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新しい家族 5.決断

ブクマありがとうございます!

「え、ユマリが体調を崩した?」


 あたしは、聞いたばかりの言葉を繰り返した。


 その日、いつものように孤児院に来たあたしとシアに、エクティア・マナヤが「お二人はユマリを気にかけているようですから、お知らせしておきますね」と話してくれたのだ。


「どの程度悪いんですか? リーナス先生にはもうお診せしたんですか?」


 心配のあまり言葉が出なくなってしまったあたしにかわるように、シアが尋ねる。


「今のところは熱だけです。ユマリが熱を出すのは珍しくありませんし、いつもと比べて高くもないようですから、まだリーナス先生には診せていません。熱がこれ以上上がるか、何日も続くようであれば、診せるつもりです」


 エクティア・マナヤの言葉に、あたしは「そんな……!」と声を上げた。


「それはちょっと悠長じゃありませんか? もし深刻な病気だったらどうするんですか!」


 子どもが熱を出しやすいのはわかってるけど、ユマリは病弱だ。他の子たちより病気への耐性が低いだろう。放っておいたら取り返しのつかないことになる可能性だって、高いはずだ。


 エクティア・マナヤは表情を変えずに答える。


「今申し上げたとおり、ユマリが熱を出すのは珍しくありません。いつも深刻な事態にはならず、二、三日で下がります。その前例を踏まえて、今はまだ医者に診せる必要はないと判断しました。エクティア・ウォリンカも私の判断を支持してくださっています」


「でも、いつも大丈夫だからって、今回もそうだとは限らないじゃないですか……!」


 平静な顔と声のエクティア・マナヤが信じられなくて、その腕をつかんで揺さぶろうとしたあたしの肩を、シアがつかんだ。


「落ち着いて、ルリ」


「シア! でも……!」


「わかってるわ。ユマリちゃんが心配なのはわたしも同じよ」


 言ってから、シアはエクティア・マナヤに視線を戻す。


「診察代はわたしたちが出しますから、リーナス先生を呼ぶことを許可していただけませんか」


 エクティア・マナヤは少しの間あたしとシアを見つめ、それから一つ息を吐いた。


「それでお二人が安心できるのでしたら、構いません」


「ありがとうございます。それでは、わたしが先生を呼んできます。――ルリはユマリちゃんについていてあげて。エクティア・マナヤ、ルリ……リューリアが寝室に入っても構いませんよね?」


「構いませんが、ユマリの体に障らないよう静かにしてくださいますね?」


「約束します。シア、先生の方お願いね」


 うなずいて去っていくシアに背を向けて、あたしは女の子用の寝室に急いだ。木窓が閉めてあって暗い寝室に入ると、エクティア・マナヤに言われて持ってきた手燭に火を点して、まっすぐユマリの寝台に向かう。


 ユマリは目を閉じて寝台に横たわっていた。額には濡らした布が乗せられていて、体には上掛けがかけられている。


 あたしは寝台脇の箪笥の上に手燭を置いた。はあはあと苦しげな息を吐くユマリの傍らに膝をついて、熱い手を握る。


 ユマリ、あたしはここにいるからね。一人じゃないからね。リーナス先生ももうすぐ来てくれるから、大丈夫だよ。


 声には出さずに、呼びかける。それしかできることがないのが、もどかしい。


 ふと思いついて、ユマリの額の布に触れる。半分乾いているそれを持ち上げて、寝台の脇の床に置いてある水桶に布を浸した。絞って、ユマリの顔や首筋をそっとふいてあげる。それからもう一度布を濡らして絞って、ユマリの額の上に戻した。


