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第62話

 アキラも水川さんの目を見つめて言った。


「そのことについて、俺は今日、話をしたかったんだ」

「…そのこと、ですか?」

「これから俺が話すことは、突拍子もなさすぎて、正直、信じてもらえるかわからない。…でも、そうとしか考えられなくて。決して水川さんを蔑ろにしていて、こんなことを言ってるわけじゃないってことだけ、わかってほしい」

「なんの話、ですか?」


 水川さんが膝の上に乗った黒猫の背中をゆっくり撫でながらアキラに聞いた。

 黒猫はといえば、心地良さそうにあくびをしている。


 …なんだか、もう全部この猫の所為にしたいくらいだ。


「土曜日に、あの通り魔事件の時に俺があの場所に行ったのは、偶然の事故だって話をしたと思う」

「うん…」

「その時になんで自転車で突っ込んだかって話は覚えてる?」

「確か、激坂レースをしてたら自転車のブレーキが壊れちゃって、止まれなくなって商店街まで来ちゃったんだよね?」

「そう、ブレーキが壊れたせい、の筈だったんだ。でも、違ったかもしれないんだ」

「どういうこと、ですか?」


 また、彼女の切れ長のアーモンドアイが不安そうに揺れている。

 こんな表情をさせたいわけじゃないんだけど…。


「実はね、俺の乗っていた自転車のブレーキは壊れていなかったみたいなんだ。メーカーの人が事件の後にあの自転車を回収してね。外注の検査機関に性能テストを依頼していたんだ」

「なんのためにですか?」

「俺が通り魔にぶつかるシーンがニュースでたくさん取り上げられたでしょ?TVで動画を見た視聴者や株主から『自転車に欠陥があったんじゃないか』って問い合わせがたくさん来たらしい。それで慌てて検査機関に依頼してテストしたんだって」

「…本当、ですか?」

「うん。今もメーカーのホームページで、そのテスト動画と結果を公表してる。今見せるね」


 アキラが自分のスマホでYMBのホームページにアクセスした。

 手慣れた様子でテスト画面を開くと、水川さんに手渡す。


 水川さんはアキラのスマホを受け取り、繰り返し繰り返し、何度も動画を再生した。

「本当にブレーキが効いて止まっていますね…」

「そうなんだよ…」


 水川さんがスマホをアキラに返した。

 アキラがまたどこかのサイトを開いている。

 どこかのTV局の報道サイトのようだ。


「それと…、あの、通り魔事件の時の報道映像、なんだけど。…あれを見ると、抵抗感や恐怖心がフラッシュバックする、なんてことはない?」

「…正直、少し怖いです。でも、何か必要なんですよね?」

「いや、無理に見なくても大丈夫だよ。言葉で説明すれば…」

「大丈夫です。…でも、少しだけ手を握ってもらっていても良いですか?」

「…ああ。それは勿論だけど、無理はしないでほしい」

「手を貸してください。…これなら多分、平気、です」


 水川さんの左側に座っていたアキラが右手を差し出すと、水川さんが左手をそっと乗せてぎゅうっと握った。

 少し、震えているような気がする。


 アキラは少し躊躇したが、水川さんに視線で促されたので、事件の動画を再生した。



 画面の左手から、包丁らしき刃物を手にしたおっさんが周囲を威嚇しながら歩いてきた。少し後ろを警察官が追っているが、おっさんが刃物を振り回すので接近できないようだ。おっさんは、時折急に走ったり立ち止まったりしながら画面の右手に消えていく。


「これが犯人だね」

「え、ええ。そうですね…。何度か報道で目にしました」

「この犯人のことは覚えてる?服装とか」

「いえ、あまり。…ただ、一度だけ、包丁を持った怖い人に追われる夢を見たことがあります」

「ご、ごめん。ここまでで大丈夫だから」


 アキラが動画を切った。


 水川さんの顔色はあまり良くないようだ。

「このまま手を借りていても、良いですか?」

「俺は大丈夫だけど、吉野さんたちに来てもらう?」

「いいえ…。大丈夫。お話の続きを聞かせてください」

「…わかったよ。さっきの画像や事件後のインタビューを色々見直したんだけど、みんな『白いタンクトップにハーフパンツ姿の大柄な男性』が犯人だって言ってるんだ」

「確かに、そうだったかもしれません」


 アキラは少しだけ言い淀んだが意を決して言葉を紡いだ。

「でも、俺にはこの男の姿が全然違って見えたんだ」

「どんなふうに見えていたんです?」

「ダンサーか、パフォーマーか、レスラーか、何かわからんが、でけえおっさん」

「???」

「もっとわかりやすくいうと、すごいコスプレをした人だと思ったんだ」

「コスプレ…ですか?」

「昔話に出てくる鬼のコスプレ」

「はい?」

「ま、そうなるよな…。一昨日、俺とハヤトとナベちゃんの3人で話した時もそうだった。でさ、ナベちゃんが神社のご本尊の写真を見つけてきたんだ」


 アキラは毘沙門天の立像写真を開いた。

「この毘沙門天様の足元に二匹の鬼がいるよね?邪鬼っていうらしいんだけど、俺が見た犯人はこの鬼によく似ていたよ。ベイロードだとたまにイベントとかでコスプレしたパフォーマーがいるよね?そんな人だと思ったんだ」


