第二十一章 議論(4)
居間には義姉さんだけだった。兄さんと父さんは、明日の仕込みをしてるんだろう。台所の方から音が聞こえるので、ラピスは多分そっちだ。
縫い物から顔を上げてあたしの顔を見た義姉さんが、心配そうな顔になる。
「リューリア、大丈夫? なんか暗い顔してるわよ」
「ちょっと、シア……ルチルともめちゃって……」
「ルチルさんと? 一体何のことで?」
「シア……ルチルは、大勢が参加する浄化の儀式を行うことに反対なの。瘴気の浄化は自分たち一族の使命だから、一般人を巻き込むべきじゃない、って」
椅子に座りながら説明すると、義姉さんは驚いた顔になった。
「そうなの? そう……ルチルさんは本当にいい人ね。自分の死ぬ確率が下がるのに、それを拒否するなんて」
「いい人はいい人だけど、でもあたしたちの命をかける覚悟を蔑ろにしてるよ。あたしたちの、自分たちの町は自分たちの手で護りたい、って気持ちも、無視してるし。そういう態度に腹が立って……きついこと言ってシアを傷つけちゃった……」
「難しいわよね……。命がかかっていることだもの」
あたしは裁縫道具を手に取りながら、ため息をついた。
「ほんとそうなんだよね……」
だから、あたしもシアも簡単に引けない。大切な人が死んでしまわないよう、護りたいから。
どうしたら、シアを説得できるんだろう。もっとも、シアを説得できなくても、大勢が参加する浄化の儀式は行える。レティ母様とヨルダ父様は協力してくれるんだから。
でも、できればシアも納得して、儀式に賛成してほしい。……そう思うのは、あたしのわがままなのかな。シアに求めすぎてるのかな。
考えながら手を動かしていると、義姉さんが口を開いた。
「そういえば、お義父さんが、明日の仕込みが終わったら家族で話したいことがある、って言っていたわよ」
「そうなの? わかった」
あたしは上の空で答えた。そしてまたシアに思いを馳せる。
ラピスが寝る時間になって自室に引っ込んで少しした頃、兄さんと父さんが住居部分に戻ってきた。居間の椅子に腰を下ろして、あたしが淹れたお茶をすする。
「あー、疲れた。まあ、そうはいっても、今日は夜が休みだったから、まだましだけどな」
背もたれにだらりと体を預けた兄さんが言う。
「そうね。おかげで丹念に掃除する時間が取れたし、助かったわ」
義姉さんの言葉に、兄さんが顔をしかめた。
「セイーリン、おまえ、俺たちが会合に行ってる間、掃除してたのか? あんまり動き回るなよ。それも一人の時に」
「無理はしてないから大丈夫だってば。ラピスが見落としてる細かい所を掃除してただけよ」
「ラピスの奴に完全に掃除を任せちまうのは、まだ無理か」
「そうね。でも仕方ないわよ。まだ五歳なんだもの。あと数年すれば任せられるようになるんじゃない?」
「だといいがなあ」
義姉さんと兄さんの会話が一段落したところで、父さんがテーブルにコップを置いた。
「話をしたいんだが、いいか」
「ああ、そうだったな。親父、家族で話しあいたいことって何だよ」
父さんは、兄さんではなくあたしに顔を向けた。ん? あたしに話があるのかな?
「リューリア、俺は、おまえの行おうとしてる儀式には反対だ」
「え……」
あたしは唖然として父さんを見つめた。
「反対って……それって浄化の儀式の話だよね? 何で反対なの? あたしの見つけてきた方法で儀式を行わないと、シアが……ルチルが死んじゃう可能性が高いんだよ?」
父さんは顔を曇らせたけど、淡々と話を続ける。
「俺だってルチルさんには死んでほしくねえ。だけど、俺にとって一番大事なのは家族なんだ。おまえやフュリドが死んじまう可能性のある儀式には賛成できねえ」
言って、父さんは兄さんに顔を向けた。
「フュリド、明後日の会合では儀式に町民が参加することに反対票を投じろ。そうできねえって言うなら、俺がかわりに出席する」
ぽかんと口を開けて話を聞いていた兄さんが、「はあ?」と声を上げて体を起こす。
「勝手なこと言うなよ、親父。俺に家族代表の役目を強引に押しつけておいて、今度は無理やりその役目を奪い返そうだなんて、随分と身勝手じゃねえか」
「じゃあ、おまえにはセイーリンとラピスと赤ん坊を置いて死ぬ覚悟があるってのか? もしおまえがこの儀式で死んだら、セイーリンのおなかの赤ん坊は父親の顔も知らずに育つことになるんだぞ」
兄さんが言葉につまった。義姉さんの顔を見て、おなかを見て、それから唇を噛みしめる。沈黙が部屋を満たす。
あたしも何も言えなかった。儀式で自分が死ぬことは考えたけど、兄さんが死んでしまうことは想定していなかった。でも、充分にありえることだ。
しばらくして、沈黙を破ったのは兄さんだった。
「……セイーリン、おまえも親父と同じ考えなのか?」
義姉さんはじっと兄さんを見つめて、口を開く。
「フュリドは瘴気の浄化に参加したいのね?」
「……ああ。俺は自分の力でこの町を……そして家族を護りたい。町や家族を護るために何かしたい。自分の大切なものを護るのを全部他人任せにするなんて、嫌なんだ」
