第五章 里長様への報告と罰(3)
「ただいま」
中に入りながら声をかける。台所からレティおば様とヨルダおじ様が顔を出した。二人で夕食を作っていたみたい。
「おかえりなさい。随分遅かったわね」
「里長様の家に行った後、家族にも会ってきたの」
レティおば様とヨルダおじ様が視線を交わす。
「里長様に、何て言われたんだい?」
「それは夕食後に話すわ。夕食の準備、わたしも何か手伝えることある?」
「こっちはわたしとヨルダで充分よ。あなたは居間で休んでなさい」
「そうそう。疲れているだろう」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわ」
わたしは居間に入って、外套と襟巻き、帽子を脱ぎ、椅子に腰かけた。はあ、と息を吐き出す。
確かに疲れている。肉体的にではなく、精神的に。里長様と気の抜けないやりとりをした後、家族と別れを交わして感情を強く揺さぶられたから。何も考えずにいたい気分だわ。
でも、暖炉の火が立てるパチパチという音に耳を傾けていると、家族に関する様々な考えが脳裏をよぎっていく。
セゼ兄様の二人目の子どもは男の子かしら、女の子かしら。わたしはその子を抱くことはできないんだわ。
ユトは今後本当に大丈夫かしら。短慮を起こさずに、里の中で立場を築いていけるかしら。ユトの友達とセゼ兄様がうまく支えてくれるといいのだけれど。
わたしの決断のせいで皆に今より更に悪口を言われることに怯えていたザジは、これからどう過ごしていくのかしら。家族以外に力になってくれる人がいるといいのだけれど。
母様は心労を溜め込みすぎて倒れてしまったりしないかしら。母様は気が強い方ではないから……。違う家に住んでいるセゼ兄様が目を配るにも限度があるでしょうし。父様が支えになってくれると良いのだけれど。
でも父様は自分のことで手いっぱいで、母様のことを気にかける余裕がない可能性が高い。わたしとルリの婚約の話を聞いてからきっと、なぜ自分の子どもが二人も正しい道から外れることになってしまったのかと頭を悩ませているに違いないわ。
ジド兄様のことは、衝動的な過ちだから仕方がないと思えても、わたしの決断は違うものね。そんな風に育てた憶えはないのに、ってそればかり考えているんじゃないかしら。それで周囲が見えなくなっていそう。父様は元々周囲に細やかに気をつかう人ではないし。
家族のことを考えれば考えるほど、心配が増していく。でもわたしはもう家族のために何もできない。それがもどかしくて、つらい。
深いため息を吐き出したところで、ヨルダおじ様の声がした。
「シア、食卓の準備をしておいてくれるかい?」
わたしは目を開けて立ち上がった。
「わかったわ」
体を動かしていれば少しは気もまぎれるでしょうから、ヨルダおじ様の言葉はありがたかった。
夕食の間も、レティおば様とヨルダおじ様はわたしに気をつかってくれたようで、明るい話題を色々と振ってくれる。それに感謝して、わたしもなるべく明るい気分を保つようにした。
でも夕食が終わって後片づけも終えてしまうと、いよいよ里長様との話の内容を二人に告げなければならなくなる。
ティーポットとティーカップだけが乗るテーブルを囲んで座る。口火を切ったのはレティおば様。
「それで、里長様との話はどうだったの?」
「わたしがこれからも使命を果たすことは、問題なく受け入れられたわ。でも、明日には里を出ていけ、ですって。それと、家族とはその後一切やりとりをしてはならない、と言われたわ」
レティおば様とヨルダおじ様が厳しい顔になる。
「あなたはそれを了承したの?」
「仕方なかったのよ。わたし以外の人たちまで罰を受けるのは、どうしても避けたかったから」
「そう……」
息を吐いたレティおば様は、気を取り直すように続けた。
