第二十七章 遺族訪問(1)
翌朝シアが退院すると、あたしとシアは家に戻ってお風呂屋に行って身支度を整えてから、午後町長さんの家に向かった。お師匠は儀式で亡くなった人たちの家を知っているかわからなかったし、町長さんには他にも用事があったからだ。
町長さんは、忙しいだろうに、すぐに時間を空けてくれた。亡くなった人たちの遺族にお悔やみを言いに行きたいというあたしたちの話を聞いて、亡くなった人たちの家や家族構成を教えてくれる。
礼を言ってから、あたしはもう一つの用件を口にした。大金貨の入った布袋をテーブルに置く。
「それと、こちらなんですが、魔術師一族との取引で手に入れたお金です。大金貨が約二百枚入っています。こちらを、町長さんから儀式で亡くなった遺族の方々に配っていただきたいんです」
ヨムカム家から貰ったお金だ。コーラウスの〈エスティオス宝飾店〉に仲介料を払うのに使った以外は全く手をつけていない。これから先使う当てもないし、それならこう使うのが一番いいだろう。シアも賛同してくれた。
町長さんは信じられない物を見るような顔で布袋の中をのぞき、それからあたしに視線を戻した。
「こんなに大量の大金貨は初めて見たよ。本当にいいのかい?」
「はい。あたしたちは特に大金を必要としてませんから。儀式で家族を亡くして生活に困る人たちもいると思うんです。その助けになれれば、と思って」
「そういうことならありがたく貰っておくが……儀式で死んだ者たちの遺族だけが大金を受け取るとなると、不公平感を抱く者も出てくるだろう。魔獣の襲撃で死んだ者たちの遺族や、怪我をしたり財産を失った者たちにも配っていいかね?」
「あ、そうですね。そこまで思いつきませんでした。町長さんが一番いいと思うように使ってください」
「そこまで私を信頼してくれるのはありがたいが、責任重大だね」
町長さんは笑って言ってから、真剣な顔になった。
「ルチルさん、この町のために命がけで瘴気の浄化を行ってくれたこと、改めて感謝します。あなたの命が助かって、本当に良かった」
「わたしの方こそ、瘴気の浄化に協力してくださったこの町の皆さんに感謝しています。犠牲者が出てしまったことは本当に残念ですが……」
「私を始めこの町の住民たちが、自分たちの町を護るために選択し決断した結果です。あなたが気に病まれることはありません」
町長さんはきっぱりと言いきる。シアは眉を下げた。
「そう言っていただけると少し気が楽になりますが……儀式で亡くなった方々の死は、やはりわたしにも責任がありますから……」
「それでも、あなたがこの町を救ってくださったことに変わりはありません。今日これから何を言われようと、それを忘れないでください」
シアを力づけるようにそう言った町長さんは、仕事があるから、と席を立った。
あたしとシアは、町長さんの家を出て、一番近い遺族の家に向かった。
ちなみにラピスはいない。遺族の人たちがあたしやシアを見てどんな反応をするかわからないから、ラピスは連れていかない方がいいだろう、ということで、今日もレティ母様に頼んできてる。
しばらく歩いて、鍛冶屋の工房の前で足を止めた。
ここが、染織職人だったアレアナさんという三十過ぎの女性の家だ。遺族は鍛冶職人である夫と、別の家に住んでいる両親、きょうだいが数人。
工房の扉には『準備中』という札がかかっていたので、工房の隣にくっついている家の方の扉を叩く。二十歳くらいの女性が出てきた。
「こんにちは。魔術師のリューリアです」
「ルチルカルツ・シアです。わたしたちは、先日行われた瘴気の浄化の儀式の責任者でした」
「アレアナさんのご家族にお会いしたいのですが、あなたは……」
「あたしはアレアナの妹です。ちょうど義兄の様子を見に来ていて……とりあえず中へどうぞ」
居間に通されて、お茶とお茶請けのミジュラを出される。
「義兄は工房にこもっているので、今呼んできますね。ちょっと待っていてください」
そう言って廊下の奥に姿を消した女性は、しばらくして三十代半ばくらいの男性を連れて戻ってきた。二人は並んであたしとシアの向かい側に座る。
むすっとした顔のまま黙っている男性をちらっと窺って、女性が口を開いた。
「それで、本日はどのようなご用件でしょうか」
「アレアナさんのことで、お悔やみを言わせていただきたくて、お邪魔しました。アレアナさんの死は本当に残念でした」
シアに続いて、あたしも口を開く。
「アレアナさんが命がけで儀式に参加してくださったことに、心から感謝いたします。アレアナさんのおかげでこの町を護れました。ありがとうございます」
男性は、あたしたちの言葉を聞きながら、何かに耐えるような顔をしていた。
あたしたちが口を閉じると、しばし沈黙が落ちて、それから男性がぼそりと言った。
