第二十二章 レザレイリアさんの訪問(3)
昼の営業時間が終わると、シアはあたしと義姉さんに断って、レティ母様とヨルダ父様に会いに行った。しばらくして帰ってきてからは、一人で考えたいことがあるから、と部屋にこもってしまった。
それでも店の手伝いはしてくれるようで、夕食には下りてきたけれど、心ここにあらずって感じだ。でも営業時間が始まると、給仕の仕事は完璧にこなしている。顔も、知らない人には悩みなんて抱えているようには見えないだろう笑顔だ。
そういうとこすごいなって思うけど、シアのそういう隙のない振る舞いの理由を知ってしまった後では、その完璧さが何だか悲しくもある。
もっと隙を見せてもいいんだよ、って言ってあげたくなる。少なくともあたしの前では、気を抜いて、外面なんて取り繕わないで、ありのままのシアでいてほしい。ありのままの自分でいいんだ、って思えるくらい、一緒にいてシアが安心できるあたしになりたい。
シアの方をちらちら見ながらそんなことを考えつつ給仕をしていると、レティ母様とヨルダ父様がやってきた。手に持っていた料理を急いでお客さんの前に置いて、義姉さんに料理の注文をしている二人の元に向かう。
「レティ母様、ヨルダ父様、シアと話してみて、どうだった?」
「そうだね。いくらかは気持ちを吐き出させてやれたと思うよ。それで、ちょっとは気が楽になっているといいんだけど」
「どうなんだろう。シア、帰ってきてから、ずっと考え込んでるみたいだけど……」
言うと、レティ母様とヨルダ父様はそろって苦笑した。
「それはまあ、しっかり考えなさい、って言ったもの」
「そうなの? 具体的にどんな話したのか訊いてもいい?」
「そうねえ。誰のために行動するのか、って話とかよ」
「誰のため?」
「そう。自分自身のために行動するのは別に悪いことじゃないけど、自分自身のためにやってることを他人のためだって自分や他人をだますような真似は間違っているでしょう? それから、本当に相手のために行動したいなら、相手の気持ちを考えないといけない、とか。まあ、そんな話」
「ふーん……」
あたしは相槌を打ちながら、自分を顧みた。あたしが動いてるのは完全に自分のためだけど、それでシアの気持ちを蔑ろにしちゃってないかな。シアの気持ち、ちゃんと考えられているかなあ。
……あんまりできていないかも。シアのこと傷つけたりしちゃっているし。
レティ母様が言ったとおり、自分自身のために行動することは間違いじゃない。でも、それは、他人を傷つけてもいいってことじゃない。だから、これからはもっと、シアの気持ちも考えて、シアのこと傷つけないようにしたい。
あ、でもそれで、シアに言いたいこと言えなくなっちゃうのは嫌だなあ。シアに、あたしの前ではありのままの自分でいてほしいって思うように、あたしもシアの前ではありのままの自分でいたい。そういう関係が理想だから。
言いたいことは言いつつ、シアをなるべく傷つけないように気もつかえるようにならなきゃだめってことかな。うーん、難しい……。
悩みながら体を動かしているうちに、夜の営業時間が終わる。後片づけも終わって、ティスタは家に帰って、シアと二人きりになる。
「ね、ねえ、シア」
あたしは思いきって声をかけた。また考えにふけっていたシアが、視線をこちらに向ける。
「何? ルリ」
「話、しようよ。シアが考えてること聞かせて。聞きたいの」
シアの瞳が少し揺れる。迷うように一度視線をそらしてから、シアはあたしを見た。
「……ルリは今でもやっぱり、わたしがルリを下に見てると思ってる?」
「シアがあたしのこと下に見てるっていうのは、ちょっと言いすぎたかなって思う。……でも、子ども扱いされてる気はする」
「わたしがあなたを護りたいと思うのは、間違っているのかしら……」
シアが、問いかけというより独り言みたいな口調でつぶやく。あたしは慌てて手を振った。
