第二十四章 儀式の準備と成人祝い(2)
朝起きるとレザレイリアさんたちが買ってきてくれた朝食を食べて、さっそく薬作りを再開する。昼食を食べ終えて少ししたところで、玄関の方から「失礼しまーす」「コーラとペルルでーす。入りまーす」と声が聞こえてきた。
あたしは作業を中断して、工房から顔を出した。旅装のレティ母様とヨルダ父様がこっちに向かって歩いてくる。
「レティ母様、ヨルダ父様、おかえり。結界の張り直しうまく行った?」
「ええ、特に問題なしよ。そっちは?」
「こっちも順調だよ。追加注文してた薬材も昨日引き取ってきた」
「じゃあ、あとは薬を作るだけだね。僕たちも加わるよ」
「二人とも疲れてないの? 今帰ってきたばかりでしょ?」
「大丈夫よ。多少疲れてはいるけど、邪魔にならないだけの体力と気力は残ってるわ」
「ならいいけど……無理はしないでね」
「ええ。限界が来る前にちゃんと休むから、心配しないで」
「そうだよ。倒れたりはしないから」
レティ母様があたしの頭をくしゃくしゃとなでて、工房に入っていく。ヨルダ父様も、あたしの頭をぽんぽんと叩いて、レティ母様に続いた。
人手が増えたおかげで、薬の完成速度が少し速くなった。目標の半数、四百人分は昨日で超えているし、先が見えてきた感じがする。といっても、まだ数日はかかるだろうけど。
もっと人手を増やせればいいんだけどなあ。実は手助けを申し出てくれた人もいたんだけど、薬を作る工程の全てで無属性魔力を薬材にこめなければいけないので、魔術師以外の人に手伝ってもらうことはできないんだよね。なので、今ここにいる六人でやるしかない。
レザレイリアさんが手伝ってくれるだけ、ありがたいと思わないとね。魔術師一族のお嬢様がこんな地味できつい仕事手伝ってくれないだろう、ってお師匠は言っていたんだけど、レザレイリアさんはちょっと変わっているし、儀式に興味津々だから手を貸してくれるんじゃないか、ってだめ元で頼んでみたら、快く了承してくれたんだ。
レティ母様とヨルダ父様はやっぱり疲れていたみたいで、お風呂屋でさっぱりした後、自分たちの泊まっている宿屋に帰っていった。
あたしとシア、お師匠はいつもどおり夜遅くまで作業してから、眠る。先に眠っているラピスを起こさないように寝具に潜り込むと、あっという間に眠気が襲ってくる。夢も見ずに眠って、気がつけば朝になっている。そんな日々の繰り返しだ。
そして、とうとう薬が全て完成した。薬材を使いきるまで作ったから、最終的には八百個を超えた。
「お、終わった……」
テーブルの上に積み上げられている薬を見つめながら、あたしは達成感と安堵に包まれて、椅子に座り込んだ。
「やりましたね、お師匠、レザレイリアさん」
この喜びを共有したくて、二人に声をかける。今工房にいるのはあたしたち三人だけだ。
シアとレティ母様、ヨルダ父様は、結界の張り直しと瘴気を転移させるための下準備に、三人そろって昨日瘴気の発生地点へ出かけてしまった。
お師匠が肩を叩きながら答えた。
「ああ。結構かかった気がするが……まあ、作った量を考えれば、むしろ早く終わった方かね」
今日は、儀式への協力が町会の会合で採択されてから七日目だ。
「だと思いますよ。これだけの日数で済んだのは、レザレイリアさんが協力してくれたおかげでもあります。ありがとうございます」
「お礼なんてよろしいのよ。知らなかった薬の作り方も学べましたし、わたくしにも利益はありましたから」
レザレイリアさんがにっこりと笑う。額に薬材のかけらがついているのはご愛敬だ。
「一応タリオンの家に行って、儀式の参加希望者が何人になったか訊いてきた方がいいだろうね。八百人を超えていたら、また追加で薬を作らなきゃならない。といっても、たった二日でそう大幅に増えていることもないだろうが」
町長さんには二日前に参加希望者の数を確認していて、その時は六百人ちょっとだった。
