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第二十五章 浄化の儀式(2)

「大地の女神メアノドゥーラ、空の女神セリエンティ、太陽と月の女神エルシャイーラ、光の男神シィルナーゼ、闇の男神ディンキオル。その他あまねく神々よ」


 三人の声が重なって、朗々と響き渡る。


「我ら、死せる神々の遺せし思いを癒さんとする者なり。御身らより賜りし浄化の力を正しく使いし我らが姿、とくと見届けたまえ。世界を護らんがためこの身を捧げんとする我らにどうかご加護を与えたまえ。トゥッカーシャ」


 祈りの言葉を唱え終えると、三人はそれぞれポケットから何かを取り出した。宝石みたいだ。それを両手で握り込み、胸の前で抱きしめるようにする。再び祈りを捧げているかのように目を閉じて、少しすると、握りしめている手の中からぱあっと光があふれ出した。


 けれど、太陽にも負けないようなまぶしいその光は、一転して暗い闇に変わる。そんな風に見えた。


 三人の手が黒いもやに包まれている。魔獣の体にまとわりついていたものと同じだ。やっぱり見るだけで背筋に怖気が走る。


 瘴気が三人の手から胸に吸い込まれるように流れていく。次の瞬間、汚濁があたしを満たした。汚く穢らわしく、昏く濁って淀んだ何か。


 あたしは反射的にそれを押し戻そうとし、だけどかろうじて自分を押しとどめた。


 違う。押し戻すんじゃない。受け入れなきゃ。本能が抗議しているけど、理性でそれを抑えつけて、瘴気を体内に受け入れる。


 三本の魔力の紐から入ってくる瘴気は他の魔力の紐に勝手に流れていくから、その邪魔をしないようにする。瘴気の動きに干渉しようとはせず、なめらかに瘴気が流れるように、自分が空っぽの器になった様を頭に思い描く。あたしはただの中継点。余計なことはしない。考えない。


 ううう、でも気持ち悪いよー。体が内側から穢れていく感覚をぬぐい去れない。ぬめる何かが血のかわりに血管を流れているような気がする。胃の中の物がぐうっとせり上がってくるのを必死でこらえる。


 それは他の人も同じようで、あちこちからうめき声や気持ち悪さを訴える声が上がっている。


 どのくらいそうしていたか、一際大きな声が上がった。


「ねえ、こっちの人が倒れたわよ! 意識がないわ!」


 その声のした方に、すかさずリーナス先生とお弟子さんが駆けていく。途中で倒れた人には、余っている瘴気の浄化を助ける薬を追加で飲ませることになっている。


 お師匠も立ち上がってそちらに向かう。倒れるってことは瘴気の浄化機能が限界を訴えているってことだから、それ以上瘴気を受け入れ続けたら死んでしまう。そうならないよう、魔力の紐を切るためだ。


 その仕事をするために、お師匠には儀式への参加を断念してもらった。魔術師が全員儀式に参加してしまったら、全員が手が離せなかったり倒れたりで、魔力の紐を切れる人が誰もいなくなってしまう状態になりかねない。そうなったら、大勢の死者が出てしまう。


 そんな事態を避けるため、話しあって、一番高齢であるお師匠には魔力の紐を切る作業に専念してもらうことになったんだ。


 お師匠は町の一員として儀式に参加する気満々だったし、「年寄り扱いするんじゃないよ」と文句を言ったりもしたけど、この役目が必要だってことはわかっていたからだろう、大した抵抗もせず受け入れた。


 最初の一人が倒れたらすぐに、あちこちで意識を失う人が出始めた。薬を飲ませる役は誰でもできるから人手が余っているくらいだけど、魔力の紐を切って回るお師匠は大忙しだ。


 お師匠一人で手が足りるか心配になるけど、あたしが下手に動いて意識を失いでもしたら、儀式が失敗してしまう。それじゃ本末転倒だ。あたしはあたしの仕事に集中しなきゃ。


 でも、あたしの仕事って、魔力の紐を保つことだけなんだよね。魔力の紐を保つのは全く難しいことじゃない。一度つないでしまえば、わざわざ意識して保とうとしなくてもそうそう切れることはない。むしろ魔力の紐に余計な干渉をして負荷を与える方が、切れる可能性が高まってしまう。


 というわけで、あたしは気持ち悪さをこらえながらただじっと座っているしかない。何もすることがないっていうのも、結構つらい。


 シアやレティ母様、ヨルダ父様はどうだろう、とそっちに顔を向ける。三人は相変わらず目を閉じて、集中しているようだ。


 待って。シアの顔色悪くない?

