新しい家族 4.魔術の訓練
「魔術の訓練を始める前に、一つ約束してもらいたいことがあるの」
ユマリに魔術を教えると約束してから二日後、孤児院の裏庭の木陰に、シアとユマリは向かいあうように立っている。あたしは木にもたれてそれを眺めている。
学校から帰ってきたユマリと一緒に、エリアンやサリアにおやつを食べさせて、それから裏庭に出てきたところだ。
シアの言葉に、ユマリがちょっと首を傾げた。
「約束?」
「そう。わたしやルリ……リューリアと一緒に訓練している時でも、一人で訓練している時でも、少しでも気分が悪いと思ったら、すぐに訓練をやめること。約束できる?」
真剣な表情のシアに、ユマリも真面目にうなずいた。
「うん。約束する」
シアは右手の人差し指と親指をユマリに向かって突き出した。
「誓約の男神ヤクシーンに誓って?」
ユマリはためらわずに自分の人差し指と親指をシアのそれにくっつける。
「誓約の男神ヤクシーンに誓って」
シアは微笑んだ。
「いいわ。それじゃあ、魔術の訓練を始めましょう。目を閉じて、深呼吸して。自分の体の中に流れる魔力を意識して」
ユマリは言われたとおりにする。
「魔力の流れを意識するのは魔術を行う上で重要なことよ。自分の中の魔力が体の中をなめらかに流れるように、いつも意識しておくといいわ。そうすれば、魔術の上達も速くなるはずよ」
ユマリは目を閉じたまま、こくんとうなずいた。
「じゃあ、魔法を使ってみましょうか。ユマリちゃんは風属性よね?」
シアの言葉に、ユマリが目を開けて不思議そうな顔をする。
「そうだよ。何でわかったの?」
「この間ユマリちゃんの体に触れさせてもらったでしょう? その時に魔力量と属性を調べたのよ」
「そんなことできるんだあ」
ユマリは感心した顔でシアを見上げた。
「初歩の魔術だから、ユマリちゃんも魔術師になればできるようになるわ。――それじゃ、この鞄を浮かしてみてくれる?」
シアは足元に置いてある肩かけ鞄を指差した。ユマリが鞄を見つめながら、眉間にしわを寄せて集中している顔になる。
少ししてから、鞄がふわふわと浮き始めた。動きはゆっくりだし、高さもユマリのすねぐらいだけど、六歳なら大体こんなものじゃないかな。
「しばらくその高さで維持して」
シアは一分くらい置いて、「もう下ろしていいわ」と声をかけた。
鞄がどさりと地面に落ちて、ユマリが、ぷはー、と息を吐く。
「この辺で一休みしましょうか」
「え、あたしまだできるよ。大丈夫だよ」
「だめよ。魔力を使った後は、しっかり休んで魔力を回復させることも大事なの」
シアはきっぱりと言って、あたしの隣に来て、地面に腰を下ろした。ユマリもしぶしぶといった顔でシアの隣に腰を下ろす。
「ルチルさんたちも、訓練する時こうやってお休み取るの?」
「体調によるけれど、必要だと感じたら取るわよ」
「そうなんだ……」
シアの返答に、ユマリはちょっと納得した顔になった。
そこで、少し離れた所で遊んでいた他の子たちが声をかけてきた。
「リューリアさんたち、何やってるの?」
「ユマリに魔術を教えてるんだよ」
「え、ユマリ魔術師になるの?」
いくつものびっくりした顔に見つめられて、ユマリは赤面した。
「まだ、なれるかわかんないよ……」
「魔術の訓練ってどんなことするの?」
「魔力を思いどおりに操る訓練とか、魔力の属性を変える訓練だよ」
「へえー。なあなあ、それって俺にもできる?」
「地道に訓練すれば、基本的に誰にでもできるよ。シア……ルチルの故郷では、みんなが魔術を使えるし」
あたしの言葉に、子どもたちが顔を輝かせた。
「ほんと!?」
「じゃあ、俺も魔術の訓練やりたい! 魔術師になりたい!」
あたしはちらっとシアと視線を交わした。
「やりたいなら教えるよ。みんなそこに並んで」
子どもたちはいそいそと横一列に並ぶ。あたしとシアは手分けして、子どもたちに魔術の訓練をさせ始めた。
一緒にやる仲間がいれば、ユマリも嬉しいだろうし、これでユマリが他の子たちともっと仲良くなれたら、それだけでも魔術の訓練をやった意味はあるってものだからね。
