第二章 帰郷(3)
「わたし、婚約したの。相手は一族外の人で……女性なの」
しん、と部屋が静まり返った。父様は、思いもよらないことを聞いた、という顔で呆然としている。母様は叫ぶのをこらえるように口元を押さえている。ユトは、言葉の意味がうまく頭に入ってこないような様子で、瞬きを繰り返している。セゼ兄様は、大きく目を見開いてわたしを凝視している。
ザジだけが、皆の驚愕や衝撃を理解できないようで、きょとんとした顔で口を開いた。
「シア姉様、コンヤクって結婚の約束ってことだよね?」
「そうよ」
「えっと……じゃあ、おめでとう?」
この場の張りつめた雰囲気に居心地の悪さを感じているようであやふやな口調になったけれど、それでもザジは祝福の言葉をかけてくれた。それが嬉しくて、わたしは微笑んだ。
「ありがとう、ザジ」
「めでたいわけがあるか!」
ドン、とテーブルを叩く音がして、向かいの席の父様が立ち上がった。ザジがびくりと肩を震わせる。
「一族外の人間ってのはまだしも、女だと? 冗談にも程があるぞ、シア!」
「冗談なんかじゃないわ。わたしは本気よ、父様」
父様の顔が怒りで真っ赤になる。ぎりっと歯を噛みしめた後、うなるように言った。
「……相手はあの娘だな。ヨルダの養い子の……あのよそ者が、おまえをたぶらかしたんだろう」
その言葉にわたしは意表を突かれた。父様がルリをよそ者呼ばわりするのは、今まで聞いたことがなかったから。むしろそういうことを言うのは良くないって態度だったのに……。
でも、ルリを非難されて黙っていることはできないから、気を取り直して反論する。
「相手がルリ……リューリアだっていうのは、そのとおりよ。でもわたしはたぶらかされてなんかいないわ。好きになったのはわたしが先だし、告白も求婚もわたしからしたのよ」
「関係あるか。あのよそ者さえいなければ……やっぱりよそ者を里で育てるべきじゃないって意見の者たちが正しかったんだ。哀れに思って色々優しくしてやったのに、恩を仇で返しやがって」
わたしは眉をひそめた。わたしはこれまで、父様は正義感が強くていじめのような曲がったことが嫌いで、だからヨルダおじ様と親しくしたりルリにも冷たくしないのだと思っていた。けれど、少し違ったみたい。
少なくともルリの場合は、父様はルリを下に見て、上の立場から優しさを恵んであげるつもりで振る舞っていたということ? ……もしそれが本当なら、わたし、父様のこと見そこなったわ。
「ルリを非難するのはやめて、父様」
その声は意図したよりも随分と冷たく響いた。
「ルリは何も悪いことしていないわ。わたしも、自分が間違っているとは思わない」
「間違っていないだと!? おまえは子どもを作れない相手と結婚すると言ってるんだぞ。そんな神々の祝福を受けられない結婚の、どこが間違っていないというんだ!」
「神々はわたしとルリの結婚を祝福してくださるわ。海の女神テフュートロネと風の女神イナレクシアの結婚は大地の女神メアノドゥーラを始め全ての神々に祝福された、と神話にあるじゃない」
「神々は自らの力だけで子どもを作れるから同性と結婚してもいいんだ! 人間は違う!」
「違わないわ。子どもを作れるかどうかだけで神々の祝福の有無を決めるなんて考えが、そもそも間違っているのよ。それに、わたしもルリもいずれは孤児を引き取って育てるつもりでいるわ。同性どうしだって子どもは持てる」
「それは血のつながった子どもじゃねえだろうが! それじゃあ意味がねえ。おまえのようにわがままで子どもを作らない者が増えたら、一族の血が絶えちまうんだぞ。だから、結婚は子どもを作れる相手としなきゃならないんだ!」
父様の頭にはどんどん血が上っているようで、今や顔が赤黒くなっている。