 またユマリの手を握る。すると、その手がぴくっと動いた。はっとしてユマリの顔を見つめると、瞼が重たげに開かれた。


「……リューリア、さん……?」


「ユマリ! 気分はどう? 何か欲しい物はある?」


「喉……渇いた……」


 箪笥の上に水差しとコップが置いてあったので、コップに水を注いで差し出した。


「はい、お水だよ」


 緩慢に体を起こすユマリを支えて、手伝ってあげる。額を冷やしていた布はとりあえず水桶の縁にかけておく。


 体を起こしきったユマリにコップを渡すと、ユマリはごくごくと飲み干した。よっぽど喉が渇いていたみたいだ。


「もう一杯飲む?」


「ううん……いい……」


「随分汗かいてるね。気持ち悪いでしょ? 着替えようか。替えの寝巻はこの箪笥の中?」


「うん……一番下の、棚……」


 箪笥の中から新しい寝巻を出して、ユマリを着替えさせる。その時に濡らしたハンカチで体の汗もふいてあげた。


「気持ちいい……」


「良かった。あ、でもシーツも結構湿ってるね。新しいの貰ってこようか」


 立ち上がろうとすると、ユマリに腕をつかまれた。弱々しい力で引かれる。


「エクティアたちの、迷惑になるから……いらない……」


「ユマリ……そんなこと気にしなくていいんだよ。エクティアたちだって、ユマリに気持ち良く眠って、早く良くなってほしい、って思ってるよ」


「でも……」


「絶対に迷惑なんてことない。あたしが保証する。だから、待ってて。ね?」


 ユマリの手をそっと外して、足早に寝室を出る。ちょうど若い女性神官が通りかかったので、きれいなシーツの置き場所を訊く。納戸の場所を教えてもらって、そこから新しいシーツを一枚取って、寝室に戻った。


 ユマリは、寝台の縁に腰かけたまま倒れ込むようにして横になっていた。


「ユマリ? 起きてる?」


 声をかけると、ぽかりと目を開く。


「うん……シーツ、替えるんだよね……」


 ユマリはよろよろと立ち上がった。


「すぐ替えるから、そこに座って待ってて」


 隣の寝台を指差すと、ユマリはためらいがちに腰かけた。でも遠慮しているみたいで、端っこの方に浅く座っているだけだ。


 あたしは手早くシーツを替えて、ユマリに声をかけた。


「はい。もう横になっていいよ」


 ユマリはゆっくりと寝台に横たわる。あたしはその額に濡らした布を乗せた。


「ユマリ、暑い? 寒い?」


「暑い……」


「じゃあ、上掛けはかけなくていいかな。足元の方にたたんでおくね」


 ついでに周辺の空気を冷やす。ユマリがほーっと息を吐き出した。


「涼しくなった……。ありがと……リューリアさん……」


「どういたしまして。他にしてほしいこととか欲しい物とかあったら何でも言ってね」


「……じゃあ、手握っててくれる……?」


 おずおずとユマリが口にした言葉に、あたしは笑みを浮かべた。


「もちろんだよ」


 ユマリの手を握ると、弱い力で握り返される。


 ユマリはそのまま目を閉じる。あたしは床に座ったまま、ユマリの顔を見つめていた。さっきよりは少しましになった気はするけど、まだ苦しそうだし、握った手も熱い。


 本当にただの熱だといいんだけどな。ユマリはふらふらしてはいても意識ははっきりしていたし、その可能性は高そうだけど、医者のお墨付きがないとやっぱり不安だ。リーナス先生、早く来ないかな。


 内心やきもきしながら、ユマリの呼吸に耳を傾けていると、しばらくして控えめに扉を叩く音がした。次いで、扉が開いて、シアが入ってきた。一緒にいる三十がらみの男性は、リーナス先生のお弟子さんだ。


「ルリ、ユマリちゃんの様子はどう?」


 歩み寄ってきて、潜めた声で話しかけてくるシアに、あたしも小声で返す。


「さっき起きたんで、寝巻とシーツを取り換えた。苦しそうだったけど、意識ははっきりしてたよ。それより、リーナス先生は?」


「今ちょっと手が離せないってことで、お弟子さんが来ることになったの」


 あたしは少し眉間にしわを寄せた。目敏くそれに気づいたらしい男性が、穏和な笑みを浮かべる。


「リーナス師匠にはまだ及びませんが、これでも一人前の医者です。安心してください」


「あ、はい……よろしくお願いします」


 あたしはユマリの手を離して、男性に場所を譲った。男性は手早くユマリを診察して、あたしとシアを振り返った。


「今のところは特に心配しなくて大丈夫でしょう。ただの熱だと思います。念のため栄養剤の処方箋を出しておきますね。それを飲んで安静にしていれば、すぐ治るはずですよ」


「ありがとうございます」


 処方箋を受け取ったシアが、肩かけ鞄から財布を出して、診察代を払う。男性は辞去の挨拶をすると、最後にもう一度安心させるような笑みをこっちに向けて、寝室を出ていった。


