新しい家族 1.孤児院訪問
「ね、ルリ。わたしたち、そろそろ子どもを持つ頃合いじゃないかしら」
シアが何気ない口調でそう言ったのは、朝食の途中だった。あたしは口の中の物を咀嚼しながらちょっと考えて、ごくんと呑み込んでから答えた。
「そうだね。そろそろいいかもね。二人きりの生活も充分堪能したし」
ラピスの魔力暴走の問題があったので、あたしとシアは結婚してからも何年か別居状態で暮らしていた。毎日会っていたし、婦婦の時間も定期的に取っていたけどね。
そのラピスも大分魔術の腕が上がって、魔力操作を巧みにこなせるようになって、もう魔力暴走の心配はないだろう、って思えるようになったのが、ラピスが十三歳の時。風呂屋で友達と口喧嘩して魔力暴走を起こしかけたけど自力で魔力の流れを整えて何事もなく済んだ、っていう事件がきっかけになった。
男湯で起こったことだからあたしは見ていないけど、兄さんと父さんがラピスは立派に自分を抑えた、って証言して、ラピス本人も、四六時中あたしやシアの傍にいなくてももう大丈夫だ、って主張したので、徐々に実家で寝る日を減らして、シアが二人のために買った家で暮らすようになった。
そうやって約七年遅れの新婚生活を始めてすぐの頃、しばらくは二人だけの暮らしを楽しみたいので子どもは何年かしてからにしよう、って決めた。
それからもうすぐ二年経つし、確かにいい頃合いだろう。あたしもシアも二十六歳で、とっくに親になっていておかしくない年齢だし。
あたしの言葉に、シアはにこりと笑った。
「それじゃあ、今日の午後孤児院を訪ねてみるっていうのはどう?」
あたしは、ぱちぱちと瞬きした。
「今日って……随分と性急じゃない?」
「だって、養子にしたい子が見つかってもすぐに引き取れるわけじゃないでしょう。だったら行動を起こすのは早い方がいいと思うの」
あたしは、またちょっと考えた。
あたしは実家を出た後も食堂や宿屋の仕事を手伝っている。シアも同様だ。でも今日は食堂が休みの日で特に何も予定は入ってないし、孤児院に行くのに支障はない。
それに、シアの言うことには一理ある。早く行動を起こせば、子どもをうちに引き取れる日もそれだけ早くなるかもしれない。そう考えると、わくわくしてきた。
「確かにシアの言うとおりかもね。あたしはそれで構わないよ」
「良かった。昨晩このことを考え出したら、一刻も早く孤児院に行ってみたくてたまらなくなって」
「それはわかる。いよいよあたしたちも親になるのか、って考えると待ちきれない気持ちになるよね」
「そうなのよ。わたしたちのことを気に入ってくれる子がいるといいわね」
あたしとシアは朝食を食べながら微笑みあった。
そういうわけで、午前中は家の掃除をしたり買い物に行ったりと溜まっている家事を片づけて、昼食を食べて、しばらくゆっくりしてから、神殿に向かった。
神殿の裏手にある孤児院に行く前に、まず神殿で供物と祈りを捧げる。五大神への祈りを捧げた後、縁切りと縁結びの女神ティティアルダに、いい出会いがありますように、と祈った。それからいよいよ孤児院だ。
孤児院は神殿同様石造りの建物だ。二階建てで、横に長い。その入口に近づいていくと、前庭を箒で掃いていた若い女性が、あたしたちに気づいて顔を上げた。神官服を着ているので、孤児院担当の神官なんだろう。
「あなた方に神々のご加護があらんことを」
神殿流の挨拶に、あたしとシアも笑顔で返す。
「あなたにも神々のご加護があらんことを」
女性神官は微笑んだまま続けた。
「孤児院に何かご用でしょうか?」
「実はわたしたちは養子を迎えたいと考えています。そのために必要な手続きなどのお話を聞かせていただきたいのですが、今からでも大丈夫でしょうか。もし前もって話しあいの約束をしておく必要があるなら、後日出直しますが」
「院長に尋ねてまいりますので、少々お待ちください。どうぞそちらの腰かけに座っていらしてください」