「それはわかっているわ。これがわたしのわがままなのもわかっている。だけどそれでも、わたしはこの道を選ぶと決めたの。幸せに、なりたいから」
「俺は許さんぞ。そんな……身勝手な欲のために一族の決まりに背くような真似、絶対に許さん」
拳を震わせる父様を、わたしは冷静に見返した。
「父様、わたしは許可を求めに帰ってきたわけではないわ。家族なんだから報告しておかなければ、と思っただけよ。父様たちが認めてくれなくても、たとえ勘当されても、わたしはルリと結婚する」
「この……恥知らずが!」
父様が手を振り上げる。わたしは咄嗟に椅子ごと身を引いた。父様の手が、ぶん、と鼻先をかすめていく。
「よけるな!」
父様が吠えて、わたしの方に足を踏み出す。だけど、いつの間にか父様の傍に立っていたセゼ兄様が、その肩を押さえた。
「落ち着けよ、親父。暴力沙汰は良くない。大声もだ。ザジが怯えてる」
その言葉にわたしはザジの方を見た。ザジは椅子の背もたれにつかまって、ぶるぶる震えている。今にも泣き出しそうだ。
「これが落ち着けるか! セゼ、おまえはこんな真似を黙って見過ごすつもりか! ……まさか、シアの味方をするつもりじゃねえだろうな!?」
「そうじゃねえよ。でもそんな風に怒り任せに怒鳴ったって事態が良くなったりはしねえだろ。一旦座って、茶でも飲んで落ち着けって」
セゼ兄様が父様をなだめている間に、わたしはザジの肩に手を伸ばした。だけど、ザジはわたしの手を振り払うように椅子から滑り降りて、母様の元に駆けていってしまった。そのまま母様に抱きついて、母様の脇の下に頭を押しつけて顔をうずめる。
ザジの態度に胸が痛む。母様が泣いているかのように顔を両手で覆ってうつむいているのも、見ていてつらい。
だけど、仕方がない。ルリとの結婚の話をしたら、家族に冷たくされたり泣かれたりするのは、予想していたことだもの。それでもこの道を行くと、わたしは決めたのだから。
視線を動かすと、きょろきょろと家族の様子を窺っているユトの姿が目に入った。ユトの目がこっちを向いて、視線がぶつかる。ユトは、どんな態度を取ればいいのか決めかねているように、困惑の表情でわたしを見つめてくる。
わたしは視線をそらさず見つめ返した。さっき父様に言ったのは本当の気持ち。わたしは、自分がしていることを間違いだとは思わない。愛する人と共に生きたいと願うことも、幸せを追い求めることも。
――わたしがそれを恥じたら、わたしを愛してわたしの幸せを願ってくれるルリの気持ちをも恥じることになる。そんなことはしたくないから。
ユトも視線をそらさないので、無言で見つめあったままになる。でも少しして、横から声がかかった。
「シア」
わたしはユトからセゼ兄様に視線を動かした。セゼ兄様は、椅子に座り直した父様の斜め後ろに立っている。
「何? セゼ兄様」
「おまえは、俺たちが何を言っても、考えを変える気はないんだな?」
「ないわ」
セゼ兄様は、はあ、と息を吐いた。
「じゃあ、これからどうするんだ。家族を捨てて、一族を捨てて、里を出ていくのか?」
「里は出ていくつもりよ。クラディムで……ルリの傍で暮らすわ。でも家族や一族を捨てるつもりはない。セゼ兄様たちにその気があるなら、手紙でのやりとりは続けたいし、わたしとルリの結婚式にだって出てほしい」
「そんなもの、誰が出るか」
父様が、怒りが収まらない、といった口調で吐き捨てたけど、わたしはそれを無視した。
「それに、一族の務めも放棄する気はないわ。指示してもらえれば、使命を果たすために各地を旅して回るつもりよ」
わたしは、ルリと結婚したいだけで、一族の使命を拒否するつもりはない。一族の使命は崇高なものだと思っているし、その使命を果たすことは今でもわたしにとって大事なこと。だからこれからも続けたい。これは、ルリにも了解してもらっている。
