いちばんのともだち(後)
「ヨルダとうさま、クッキーのきじ、もうじゅんびできた?」
「そうだね。そろそろ型抜きを始めようか」
ヨルダの言葉に、リューリアは顔を輝かせて、台所へ走っていった。子ども用の前掛けを棚から取り出し、首からかける。腰紐は、まだ自分で結べないので、ヨルダに結んでもらう。
同じように前掛けを着けたヨルダが、布に包んだクッキー生地を冷蔵庫から取り出した。少し前に作って、冷蔵庫で寝かせておいたのだ。
「うん。生地は大丈夫みたいだね。それじゃあ、型を用意するけど……どれがいいかな?」
「うさぎ! うさぎさんの!」
「兎の型だね。了解」
何種類かある兎のクッキー型を全て引き出しから取り出したヨルダが、手早く型に油を塗り、粉を振る。そしてリューリアに一つ手渡してくれた。ちなみにクッキー型は木製で、ヨルダの手作りだ。
「やり方は憶えてるね?」
「だいじょうぶ!」
リューリアは調理台に置かれたクッキー生地を、適当な大きさにちぎった。その生地を、クッキー型に押し込んでいく。押し込み終えると、ヨルダに渡す。
ヨルダは生地の余計な部分を包丁でそぎ落とすと、トントン、と型を調理台に打ちつけた。型を回転させながら何度か打ちつけた後、油を塗った天板の上で生地のついている部分を下に向けると、クッキー生地がゆっくりと型からはがれて、天板の上に落ちた。
ちゃんと兎の形になっているし、目や耳の穴もあり、足や手の形もはっきりとわかる。まるで本物のようだ。
「うさぎさんできた!」
リューリアははしゃいだ声を上げて、手を叩いた。何度見ても魔法のように思える。
「ああ。兎さんが一羽できたね。じゃあ、仲間を増やしてあげようか」
「うん! うさぎさんいっぱいつくる!」
同じ手順を踏んで、色々な体勢の兎の形をしたクッキー生地を、次々に天板の上に並べていく。
「よし、これで最後だ。それじゃあ、オーブンに入れるよ。リューリアはちょっと下がっていてくれ」
リューリアはおとなしくオーブンから距離を取った。
天板をオーブンに入れてオーブンの扉を閉めたヨルダが振り向いて微笑む。
「これで、あとは待つだけだ」
「はやくクッキーにならないかなあ」
「後片づけをしていれば、すぐだよ。クッキー型を流しに運んでくれ」
「はあい」
リューリアはもう少しの間だけオーブンを見つめてから、ヨルダに言われたとおりにした。ヨルダが水魔法で調理器具を洗っている間、踏み台を使って濡れた布巾で調理台の上をふく。
もう少しで調理台をふき終わる、というところで、ざーっ、という音が外から聞こえてきた。
「おや、雨が降ってきたな」
ヨルダが手を止めて、燭台に火をつけ、木窓を閉める。
「リューリアも、自分の部屋の窓を――」
「しめてくる!」
ヨルダが言い終わるより先に、リューリアは踏み台から下りて自室に向かった。
二階の自室に入り、床に並べてあるおもちゃを踏まないように気をつけながら窓までたどり着き、木窓を閉める。
さて戻ろう、とくるりと体を回転させたところで、困ってしまった。部屋が真っ暗になったので、足元のおもちゃが見えないのだ。
(えっと、このへんならだいじょうぶかな)
見当をつけて足を踏み出す。一歩、二歩、と歩いたところで、おもちゃを踏んづけてしまった。
「いたっ!」
踏んだのはちょうど角だったようで、結構痛かった。勢い良く足を引いたら、その反動で、すってんと尻餅をついてしまう。
「もうー」
頬をふくらませながら、立ち上がろうとして、ふと思いつく。
(たたなければ、ころばないかも?)