「でも、わたしたちとのやりとりは禁じられていないのよね? それなら、家族への手紙をわたしたちへの手紙に入れてくれたら、こっそり届けてあげるわよ」
ヨルダおじ様もうなずく。
「そうだね。逆にシアの家族がシアに連絡を取りたいと言ってきた時には、僕たちからシアへの手紙に入れて送ればいいんだし」
レティおば様とヨルダおじ様はそう申し出てくれるだろうと思ったから、二人より先に里長様からの罰を家族に話したのよね。レティおば様とヨルダおじ様の申し出をつい受け入れてしまわないように。
「レティおば様、ヨルダおじ様、二人の気持ちはありがたいわ。でも、わたしは二人にこれ以上関わってほしくないの」
レティおば様とヨルダおじ様が驚いたように目を瞬かせる。
「わたしを支えてくれたこと、二人には本当に感謝しているわ。だけど、これ以上迷惑をかけたくない。……もう充分かけてしまっているのだもの」
わたしは、今日里長様と話すまで、そのことを全く考えていなかった。
わたしを家に泊めてはっきりとわたしの味方だと示すことで、二人の立場は今以上に悪くなるかもしれない。里の人たちにもっとつらく当たられるかもしれない。
そんなこと、ちょっと考えればわかったはずなのに、わたしは二人に甘えて、二人の応援と協力を当然のことのように計算に入れていた。二人の優しさを当たり前のように享受していた。そんな自分がすごく恥ずかしい。
「巻き込んでしまってごめんなさい、レティおば様、ヨルダおじ様」
わたしは目を伏せて謝罪した。
本当は今晩ここに泊まることも迷った。でも、迷惑をかけるからと野宿しては、レティおば様とヨルダおじ様はかえって心配するでしょう。だから今晩までは二人に甘えることを自分に許すことにした。だけどそれ以上の迷惑はかけられない。
「シア、あなた、わたしたちのことで里長様に何か言われたのね」
レティおば様の静かな声が響く。わたしは否定しようと目を上げたけれど、レティおば様の真剣な眼差しに言葉を失ってしまった。
レティおば様は見抜いている。わたしが否定しても信じないでしょうし、わたしもできるなら大好きな人に嘘はつきたくない。だからわたしは結局黙ったままでいた。
ヨルダおじ様が深く息を吐く。
「大方、里長様の命に従わなければ、僕たちを――それにおまえの家族も、かな――里から追い出す、とでも言われたんだろう」
「里長様の言いそうなことだわ」
苦々しげな顔をしたレティおば様が、表情を改めてわたしの方に手を伸ばした。温かい手がわたしの手に触れる。
「あなたが気に病むことはないのよ、シア。わたしたちはやりたいことをやっているだけなんだから。あなたのためじゃなく、自分のために」
「そうだよ。おまえを見捨てたら、自分たちが後悔するからね。それが嫌だから、おまえの力になろうとしているんだ。……もっとも、大した手助けはできていないけれどね」
「そうね。むしろシアの足枷になってしまったみたいだし」
わたしは強く首を振った。
「そんなことないわ。レティおば様とヨルダおじ様には本当に感謝しているの。今回のことだけでなく、これまでずっと、わたしは二人に支えられてきた。たくさん力になってもらった。どれだけ感謝してもし足りないわ」
わたしの手にもう一つぬくもりが触れた。
「感謝しているのは僕たちも同じだよ。おまえが僕たちのかわいい娘であるルリを一人ぼっちにせず友達でいてくれたことにも感謝しているし、それにもう一人の娘も同然のおまえがいたから、ルリがクラディムに戻ってしまった後も、それほど気を落とさずにいられた。おまえと出会えて、こうして一緒にいられることは、間違いなく幸せなことだ。だから、迷惑をかけたとか巻き込んだとか、他人行儀なことは言わないでくれ」
目頭が熱くなる。喉がふさがれたようで言葉が出ず、わたしはただレティおば様とヨルダおじ様の手を握り返して、何度もうなずいた。
