第三章 狩りとセゼ兄様の訪問(1)
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コーケコッコー、という鳴き声で目が覚めた。町中では鶏の声は聞かないから、この声で起きるのは久しぶりだわ。
いつもの習慣に従って寝台脇の小箪笥に手を伸ばして、手燭に火をつける。部屋の様子が蠟燭の明かりに浮かび上がる。だけど、自分がどこにいるのかすぐには思い出せなかった。ただ、見慣れない部屋だということがわかるだけ。
ああ、そうだわ。わたし、レティおば様とヨルダおじ様の家の客間に泊めてもらったのだった。
レティおば様とヨルダおじ様は夜にいきなり訪ねたわたしを驚きながらも歓迎してくれた。ルリとの婚約を祝福して、父様に追い出されたことを慰めて、何日でも好きなだけ泊まっていっていいと言ってくれた。
レティおば様とヨルダおじ様には、昔から本当にお世話になっている。わたしがルリの唯一の友達だったからというのもあるだろうけれど、いつだって温かく迎えてくれて、愛情を注いでくれた。
わたしは昔からこの家が好きだった。うちではきょうだいたちがいて、母様や父様を独り占めすることなんて滅多にできないけれど、ここではレティおば様とヨルダおじ様がたくさん構ってくれたから。
きょうだいのことが嫌いだったわけじゃないけれど、一人っ子のルリがうらやましかったのよね。
わたしがこの家に入り浸っていたのは、ルリと一緒にいたかったからだけじゃなくて、ここの環境自体が好きだったせいもある。特に最初のうちは。
そんなことを考えながら着替えて客間を出る。顔を洗おうと台所に行くと、ヨルダおじ様が朝食を作っているところだった。
「おはよう、シア」
「おはよう、ヨルダおじ様。わたしも手伝うわ」
「じゃあ、そこの棚からパンを出して温めてくれるかい?」
顔を洗ってから、ヨルダおじ様に言われたとおり、丸パンを三つ出して、オーブンに入れる。温めるだけなら火魔法でできるけれど、ちょっと焼いた方がおいしいから。
朝食の準備はすぐにできて、食事をしながら、ここ半年の間にルリやクラディムに住むルリの家族にあったことを話す。
大きなこと、たとえばラピスくんの妹のフィセニアちゃんが無事に生まれたことなんかはレティおば様とヨルダおじ様もルリからの手紙で聞いているそうだけれど、細かいことは当然知らないから、随分と喜ばれた。
好きな人たちと楽しくお喋りしながら、おいしい料理を食べる。のんびりと流れる時間が心地良くて、いつまでもこうしていたくなる。ゆうべの家族との会話でついた傷が癒されていくよう。
ああ、でも、ここにルリがいたらもっといいのに。ラピスくんやセイーリンさん、ティスタさん、フュリドさんにウルファンさん、フィセニアちゃんだって、みんないたらきっともっと楽しいでしょうに。
レティおば様とヨルダおじ様だけでは不足だというわけじゃない。二人が大切だから、一緒にいると他の大切な人たちを思い出して、会いたくなるのよね。
クラディムにいるルリたちに思いを馳せていると、レティおば様が話しかけてきた。
「シアは、今日は家には戻らないつもりなのよね?」
「ええ。母様はゆうべかなり動揺しているようだったから、一日考える時間があった方がいいと思って。今日はそっとしておくつもり」
「里長様には今日話しに行くの?」
「最初はそのつもりだったのだけれど、母様ともう一度話しあって、クラディムに一緒に来るかどうかの答えを聞いてからの方がいいと思うから、明日以降にするわ」
「そう。じゃあ今日は特にすることもないでしょう。一緒に狩りに行かない?」
「いいわね。体を動かしたいわ」
朝食を終えて、後片づけをする。自分の工房で作業をするというヨルダおじ様と別れて、わたしとレティおば様は狩りの準備をして家の外に出た。庭にある小屋の外に積み上げてある小石を一つかみ外套のポケットに入れる。これが狩り道具になる。
火魔法で温めた空気をまとって歩き出す。
里から出て、森に入る。獣の痕跡を探して地面を観察しながら、黙々と歩いていく。身体強化の魔法を使っているので、歩くのは苦にならない。
一時間ほど歩いただろうか、レティおば様にぽんぽんと肩を叩かれた。指差す先には、獣の糞と、うっすらと残った足跡。この山に多いマクワ鹿の物のように見える。まだ新しい。
レティおば様は痕跡をたどって進み出す。わたしも後についていった。気配を殺して、周囲に注意深く気を配る。自分が山の一部になっているかのようなこの感覚が好き。とても気持ちがいい。