「違うよ。誰かを護ろうとするのが悪いって言いたいわけじゃない。あたしだってシアのこと護りたいもん。それに、シアがあたしのこと護らなきゃって思っちゃうのもわかるよ。あたし、子どもの頃いっつもシアに護ってもらってたもんね。そのことはすごく感謝してる。――でも、あたしはもう子どもじゃないってことを、わかってほしいの」
シアにあたしの思いが伝わるように、紫の瞳をまっすぐに見つめる。
「シア、あたしもう成人したんだよ。一人前の大人だよ。もう護られるだけの弱い存在じゃない。シアの手助けだってできる。自分の命をどう使うかだって、自分で決められる。自分で決めていいはずだよ。だってそれが自分の人生を生きるってことでしょう? あたしにはその権利があるんだって、わかってほしいの」
シアが目を伏せる。しばらく沈黙が落ちて、それからシアがぽつりと言った。
「自分の人生を生きるって……どういうことなのかしら」
「え?」
「わたしは……一族の使命を果たすために生きるよう教えられた。そう育てられてきた。でも、自分の人生を生きるってことは、それとは全然違うことよね。わたしには、それがどういうことなのかよくわからなくて……だからあなたの……あなたたちのその権利を尊重することもできていない、ってことなのかしら……」
あたしは考え込んでしまった。自分自身が自分の人生を生きられていない人、それを許されてこなかった人が、他人が自分の人生を生きる権利をうまく理解できなかったり尊重できなかったりするのは、自然なことに思える。
シアは今、そういう状態なんだろうか? 自分が教えられた生き方、自分の中に刻み込まれた考え方に縛られて、身動きが取れずにいるんだろうか。
「シアは……自分の命をどう使うか、どんな風に生きるか、自分自身で決めたいとは思わないの?」
さっきよりも長い沈黙の後、シアは口を開いた。少し怯えているようにも見える。
「そう、思う自分も……いるわ」
「でもそれを、悪いことだって思ってるの? そう思っちゃいけないんだって、自分を戒めてるの?」
シアは無言だったけど、それが何よりの答えだった。多分シアは、自分自身で決めたとおりに生きたいと思う自分を責めてもいるんじゃないだろうか。そんなのは、おかしいのに。
「自分の人生を生きるっていうのは、一族を離れるって決めたお師匠とか、子どもが作れなくても別れずに一緒にいるって決めたレティ母様とヨルダ父様とかがやってることだって思うよ。シアは、そういう人たちを間違ってるって思う? 悪いことしてるって責める?」
シアはためらいがちに首を振った。
「……責めない。責めたく、ないわ。でも自分が同じことをするって考えると……間違っているような気がするの。考えることさえ悪いことのような……」
「間違ってないし、悪くないよ!」
あたしは思わず叫んでいた。
「シアはシアのやりたいことをやっていいんだよ! シアの生きたいように生きていいんだよ! 誰にもそれを非難する権利なんかない!」
感情が昂って、声がどんどん大きくなる。
「それでシアのこと責める人がいたら、あたしが一緒に立ち向かってあげる! シアの一族の人たち全員が……ううん、この世の誰が敵に回ったって、あたしがシアの味方でいてあげる! だから、他人に決められたとおりに心を殺して生きなきゃいけないんだ、なんて自分を縛ったりしないで! シアが幸せになれるよう、あたしがシアを護るから!」
はあはあ、と荒く息をつくあたしを、シアは大きく目をみはって見つめていた。
やがて、こっちに踏み出す。そしてつんのめるようにあたしに抱きついてきた。
「シ、シア?」
「ルリ……」
シアの声には深い響きがあった。まるで心の奥底からあふれ出しているような。
「わたし、やっぱりあなたが好きだわ……」
全身がかっと熱くなった。シアに好きだって言われるのは初めてじゃないのに、その言葉にこめられた想いの真摯さに酔ったみたいに、頭がくらくらする。シアがこんなにも強い気持ちをあたしに向けてくれているなんて、まだ本当のこととは思えない自分もいる。
