第三章 狩りとセゼ兄様の訪問(2)
「作業中邪魔して悪いけど、シアにお客様だよ。セゼが来てる」
「セゼ兄様が?」
わたしは驚いて顔を上げた。家で何かあったのかしら。
「こっちはわたし一人でやれるから、早く行ってきなさい」
「ええ。じゃあ後をお願い、レティおば様」
血と脂で汚れた短刀を水を張った小さいタライの中に入れて、前掛けを外して、小屋の外に出る。
家に入ると、まっすぐ居間に向かった。居間のテーブルに座ったセゼ兄様がお茶を飲んでいる。
「セゼ兄様、何かあったの? 母様たちは大丈夫?」
セゼ兄様は一瞬きょとんとしてから、苦笑を浮かべた。
「ああ、悪い。驚かせちまったな。おふくろや誰かに何かあったわけじゃないから、心配するな」
「そうなの」
わたしはほっと胸をなで下ろした。
「俺はちょっと、親父やおふくろのいない所でおまえと話したかったんだ」
「わかったわ」
わたしは外套やなんかを脱いで外套掛けにかけると、セゼ兄様の向かいの席に腰を下ろした。
「それじゃあ、僕はこれで。工房にいるから、何かあったら呼んでくれ」
「ええ、ありがとう、ヨルダおじ様」
わたしはテーブルの真ん中に置かれているティーポットとティーカップを取って、自分の分のお茶を用意した。お茶を一口飲んでから、セゼ兄様を見つめる。
「それで、話ってどういう話? わたしを説得に来たの?」
「説得というか……おまえの決心がどのくらい固いのか、確かめたくてな」
セゼ兄様が、じっと見つめてくる。
「シア、おまえ本当に後悔しないか? 一旦里を出たらもう戻ってこられないかもしれねえし、家族との仲だって元には戻らねえ可能性が高いんだぞ。一時の感情に流されて行動して、後悔しても遅いんだ」
「ルリと結婚することで失うかもしれないものについてはよくわかっているわ。セゼ兄様、わたしだって散々悩んだのよ。だけど、それでも……何を失ってもルリと生きたいと思ったの。一時の感情なんかじゃないわ。自分の気持ちに確信がなければ、家族や里長様に話したりしない」
わたしは落ち着いた口調で、だけどわかってもらえるように心をこめて話す。
「わたし、ずっと自分の心を殺して生きてきた。ジド兄様のことがあってからは特に、自分に正直になるのが怖かった。だけど、色々あってルリと両想いになって、幸せになれたの。これからもずっと、幸せに生きていきたいと思っているの。――セゼ兄様、わたしを責める?」
「……責めたい気持ちが全くないとは言えねえよ。俺だけでなく、女房や娘にだって影響のあることだからな」
ため息を吐いたセゼ兄様は、肩までの長さの薄緑の髪をかき上げて、けど、と付け加えた。
「おまえが幸せになるためだって言われたら、責めるに責めらんねえ、って感じかな。惚れた奴と結婚して幸せになりたい、って気持ちは俺にもわかるし、おまえに幸せになってほしいと思ってるんだぜ。……できれば、その幸せが騒ぎを起こさねえでも手に入るものだったら、良かったんだけどな」
「……それはわたしも同じよ。家族を傷つけずに幸せを手に入れられたら、どんなにか良かっただろうと思うわ」
「まあ、そうだよな。そこは言ってもしょうがねえか。おまえ自身にもどうしようもねえことなんだし」
自分のティーカップを持ち上げてお茶を一口飲んだセゼ兄様は、わたしをまっすぐに見つめて口を開いた。
「おまえがそこまで覚悟決めてんのなら、俺に言えることはもうねえ。俺が何言ったって無駄だろうしな」
投げやりとも取れる口調だったけれど、わたしは嬉しかった。セゼ兄様はわたしの幸せを応援はしてくれなくても、理解はしてくれている。
「ありがとう、セゼ兄様。――そうだわ。ゆうべ言った、クラディムに引っ越す件だけれど――」
「そのことなら、俺は行かねえ。ミラを家族から引き離したくねえしな。それに、おふくろが言ってたとおり、里の外で暮らすのは大変だ。ミラにこれ以上苦労させたくねえ」
ミラというのはセゼ兄様の奥さんのこと。セゼ兄様の答えは予想の範疇だったので、わたしは素直にうなずいた。
「わかったわ。……母様はどうすると思う?」
「ゆうべの様子じゃやっぱり拒否するんじゃねえか? 外で一族外の人間に囲まれて暮らすのなんて耐えられねえ、ってのが一般的な反応だと思うぜ。おまえは例外だよ」
言って、セゼ兄様は、何かを思い出した顔になった。
「そうそう、ゆうべのおまえと親父の口論のことなんだけどな。あんまり親父を悪く思ってやるなよ」
