第二十六章 儀式を終えて(2)
レティ母様とヨルダ父様がラピスを連れて歩いてくる。シアが起きていることに気づいたようで、その顔は安堵と喜びにあふれている。
「ルチルさん、起きてる!」
ラピスが大きな声を上げて、走ってくる。
「こら、ラピス。大声出したり走ったりしないの」
あたしの小言が聞こえていない様子で、ラピスはまっしぐらにシアの枕元に駆け寄ると、シアに飛びつくように抱きついた。危うく麦粥の椀を引っくり返すところだったけど、ラピスの行動を読んでいたのか、ぎりぎりでシアが風魔法で椀を浮かせたから何事もなく済んだ。
「ルチルさん、良かったー! 俺すっごく心配したんだ!」
「心配かけてごめんね、ラピスくん」
シアは微笑みながら、ラピスの頭をなでる。ラピスは、ぐりぐりと頭をシアに押しつけた。
「本当に、目が覚めて良かったよ、シア」
「そうね。安心したわ。それにしても、あなたってば、あんな無茶をやって……」
レティ母様が眉を吊り上げて、シアの頭を小突いた。シアは、子どもみたいに肩をすくめた。
「ごめんなさい。ルリにも叱られたわ。次からはもっと気をつけます」
「わかってるならいいけど、まったくもう。寿命が縮んだわよ」
「まあまあ、レティ。説教は程々にね。シアは目を覚ましたばっかりなんだから」
ヨルダ父様になだめられて、レティ母様は不承不承といった顔で口を閉じた。
レティ母様とヨルダ父様は、自分たちとラピスの分も夕食を買ってきていたので、部屋の中にある椅子を集めてシアの寝台の周りに並べ、皆で食事にする。食前の祈りも、略式ではなく正式にする。
他愛ない話をしながら夕食を食べていると、シアが何かを思い出したような顔になった。
「そういえば、レティおば様、ヨルダおじ様、わたし瘴気の浄化を中断してしまったのよね。瘴気がまとわりついたままの宝石を落としてしまった気がするのだけれど、あれ、どうなったかわかる?」
「ああ、大丈夫。ちゃんと宝石を回収して瘴気も浄化しておいたよ。心配ない」
「そう。良かった」
シアがほっと胸をなで下ろして、麦粥を一匙口に含む。
「ヨルダ父様、いつの間にそんなことしてたの?」
あたしが尋ねると、ヨルダ父様は苦笑した。
「シアが倒れたって気づいてすぐだよ。おまえは泣きじゃくっていたから、気づかなかったんだろう」
自分の醜態を思い出して、あたしは赤面した。
「う……だって、あの時はシアが死んじゃうかもってそれしか考えられなくて……でもあたし、一応儀式の責任者の一人だったのに、その立場すっかり投げ出していたよね。みんな呆れたかなあ……」
「そんなことはないさ。大切な人が死にかけていたんだ。無理もない、って皆わかってくれるさ」
「そうよ。それにそのことで皆からの信頼を失ってしまったって思うなら、名誉挽回できるようにこれからまたがんばればいいのよ」
ヨルダ父様に続いてレティ母様も励ましてくれる。あたしは微笑んで二人を見た。
「うん、そうだね。ありがと」
それから、思いついたことを口にする。
「儀式の後始末っていうか、倒れた人たちへの対処とかも、全部お師匠やレティ母様たちに任せちゃったもんね。あたしは町の魔術師なんだから、本当はあたしもやらなきゃいけなかったのに。あたしの分まで動いてくれたりしたんでしょ? そのことも、ありがとう」
「いいのよ。家族なんだから、他人行儀なこと言わないの」
「そうそう。娘の役に立てて嬉しいよ」
あたしは、二人の言葉が嬉しくて、えへへ、と笑った。そこに、シアが声をかけてきた。
「そういえば、ルリ。訊きたいことがあるのだけれど、儀式で亡くなってしまった人たちの身元って把握している?」
「えーと、名前はかろうじて。それ以上詳しくは、お師匠か町長さんに訊かないとわからないや」
シアのことで頭がいっぱいで、周囲のことにはほとんど気を配ってなかったからなあ。
「シアは知りたいの?」
「ええ。遺族の方たちに、お悔やみを言いに行きたいの」
言ってから、シアはちょっと不安そうな顔になった。
「でも、それってかえって遺族の方たちを傷つけることになるかしら。レティおば様とヨルダおじ様はどう思う?」