「そんな中途半端で自分勝手なことが許されると思っているのか」
父様が苛々と指でテーブルを叩く。
「それは里長様が決めることだわ。一族の使命を果たせる人間の数が減らずに済むのだから、里長様だって、わたしの提案を拒否することはなさらないと思うけれど」
母様が、がばっと顔を上げた。その顔は予想どおり涙に濡れていて、胸が突き刺されたように痛んだ。
「里を出ていくことを里長様にお話しするつもりなの? そんなことをしたら、他の人たちにも知られてしまうわ。ただでさえジドのことで皆に白い目で見られているのに、あなたまで子どもを作らないために里を出ていったりしたら、何を言われるか……。家族のために、考え直してちょうだい。お願いよ」
母様の涙ながらの懇願に、わたしは唇を噛みしめた。
「ごめんなさい、母様。わたしの決心は変わらないわ」
決意は揺らいでいないけれど、拒絶の言葉をはっきり口にするのは心苦しい。
「そんな……シア……」
母様の顔が絶望の色に染まる。わたしはその目を見つめて、口を開いた。
「里の人たちからどんな扱いを受けるかがそんなに怖いなら、母様たちもわたしと一緒に里を出ない?」
母様が、ぽかんと口を開ける。
「皆で一緒にクラディムで暮らしましょうよ。今言ったとおり、里の外で暮らしていても一族の使命を果たすことはできるわ。一族を裏切ることにはならないはずよ」
「そんなことができるか!」
怒鳴った父様を、わたしは見据えた。
「なぜできないの?」
父様の返事はすぐには返ってこなかった。答えを探すように視線をさまよわせた父様は、一度ぐっと唇を引きしめて、口を開く。
「一族の者は里で一族の他の者たちと暮らすものだ。そう決まってる」
「その理由は何? なぜ里の外で暮らしてはいけないの?」
「里で暮らさなければ、子どもに〈神々の愛し児〉としてのちゃんとした教育を受けさせられんだろう」
「父様と母様が教えてあげればいいじゃない。セゼ兄様が一緒に来てくれるなら、もっといいわ。セゼ兄様は教師だもの。ユトとザジに充分な教育を施せるはずよ」
「そういうわけには行かん。里の外で一族外の人間に囲まれながら育ったんでは、真っ当な〈神々の愛し児〉としての意識が身につかん」
わたしは目を細めた。
「真っ当な〈神々の愛し児〉としての意識を身につける、というのは、一族外の人間を見下して自分たちは選ばれた特別な存在だと悦に入る、ということ?」
「何だその言い草は!」
父様が拳でテーブルを叩く。
「だってそういうことでしょう? わたしたち〈神々の愛し児〉は一族でない人間を下に見て、自分たちと他の人たちは違うと思っているわ。父様は、それが〈神々の愛し児〉の正しいあり方だと思っているの? ユトやザジにもその優越感を持ったまま育ってほしいの?」
父様が怒りに燃える目で睨みつけてくる。
「俺たちが特別な力を持つ特別な存在なのは事実だ」
「違うわ。特別な力を持ってはいても、特別な……他の人たちより上の存在だなんてことは決してないわ」
父様は舌打ちした。
「話にならん。……そんなに普通の人間が好きなら、もう知らねえ。好きにしろ。普通の人間の町で普通の人間たちと馴れあいながら暮らせばいい」
「ええ。そのつもりよ」
父様はわたしを睨んだまま立ち上がった。
「なら出ていけ。おまえなんざもう娘でも何でもねえ。俺の家に泊めてやる義理はねえ」
くるりと背を向けて居間を出ていってしまった父様を見送って、わたしは母様に視線を移した。
「母様。父様はああ言ったけれど、母様はどう思うの? クラディムに引っ越すって話」
母様は力なく首を振る。
「無理よ……里を出て外で暮らすなんて、そんなの絶対無理……」