季節は秋の初め。朝晩は少々冷え込むけど、昼は涼しくて過ごしやすい時期だ。外で待つのに問題はない。
「わかりました。取り次ぎよろしくお願いします、エクティア」
エクティア、というのは女性神官への敬称だ。ちなみに男性神官の場合はエクトになる。
女性神官はうなずくと、箒を孤児院の壁に立てかけて、建物の中に入っていった。そう時間をかけずに戻ってくる。
「院長がお会いになるそうです。こちらにおいでください」
女性神官の後をついて建物に入ると、赤ん坊の泣き声や子どものはしゃぐ声が聞こえてきた。廊下を歩きながら、開いた扉の中をちらっとのぞくと、敷物の敷かれた床の上で、子どもたちが遊んでいるのが見える。
あの中にあたしとシアの未来の子どもがいるんだろうか、と考えると、部屋の中に入って子どもたちをしっかり見たくて、つい足取りが遅くなってしまう。気づいたシアにつつかれて、慌てて足を速めた。
廊下を突き当りまで歩いて、右側の部屋の方を向く。扉は開け放たれていて、女性神官は「お客様をお連れいたしました」と告げて部屋の中に入っていく。あたしとシアも後に続いた。
部屋は結構広くて、応接間と執務室を兼ねているようだった。入ってすぐの所にテーブルを挟むように長椅子が二つ置かれていて、部屋の奥には執務机らしき物がある。神殿付属の孤児院の一室らしく質素だけど、きれいに掃除されていて、重厚感が漂っている。
二つある木窓はどちらも開いていて、外から涼しい風が流れ込んでくる。
奥側の長椅子に座っていた年配の女性神官が立ち上がって、向かいの長椅子を示した。
「ようこそいらっしゃいました。どうぞおかけください」
「失礼します」
あたしとシアが腰を下ろした時には、ここまで案内してくれた若い女性神官は、扉を閉めて部屋を出ていっていた。
再び長椅子に腰かけた年配の女性神官が、穏やかな笑みを浮かべて口を開く。その背筋はピシッと伸びている。
「あなた方に神々のご加護があらんことを」
「あなたにも神々のご加護があらんことを」
「私は孤児院の院長を務めているウォリンカといいます」
「〈フェイの宿屋〉のウルファンの娘、リューリアです。魔術師をしています」
「リューリアの妻のルチルカルツ・シアです。同じく魔術師です。どうぞルチルと呼んでください」
「お二人の噂はかねがね伺っています。どちらも優れた魔術師だとか。お会いできて光栄ですよ。今日は養子縁組の話をなさりたいそうですね?」
「はい。手続きを教えていただいて、その後は子どもたちと会わせていただければ、と思っています」
シアの言葉に、エクティア・ウォリンカはうなずいた。
「わかりました。養子縁組の手続きですが、まずは面接をして、子どもを託すのにふさわしい方たちかどうか見極めさせていただきます。ご家族や近所の方の評判なども調べさせていただきます」
その言葉に思わず背筋が伸びる。どんな審査をされるんだろう。ちょっとドキドキしてくる。親になるのにふさわしくない、って思われてしまったら、どうしよう。
エクティア・ウォリンカは、あたしの緊張を見て取ったらしく、安心させるように微笑みかけてくる。
「そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ。お二人の人柄は町の人たちから聞いていますし、特に問題はないと思います」
「そうおっしゃっていただけると、ほっとします」
「面接の目的の一つは、子どもを安価な労働力としか見ていない人をはじくためです。そんな養親の元で不幸になる子はできるだけなくしたいですから。――念のため尋ねさせていただきますが、お二人は違いますね?」
「もちろんです」
あたしとシアは声をそろえて答えた。エクティア・ウォリンカは心の底まで見通すような目であたしたちをしばし見つめてから、ふっと顔を緩めた。