「用がそれだけなら、俺は工房へ戻る」
立ち上がった男性に、女性が慌てたように声をかける。
「義兄さん、せっかく来てくださったのに、そんな……」
「悪いが、魔術師の嬢ちゃんたち、今はあんたたちの顔は見たくねえんだ」
アレアナさんの旦那さんは頑なにこちらに背を向けたまま言う。
「あんたたちが悪いわけじゃねえのはわかってる。けど……そんな割りきれねえんだよ」
あたしは黙って男性を見送った。これ以上言葉をかけても男性を傷つけるだけだと思ったからだ。シアも同様に考えたんだろう、やっぱり黙っていた。
男性の姿が視界から消えると、あたしは残っている女性に目を向けた。女性は困ったように眉尻を下げている。
「すみません。義兄はあなたたちを責めるつもりではないんです。ただ今は、まだ悲しくて……感情の持っていきどころを見つけられずにいるんだと思います」
「わかります。わたしたちは大丈夫です。あなたも、お姉様を亡くしておつらいでしょうに、わたしたちの相手をしてくださって、ありがとうございます」
「いえ、そんな」
「あの、これをどうぞ。大した物ではありませんが」
あたしは脇に置いていた籠の一つを差し出した。途中で買ってきた果物が色々入っている。女性は籠を受け取って、微笑んだ。
「どうもありがとうございます。姉が亡くなってから、義兄は食が進まないようなので、果物はありがたいです」
「それは良かったです。――それでは、私たちはこれで失礼します」
あまり長居するのも迷惑だろうしさっさとお暇しよう、と立ち上がると、女性がちょっと慌てたように声をかけてきた。
「あの……最後に一ついいでしょうか」
「はい、何でしょう?」
女性は真剣な顔であたしとシアを見つめた。
「あなたたちの行った儀式で、この町は救われました。そのことを、どうか誇ってください。そうすれば、死んだ姉も自分の貢献を誇れるはずですから」
「……はい。ありがとうございます」
あたしたちを責めない女性の強さに心から感謝する。
アレアナさんの家を出て次の家に向かいながら、シアがぽつりと言った。
「まさか誇ってほしいなんて言ってもらえるとは、思わなかったわ」
「うん。ありがたいよね」
アレアナさんの妹さんの言葉で、少し気が楽になった。罪悪感が完全に消えたわけじゃないけど、あんな風に思ってくれる人もいるんだって事実に、救われる。
しばらく歩いて、陶器工房の職人だったフィエムという四十代半ばの男性の家に着いた。遺族は両親と妻、息子夫婦。他にも成人して家を出ている子どもが何人かいるらしい。
古びた家の扉を叩くと、杖をついた年配の男性が出てきた。フィエムさんの父親だそうで、あたしたちを招き入れてくれた。
あたしとシアのお悔やみの言葉を、男性は厳めしい顔のまま表情を変えずに聞いていた。そして低い声で言う。
「あれは自警団の一員として町を護る役目を果たしただけだ。礼には及ばん」
「それでも、感謝しています。あの、これはせめてもの気持ちです」
果物の入った籠をテーブルの上に置くと、男性はうなずいた。
「ありがたく頂戴す――」
「そんな物を貰って何になるの?」
細い声が男性の言葉を遮った。声のした方に顔を向けると、奥の部屋につながっているだろう入口に年配の女性が立っていた。寝巻一枚しか着ていなくて、その顔はげっそりとやつれている。
男性が眉をひそめた。
「おまえ、そんな姿で客人の前に出てくるんじゃない」
女性は男性の声が聞こえなかったかのように続ける。
「そんな物貰ったってあの子は帰ってこないわ。何を貰ったって、何をしたって帰ってこない。あの子は死んでしまったのだもの」
熱に浮かされたかのように喋っていた女性の眼差しが、ふっとあたしの上で止まった。一拍置いて、生気のなかった目がかっと見開かれる。
「あんた……あんたは魔術師ね」
「そうです。魔術師のリューリアといいます」
女性が、それまでの消え入りそうな様子からは予想できない速さでつかつかと歩み寄ってくる。あたしは反射的に立ち上がって、女性に相対していた。
腕をぎゅっとつかまれる。その力も、やせた体のどこから出ているのかと思うほど強かった。
「あんたが、あの魔術の儀式を行うよう提案したんでしょう。そのせいで息子は死んだのよ!」
あたしは目を伏せた。覚悟はしていても、はっきり言われると胸を突き刺されたような気分になる。
「……息子さんのことは、本当に残念でした。心からお悔やみを申し上げます」
「あんたからの言葉なんて欲しくないわ! あんたのせいであたしのたった一人の息子は……あの子は……」
息を乱しながら言い募る女性の肩を、男性がつかんだ。
「やめんか。みっともない。フィエムは自分の意思で儀式に参加したんだ。この人らを責めるんじゃない」