「だから、ね。手紙のことは何も遠慮しなくていいのよ。いつでも頼ってちょうだい」
「そうそう。もし見つかって里を追い出されでもしたら、その時はクラディムで暮らすよ。おまえとルリが子どもを持ったら、孫の面倒見ながら日々を送るのも悪くないしね」
レティおば様が軽くヨルダおじ様を睨んだ。
「また縁起でもないことを……あなたのそういうとこ、ほんと直らないわね。――まあ、孫の面倒を見ながらクラディムで暮らす、っていうのは悪くないけれど」
「だろう? 孫の成長を日々傍で見守れると考えれば、里の外での暮らしもそう悪いものじゃないよ」
「そうね。だからシア、本当にわたしたちのことは心配しないで。――それよりも」
レティおば様の目が険しくなった。
「シア、あなたが受けた罰は、さっきわたしたちに言ったことだけじゃないでしょう」
まあ、気づかれるわよね。レティおば様とヨルダおじ様も同じ罰を受けているのだもの。
「他の人より多く使命を引き受けることになっているわ。でも、わたしが自分から提案したのよ」
「家族を護るために提案せざるを得なかった、の方が正確でしょう。違う?」
「……違わないわ」
レティおば様には完全に見透かされているわね。里長様のやり方をよくわかっている、ということなのでしょうけれど。
「レティおば様、ヨルダおじ様、家族を護るためだったことは家族には秘密なの。お願いだから黙っていてくれる? それとルリには、わたしが他の人より多く使命を引き受けること自体言わないで」
レティおば様は眉をひそめた。
「あなたの家族に黙っているのは構わないけれど、ルリにも秘密にするつもりなの?」
ヨルダおじ様も難しい顔をしている。
「僕は賛成できないな。そんな重大なことを隠していたら、結婚生活にも影響が出るよ」
「そうね。ルリは、瘴気の浄化が命がけだってことを秘密にしていたこと、怒っていたじゃない。今度のこともいずれバレたら怒ると思うわよ」
「怒られるより泣かれる方がつらいもの。それに嘘をつくわけじゃないんだし」
「今すぐに嘘をつくわけじゃなくても、そのうちあなたが旅に出る頻度が妙に高いってルリが感じる時が来るかもしれないでしょう? そうしたら嘘をつかざるを得なくなるわよ。嘘というのはね、最初は小さなものでもつき続けるうちにどんどん膨れ上がって手がつけられなくなっていくのよ。そうなる前に本当のことを話してしまった方がいいわよ」
「僕もそう思う。ルリは強い子だ。泣き虫だけれど、弱くはない。たとえおまえの身が心配で泣いたとしても、おまえの気持ちを理解して支えてくれると思うよ」
「……考えてみるわ」
わたしは迷いながら答えた。さっきまでは、ルリには話さないのが一番だと思っていたけれど、今はそこまで確信が持てない。
「それじゃあ、この話はここまでにしましょうか。お風呂の準備をするわ」
「あ、わたしがするわ。夕食の手伝いは何もできなかったし」
「そう? じゃあお願いね」
お風呂から上がると、居間で繕い物や編み物をしながら他愛もない話をして過ごす。最後の夜だからちょっと夜更かしをしたけれど、いいかげん眠らないと明日に差し支える、ということで真夜中近くに部屋に引き上げた。
寝台の中で目を閉じて眠ろうとするけれど、家族のことに関する心配がまた次々と浮かんできて、心をざわつかせる。
わたしは手探りで枕元の小箪笥の上に置いた梟の首飾りを手に取った。抱きしめて、祈る。
導きの女神タスティーシャの、その使いよ。どうかわたしだけでなく、わたしの大切な人たちにも加護をお授けください。皆が幸せな未来に、願う未来にたどり着けますように。
そう祈りを繰り返すうちに、わたしは眠りに落ちていた。
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