固まってしまったようにうまく動かない体を叱咤して、あたしはシアを抱き返した。あたしのぎこちない抱擁に応えるように、シアの腕が一層強くあたしを抱きしめる。
あたしたちはしばらくの間そうやって抱きあっていた。シアのぬくもりと息づかいと甘いにおいと体の感触の確かさだけが全てで、他には何もない、何もいらない、って気分だった。まるでこの世にあたしとシアしかいないみたい。この上なく幸せな夢を見ているみたい。
どれだけ経ったのか、シアが身じろいで、あたしから体を離した。あたしはまだ夢うつつの状態で、ぼんやりとシアを見上げた。
シアの両手が、あたしの顔を包む。形を確認するかのように頬をたどるその手つきは、とても大事な物を扱うかのように慎重で繊細だった。
「ありがとう、ルリ」シアが穏やかな顔で言う。「あなたのおかげで、ぐちゃぐちゃだった頭の中が晴れた気がするわ」
「そう……なの?」
「ええ。だからあとは一人で考えてみるわね」
「うん……わかった。シアが一人で考えたいなら、それでいい」
一人で悩むのは良くないと思うけど、頭の中を整理して考えをまとめる時に一人になりたいのはわかるから。
「それじゃあ、おやすみなさい、ルリ」
シアはあたしの顔から手を離したけど、その手は迷うように空中で止まった。そして、そっとあたしの肩に置かれる。
シアが少し身を乗り出して、やわらかい物があたしの額に触れた。あたしは、かちんと固まる。
ほんのりと頬を染めたシアが微笑む。
「あなたに夢の女神ティリーゼルの加護がありますように」
良い夢を、という意味の祈りの言葉を残して、シアは身を翻して宿屋の方に消えていった。
シアの姿が視界から消えて、あたしの足から力が抜けた。その場にへなへなと座り込んでしまう。
額を押さえて、ううう、とうめいた。シアから口づけされるの二度目だけど、やっぱり慣れないよー。嬉しすぎて恥ずかしすぎて、どんな反応すればいいかわからなくなる。頬や額でこんなだったら、唇に口づけされたら、あたしどうなっちゃうんだろう。
唇への口づけなんて、想像するだけでもっと体の熱が上がってしまう。あたしが羞恥に身もだえしていると、空っぽのはずの食堂に声が響いた。
「リューリア……そろそろいい?」
「へ?」
顔を上げて振り向くと、義姉さんが厨房から頭を突き出していた。
「取り込み中だったから邪魔しないようにしてたんだけど、あたしたちもそろそろ寝に行きたくってねえ」
言いながら、義姉さんが食堂に入ってくる。その顔にも、義姉さんの後ろにいる兄さんの顔にも、微笑ましいものを見るような表情が浮かんでいる。父さんはいつもの仏頂面だけど、ちょっと目が泳いでいる気がする。
「も、もしかして……見てた?」
おそるおそる訊くと、義姉さんが苦笑した。
「大声で話してたから、気になってちらっとね。でも安心して。全部は見てないし聞いてないから」
う、うわああああああああ。は、恥ずかしい!
あたしは慌てて立ち上がった。まだ足にうまく力が入らなくてふらりとよろけるけど、倒れるのは何とか回避する。
「お、おおおおやすみ!」
叫んで、必死に足を動かして自室に駆け戻る。何度か転びそうになったけど、何とか無事に自室に着いた。
バタンと扉を閉めて、寝台に倒れ込む。二種類の羞恥が混ざりあって臨界点を突破しそうだ。じたばたと寝台の上で暴れる。
ううう、シアはこんな風に恥ずかしくなったりしないのかなあ。前、頬に口づけしてくれた時も今回も平然としてたけど……。あれも上辺を取り繕ってるだけで、一人になったらあたしみたいにじたばたしてたりするんだろうか。
想像したら、かわいくて、微笑ましくて、嬉しくて、何だか落ち着いた。
そうやって羞恥に身もだえしてるシアも、いずれ見てみたいなあ。見せてくれるかな。
そう考えながら、あたしは寝支度を整えるために起き上がった。
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