 慌ててレティ母様とヨルダ父様の顔を確認するけど、二人には特に気分が悪そうな様子は見られない。でもシアの顔は真っ青だ。


 どうしよう。止めた方がいい? シアが抜けても儀式は続けられる……よね? レティ母様とヨルダ父様が瘴気の転移と制御を続ければ大丈夫……なはず。


 よし、止めよう。


 あたしはそう決意すると、立ち上がった。けど、思っていたより不調だったみたいで、立ち上がりきる前に世界がぐるんと回って、地面にどすんと座り込んでしまった。あいたたた。お尻結構強く打った……。


「リューリアさん、大丈夫か?」


 顔を上げると、ガキ大将のテンリがあたしを見下ろしていた。


「テンリ、あんたも来てたの」


「俺は儀式には参加できないから、せめて手伝いしたくってさ。どっか痛めたのか? あっちに水属性の人いたから、俺呼んで――」


「大丈夫。あたしは大丈夫だから、肩貸して」


 テンリの肩に縋ってゆっくりと立ち上がる。またふらつくけど、テンリの支えがあれば歩けそうだ。


「シアの……ルチルの所に行きたいの。連れてって」


「ルチルさんのとこだな。わかった」


 テンリはあたしの腰をしっかりと抱えるようにして歩き出す。テンリは体が大きいだけじゃなく力も強いから、頼もしい。


 シアの傍まで行くと、あたしはテンリの肩に回していた腕を離して、崩れるように地面に座り込んだ。近くで見ると、シアの顔色は思った以上に悪い。


「ありがと、テンリ。――シア。シア、大丈夫?」


 シアの集中を乱さないように、そっと声をかける。体には触れない。シアが瘴気の制御を誤ったりしたら、何かとんでもないことが起こるかもしれないし。


 何度か名前を呼んだところで、シアが億劫そうに瞼を持ち上げた。


「……ルリ?」


「シア、顔色真っ青だよ。儀式から抜けた方がいいよ」


 シアは頭を振りかけて、やめた。まるで頭を動かすのさえしんどいみたいだ。


「大丈夫、よ。まだ、やれるわ」


 言葉の一音一音が重たすぎて発するのに苦労しているような喋り方だった。


「無理だよ。どう見ても、もう限界じゃない。シアが抜けても儀式は続けられるんでしょ? もうここまでにして」


 だけどシアは頑なに言い張る。


「まだ続けられるわ。やらせて」


「だめだよ。そんな顔で言われても、続けさせられるわけない。魔力の紐、切るからね」


 言って、あたしは目を閉じた。シアとつながっている魔力の紐をたどろうとして、途方に暮れる。自分の体から出ている数百本の魔力の紐の中から、シアにつながる紐を見つけられない。


 えーと、えーと、どうしよう。どうすれば……あ、そうか。あたしの側から切れないなら、シアの側から切ればいいんだ。


 あたしは目を開けて、おそるおそるシアの肩に触れた。幸い触れたことでシアの魔術に影響が出るようなことはないみたいだ。今の状態だと集中力がいるので再び目を閉じて、シアの体に魔力を送り込んで、シアの魔力を生み出す器官につながっている紐を断ち切る。


 これでよし、と。ほっとして目を開ける。


 だけど、目に映ったのは先程までと変わらない光景だった。シアが胸の前で握りしめた両手からは瘴気が生み出されて、シアの胸に吸い込まれていっている。


 え、何で? もう魔力の紐は切ったのに……。


 あたしは、はっとした。


「シア、もしかして自分一人の力で瘴気の浄化を続けてるの? だめだよ。そんなに具合悪そうなのに、瘴気の浄化続けたりしたら、死んじゃうよ……!」


 あたしは我を忘れて、シアの肩を揺さぶった。


「シア、やめて! 瘴気を取り込むのやめて!」


 シアが、うっすらと目を開けた。


「大……丈、夫。あと……少し……だか……」


 シアの言葉が途切れて、頭ががっくりとあたしの肩に落ちる。シアの体があたしにもたれかかってくる。だらりと垂れた手から、瘴気をまとった宝石が地面に落ちた。


「シア……シア!?」


 シアは返事をしない。動かない。最悪の事態が頭をよぎる。


 震える手をシアの口元に押し当てると、かすかな呼吸が感じられた。良かった……シア、生きてる。


 でもこのままじゃ危ないんじゃないだろうか。どうしよう。どうしよう。回復魔法をかける? ううん、それじゃ瘴気には効かないはず。無属性魔力は瘴気に効くっていうから、あたしの魔力を体内に流し込む? そうすれば、シアが体内の瘴気を浄化する助けになるかも。 ……瘴気を浄化する助け? あっ、そうだ!