女性の顔が怒りで歪む。爛々と輝く目が、男性の方に向けられた。
「あの子が儀式に参加したのは自分の意思なんかじゃないわ! あなたがあの子を無理やり参加させたんじゃない! あの子は参加するのを嫌がってたわ! それなのに、自警団の一員なのに臆病風に吹かれて参加を拒んだら他の人たちに面子が立たない、って、あなたが……あなたが……」
女性は、糸が切れたように床にくずおれた。
「いいえ……あたしだって同罪よ。儀式に参加しなきゃ他の人たちに白い目で見られるから、村八分にされるかもしれないから、ってあの子に参加してくれるよう頼んだわ。でも、でも、まさか本当に死ぬなんて思わなかったのよ……。返して……あの子を返して……お願いよ……」
細い肩を震わせて泣き崩れる女性を、あたしは言葉もなく見下ろしていた。
男性が、疲れたように大きく息を吐く。
「家内が見苦しいところを見せてすまない。悪いが、もう帰ってもらえんだろうか。あんたたちがいると、家内がいつまでも落ち着かん」
「……はい。失礼します」
声を出せないあたしのかわりにシアが答えた。あたしはシアに手を引かれるままに歩いて、フィエムさんの家を出た。
しばらく歩いたところで、シアが口を開いた。
「自分の意思に反して儀式への参加を強制される人をなくすために努力したつもりだけれど……完全に防ぐのは無理だったみたいね。残念だわ」
「そうだね……」
あたしはシアの手をぎゅっと握った。シアだって、フィエムさんのお母さんの言葉に傷ついているだろう。シアの方があたしより傷ついているかもしれない。シアは元々、一般人を瘴気の浄化に協力させることにすごく抵抗があったんだから。
「シア……大丈夫?」
シアの顔をじっと見つめながら問いかけると、シアは、ふう、と息を吐いてあたしの方を見た。
「覚悟はしていたけれど、やっぱりしんどいわ。でも……思っていたよりは大丈夫みたい。きっとルリが一緒にいてくれるからよ」
「あたしも……シアが一緒にいてくれて良かった」
「これが、二人で一緒に重荷を背負うってことなのね」
シアがあたしを抱き寄せる。あたしもシアを抱きしめ返した。道端だけど、気にしない。今はこうしていることがあたしにもシアにも必要だから。
しばらくそうやって抱きあっていたけど、やがてシアが離れた。
「最後の家に行きましょうか。それとも、ちょっと休みを入れる?」
「ううん。時間を置いたら、覚悟が鈍っちゃいそう。その前に行きたい」
「そうね。じゃあ、そうしましょう」
最後の目的地は、安くて狭いと評判の集合住宅の二階だった。
「ここだね。大工のレントゥさんの家」
レントゥさんは二十代後半の男性で、遺族は妻と幼い子ども二人だそうだ。
扉を叩くと、二十代後半くらいの女性が出てきた。この人がレントゥさんの奥さんだろう。名乗ると招き入れられて、居間に通される。
双子と思しき三、四歳くらいの女の子と男の子が、台所の方から居間をのぞいている。本人たちはこっそりのぞいているつもりみたいだけど、バレバレだ。
あたしと目が合った子どもたちは、ぱっと顔を引っ込めてしまう。でもすぐに、またおずおずと顔をのぞかせる。その様がかわいくて思わず微笑んでしまうけど、この子たちは父親を失ったばかりなんだと思うと、胸が軋んだ。
お茶の準備を終えた女性が、あたしとシアの向かい側に座る。あたしとシアはお悔やみの言葉を述べた。
あたしたちの言葉の途中でうつむいてしまった女性は、あたしたちが口を閉じた後、少しの間を空けて、ふううっと息を吐いた。そしてさっと目元をぬぐってから、顔を上げる。
今ぬぐったばかりだというのに、女性の目にはすでに新しい涙が浮かんでいた。それでも女性は気丈に微笑む。
「夫は……自警団の一員であることを、本当に誇りに思っていました。だから、町を護るために死ねて本望だったと思います。感謝の言葉を頂けて、きっと喜んでいるでしょう。わざわざ訪ねてきてくださって、ありがとうございます」
「いえ、このくらい当然です」
シアが答える。あたしは最後の果物籠を差し出した。この籠には、果物以外に布包みも入っている。
「あの、これ、どうぞ。あ、こっちの布包みは揚げパンです。幼いお子さんがいると伺ったので。どうぞお子さんたちに差し上げてください」
女性の笑みが少しやわらかくなる。
「お気づかいをどうもありがとうございます。子どもたちが喜びます」
それで話を切り上げて、あたしとシアは暇乞いをして立ち上がった。また物陰からこっちを窺っている子どもたちの女の子の方が、小さく手を振ってくれる。あたしは胸がつまるのをこらえて、何とか笑顔を作って手を振り返した。
レントゥさんの家から出ると、何となくため息がもれた。シアがあたしの手を握ってくれる。あたしは無言でその手を握り返した。