「ルリ、わたし薬屋に行って、栄養剤用の薬材を買ってくるわね。ついでにこの寝巻とシーツを洗濯室に持っていくわ」


「うん、お願い」


 シアが寝室を出ていくと、あたしはまたユマリの手を握って、床に座った。大したことないみたいで、本当に良かった。お医者さんに保証してもらえると、やっぱりほっとする。


 安心したせいか、さっきまでは耳に入ってこなかった音が聞こえる。裏庭の方角から、子どもたちの歓声や走り回るような音が響いてくる。大きい子たちが学校から帰ってきたんだ。


 ユマリは、病気の時いつもこの部屋に一人で、他の子たちが遊ぶ声を聞いてるのかな。それはさびしいだろうな。


 あたしがいつもこうやって傍についててあげられたらいいのに。ユマリのさびしさを、全部は無理でも一部は消してあげられたらいいのに。


 そう願いながらユマリを見守っているうちに時間は過ぎて、シアが戻ってきた。


「シア、栄養剤は作れた?」


「ええ。エクティアたちに渡して、ユマリちゃんが起きたら飲ませるよう頼んできたわ。ユマリちゃんの様子はどう?」


「よく寝てる」


「そう」


 ユマリの顔をしばし見つめてから、シアは再び口を開いた。


「ルリ、言いづらいけれど、わたしたちそろそろ帰らなくちゃいけないわ。もうすぐ夕食の時間だもの」


「うん、わかってる……」


 給仕の仕事の方は、事情を話せば義姉さんたちならわかってくれるだろうから、一日くらい休むことも可能だろう。

 でも孤児院が夕食の時間になると、客人は帰らなくちゃいけない。ごねて居座るのも不可能ってことはないだろうけど、さすがに泊まることまでは許されないだろうから、どっちみちユマリを置いて帰ることになる。そうしなきゃいけない。


 それはわかっているんだけど、どうしてもユマリの手を離しがたかった。この子を置いて帰りたくない。体調が良くなるまでずっと付き添って世話をしてあげたい。治ったら、一緒に喜びたい。


 今も、これからも、ユマリの傍にいたい。


 あたしはシアを見上げた。


「シア、あたし、ユマリを養子にしたい」


 以前から考えていたことだ。養子にするならユマリがいい、って。だけどまだ会ったばかりだし早すぎるんじゃないかな、って決めるのは先に延ばしていた。エクティア・ウォリンカにも、性急に決めないように、って忠告されたし。


 だけど、もう待てない。これ以上時間をかけたって、何があったって、この気持ちは変わったりしない。そう言いきれる。


 シアは驚いた様子もなく微笑んだ。


「ええ。わたしも同じ気持ちよ。でも、今すぐには連れて帰れないわ。話を進める前に、ユマリちゃんの意思を確認しなければいけないし。それに、養子縁組を円滑に進めるためにもエクティアたちの心証を悪くしない方がいいわ。だから今日は帰りましょう。ね?」


「……そうだね」


 あたしはしぶしぶユマリの手を離した。


「ユマリ、明日また来るからね」


 小さな声でそう言って、思いを振りきるように立ち上がる。シアが手を引いてくれた。


「帰る前に神殿に寄って、ユマリちゃんが早く良くなるよう祈りましょう」


「うん……」


 あたしは、後ろ髪を引かれる思いで寝室を後にした。明日来た時にはユマリの体調が良くなっていて、笑顔を見せてくれますように、って祈りながら。



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