自分の中の魔力の流れを意識させて、一人ずつ魔法を使わせる。そこまでやると、シアはまだ休んでいたユマリに声をかけた。
「ここからはユマリちゃんも一緒にやりましょう」
「うん!」
仲間に入りたくてうずうずしていたらしいユマリは、大きくうなずいて立ち上がり、子どもたちの列の端に並んだ。
「それでは、魔力を変換する訓練に移りましょう。自分の属性とは違う属性の魔法を使うには、魔力を一旦無属性に変えてから、更に使いたい魔法の属性に変える必要があるの。つまり、魔力の属性を変える訓練は、魔術の訓練の肝と言えるわね。その初歩が魔力を無属性に変換することなのだけれど、無属性の魔力がどんなものか皆わからないでしょうから、感じてみましょうか。わたしとルリ……リューリアの前にそれぞれ並んでちょうだい」
あたしは、前に来た子に手を出させて、その上に自分の手をかざした。その状態で魔力を放出する。
「これが無属性の魔力。どう? 自分の魔力との違いがわかる?」
「うーん、わかるようなわからないような……」
「あんたは地属性だったよね?」
「そうだよ」
「なら、地属性の魔力を感じてみよう。これが地属性。なじみ深い感じがする?」
「そう言われてみれば、するかも」
「じゃあもう一回無属性ね。さっきとは違うの、感じ取れる?」
「何となく……」
「まあ、最初はそんなものでしょう。じゃあ、次の人!」
そんな調子で子どもたち全員に無属性魔力を感じてもらった。
「それじゃあ、実際に魔力を無属性に変換する訓練ね。魔力を無属性に変換するには、頭の中に“無”の状態を思い描く必要があるのだけれど、できる?」
シアの問いかけに、再び横一列に並んだ子どもたちは首をひねる。
「無ってよくわかんない」
「何もないってことだろ?」
「何もないのをどうやって思い描くの?」
「そうね。何もない状態を思い描くのは難しいわよね。なので、一度音のない状態を体験してみましょう。みんな目を閉じて」
子どもたちが全員目を閉じる。一拍置いて、ほとんど全員が驚いたように目を開けた。ぱくぱくと口を動かしているけど、その口からは何も音が出てこない。そのことに更に驚いて、口や喉を押さえたりきょろきょろと周囲を見回したりしている。
シアが、子どもたちを風属性の魔力で包んで、周囲の音を消したんだ。いきなり音がなくなったら、予告されていてもびっくりするし、喋っているはずなのにその声が聞こえない、ってのは妙な感じがするものだよね。
あたしも初めてこの状態を体験した時は、すごく驚いた。ちょっと怖くなっちゃったくらい。
子どもたちもあまり長い間この状態に置いておくと恐慌状態になりかねない。それを危惧したんだろう、シアはすぐに魔法を解いた。
途端に、子どもたちの興奮した声が響き渡る。
「何何これ何ー!?」
「あれっ、声が聞こえる!」
「えっ、さっきまでは聞こえなかったよね?」
「聞こえなかったよ。俺すごい驚いて大声で叫んだけど、声出してるはずなのに、何にも耳に入ってこなかったんだぞ」
「あたし、怖くなっちゃった。また音聞こえるようになって良かったあ」
シアが、パンパンと手を叩いた。
「はい、静かに! 音がなくなってしまった状態はどうだった? “無”を少しでも思い描きやすくなったかしら?」
子どもたちは、戸惑ったように顔を見合わせた。一番年上の男の子が、代表するように口を開く。
「正直、混乱してそれどころじゃなかったから……“無”を思い描けって言われても困るかも。もう一回さっきのやってほしい」
「なら、そうしましょう。音のなくなってしまった状態がどんなものか感じ取ることに集中してね。それでは、目を閉じて」
子どもたちはおとなしくシアの指示に従う。一拍置いて、何人かがぴくっと体を揺らしたけど、さすがに二度目なだけあって、皆目を閉じたまま音のない状態を体験することに集中できているみたいだ。
しばらくして、シアがもう一度手を叩いた。
「はい、おしまい。それじゃあ、音のない状態を頭に思い描いて、それを魔力で再現しようとしてみて」