「それをお聞きして安心しました。それでは、養子縁組を希望する理由は何でしょう?」
「……単純に親になりたいから、というのでは、だめでしょうか?」
「親になりたいのは、なぜでしょうか?」
あたしはすぐに答えられず口ごもってしまった。でもそこでちょうど、扉を叩く音がした。エクティア・ウォリンカが「お入りなさい」と声をかける。
さっき案内してくれた若い女性神官が、ティーポットと木製のコップを乗せた盆を持って入ってきた。コップにお茶を注いで、あたしたち三人の前にそれぞれ置く。あたしとシア、エクティア・ウォリンカの礼ににこりと微笑むと、「失礼いたしました」と下がる。
部屋を出ていく時は、やっぱり扉を閉めていく。あたしたちが来るまでは開いていたから、あたしとシアがエクティア・ウォリンカとの話に集中できるよう、言いづらいことも話しやすいよう、配慮してくれているんだろう。
……と、今はそんなことを考えている場合じゃなかった。
あたしは礼儀としてお茶を口にしながら、さっきのエクティア・ウォリンカの質問を頭の中でこねくり回した。
なぜ親になりたいか、かあ。なりたいって気持ちはあたしにとって当たり前のことすぎて、理由をちゃんと考えたことなかったな。
同じようにお茶を一口飲んだシアが、コップを置いて口を開いた。
「先程のご質問の答えですが、わたしはこれまで色々な人にお世話になってきました。生んで育ててくれた実の親だけでなく、わたしを実の子ども同様にかわいがってくれた人たちや、家族として受け入れてくれた人たちがいて、そのおかげで今のわたしがあります。その人たちから貰ったものを、次の世代へと渡したいのです。だから、子どもを育てたいと思っています」
おお、立派な答え。さすがシア。惚れ直しちゃう。
あたしはシアに感嘆の眼差しを送ってから、エクティア・ウォリンカに視線を移した。あたしも負けてられない。しっかり答えなくちゃね。
「私には、実の父親と育ててくれた養父母がいるのですが、三人とも立派な親だと思っています。あの人たちを親と……家族と呼べるのは、私の誇りであり幸福です。私もあの人たちのようになりたい、と思うんです。だから子どもを引き取って、そしてその子が私と同じように思ってくれるような、そんな家庭を築きたいと思っています」
エクティア・ウォリンカは、うなずいてお茶を飲んだ。最初の質問は合格、って考えていいのかな?
「それでは、もし引き取った子が怪我や病気で障害を負ったらどうなさいますか?」
その質問には、考えるまでもなく答えが口から出た。
「障害があってもその子が快適に幸せに生きていけるよう、自分にできる最大限の努力をします」
「障害を負った子を、孤児院に返すつもりはない、ということですか?」
それに答えたのはシアだった。
「もちろんです。一度引き取ったからには、大切なわたしたちの子どもです。何があっても手放したりしません」
エクティア・ウォリンカは満足そうな笑みをちらりと浮かべて、次の質問に移った。
「ご家族はどうでしょう? 養子を取ることに賛成してくれていますか? あなた方に何かあったら子どもの面倒を見てくれると思いますか?」
「はい。家族は私たちを応援してくれています。引き取る子どものことも私たちの実子同様に、大切な家族として受け入れてくれるはずです」
「そうですか。それは良いことですね。――お二人は普段リューリアさんのご実家である宿屋兼食堂で働かれていると聞いた憶えがありますが、それで合っていますか?」
「そのとおりです」
「そこでの仕事に加えて魔術師としても働いているのでは、随分とお忙しいのではありませんか? 子どもの面倒をちゃんと見られますか?」
「私の実家が職場ですから、かなり融通がききます。用事があれば家族に頼んで抜けるのも簡単ですし、仮に子どもが障害を負うなりして常に付き添いが必要になった時は、私とシア……ルチルが毎日交互に仕事と育児を担当する、など柔軟に対応できるはずです。魔術師としての仕事も、私たちの両方が出なければならないような大仕事は滅多にありませんし、育児との両立は可能だと考えています」