あたしとお師匠、レザレイリアさんが一休みしてお茶を飲んでいる間にレザレイリアさんのおつきの女性が訊いてきてくれたところによると、やっぱりそんなに大量には増えていなくて、六百三十人に届かない数だという。
「じゃあ、あとはルチルさんたちが戻ってくるのを待って、いよいよ儀式本番だね。その前に儀式の手順を確認しておきたいんだが、いいかい、レザレイリアさん」
「はい、それでは説明いたしますわね」
レザレイリアさんが淀みない口調で、儀式の手順を説明していく。その情報が載っていた先祖の手記はレザレイリアさんの実家にあって持ってくることはできなかったそうなんだけど、レザレイリアさんはこれまで読んだ本の内容を全て憶えているらしい。すごいよね。
確認が終わって儀式を行う上での詳細についても話しあった後、これ以上やることはないから、と解散となった。あたしとラピスは、一週間ぶりに家に帰った。
「あー、久しぶりの我が家だねー」
「ほんと久しぶりだ! 懐かしいな!」
宿屋の入口から中に入ると、食堂に続く入口から出てきたティスタと鉢合わせた。昼の営業時間が終わって少ししたところだから、後片づけを済ませて家に帰るところだったんだろう。
「リューリア、ラピス、帰ってたんだー。じゃあ、儀式の準備終わったのー?」
「うん、一応ね。もう、薬作り続けてくったくただよ」
「お疲れ様ー。じゃあ、いよいよ儀式、するんだー?」
「明日か明後日にはシア……ルチルたちが戻ってくるはずだから、そしたら行うことになるよ」
「そっかー。うわー、いよいよってなると、緊張するねー。儀式の参加希望者、何人くらい集まったのー?」
「六百二十人ちょっとだって。――ティスタは参加するの?」
「うん。するよー。あたしだって、この町を護りたいもん」
「そっか。ありがとう」
「お礼言われることじゃないよー。町を護るために何かしたい自分のためだもんー」
ティスタは笑いながら手を振って、家に帰っていった。あたしとラピスは、食堂に足を踏み入れる。ラピスが待ちきれない様子で厨房に走っていった。
「母ちゃん、父ちゃん、じいちゃん、ただいまー!」
「ラピス! 帰ってきたのね」
喜びにあふれた義姉さんの声を聞きながら、あたしも厨房に足を踏み入れた。義姉さんが固くラピスを抱きしめている。ラピスも、口には出していなかったけどさびしかったんだろう、甘えるようにふくらんだ義姉さんのおなかに顔をこすりつけていた。
「義姉さん、兄さん、父さん、ただいま」
「よう、リューリアもおかえり。儀式の準備終わったのか?」
「うん。あと二日かそこらで儀式を行うことになると思う。今結界の張り直しに出かけてるシア……ルチルたちが帰ってこないと、具体的な日取りは決められないけどね」
「そうか。準備ご苦労だったな。お疲れさん」
「ありがと。留守にしてばっかりでごめんね。食堂も宿屋も何もなかった? 義姉さんの体調は大丈夫?」
「ああ、平気だ。心配するようなことは何もねえよ」
「なら良かった」
ほっとして笑うと、兄さんが何かを思いついたような顔になった。
「そうだ。おまえは、ルチルさんたちが帰ってくるまで暇ってことか?」
「そうなるね。何かあたしにしてほしいことあるの?」
「いや、おまえの誕生日兼成人の祝い、先延ばしになってただろ。ちょうど明日は食堂が休みの日だから、明日どうだ?」
「あたしは構わないよ」
「なら、決まりだな。俺と親父でうまい物たっぷり作ってやるから、楽しみにしとけ。なあ、親父?」
「……ああ。大事な祝いの席だからな」
相変わらず父さんの機嫌は良くないようだけど、兄さんは気にしていない様子で声をかけ、父さんはむすっとしながらもそう答えた。
「うん、楽しみにしてる」
父さんに微笑みかけてから、あたしは義姉さんに声をかけた。