「ゆうべの話って、わたしたち一族が一族じゃない人たちを見下してるって話?」
「そうだ。あのな、おまえは昔からあのリューリアって子のことで、里の人たちに怒ってきたから、よそ者を嫌う態度が赦せねえんだろうけどよ。まあ、実際それが良くないってのは俺も同感だけどさ。でも、親父や里の人たちをあんまり責めないでやれよ。こんな使命を持った一族に生まれちまって、自分たちは特別な存在だと思わなきゃやってらんねえ、ってなるのは、自然なことだと思うぜ、俺は」
わたしは、はっとした。そんな風に考えてみたことはなかった。
「ていうか、自分たちは選ばれた存在だと思うことでようやく命がけの使命を背負える、使命を果たすことを受け入れられる、って人の方が多いだろ、多分。くだらない優越感かもしれねえけど、それもなしに命をかけられるほど、みんな強くねえんだから」
わたしは唇を噛んだ。父様たちの態度を批判する自分は正しいと思っていたけれど、わからなくなってきた。頭が混乱する。
言葉を見つけられずにいるわたしに、セゼ兄様は肩をすくめてティーカップのお茶を飲み干した。
「ま、俺が言いたかったのは、これくらいだ。それじゃ、俺は帰るな」
「ええ……」
セゼ兄様を見送って家の扉を閉めると、わたしは居間に戻りながらため息をついた。わたしは本当に、白黒つけられない状況に弱い。いつになっても直らないのよね、こういうところ。
『誰でもそんなものじゃない? それに、完璧超人より欠点の一つや二つあった方が親しみやすくていいかもしれないし』
ルリの言葉が頭によみがえってきて、わたしは知らず微笑みを浮かべていた。心が軽くなる。ルリにはほんと、いつも元気づけられるわ。傍にいない時でさえ、わたしの力になってくれる。
居間に戻ってティーポットとティーカップを片づけると、外套を着てまた外に出る。作業小屋に戻ると、レティおば様は鹿と兎の内臓を洗っているところだった。
「あら、セゼはもう帰ったの?」
「ええ。手伝うわ。モツの下処理までしてしまう?」
「下処理はわたしがしておくから、シアは夕飯の準備をしてくれる? この兎肉を使って煮込み汁を作ってちょうだい」
「わかったわ」
わたしは兎肉が入った器を受け取って、家に戻った。食糧庫で他の材料をそろえて、調理を始める。煮込み汁のにおいが漂い始めた頃、ヨルダおじ様が台所に顔をのぞかせた。
「やあ、いいにおいだね。何の肉だい?」
「ココラッタ兎よ。ヨルダおじ様の好物でしょう。楽しみにしていて」
「それはいいな。レティはまだ作業小屋かい?」
「ええ。モツの下処理を終わらせてしまいたいみたい」
「そうか。今日は何を狩ったんだい?」
「マクワ鹿を一頭とココラッタ兎を二羽よ」
「それは大猟だ。しばらく肉には困らないね」
お喋りをしているうちに、煮込み汁が完成した。
「ヨルダおじ様、レティおば様を呼んできてくれる?」
「わかった」
パンをオーブンで焼いている間に、レティおば様とヨルダおじ様が戻ってくる。急いで煮込み汁を器によそって、パンと一緒に居間のテーブルに運ぶ。
「ああ、おなかぺこぺこだわ」
「それじゃ、さっそくシアお手製の煮込み汁をごちそうになろうか」
食前の祈りを捧げて食事を始める。煮込み汁を味わったレティおば様とヨルダおじ様が、へえ、という顔になった。
「うちの味つけとは結構違うけど、おいしいね」
「本当ね。うちにある調味料を使ったのに、結構味が変わるものね」
「実は、ウルファンさんに教わった配合なの。といっても、ここにはない物もあったから、代用品も入っているけれど」
「そうだったの。後でこの配合教えてちょうだい。また食べたい味だわ」
なごやかに食事は進む。その最中にふっと、家の食卓はどんな雰囲気かしら、と思った。多分なごやかさとは遠いでしょうね。その原因は間違いなくわたし。
罪悪感で心が重くなる。だけど、レティおば様とヨルダおじ様には気づかれたくなくて、笑顔を保った。幸いなことに、二人はわたしの変化に気づいた様子はない。もしかしたら、気をつかって気づかないふりをしてくれているのかもしれないけれど。
家族のことは、時間が解決してくれるのを祈るしかないんでしょうね。家族がいずれまた、皆で笑いあいながら食卓を囲める日が来ますように。そこにわたしがいなくても構わないから。
そう祈りながら、わたしは食事を終えた。
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