子どもたちは、眉間にしわを寄せたり、首をひねったりしながら、思い思いに努力している。でも、しばらくすると、集中が切れたようだった。
「できなーい」
「全然変わってる気しないよう」
「僕たち、魔術師になる才能ないってこと?」
落ち込んだ顔で言った男の子に、シアは元気づけるように微笑みかけた。
「すぐにできるようにならないのは当たり前よ。さっきルリ……リューリアが言っていたでしょう。地道にがんばれば、誰でもできるようになるわ。毎日少しずつでも続けることが大事なのよ」
「毎日かあ。どのくらい続ければ魔術師になれる?」
「数年から十年くらいはかかるわね」
「ええっ、そんなに!?」
男の子が唖然とした顔になる。他の子たちも、驚きや諦めを顔に浮かべた。
「そんなにかかるのかあ……」
「じゃあ、俺いーや。そこまで魔術師になりたいわけじゃねーし」
「あたしもー」
「うーん、あたしはもうちょっとがんばってみようかなあ」
ざわざわしている子どもたちに、苦笑めいた笑みを浮かべたシアが声をかけた。
「わたしとルリ……リューリアはいつでも訓練につきあうから、続けたい子だけ続けてちょうだい。一度始めたらやめてはいけない、ってことはないのだし。でも、一つ憶えておいてほしいのは、何であれ技術を身につけるには、何年もの地道な努力が必要になる、ってことよ。あなたたちが将来どんな仕事に就くにしても、努力をせずに成功することはできないわ。だから、努力を避けるのではなく、どんなことなら自分は努力を続けたいと思えるのか、続けられるのか、それを見極めて、そして選んで決めたことには全力で打ち込むようにしてね。――それじゃ、今日はここまでにしましょう」
シアの言葉に、子どもたちは「ルチルさん、リューリアさん、ありがとー」、「ありがとうございましたー」と言いながら、離れていく。
その中に一人だけ動かない子を見つけて、あたしは歩み寄った。
「ユマリ? 大丈夫? どこか具合悪いの?」
「ううん。……あたし、もうちょっと魔術の訓練したい。続けてもいい?」
あたしはユマリの顔色を確認してからうなずいた。
「もちろんだよ。じゃあもう一回無属性魔力を感じてみる? 無属性魔力の感覚を憶えれば、魔力を無属性に変換する助けになると思うし」
「うん。お願い」
嬉しそうに笑うユマリに、あたしも笑い返して、ユマリの手の上に自分の手をかざした。
「うーん。みんなすっかり来なくなったねえ。訓練に飽きちゃったかな」
一週間後、あたしは孤児院の裏庭の木陰で、離れた所で遊んでいる子どもたちを見つめながら、やれやれ、と息を吐いた。
あれから孤児院に来るたびに魔術の訓練をしているけど、半分くらいの子は二回目にも、もう来なかったもんなあ。顔を出したり出さなかったりする子もいて、前回までは二人か三人はいたんだけど、今日はユマリ一人だけだ。
「仕方がないわ。興味がない子に強要はできないもの」
シアが、苦笑をはらんだ声で答える。
「そうだね。まあ、その分興味のある子に集中して教えてあげられると思えば、悪くはないか」
あたしは、毎回魔術の訓練に参加しているユマリを見た。ユマリは、真面目な顔で目を閉じて、自分の体の中の魔力の流れを感じ取ることに集中している。
元々ユマリのために始めた訓練だし、ユマリが続けたいと思ってくれてるなら、それでいいか。他の子がいない方が、ユマリに合わせた訓練もできるし。
そう考えながら、魔術の訓練を進める。いつものように、風魔法で鞄を動かさせて、その後休憩を入れる。
「ユマリちゃん、魔力の操作が少し上達しているわ。わたしとルリ……リューリアが来ない日も、自主訓練しているの?」
「うん。毎日続けるのが大事なんでしょ?」
「そうよ。ユマリちゃんは偉いわね」
木の根元に座って隣のユマリの頭をなでたシアが、少し気がかりそうな表情を浮かべる。
「……あれからまた『役立たず』なんて言われたりはしていない?」
「ううん。言われてない」
首を振るユマリに、あたしはほっとした。シアも安堵の表情を浮かべている。