レティ母様とヨルダ父様はちらりと視線を交わした。
「シアが行きたいなら、行っても大丈夫だと思うよ」
「ただ、歓迎されない可能性もあるって、覚悟しておいた方がいいと思うわ。もしかしたら、責められるかもしれない」
シアは神妙な顔でうなずいた。
「わかってるわ。それでも、行きたいの」
「じゃ、じゃあ、あたしも一緒に行く!」
あたしは、勢い込んで身を乗り出した。
「そもそも大勢での浄化の儀式をやりたいって言い出したのはあたしだし、あたしが一番責任があるもん。あたしも行って、ちゃんとお悔やみを言いたい」
シアが、あたしを見てほのかに笑った。
「半分ずつ、ね?」
「え? ああ、うん、そう。半分ずつ、一緒に」
「ええ。一緒に行きましょう」
あたしはシアと視線を合わせて、うなずきあった。そう、どんな言葉を投げつけられても、どんなに激しく責め立てられても、二人一緒ならきっと耐えられる。
食事を終えると、レティ母様とヨルダ父様、ラピスは帰っていった。ラピスはまだシアと一緒にいたがったけど、シアは目を覚ましたばかりだから、となだめて帰ってもらった。
シアは瘴気の浄化を助ける薬を飲んで、寝台に横になった。
あたしは、シアの枕元に置かれている手燭を見た。食事中に日が沈んで暗くなったのでつけた火が輝いている。
「シア、蝋燭の火消す? 部屋が明るいと寝づらいでしょ」
「でも、そうしたらルリが困るでしょう?」
「あたしは、リーナス先生たちの手伝いに行ってくるよ。食事の準備や片づけとか洗濯とか、しなきゃいけないことは色々あるから、人手があって困ることはないだろうし」
シアが眠っていた二日間、あたしもこの診療所でお世話になったしね。シアが起きた今、ちょっとは恩返ししないと。
「そう……」
シアは何か言いたげな顔をしたけど、結局何も言わずに口を閉じた。その瞳が何だかさびしそうに見えて、あたしは反射的に口を開いていた。
「あ、でも、やっぱりシアが寝つくまではここにいてもいい?」
その言葉は正解だったみたいで、シアの顔がふっと緩む。
「いいの?」
「うん。シアの傍にいたいし」
あたしは上掛けの上に置かれているシアの手を取った。
シア、あたしに傍にいてほしかったのかな。だったらそう言ってくれればいいのに、って思うけど、シア、人に甘えるのあんまりうまくなさそうだもんなあ。子どもの頃からそういうところはあったし、ジドさんのことがあって余計にそうなったのかも。
いずれは、シアが素直にあたしに甘えてくれるような、そんな関係になれたらいいな。シアが、甘えても大丈夫だ、って思えるような人にならないとね。
あたしが決意を固めていると、シアが照れくさそうに笑った。
「何だか新鮮だわ」
「え? ああ、そうかも。一緒に寝たことは何度もあるけど、シアが寝るのをあたしが見守ってたことなんて、ちょっと思い出せないや。逆なら、何度かあったけどね」
「そうね。ルリが熱を出したりして、わたしがお見舞いに行った時ね」
「うん。シアが来てくれると、早く元気になりたい、って強く思えて、苦い薬を飲むのもがんばっちゃったんだよね」
「そうだったわね。それでレティおば様やヨルダおじ様に感謝されたわ」
ちょっと口を閉じたシアが、秘密を打ち明けるような口調で再び話し出す。
「ねえ、ルリ、知ってた? わたし、あの頃からあなたのこと好きだったのよ」
あたしは思わず目を見開いた。
「え、ほんとに?」
「ええ。自覚はなかったけれどね。だから他の子たちと遊ばずにルリとばかり一緒にいたんだと思うの。自覚したのは……ルリがクラディムに帰ってしまってしばらくしてからかしら。ルリがいないのがさびしくて、手紙が来ると嬉しくて、次の手紙が待ち遠しくて、ルリのことが恋しくてたまらなくて、これが恋なのかな、って思ったのよ」
「そう、だったんだ……」
そんな昔から好きでいてくれたなんて、全然思いもしなかった。
「でも、自分は将来男性と結婚して子どもを作るものだと思っていたから、何か行動を起こす気も、気持ちを伝える気もなかったわ」
シアは、独白するように続ける。