レティおば様が手を上げて、足を止める。木の陰からそっと前方を窺っている。わたしも別の木の陰に隠れて、前方をのぞいた。
大分離れた場所に、マクワ鹿の雄が一頭立っている。こちらが風下だから、まだ気づかれていないようね。視力も魔法で強化されているので、毛皮が風にそよぐ様子までよく見える。
レティおば様がそっと顔を寄せてきた。
「撃ってみなさい、シア」
わたしはうなずいた。小石を一つ取り出して、風魔法で宙に浮かせる。鹿の額に狙いを定めて、小石を高速で撃ち出す。
だけど小石が鹿の体に届く直前で、風切り音に気づいたのか、鹿が逃げるようにぴょんと飛び跳ねたため、小石は首をかすめただけだった。
鹿が悲鳴のような高い声を上げて、走り出す。でもほとんど行かないうちに、別の小石が鹿の頭を撃ち抜いた。鹿はつんのめるように倒れる。
レティおば様が木の陰から出て、仕留めた獲物の方に歩き出す。
「惜しかったわね、シア」
「速度が足りなかったのね。レティおば様の手をわずらわせずに仕留めたかったのに、まだまだ修行不足だわ」
でもあまり小石の速度を上げると、今度は狙いがぶれてしまう。獲物が気づいても逃げられないような速度で飛ばし、なおかつ狙った場所に正確に当てるには、もっと魔術の鍛錬が必要になる。
「仕方ないわよ。ルリの家の食堂を手伝っていたら、狩りに出る機会はそんなにないでしょうし」
「そうなのだけれど、狩りの腕が落ちるのは残念だわ。でも練習するのも難しいのよね。町中では人に怪我をさせてしまいかねないし」
「町の暮らしも、それはそれで不便ね。一長一短ってところかしら」
話しながら、レティおば様は短刀で鹿の首を切った。血がどんどん流れ出してくる。風魔法で鹿の体を持ち上げて斜めに固定し、血が流れやすいようにする。
血抜きを終えると、レティおば様は鹿を宙に浮かせて、こちらを見た。
「どうする? もう帰る? まだ何か狩っていく?」
「そうね……。もう少し山にいたい気分。いい?」
「もちろんよ。それじゃ、他の獲物を探しましょうか」
山の中は障害物が多くて、鹿を宙に浮かせて運ぶのは難しいので、レティおば様が肩にかついで運ぶ。身体強化の魔法を使っているから、そんなに負担はないはず。
すでに大物を仕留めた後なので、わたしは熱心に新しい獲物を探そうとはせず、山歩きを堪能した。冷たく澄んだ空気を深々と吸い込むと、木々の香りで肺が満たされる。
鳥の群れが上空を飛んでいく。その姿を見ていると、家族に受け入れてもらえない自分の悩みがちっぽけなものに思えてくる。
ルリがクラディムに帰ってしまった後、ルリが恋しくてたまらなくなった時、鳥の姿を見ては、わたしも空を飛んでルリの元に行けたらいいのに、一目でも会えればいいのに、と焦がれるように願った。
その頃に比べれば、戻ろうと思えばいつでもルリの元へ戻れて、ルリがわたしの帰りを待っていてくれると信じられる今は、ずっと幸せだわ。
「そろそろ、お昼にしましょうか」
レティおば様の声に、わたしは我に返った。
「そうね。おなか空いたわ」
木々の間にぽっかりと空いた場所があったので、そこでお昼を食べることにする。
腰を下ろして、それぞれ、腰につけた水袋から水を飲み、別の袋からサンドイッチを出してかぶりつく。ヨルダおじ様特製のソースがおいしい。それに、山の中で食べる食事は、普段よりおいしく感じられる。
そう口にすると、レティおば様が笑った。
「シアは昔から山が好きだったものねえ。山に連れてって、ってよくねだられたわよね」
「そうだったわね。レティおば様はわたしのわがままを聞いて、しょっちゅう山に連れてきてくれたわよね。ルリもつきあってくれた」
「わたしは山で過ごすのが好きだもの。シアのおねだりを聞くのはたやすいことだったわ」
「でも、わたしやルリが一緒だと、一人の時より狩りが大変だったでしょう」
「そうね。でもそこまで苦労はしなかったわよ。あなたたちは二人ともよく言うことを聞いてくれたし。それに、知識や技を次世代に伝授するのも仕事の内よ」
言って、レティおば様はやわらかく目を細めた。
「あなたとルリはいずれ養子を迎える気でいるんでしょう? その子が――その子たち、かしら――わたしの技を引き継いでくれたら嬉しいわ」
「そうね。子どもが狩りに興味を持ってくれたら、わたしも嬉しいわ」
レティおば様は、ふふ、といたずらっぽく笑う。