「何も言われていないなら、良かったわ」
シアはそう言って微笑んだけど、あたしはふと気になることを思いついた。
「あのさ、ユマリ、答えたくなかったら答えなくてもいいんだけど……」
こっちを見て小首を傾げているユマリに、ためらいがちに尋ねる。
「『役立たず』とかそういうこと言われたの、この間教えてくれた時が初めて? それとも、その前にも言われたことあるの?」
ユマリがしょっちゅうそういうこと言われてるなら、エクティアたちや学校の先生に報告しておいた方がいいかもしれない。
ユマリは迷っている顔になって視線を落とした。しばらく考えているような沈黙があって、それから口を開く。
「えっとね、『役立たず』って言われたのは、この間が初めて。でも、遊ぶのにあたしがいたら足手まといだって言われたことは何回かある。……それと、『厄介者』って……」
「厄介者?」
「うん……母ちゃんが死んだ時にね、お葬式で親戚の人たちが集まって、あたしとエリアンをどうするかって話しあいしてたの。でも、あたしは病弱だし、エリアンはまだ赤んぼだし、ろくに仕事の手伝いもできないだろうって、医者代と飯代で家計を食いつぶすだけの厄介者だって、そんな子どもを引き取る余裕はうちにはないよ、ってみんな言っててね。それで孤児院に来たの」
うつむいてしまったユマリに、あたしは痛む胸をこらえて、象牙色の小さな手を握った。
「そっか。教えてくれてありがとう、ユマリ」
「そうね。思い出すのはつらかったでしょうに、話してくれてありがとう」
シアがユマリの肩を抱く。ユマリはしばらくの間シアにもたれていたけど、やがておずおずと顔を上げた。
「あのね。あたしも訊いていい?」
「いいよ。何?」
「何で、リューリアさんとルチルさんは、あたしにこんなに優しくしてくれるの?」
あたしはぱちぱちと瞬きしてから、笑った。
「そんなの簡単だよ。ユマリのことが、好きだから」
「わたしもユマリちゃんのこと好きよ。だってユマリちゃん、こんなにいい子なんだもの」
シアも言い添える。ユマリは赤くなってまたうつむいた。でも前髪の下からのぞいている口元は、嬉しそうに緩んでいる。
「あ、ちょっと訂正するわ」
シアの言葉に、あたしは驚いてそっちを見た。ユマリもシアを見上げる。その顔は一転して不安そうだ。
「わたし、ユマリちゃんがいい子だから好きだって言ったけれど、それだけが理由じゃないのよ。ユマリちゃんがいい子じゃなくても、やっぱり好きよ。だから、もっとわがまま言ったりしてもいいのよ」
「あ、うん、そうだね。ユマリがいつもいい子でいるより、言いたいこと言ってくれたら、そっちの方が嬉しいよ」
ユマリはあたしとシアの言葉がうまく呑み込めないみたいで、あたしたちの顔を交互に見ながら瞬きを繰り返している。
「あたしがわがまま言ったら、嬉しいの?」
「うん、嬉しい」
大真面目な顔でうなずくと、ユマリは思わずといったように笑った。
「ふふっ、変なの」
「変じゃないよ。だってわがまま言ってくれるってことは、それだけユマリがあたしとシア……ルチルに心を開いてくれてるってことだもの。それはすっごく嬉しいことだよ」
「そうよ。わたしもルリ……リューリアも、ユマリちゃんに好きになってほしいし、心の中に入れてほしい、って思っているの。ユマリちゃんのことが好きだから」
ユマリは目を大きく見開いてあたしとシアの言葉を聞いていた。それから、二つに結んだ髪の毛をいじりながら口を開く。
「……じゃあ、わがまま言ってもいい?」
「ええ、もちろんよ」
「何でも言って」
「あのね。もうちょっとだけこのままでいたい」
「そんなのお安い御用だよ」
あたしは体を動かして、あたしとシアの間に座っているユマリにぎゅっと体をくっつけた。シアが抱いているのとは反対の肩を抱く。
手の下のユマリの体には緊張している様子はなくて、くつろいでくれているのが感じられる。それが嬉しい。
気持ちの良い秋風に吹かれながら、あたしたち三人はしばらくの間そうして座っていた。