四つんばいになって、手で進路のおもちゃをどけながら進む。それ以上痛い思いをすることもなく、無事に扉まで着いた。
立ち上がって廊下に出て、一段一段慎重に階段を下りる。
階段の半分ほど来たところで、明かりが射した。手燭を持ったヨルダが居間から出てきたのだ。
「暗闇で転ばなかったかい?」
「……ころんじゃった。でも! ゆかにおもちゃならべてたせいだからね! そうじゃなかったらころばなかったもん!」
ヨルダは、はは、と笑った。
「きっとそうだろうね。――それにしても、結構な大雨だなあ」
ヨルダが天井を仰ぐ。リューリアもつられて上を見た。雨音は先程より大きさを増して、ダダダダダ、と叩きつけるような音が家を包んでいる。ゴロゴロドカーン、という雷鳴も遠くはあるが聞こえてくる。
少し怖くなったリューリアは、急いで階段の残りを下り、ヨルダの傍に行って養父の服をつかんだ。
(ヨルダとうさまがいるから、だいじょうぶ)
自分にそう言い聞かせてヨルダを見上げると、ヨルダは少し困ったような顔でリューリアを見ていた。
「リューリア……」
「なあに?」
ヨルダが膝をついて、リューリアと視線を合わせる。
「もしかしたら、なんだけど、今日シアは遊びに来られないかもしれない」
「え……」
リューリアはぽかんとヨルダを見つめた。
「雨がひどいだろう? これでは道がぬかるみだらけになってしまう上に前も見づらくて、歩くのが大変だ。シアのご両親は、シアを外に出したがらないんじゃないかと思うんだ」
「で、でもやくそくしたもん」
「うん、そうだね。でも今日みたいに、自分ではどうにもできない理由で、約束を破らなきゃならなくなることもあるんだ。だから、シアが来てくれなくても怒っちゃいけないよ。――まあ、そうはいっても、これが通り雨ですぐにやんでくれれば――」
「やだ……」
リューリアは両手をぎゅっと拳にした。
「やだやだやだ! いっしょにあそぶんだもん! やくそくしたんだもん!」
ぽろぽろと涙が頬をこぼれ落ちる。
シアが遊びに来てくれるのが楽しみでたまらなくて、朝は早起きしたし、シアがどんなおもちゃを好きかわからないからどれでも選べるように持っているおもちゃを全部自室の床に並べたし、シアと一緒に食べようとクッキーだって作ったのだ。
それなのにシアが来ないなんて、そんなのはあまりに酷い。
「落ち着くんだ、リューリア。まだシアが来ないと決まったわけじゃないから……」
「やだ! やだもん! やだったらやなの!! いやだああああー!」
感情の昂りに合わせて、体の中で嵐が起こる。自分の中で荒れ狂う力が怖くて、リューリアは更に大きな声で叫んだ。口から出る言葉はもう意味をなしていない。
「リューリア、大丈夫だ。大丈夫だから」
リューリアが発する大声の合間に、穏やかな声が響く。背中に触れた大きな手の平から流れ込んできた力が、リューリアの中の嵐を鎮めていく。自分が内側から破裂してしまいそうな感覚が遠のいていくにつれ、安堵が全身を満たし、自分の状況に意識が向く。
リューリアはヨルダに抱きしめられ、背をさすられている。ヨルダの体のぬくもりに安堵が一層強くなって、リューリアはまだ荒い息を吐き出し体を震わせながら、ヨルダにしがみついた。
「大丈夫だよ。もう大丈夫だ」
ヨルダがもたらしてくれる安らぎと、急激に襲ってきた疲労感が、リューリアの意識を深い淵に引きずり込んでいく。
「あら、どうしたの?」
重たい瞼を落とした時、レティの声が聞こえた。庭の小屋で作業をしていたはずだが、それを終えて戻ってきたのだろう。
「リューリアが魔力暴走を起こしたんだ。この雨だからシアは来られないかもしれないって……」
説明するヨルダの声が遠ざかっていく。リューリアはそのままことんと眠りに落ちた。
「……リア、リューリア」
よく知っている声がする。その声が自分を呼んでいるのはわかっていたが、体がだるくて動きたくない。目を開くのも億劫だった。
「起きなさいってば、リューリア」
体を揺すられて、リューリアは「ううーん」と不満の声をもらした。
「まだおきない……」
「起きないと後悔するわよ。せっかくシアが遊びに来てくれたのに。魔力暴走を起こすくらい一緒に遊びたかったんでしょう?」
かけられた言葉の意味が頭に浸透するまで、かなりの時間がかかった。何を言われているのかようやく理解して、リューリアはぱちっと目を開けた。がばりと体を起こす。