「それにしても、シアの子どもがわたしの孫になるのよね。人生って不思議だわ。わたしは子どもや孫とは縁のない一生を送るんだ、って覚悟したこともあったのに」
その言葉に、ふと訊いてみたくなった。
「レティおば様とヨルダおじ様も、家族に別れるよう言われて拒絶したのよね。……やっぱりしんどかった?」
「そりゃあね。他人に陰口叩かれるのは我慢できても、家族に面と向かって罵られたり泣かれたりするのは、こたえたわよ。もっとも、わたしは天の邪鬼だから、反対されればされるほど、意地でも別れてやるものか、って思ったりしたけれどね」
レティおば様は、遠い目をして話し続ける。
「わたしよりヨルダの方がつらそうだったわ。家族と何度も衝突して、そのたびに落ち込んで……そのうち限界が来てやっぱりわたしとは別れるって言い出すんじゃないかって、それが一番怖かったわね」
レティおば様に比べれば、ルリに別れを切り出される心配がないだけ、わたしは恵まれているんでしょうね。
「それでも二人は負けないで、一緒にい続けることを選んだのね」
「ええ。といっても、すぐにその道を選べたわけじゃないけどね。わたしはこんな性格だから、ヨルダが一際暗い顔していた時に我慢の限界が来て、言っちゃったのよ。『わたしと別れたいならはっきりそう言いなさいよ。そうしたら別れてあげるわよ』って」
わたしは目をみはった。
「そうなの? ヨルダおじ様は何て答えたの?」
「『そんなことを言うなんて、別れたいのは君の方じゃないのか』って喧嘩腰で言い返してきたわ」
「そんなヨルダおじ様、想像できないわ。いつも穏やかなのに……」
「そうね。でも、あの頃はヨルダも若かったし……精神的に不安定になってたのよ。家族に色々言われるからってだけじゃなくて、子どもが欲しいのに持てないことへの落胆や、それでも子どもが欲しい気持ちを捨てきれない葛藤なんかもあってね。ヨルダだけでなく、わたしもだけど」
レティおば様は、ちょっと恥ずかしそうな顔をした。
「とにかく二人とも感情的になって怒鳴りあって……大喧嘩の後二、三日口もきかなくて、本当にもう終わりかと思ったけど、頭が冷えたらやっぱり別れたくないって思ってね。それはヨルダも同じで、改めて冷静に話しあって、想いを吐き出しあって、子どもが持てなくても、誰に何を言われても、別れずにいよう、って決めたの」
「そうだったの……」
そうやって、障害にぶつかって、でも二人で手を取りあって乗り越えて、レティおば様とヨルダおじ様はいつも笑顔で一緒にいられる関係を作り上げてきたのね。
感銘を受けているわたしに、レティおば様は微笑んだ。
「ちょっとは参考になったかしら?」
「ええ。励まされたわ。わたしも、家族に反対されても負けずにがんばろうって。元々そのつもりだったけれど、一層決意が固くなったと思う」
「それは良かったわ。あなたとルリには幸せになってほしいもの」
レティおば様が手を伸ばして、わたしの頬をなでる。
「でも、できればシアの家族が理解を示してくれれば一番いいんだけれどね。家族か伴侶かなんて、選ばずに済めば、それが何よりだもの」
「……そうね。でも父様は無理だと思うわ。母様は……まだわからないけれど、難しそう。せめてきょうだいはわかってくれたらいいのだけれど、どうかしら……」
視線を落としたわたしを、優しい手が抱き寄せてくれた。
「何があっても、わたしとヨルダはあなたの味方よ。それを忘れないで」
「ええ……ありがとう、レティおば様」
わたしはレティおば様を抱き返した。
その後は気分を切り替えるために少しの間他愛もない話をして、また狩りに戻る。ココラッタ兎を二羽狩ったところで、いい時間だしそろそろ戻ろうか、という話になった。冬の夕暮れは早くて、空はもう茜色に染まっている。
帰りはわざわざ山道を歩く必要はないので、空を飛んでいく。行きとは比較にならない速さで里に帰ってきた。
レティおば様とヨルダおじ様の家の庭に下りる。レティおば様は庭の水瓶から取った水で宙に大きな水球を作ると、その中に獲物を入れて、汚れを落とした。
庭の隅にある小屋に入る。ここは、狩った獣の解体や毛皮のなめし作業を行う場所。小屋は木造だけれど、床だけは血や肉片を洗い流しやすいよう石でできている。
同様に石でできた作業台の上に鹿一頭と兎二羽を置いて、二人で協力して毛皮を剥がす。それが終わったら、内臓を取り出してタライに入れる。そして肉を部位ごとに切り分けていく。
その作業の途中で、扉を叩く音がして、ヨルダおじ様が顔をのぞかせた。




