自分でそうしたいならともかく、そうじゃないもんな」
「それで友達を引き連れて告白しに来る人は片っ端から断るって決めたの」
水川さんは少し不満気だ。
アキラは思わず苦笑を漏らしてしまった。
「そりゃスゴいね…。でも、彼氏、欲しいとかって思ってたんだ」
「麻衣とアレンさんが付き合っているのは知ってるでしょ?」
「この間シュヴーに行った時に、僕のマイを助けてくれてありがとうって抱きつかれたよ」
「そ、そうなんだ…。アレンさんは少し愛情表現が過剰なところがあるけど、麻衣のことをすごく大切にしていてね。イベント事なんかはお仕事を休んででも一緒に過ごしてるんだ」
「なんとなくだけど想像つくよ」
水川さんが空を見上げた。
もう夕方だというのにまだまだ全然明るい。
梅雨時期の雲の切れ目から、抜けるような青い空が見えている。
「去年の大晦日にね、多聞市の友達の家で一緒に過ごしたの。風香やアイ、あと2人。わたしも合わせて5人。それで年越しして、みんなで初詣しに行こうってなって、ここに来たんだ」
「去年の大晦日かあ……。俺、年末年始は父親の仕事の伝手でバイトしてたな…。12月は期末試験とかであんまバイトできなかったから、短期のヤツやってたよ」
去年の年末のことを思い出したアキラがため息を吐いた。
「そうなの?なんのアルバイト?」
「えっと、確か…。31日は朝からお昼まで、おせちのお重に料理を詰める仕事やってたかな。プロの料理人が小さめの器に綺麗に作った料理を、大きな重箱の中に見本通りに並べて、風呂敷かけて専用のケースにセットするんだ。それをさ、専属のドライバーがどんどん持って行くの」
「そんなアルバイトあるんだね」
「そこの店はなるべく出来立てを届けたいって言って、ギリギリまでやってた。あと衛生基準が厳しくてさ。専用の制服着て帽子とマスクと手袋着用だから、目しか見えなくて誰が誰だかわかんなかったなー。時給良かったし、少しだけど寸志っていうの?ももらったよ。けど結構体力使って、家帰ってから爆睡してた。起きたら年明けてて、あけおめのメッセージいっぱい溜まってて、慌ててみんなに返事したの覚えてる。…あ、ごめん。全然関係ない話をしちゃったね」
アキラは慌てて謝ったが、水川さんは何故か嬉しそうだ。
「ふふっ。やっぱりアキくんはすごいね。……ん。初詣にきた時の話だよね。参拝にきたお客さんがすっごい沢山いて長い行列ができてた。私たちもみんなで参拝しようって行列に並んでたら、麻衣とアレンさんがいたんだ。二人はもう参拝を終えたみたいで、出店の屋台のところを手を繋いで歩いてた」
「うん」
「…麻衣もアレンさんも、今までに見たことがないような、すごく幸せそうな顔してて、みんななんていうか、声をかけられなかった。それでわたしも羨ましいなって思って、参拝の時についお願いしちゃった。
彼氏になってくれる素敵な男性と巡り逢わせてください。って」
水川さんが柔らかい表情で微笑んでいる。
その顔を見ていたアキラは自分の鼓動が早くなっていることに気づいた。
「…そうなんだ。あー、確かに誰かが恋愛してるのをみると良いなって思うのはわかるよ…。そういうヤツ、結構近くにいるし。でも君がそういうのは、なんか、意外だった」
つい自分を誤魔化すように言葉を返した。
不満そうな表情になった水川さんが左手の人差し指を立てると自身の唇にチョンと当てて言った。
「んー…。わたしが恋愛しちゃ、ダメ、ですか?」
「い、いや、そうじゃなくて」
アキラが慌てると、水川さんが笑った。
「冗談です。でも、わたしも制服デートに憧れたりするんだよ?そうじゃなくても麻衣と一緒にいると、アレンさんがあの子に会うたびにJe t’aime、Je t’aimeやるのを見させられんだもん。影響ぐらい受けます!」
「あ、あははは…」
「だから、そういう意味で言えば、わたしも同罪かもしれないね?」
「同罪って?」
アキラの疑問に、水川さんがまっすぐ目を見て答えた。
「さっき『御礼参り』行ったでしょ?その時神様に『ありがとうございます』ってお礼を言ったんだ。
『こんなに素敵な人と巡り逢わせてくれて、ありがとうございます』って。
ごめんなさい。
さっき、アキくんがわたしのことを考えて、悩んで、罪悪感まで感じてくれたって聞いて…、嬉しかったんだ。
わたしが、アキくんのことだけで頭がいっぱいになるくらい想っていたのと同じなんだって。
そう思ったら、嬉しいって感情しか出なかった」
「………」
ちょっと言葉が出なくなってしまったアキラを見て微笑んだ水川さんが続けた。
「好きだよ。アキくん。
わたし、水川沙姫は、真島アキラさん、あなたのことが好きです。
良かったらお付き合いしてください。
ん〜と…、そうだね。
出来れば、結婚を前提に。が良いかな?」
まっすぐアキラの目を見て言葉を紡いだ水川さんの膝上で、黒猫もまたアキラの顔をじっと見つめていた。
告白されたアキラは自分の顔が真っ赤に染まって行くのを感じながら、水川さんの顔と黒猫の顔を見比べた。
水川さんの大きな瞳がアキラのことを見つめている。
…ああそうか。水川さんの瞳は猫たちの瞳によく似ているんだ。
アキラは自身の熱い顔を左手で覆って、彼女の視線を遮りながらそう思った。