「シア!?」
きょろきょろと周囲を見回す。リューリアは自室の寝台に寝かされている。手燭の明かりで、寝台の横に立っている養父母と、寝台に腰かけているシアが見える。
(ほんとにシアだ……)
リューリアは自分の目が信じられず、まじまじとシアを見つめた。雨音はまだ激しく、雨がやんだわけではないとわかる。それなのに、なぜシアがここにいるのだろう。
「こ、こないんじゃなかったの?」
「ヨルダがシアの家に迎えに行ったのよ」
レティの言葉にヨルダを見ると、養父は微笑んだ。
「シアはね、約束したんだから絶対にリューリアの家に遊びに行く、って言い張ってたんだそうだよ。それでシアのご両親も、仕方がないな、ってシアの外出を許可してくれたんだ」
もう一度シアに視線を戻すと、シアはにこっと笑った。
「だってやくそくしたものね。やくそくはまもらなきゃ」
ぎゅっと胸をつかまれたような気がして、リューリアは上掛けをはね上げて、シアに飛びついた。
「きゃっ」
シアが驚いたように声を上げる。シアの体が傾きかけて、止まる。リューリアはただシアを抱きしめた。
「きてくれて、ありがとう」
少しして、頭をなでられた。
「どういたしまして」
ふふ、とシアが笑う声が聞こえる。
「わたし、こんなにだいかんげいされたの、はじめて」
リューリアが体を引いてシアの顔を見ると、ヨルダに背を支えられているシアは本当に嬉しそうに笑っていた。それを見てリューリアも嬉しくなる。
「シア、あそぼう!」
勢い込んでシアの手を握ると、レティがリューリアの視線を遮るように、リューリアの顔の前に手を突き出した。
「ちょっと待ちなさい。遊ぶのは、お昼ごはんを食べてからよ」
「ええー」
リューリアは不服の声を上げたが、お昼ごはん、と聞いて、腹がぐうーっと鳴ってしまった。
「ほら、おなか空いてるじゃない。ごはんを抜くのは健康に悪いのよ。ちゃんと食べなきゃだめ」
「はあい」
リューリアが返事をすると、レティは手を引く。リューリアはシアに期待の眼差しを向けた。
「シアもいっしょにたべる?」
「わたしはおうちでたべてきたから、いいわ」
「そっかあ」
少しがっかりしたけれど、リューリアはすぐに気を取り直した。
「ごはんいそいでたべるから、まっててね!」
「じゃあその間は僕がシアの相手をしておくよ。リューリアのおもちゃで遊んでもいいんだろう?」
「うん!」
リューリアは大きくうなずくと、寝台から飛び下りた。
レティと一緒に一階に行き、用意してもらった昼食を急いで食べる。レティとヨルダは、リューリアが眠っている間に食べてしまったそうだ。
「あんまり急いで食べると、喉につまらせるわよ」
テーブルの向かい側に座ったレティに注意されるが、リューリアは気にしなかった。
「はいほうふ!」
「口に物を入れたまま喋らないの。行儀が悪いわ」
レティの言葉におざなりにうなずいて、どんどん料理を口につめ込む。いつもよりもずっと速く食べ終わった。
食後の祈りはまだ憶えていないので、手を重ねて「トゥッカーシャ」とだけ唱えた。食器を台所に運んで流しに置く。そして、階段を駆け上がって自室に戻った。
「ごはんたべおわった!」
自室の扉をバタンと開けて、中に飛び込む。床に座って遊んでいたヨルダとシアがリューリアの方に顔を向けた。
「本当に速かったね。ちゃんと味わって食べたのかい?」
「うん! おいしかった!」
「それは良かった。じゃあ、リューリアも来たことだし、後は二人で遊ぶといい」
言って、ヨルダは部屋を出ていく。リューリアは先程までヨルダが座っていた場所に腰を下ろした。
「なにしてあそぶ?」
わくわくとシアに問いかける。シアは小首を傾げた。
「そうね……。リューリアのおきにいりのおもちゃはどれ?」
「このこだよ。フィフィっていうの」
木彫りの兎を持ち上げて、シアに見せる。
「かわいいわね」
「うん。あたしのいちばんのおともだち」
言ってから、今はもう自分の友達は木彫りの動物たちだけではないのだと思い出す。
「お、おもちゃのなかではいちばんってことだよ」
慌てて付け加える。
シアは気にした様子はなく、手を伸ばして木彫りの熊を持ち上げた。
「このこのなまえはなんていうの?」
「そのこはトルク。おこりんぼうなの」
「じゃあこっちのこは?」
「そのこはね……」
木彫りの動物たちをシアに紹介していく。全部紹介し終えると、動物たちを使って遊び出した。