「義姉さん、洗い物はあたしがかわるから、ラピスと一緒にいてあげて。ラピス、久しぶりだから義姉さんに構ってほしいだろうし」
するとラピスが心外そうな顔で振り向いた。
「俺別に、母ちゃんに構ってもらえなくても平気だぞ。もう赤んぼじゃないんだから!」
言ってから、ちょっと窺うように義姉さんを見る。
「でも……母ちゃんが俺といたいって言うなら、一緒にいてあげてもいいけどさ」
義姉さんは笑いながらラピスの頭をぐりぐりとなでた。
「そうね。じゃあ、一緒にいてちょうだい。――リューリア、洗い物頼むわね。ありがと」
「気にしないで。義姉さんには負担かけてるから、これくらいお安い御用だよ」
手をつないで食堂に出ていくラピスと義姉さんを見送って、洗い物に専念する。もう半分近く終わっていたから、全部洗いきるまでそう時間はかからなかった。
その後はお風呂屋に行った。義姉さんたちは朝にもう行ったそうだから、あたしとラピスだけだ。いつものように儀式の準備作業の進捗を尋ねてくる人たちに、あと数日で儀式を行う予定だと告げると、皆身が引きしまったような顔をしていた。
中には、儀式に参加するかまだ迷っている人もいて、相談されたりもする。あたしは「命の危険があることですから、よく考えた上で、覚悟があるなら参加してください。参加しないけど協力したい場合は、儀式を円滑に進めるため手伝ってもらう人たちも募集しているので、そちらに回る道もありますよ」と答える。
お風呂屋から帰ってきた後は久しぶりに家事をして、夕食を取って、これまた久しぶりの給仕の仕事だ。食堂でも儀式のことについて何度も訊かれ、そのたびに同じ答えを返す。
儀式に参加するかどうか迷っている人は結構多いみたいだ。まあ、そうだよね。命がかかっていることなんだ。そう簡単には決められないよね。儀式が始まるぎりぎりまで迷って参加を決める人なんかもいたりするんだろうな。
迷っているのが後ろめたそうな人もいて、そういう人には、迷うのは悪いことではないですよ、となるべく伝えるようにする。できれば、自分の気が済むまでじっくり考えた上で決めてほしい。といっても、儀式本番はもうそこまで迫っているから、時間がいくらでもあるわけじゃないんだけど。
夜の営業時間が終わって後片づけを済ませると、自室に戻る。あー、久しぶりに自分の寝台で眠れるー。寝巻に着替えて寝台に飛び込んで、ごろごろ転がる。やっぱり床に敷いた布団より寝心地いい気がする。
お師匠の家の布団も、シアと至近距離で寝られるから、あれはあれで悪くなかったけどね。いや、心臓にはちょっと悪かったけど、二、三日したら慣れと疲労でほとんど意識しなくなったし。
シア、今頃何してるかな。森の中で野宿だよね。もう眠っているだろうか。何か危ない目に遭っていないだろうか。……あたしのこと考えてくれているかな。
シアに会いたいなあ。一日会わないだけでも、恋しくて、さみしくて、胸が苦しくなる。シアも同じように感じてくれているだろうか。
うん、きっと感じてくれているよね。だってあたしのこと好きだって思ってくれているんだもん。
「あたしも好きだよ、シア……」
その言葉は自然と唇からこぼれていた。
はあ、とため息をついて、寝台脇の小箪笥の上に手を伸ばして、木彫りの兎のフィフィを手に取る。
「シアを目の前にしてなかったら、ちゃんと言えるのになあ。本人を目の前にすると、言葉がつっかえちゃうんだよねえ。どうしたらいいと思う? フィフィ」
当然だけど、フィフィから答えはない。ただ、つぶらな瞳がじっとあたしを見つめ返してくる。
「うん、わかってるよ。何度失敗しても伝わるまで言い続けるんだよね」
絶対に伝えるんだ、って気持ちがあって諦めなければ、いつかは伝わる……はず。そのためにも、儀式は成功させなきゃ。あたしとシアの未来がかかっているんだから。
決意を新たにしながら、あたしはフィフィを小箪笥の上に戻して、手燭の火を消した。