「クラディムに来たのは、結婚する前にルリに会える最後の機会だろうと思ったからよ。どうしてもルリに会いたかったの。そしたら、ルリってばすごくかわいくなってるんだもの。ドキドキしてどうしようかと思ったわ」
「そ、それはあたしの台詞だよ。シアってばこの五年ですっごく美人になってて、あたしドキドキしすぎてうまく口もきけないし、シアの顔もまともに見られなかったんだから」
「あ、やっぱりそういう理由だったのね」シアが嬉しそうに言う。「そうだったらいいなあって思っていたの。ルリがわたしのこと意識してくれているんだったら嬉しいな、って」
「あたしも同じこと思ってた」
「おそろいだったのね」
「うん。……あのさ、シア、あたしに気持ちを伝える気はなかった、って言ったよね」
「ええ。そうだけれど?」
「でも、結局はあたしに告白してくれたじゃない。あれは……自分が死ぬと思ったから?」
シアが真面目な顔になって、あたしを見つめる。あたしも見つめ返した。
「……そうよ。この瘴気を浄化したらわたしは多分死ぬ、と思って、そうしたら、死ぬ前にせめてあなたに気持ちを伝えたい、って強く思ったの」
「つまり、自分には未来がないと思ったから心置きなくあたしに告白できた、ってことだよね」
「そうなるわね」
「……でも今は違うよね?」
あたしはシアの手を強く握った。
「今は、あたしとの未来を望んでくれてるんだよね?」
シアがあたしの手を握り返す。
「ええ。心から望んでいるわ」
その言葉に、ほっと体から力が抜ける。……安心したら、シアにもっと触れたくなった。
あたしは身を乗り出して、シアに顔を近づけた。シアはすぐにあたしの意図を悟ったようで、目を閉じた。
その反応が嬉しくて、鼓動が一層速くなる。
二度目に触れたシアの唇はやっぱりやわらかかった。そのやわらかさに陶酔する。
なるべく長く触れていたかったけど、呼吸が苦しくなってきたので、諦めて離れた。息を整えながらも、未練がましくシアの薄紅色の唇を見つめてしまう。
シアが目を開けて、微笑んだ。
「またルリと触れあえて、すごく嬉しいわ。生きていて、助かって良かった、って心から思う」
「うん。あたしも」
「これからも、何回も口づけしましょうね。……それ以上も」
「そっ……!?」
シアの爆弾発言に、あたしの頭が一気に沸騰した。いや、あたしだって、もっと深い口づけとか、それ以上とか、したいけど、したいけど……! でも、そんなはっきり言われたらどう反応していいかわからなくなるじゃないー。
硬直しているあたしを見て、シアは、ふふ、と笑った。
「やっぱりルリはかわいいわ」
「……シア、あたしのことからかってる?」
「そんなことないわよ。本当にしたいと思ったから言ったの」
「う……」
あたしは言葉につまってしまった。顔が真っ赤になっているのがわかる。
しばらくの間目をあっちこっちに――とにかくシアの顔以外の場所に――泳がせて、それからようやく口を開いた。
「……シアってば、何でそんなことさらっと言えちゃうの?」
「ルリが思ってるほど簡単に言っているわけじゃないわよ。今だって、顔が熱いわ」
その言葉に、羞恥心をこらえながらシアの顔を見てみると、確かに赤くなっている。といっても、あたしの顔の赤さには及ばないだろうけど。
「……シアも、ああいうこと言ったりやったりするの、ドキドキする……んだよね?」
「もちろんよ。……確かめてみる?」
「へ?」
きょとんとしていると、シアが身を起こした。伸びてきたシアの腕に引き寄せられて、頭を胸に抱えるように抱きしめられる。
「シ、シア?」
「ほら、わたしの心臓がドキドキ鳴っているの、感じられるでしょう?」
そんなこと言われても、シアのやわらかな胸に顔を埋めるようにしている今の状態に、あたしの心臓の方が高鳴りすぎて壊れてしまいそうだ。
でも一生懸命がんばってその高鳴りを無視して、シアの体にくっついている頬と耳に意識を集中させると、何とかシアの鼓動が感じられる。
本当だ。シアの心臓もドキドキ言ってる。それに嬉しくなるけど、同時にちょっともやもやしてきた。