「テンリ!」


 あたしは、まだ横に立っているテンリを見上げた。


「瘴気の浄化を助ける薬を貰ってきて! お願い、急いで! このままだとシアが死んじゃうかもしれないの!」


「わ、わかった!」


 テンリは急いで走っていった。あたしはシアを抱きしめる。その体は、夏の太陽の下だっていうのに、ひどく冷たかった。


「死なないで。シア、死なないで。お願いです、神様たち、どうかシアを死なせないで」


 あたしは必死に祈りを繰り返しながら、シアの手を温めるようにこすった。効果があるかわからないけど、魔力もシアの体に流し込む。魔力の使いすぎなのか頭がくらくらしてくるけど、そんなこと気にしていられない。

 あたしの体温でいいなら、いくらだって分けてあげる。魔力だって何だってあげる。だからどうか、あたしを置いて逝かないで。


「リューリアさん、薬貰ってきた!」


 テンリが、丸薬とコップを持って駆け戻ってきた。あたしは震える手でシアの体を動かして、薬を飲ませやすい体勢にした。


 テンリから受け取った薬をシアの口に押し込んで、コップの中の液体を流し込む。シアの喉がごくりと動いて、飲んでくれたのがわかった。


「シア……お願い、返事して、シア!」


 何度も呼ぶけど、シアはやっぱり返事をしてくれない。目も開けてくれない。体は相変わらず冷たいままだ。


 シアの名前を呼びながら、あたしはぽろぽろと涙をこぼした。嫌だ。シア、死んじゃ嫌だ。せっかく両想いになれたのに。恋人になれて、口づけまでできたのに。あれが最初で最後だなんて、絶対に嫌だ。


「目を覚ましてよぅ……シアァ……」


 シアに縋りついて子どものように泣いていると、あたしの名前を呼ぶ声が聞こえてきた。


「――リ、ルリ。しっかりしなさい、ルリ!」


 ばしっと背中を叩かれて、あたしは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。レティ母様があたしの横に膝をついている。その後ろにはヨルダ父様もいる。


「レ、レティ母様、ヨルダ父様、どうしよう。シアが、シアが……」


「わかってるわ。ちょっと診せて」


 レティ母様が険しい顔で、シアの額や首筋、胸元に触れていく。そして口を開いた。


「瘴気を大量に取り込みすぎたのね。飽和状態に近いわ。それでシアの体が、瘴気の浄化機能を最大限に働かせるために、他の身体機能をかろうじて生存できるぎりぎりまで抑えているんだわ」


「ど、どういうこと?」


「シアの体は今、全力で瘴気と戦ってるってことよ」


「じゃあ、じゃあシアは助かるの?」


 レティ母様の険しい顔は変わらない。


「わからないわ。シア次第よ」


「そんな……」


 あたしは呆然とシアを見つめた。血の気のない真っ白な顔はまるで死に顔のようで、また涙があふれてくる。


「ルリ」


 落ち着いた声で呼ばれて、頬に布が触れる感触がした。視線を動かすと、ヨルダ父様があたしの頬にハンカチを当てている。あたしの汚れた顔をぬぐいながら、ヨルダ父様は言う。


「気持ちはわかるけど、シアのことは今はどうにもできない。瘴気の浄化を助ける薬はもう飲ませたんだろう?」


 あたしはこくんとうなずいた。


「一つだけ……。もっと飲ませた方がいい?」


「いや。そんなに次々飲ませても効果は変わらない。四、五時間経ってまだ目が覚めなかったら、また飲ませよう。――それじゃあ、今僕たちにできるのは、儀式を終わらせることだ。魔力の紐を切るんだ」


「魔力の……紐……」あたしはぼんやりとその言葉を繰り返した。「もういいの……?」


「ああ。瘴気の浄化は終わったよ」


「わかった……」


 まともに物を考えられない今のあたしには、誰かがやることを指示してくれるのはありがたい。


 あたしは目を閉じて、自分の体から出ている数百本の魔力の紐を一息に切り離した。体がふっと軽くなる。魔力の紐を保つことが結構な負担になっていたんだって、それで初めて気づいた。


 ヨルダ父様が、「タリオンさん、お願いします」と声をかける。応えて、町長さんの声が響いた。


「瘴気の浄化の儀式は無事に完了した。皆、ご苦労だった。動ける者は家に帰ってゆっくり休んでくれ。意識のない者は、診療所に運ぼう」


 集まっている人々の間から「やったぞ!」、「俺たちの力で瘴気の浄化をやり遂げたんだ!」と歓声が上がる。ほとんどの人が疲れた顔をしているけど、そこには誇らしげな色もある。でも今のあたしには、その人たちに共感することはできなかった。


 シアは今もまだ瘴気と戦っていて、もしかしたらこのまま死んでしまうかもしれない。そのことしか考えられない。


 握りしめているシアの手が動いた感触に、あたしははっとシアに視線を戻した。


「シア!?」


 シアの意識が戻ったのかと思ったんだけど、シアの体が風魔法で浮き上がっただけだった。レティ母様が申し訳なさそうな顔で声をかけてくる。


「ごめんね、ルリ。シアを診療所に運びましょう」


「うん……」


 あたしはシアの手を握ったまま、ふらつきながらも立ち上がった。今はこの手を離したくない。シアの手をつかんでいれば、シアの命をここにつなぎ留められるような気がするから。


 それはただの思い込みだってわかっているけど、もしかしたらあたしの手の感触がシアに伝わっていて、それでシアがあたしの元に戻ってこようとがんばってくれているかもしれない。その可能性がちょっとでもある以上、シアの手を握っていたい。


 あたしは無心に足を動かしながら、シアの手を握る手にできる限りの力をこめた。



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