兄さんの言葉を噛みしめるような間を置いてから、義姉さんはうなずいた。
「わかった。それなら、あたしは反対しないわ」
「セイーリン!? 何を言ってるんだ、おまえは……自分の言ってることがわかってるのか?」
父さんが珍しく声を荒らげる。義姉さんは、眉を下げて父さんを見た。
「だってお義父さん、あたしはフュリドのこういうとこに惚れて結婚したんですよ。それを、今更変わってほしいなんて言えないじゃないですか。……ううん、違う。言いたくないんです。フュリドにはフュリドのままでいてほしいから。フュリドが死んじゃうかもしれないことはすごく怖いけど……」
義姉さんは、父さんから兄さんに顔を向ける。
「妻としてあんたの応援をしたい気持ちも大きいのよ。だから、反対しないわ。……でも、お願いだから死なないようにがんばって。生きてあたしとラピスと赤ん坊の所に帰ってきて」
「……ああ、わかってる。俺はそう簡単に死んだりしねえよ」
兄さんは立ち上がって、義姉さんの元に行き、後ろから抱きしめた。義姉さんは、兄さんの腕に手を添える。
少しそうしていた後、義姉さんが父さんに向けた目には、うっすらと涙が浮かんでいた。だけど、それでも気丈な声で言う。
「お義父さん、フュリドもリューリアももう立派な大人です。自分で自分の生き方を決める権利があります。大切なものを護るために命をかけたい、っていう二人の意思を、尊重しましょうよ」
父さんは、ぐっと唇を噛みしめ、拳を握りしめた。しばらくの間そうしていたけれど、やがて立ち上がり、何も言わずに居間を出ていった。
兄さんが、はあっと息を吐き出す。
「まさか身内から反対者が出るとはな。……まあ、親父の気持ちもわからないわけじゃねえけどよ」
「……ごめん、兄さん」
あたしの口からこぼれた謝罪に、兄さんがきょとんとした。
「ごめんって、何がだ?」
「あたし……兄さんが死ぬかもしれないなんて、全然考えてなかった。兄さんにも……ううん、兄さんだけじゃなくて多分父さんにも死ぬ危険を背負わせようとしてるんだって、わかってなかった。兄さんが死んじゃったらどうなるかも……父さんに言われて、初めて気づいたの」
あたしは大きく息を吸った。だけど、喉が半分ふさがっているようで、まだ息苦しい。それでも、言わなきゃいけない。
「だけど……だけどね、あたし、それでも町の皆が参加する浄化の儀式を行いたい。兄さんや父さんが死ぬかもしれないってわかってても……それでも……シアとレティ母様とヨルダ父様だけに任せたくないの……ごめんなさい……」
あたしはうつむいた。シアとレティ母様とヨルダ父様を護るために兄さんと父さんを死なせることになるかもしれない。それでもシアたちを護りたいと思うあたしは、薄情者なんだろうか。冷酷なんだろうか。
足音がして、頭に、ぽん、と手が置かれる感触がした。おそるおそる視線を上げると、あたしの隣に立つ兄さんは微笑んでいた。
「馬鹿だな。おまえが謝ることなんて何にもねえよ。言ったろ? 俺は自分の意思で瘴気の浄化に参加したいんだ。大切なものを護るために命をかけるって決めたんだ」
「そうよ。儀式を行いたいって言ったのはリューリアでも、それに賛成するって決めたのはフュリドよ。あたしもそう。だから、リューリアが申し訳ないなんて思う必要はないの」
義姉さんも言い添えてくれる。あたしの視界が歪んだ。
「ありがとう、兄さん、義姉さん……」
目元をこすりながらぐすぐすと洟をすすり上げるあたしの頭をまたぽんぽんと叩いてから、兄さんは自分の椅子に戻った。
「それより親父だよな、問題は。明後日の会合までに何とか親父を説得しねえと」
「フュリドやリューリアの意志が固いってわかれば、何とか折れてくれないかしらねえ」
「難しいだろうなあ。親父は頑固だし」
三人そろって考え込むけど、答えは出ない。やがて、義姉さんが、ふわ、とあくびをもらした。
「もう遅いし、今日は寝ましょうよ。ゆっくり休めばいい考えが浮かぶかもしれないし」
「そうだな。疲れた頭でいつまでも考えててもしょうがねえしな。明日も仕事はあるんだし」
「うん、そうだね……」
そういうわけで、自室に戻って寝支度を整える。だけど、寝台に入ってもなかなか寝つけなかった。
シアだけじゃなく父さんにまで反対されるなんて……。
でも、考えてみれば、父さんが反対する可能性を想定してなかったあたしが迂闊だったのかもしれない。父さんが家族をすごく大事にしてることはわかっていたんだし、それなら家族を危険にさらすことに忌避感を抱くのは当然だ。
あたしのことを大切に思ってくれている人が、だからこそあたしと対立するんだから、世の中ってほんと難しい。
シアと父さんを説得するにはどうしたらいいんだろう。明日になれば、いい考えが浮かぶかなあ。
あたしは暗闇の中で何度も寝返りを打ちながら、悶々と考えを巡らせていた。
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