「ルリ? どうしたの? わたしの鼓動、感じ取れない?」
問いかけてくるシアを、あたしは上目づかいに見た。どうしよう。訊きたいけど、聞きたくない気持ちもある。でも気になる。ちょっと怖いけど、やっぱり知りたい。
「……シアもドキドキしてるのはわかったけど、ドキドキしながらでもこんなことできちゃうのは……慣れてるから?」
シアがぱちぱちと瞬く。
「別に慣れてはいないわよ?」
「……ほんとに? ……ま、前に誰かにしてあげたことあるから、とかじゃなくて?」
シアは以前恋人いないって言ってたけど、今いないからってこれまで一人もいなかったとは限らない。ずっとあたしのこと好きだったって言ってくれたけど、あたしが傍にいないさびしさをまぎらわすために誰かとつきあったりとかはしたことあるのかもしれない。
シアが他の誰かと抱きあったり口づけしたりしているのを想像すると、すごく嫌な気持ちになる。やっぱり訊かない方が良かったかなあ。……でも、訊かずにいるとずっと引きずってしまいそうなんだよね。
シアの顔に理解の色が浮かぶ。
「ルリってば、妬いてるの?」
「そ、そうだよ。悪い? だってシアってば美人だし、モテるし、色々経験あったっておかしくないなって……。昔のことだし、責めたいわけじゃないけど、でもやっぱり気になっちゃ――」
あたしの言葉はシアの口に呑み込まれた。今度の口づけは軽いもので、シアの唇はちゅっと音を立ててすぐに離れていく。
かわりのように、シアの額がこつんとあたしの額に当てられた。
「ルリが心配することなんて何もないわ。わたし、これまで恋愛経験なんてないもの。つきあうのも、抱きあうのも、口づけするのも、全部ルリが初めてよ」
「ほ、ほんと?」
「本当よ。わたしが信じられない?」
シアの両手に顔を上向かされた体勢のまま、紫の瞳に至近距離からのぞき込まれて、あたしは首を振った。
「う、ううん。信じる……」
シアが微笑んで、それからちょっと瞳の色を深くした。
「じゃあ、わたしにも教えて。……ルリは、わたし以外の人と、経験ある?」
「な、ないよ!」
あたしは慌てて言った。
シアに嫉妬してもらえるのはちょっと嬉しいけど、誤解されたくないし、不安にもさせたくない。
シアの目がほっとしたようにほころぶ。
「そうなの。じゃあわたしたち、おそろいね」
「う、うん。そうだね」
シアは顔を離して、ふふ、と笑った。
「それって何だかわくわくするわ。そう思わない?」
「そ、そうかな?」
「ええ。だってこれからわたしたち、たくさんの初めてを共有できる、ってことだもの。戸惑うこともあると思うけれど、きっとそれも全部大事な思い出になるわ」
「そう……だね。うん、きっとそうなるよね」
そして、未来がどうなろうと、その思い出は誰にも奪えない。ずっとあたしの胸の中にあり続けるんだ。この世界を去って死者の国に旅立つその時まで。
もちろん、思い出だけでなくシア本人もずっとあたしの傍にいてほしいけど、もしそれがかなわなくても、全部なくなってしまうわけじゃなくて、残るものはある。そう考えると、ほっとする。
とはいえ、シアがあたしの傍からいなくなってしまう時のことを考えてるなんて、シアには知られたくなくて、あたしはわざとらしく声を上げた。
「それはそうと、シア、そろそろ寝なくっちゃだめだよ。リーナス先生にもしっかり休めって言われたでしょ」
シアを寝台に押し倒すようにする。シアは抵抗せず横になった。
「そうね。もう眠るわ。おやすみなさい、ルリ」
シアがあたしの手を握って目を閉じる。
「おやすみ、シア」
シアがあたしの手を握ったのが、甘えてくれているみたいで嬉しくて、口元が緩む。こんなことで喜んじゃうあたしって単純かな? でもまあ、いいや。こういう些細な喜びの積み重ねを、幸せな日々って呼ぶんだって思うから。
あたしはそのまま、シアの呼吸が寝息に変わるまで、穏やかなシアの顔を見つめていた。いくら見つめても飽きない、恋人の顔を。
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