子どもを引き取った後仕事と育児の両立はどうするか、というのは折に触れてシアと話しあってきたので、すらすらと答えられた。
「立ち入った話になりますが、お二人の経済状況はどうでしょう? 子どもを養うことができますか?」
「ルリ……リューリアの家族は、わたしたちにきちんとお給金を払ってくれていますし、魔術師としての仕事もしていますから、充分な蓄えがあります。それに、わたしには少々伝手があって、質のいい宝石が手に入るので、それを〈エスティオス宝飾店〉に卸す仕事も時々しています。子どもに不自由させることはありません」
〈エスティオス宝飾店〉に卸している宝石は、もちろんシアが生み出した物だ。その特殊な力に頼りすぎるのも良くないけど、将来子どもを育てることになればお金が必要になるから、と一年に一度くらいの頻度で宝石を売っている。だから、本当に蓄えはかなりあるんだ。
「子どもを育てるのには体力がいりますし、子どもが成人するまで十数年もかかります。ご健康にはどの程度自信がおありですか?」
「私もシア……ルチルも、体は丈夫な方だと思います。病気になることはほとんどありません。子どもが自立するまでちゃんと面倒を見られるはずです」
「子どもを育てる上での教育方針は、持っていらっしゃいますか?」
「家族や友人を大事にする子、他人に思いやりを持って接することのできる子、そして自分の意見をしっかりと持って主張できる子になってほしいと思っています」
シアの答えに、あたしが付け加える。
「でも子どもには、私たちの顔色を窺って親の望むようになろうと努力するのではなく、自由にのびのびと育ってほしいです。どんな風に育っても親からの愛情は変わらない、と思える、そんな関係を子どもと築きたいと思っています」
「子どもをご自分たちと同じ魔術師にしたいとお考えですか?」
「子どもが望むなら魔術を教えますが、強要するつもりはありません。それよりも、その子の得意なことを伸ばしてあげたいと思っています。私たちは跡継ぎが必要なわけではありませんし、子どもがやりたいと思う仕事につけるよう応援してあげるつもりです」
「そうですか」
エクティア・ウォリンカは自分のコップを持ち上げて、お茶を飲んだ。コップを口から離して、微笑む。
「面接は以上です。お二人には、子どもを任せても大丈夫そうだと判断しました」
「それは……合格ということで良いんですよね?」
念のため確かめると、エクティア・ウォリンカはうなずいた。
「そうです。これで、ご希望どおり子どもたちと会っていただくことができます。ただその前に、一つご忠告させてください」
「何でしょうか?」
「子どもたちと触れあって、気に入った子がいても、すぐには決めず、その子はどんな子なのか見極める努力をして、これから何十年も家族としてうまくやっていけるのか、よく考えてください。子どもたちは、大人に気に入られようと、最初は実際よりいい子として振る舞ったりしますからね。それで、引き取ってから、こんな子だとは思わなかった、となるのは、子どもにもあなた方にも不幸なことですから」
「わかりました」
あたしは神妙な顔でうなずいた。確かに、家族になるのは重大な決断なんだから、じっくり考えて決めた方がいいだろう。隣でシアもうなずいている。
「それでは、子どもたちの所へご案内しますね」
エクティア・ウォリンカに続いて、あたしとシアも立ち上がる。
興奮と緊張が混ざりあって、胸がドキドキしている。いよいよ子どもたちと対面できるんだ。少しでもいい印象を持ってもらいたくて、ささっと髪や服をなでつけながら、あたしはシアと並んでエクティア・ウォリンカの後を歩いていった。