「………………」


 水川さんは画像を見て固まっていた。


「ごめん。やっぱ信じられないよね」


 体を撫でていた水川さんの右手が止まったことを不満に思ったのか、彼女の膝上の黒猫が顔を上げた。


「うにゃん?」と声をあげ、俯いている水川さんの顔に向かって慰めるように頬擦りしている。




「いえ…、そうじゃないんです」

 黒猫の頭突きめいた頬擦りを黙って受けていた水川さんが顔を上げて言った。


「わたし、さっき話した包丁を持った人に追いかけられた夢を見た時、この神様に助けてもらったんです…」

「え?」


 水川さんがまた右手で黒猫を撫で始めた。

 黒猫が「ふんっ」と鼻息を吐いてまた膝上に座り込んだ。


「ふふっ。今度はアキくんが信じられないって顔してる」

「ちょっと待ってくれ。予想外すぎて…」


「わたしの方がビックリしました。麻衣や風香やアイにも心配かけたくなかったから、誰にも言ってないのに…。この神様が追いかけてきた人をヒョイって捕まえて、わたしの頭をポンポンって叩いて消えちゃったの」

「そう、なんだ…」



 二人は手を握り合ったまま、黙って本堂の方を見つめてしまった。



「さっきのお話の続き、教えてくれますか?」

「あ、ああ。ナベちゃんがさ、『俺が神社の神様に操られてた説』っていうのを立てたんだ。馬鹿馬鹿しく感じるかもしれないと思ったんだけど、ベイロードと激坂の間の道を渡る時も傷一つなくて、あんなにたくさんの人が商店街にいたのに誰ともかする事すらなかった。そして、二人の女の子を避けて、狙い澄ましたように通り魔にだけ大ダメージを与えた」


「でも、アキくんの意思じゃなかったかもしれないけど、それでわたしたちが助かったのは事実だよ?」

「そうだね。だから、分けて順番に話をしたい。でも、なんだろ、説明が難しいな…。…いや、違うな。また卑怯者になるところだった。俺は、怖かったんだ」

「怖かった?」


 今度はアキラの顔色が良くない。


「自分の意思や力じゃないのに、物事がどんどん進んでいって、高額な自転車や普段なら買わない素敵なスイーツなんかをもらうようになった。みんな、それで良いって言ってくれた」

「それは…、そうかもしれないけど、みんな理由もなくプレゼントしてくれたわけじゃないでしょ?」

「自転車は色々理由があったし、ケーキも川口さんや吉野さん、それに君のことを助けてくれたお礼って言われたよ」

「アキくんも大変だったんだよ?それくらいなら、受け取っていいと思う」


 水川さんがアキラの手を握りしめて、励ますように言った。




 アキラはその手をじっと見つめていたが、やがて口を開いた。


「この状況がおかしいと思う。君みたいな美人で素敵な人に、こうして好意を持って接してもらえている状況が…。

 俺はさ、あの日、神社で3つお願い事をしたんだ。

 1つ目は『健康祈願』。これは、なんとなくいつもそうしてるだけだけど。

 2つ目は『新しい自転車、しかも電動アシスト付きのやつが欲しい』ってやつ。これはハヤトが、ちょうどあの日自転車を買い替えて、それが羨ましくて、つい願った。

 で3つ目なんだけど…」

「3つ目は?」


「…か、『彼女が欲しい』って願いました」

「え?」


 水川さんがポカンとしている。


「彼女が欲しいって願ったんだ。

 …だから、水川さんに今こうして手を握られているのは、神様がそうしたんじゃないかって思ってる。

 君は一時的に勘違いしてるだけで、いつか目が覚めるって。

 だから、君の心を自分の勝手な願いで操ってしまっていると思うと、ひどく罪悪感を感じている。

 それなのに、君がこうしてそばにいてくれて好意を向けてくれていることが、嬉しくて、手を離せないんだ…」


「うん…」


「でも、だからこそ、君の好意を受け取れないんだ。ごめんなさい」




 アキラはそう言って、自分の右手に繋がれた水川さんの左手をもう片方の手で持つと、ゆっくりとした動作で彼女の膝の上の黒猫に置いた。


 水川さんはしばらくの間、さっきまで二人で握っていた手とアキラの顔を何度も何度も見ていたが、やがて笑い出した。


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