「どうして? この里みたいな場所ばかりじゃないわ。よそ者を嫌わずに温かく迎え入れてくれる町だってあるのよ」
「あなたはわかっていないのよ、シア。ユグザの言うとおり、わたしたちは外の人間とは違うわ。一族外の人には言えないこともたくさんある。秘密を抱えたまま暮らすのは、あなたが思っているより大変なことよ。いつだって気を張っていなければならないんですもの」
「大変なのはわかっているわ。わたしはこの半年里の外で暮らしてきたのよ。でも、その苦労をするだけの価値があるわ。罪人の家族だって目で見られずに済む、人の目や話し声に一々怯えながら暮らさなくて済むのよ。せめて試してみる価値はあると思わない?」
それでも母様は首を振った。
「わたしには無理よ。一度里を出ていけば、戻ってきたくなっても戻ることを許してもらえないかもしれない。そんなことになったら、どこにも行き場がなくなる。それが怖くて、とても出ていけないわ……」
「でも、母様――」
「その辺にしとけよ、シア」
言葉を遮られて、わたしはセゼ兄様の方を見た。セゼ兄様は、わたしをたしなめるように首を振る。
「おふくろは衝撃を受けて動揺してる。大きな決断を下すべき精神状態じゃない。説得したいなら、おふくろが落ち着くまで待ってからやれ」
「……わかったわ」
セゼ兄様は正しい。母様はこの短い間でいくつも年を取ってしまったかのようにさえ見える。それくらい憔悴している。
「おふくろ、もう休めよ。ザジの面倒は俺が見るから」
ザジの肩を抱き寄せたセゼ兄様に促されて、母様はうなずいた。立ち上がり、ふらふらと居間を出ていく。
「シア、おまえはどこで寝るんだ。うちに来るか?」
わたしは少し考えてから、首を振った。
「やめておくわ。セゼ兄様は中立の立場を崩さない方がいいでしょう。レティおば様とヨルダおじ様の家にお世話になることにする」
「そうか。わかった」
わたしは居間から出るために歩き始めて、だけど方向を変えてセゼ兄様の方に行った。床に膝をつく。
「ザジ、怖がらせてごめんね。わたしは家を出ていくけれど、そうね……明後日にはまた来るから、その時ちゃんと話をしましょう」
セゼ兄様の腰に抱きついて顔を隠しているザジの頭をなでて、立ち上がる。それからユトの方を見た。
「ユトは、何かわたしに言いたいことがある? 何でも聞くわよ。文句でも、質問でも」
ユトはちょっと迷うように視線をさまよわせてから、首を振った。
「……今は考えがまとまらない」
「そう。それじゃあ、また明後日にね。母様にも、わたしは明後日また来るって伝えておいて」
わたしは自室に戻ると寝台に座った。どっと疲れた気分。覚悟はしていたけれど、家族に面と向かって否定されたり反対されるのは、やっぱりしんどかった。
ため息をついて、寝台の脇に置いてある背負い袋のポケットからルリの写真を取り出す。笑顔のルリを眺めていると、疲れや胸の痛みが引いていくような気がする。
ああ、ルリに会いたいわ。会って抱きしめて、口づけたい。
こんなにルリが恋しいのは、わたしの心の半分をルリの元に置いてきてしまったからだと思う。わたしの胸に残っている半分の心が、片割れと一つに戻りたくて、片割れを求めてやまないから。
しばらくの間、次々と頭に浮かんでくるルリとの思い出に浸っていたけれど、いつまでもそうしてはいられない。
気合いを入れて立ち上がると、荷物をまとめた。クラディムに持って帰りたい物は全て背負い袋の中に入れる。置いていって、わたしがいない間に処分されたら嫌だもの。さっきの父様の剣幕じゃやりかねないし。
そしてわたしは家を出て、レティおば様とヨルダおじ様の家に向かった。
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