「わー、トルクがおこったー、にげろー」
「まってー、おいていかないでー」
「だいじょうぶ? いっしょににげよう!」
「ありがとう。フィフィはやさしいね」
「ともだちだもん。ともだちをおいてにげたりしないんだよ」
遊びに没頭していると、コンコン、と扉を叩く音がした。「どーぞー」と声をかけると、手に盆を持ったヨルダが入ってくる。
「おやつを持ってきたよ」
ヨルダはジュースの入ったコップ二つと、クッキーを乗せた皿を床に置いた。
「あ! シア、あのね、このクッキーあたしもつくったんだよ!」
「そうなの? おいしそう。リューリアはおりょうりがすきなの?」
「うーんと、まあまあすき。でもあぶないからまだあんまりおてつだいできないの」
「わたしもおんなじよ」
「そうなんだー」
リューリアがうなずいたところで、ヨルダが盆を持って立ち上がった。
「汚さずに食べるんだよ。それじゃ」
ヨルダが部屋を出ていく。リューリアはクッキーの乗った皿をシアの方に押しやった。
「ね、シア、クッキーたべてたべて」
シアはクッキーを一枚取り、かじった。
「クッキーおいしい? おいしい?」
「ええ。おいしいわ」
シアがにっこりと笑う。リューリアは嬉しくて、ふにゃりと顔を緩めた。
「リューリアはたべないの?」
「あ、うん。たべる!」
リューリアもクッキーを一枚取って食べ始めた。
「おいしーい」
元々甘い菓子は好きだが、友達と一緒に食べると、いつもよりもずっとおいしい気がする。
「これぜんぶうさぎなのね。リューリアはうさぎがすきなの?」
皿の上のクッキーをしげしげと眺めながら、シアが尋ねてくる。
「うん。だいすき! うさぎのシチューもすきだよ。シアもすき?」
「すきよ。うさぎにくのパイもすき」
「じゃあ、こんどはおりょうりしよう!」
リューリアは木製の包丁に手を伸ばした。リューリアの手に合うよう、小さめに作られている。これまた小さめに作られたまな板や器、スプーン、フォークなどを使って、見えない料理を作り、食べる。
その合間にクッキーを食べたりジュースを飲んだりもする。
ままごと遊びが一段落すると、今度は別の遊びを始める。それも一段落したら、また別の遊び、と気の赴くままに次々と遊びを変えていく。なんせおもちゃはたくさんあるので、色々な遊びができるのだ。
「はしれ~かぜのように~ひづめのおと~たかくならし~」
「リューリアはうたがじょうずね」
「えへへ、ありがと」
リューリアとシアが木馬で遊んでいると、扉を叩く音がして再びヨルダが顔を出した。
「シア、そろそろ帰る時間だよ。送っていこう」
リューリアは揺らしていた木馬を止めた。
「シア、もうかえっちゃうの?」
「ごめんね。くらくなるまえにかえってきなさい、ってかあさまにいわれてるの」
「そっか……」
リューリアはしょんぼりと肩を落とした。残念だが、仕方がない。
「つぎはいつあそびにきてくれる?」
シアには他にも友達がいるのだから、リューリアと毎日は遊べないだろう。せめて数日おきに来てくれたら嬉しいのだが。
そう思っていたリューリアだったが、シアは当たり前のように答えた。
「あしたくるわ。きょうとおなじで、おひるごはんをたべたら」
「え……ほ、ほんと!?」
驚きのあまり、思わず木馬から落ちそうになる。
「ほんとうよ」
「……でも、うちにきたら、ほかのことあそべないよ。いいの……?」
おずおずと尋ねたリューリアに、シアはけろりと答えた。
「いいのよ。だって、リューリアがいちばんわたしとあそびたいっておもってくれてるもの。それに、リューリアとあそぶの、たのしかったし」
リューリアは、ぱあっと顔を輝かせた。わき上がる衝動のままに、木馬から飛び下りて、シアに抱きつく。
「ありがとう! シアはあたしのいちばんのおともだちだよ!」
木彫りの動物たちも大切な友達だが、人間の友達はやっぱり特別だ。話しかければ言葉を返してくれて、一緒に笑ってくれる。
「ふふ、ありがとう」
シアがくすぐったそうに笑いながら、頭をなでてくれる。リューリアも、ふふ、うふふ、と笑い声を上げていた。胸の中から喜びがぽこぽことあふれてきて、止まらないのだ。
これからは、毎日がもっともっと楽しくなる。そんな予感に包まれながら、リューリアは一層強くシアを抱きしめた。
終
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