第二十一章 議論(3)
喋りながら集会所を出て、帰路につく。家に帰り着くと、宿屋の受付机で針仕事をしていた義姉さんが「おかえり」と声をかけてきた。
「リューリア、ルチルさんが半時間くらい前に帰ってきたんだけど……あんた、ルチルさんに今晩の会合のこと話してなかったの? あたしが話したら、驚いてたわよ。そのことで話があるから、帰ったら自分の部屋に来てくれって」
「あー……うん、わかった」
シアにバレたかあ。まあ、町のみんなに話すのの邪魔はされなかったから、それで良しとしよう。
あたしは家族と別れて、シアの部屋に向かった。扉を叩くと、少しして扉が開いた。無表情のシアが立っている。あ、これは怒ってるな。
シアは無言であたしを招き入れると、寝台に座った。あたしもその隣に腰を下ろす。
少しの沈黙の後、シアが感情を抑えるように、深呼吸をした。そして口を開く。
「ルリ、町会の会合に行っていたんですってね。町の人たちに大勢が参加する瘴気の浄化方法のことを話して、協力を仰ぐために」
「うん、そう」
シアが射抜くような鋭い目であたしを見た。
「そのこと、わざとわたしに隠していたわね?」
「そうだよ。シアが知ったら、あたしを止めようとするだろうと思ったから」
今更嘘をついても無意味だ。あたしは素直に認めた。シアが、はあっと息を吐く。
「……変だとは思ったのよ。レティおば様とヨルダおじ様が、少しでも長く山に留まりたいような態度だったから。知らない人のいない所でわたしが気持ちを落ち着けられるように配慮してくれているのかと思ったのだけれど、そうじゃなくてルリに協力していたからだったのね」
「うん、二人はあたしの提案に賛成してくれたの。町のみんなも、どれくらいの人数になるかはまだわからないけど、協力してくれると思う」
「……ルリ」
シアが硬い声であたしを呼んだ。
「わたし、言ったわよね。一般人を巻き込む方法には賛同できないって」
「聞いたよ。シアが何でそう思うのかも、ヨルダ父様から聞いた。でも、ジドさんのやったこととこれは同じじゃないよ。そもそもあたしたちの町を護るためなんだもん。あたしたち町の住民が命をかけるのは当然のことでしょう? シアが自分のためにあたしたちに命をかけさせてるわけじゃないよ。むしろあたしたちの方が、自分たちのためにシアに……シアやレティ母様やヨルダ父様に命をかけてもらってるんだよ」
「違うわ。瘴気の浄化はわたしたち一族の使命だもの。この町の人たちがわたしに……わたしたちに命をかけさせているわけじゃないわ」
「それはあたしたちだって同じだよ。町を護るのは町の住民の仕事だもん。シアたちがあたしたちに命をかけさせてるわけじゃない」
「わたしがあなたたちに命をかけさせるようなものだわ。わたしはそもそもあなたが違う瘴気の浄化方法を探すのを止めるべきだった。協力なんて絶対にすべきじゃなかった。そうしていれば、一般人に命をかけさせるなんて事態は、防げたのに。こんなことになったのは、わたしの責任だわ」
頑なに言い募るシアに、だんだん腹が立ってきた。会合での議論の後で疲れているせいもあるけど、それだけじゃない。シアの言い分があまりに独りよがりだからだ。
「……あたしたちは、何も知らず何もせずにいた方がいいってこと? シアにとってあたしたちは……〈神々の愛し児〉じゃない人間は、無力で護られるだけの存在なの? シアたちの手助けをすることさえ許されないの? そんな弱い存在のままでいろって言うの? そんなのおかしいよ。あたしたちにだって、大切なものを護るために命をかける権利はあるはずだよ」
「命をかける……権利……?」
シアが、意味がわからない、と言いたげにつぶやく。
「そうだよ。あたしたちにはそんな権利はないって言うの? シアたち一族だけが持ってるって言うの? だったらそれは、シアがあたしたちを……一族外の人間を下に見てるってことじゃないの? 見下すのとは違うけど、自分たちより下に見て、大人が子どもを扱うみたいに扱ってる。それは、一般人を見下してる魔術師一族の人たちとそんなに違わないんじゃないの?」
シアが衝撃を受けた顔になる。あたしはそれでも言葉を止めなかった。疲れてるせいか、自分の感情を、言動を、うまく制御できない。
「大体、自分が全部悪い、自分の責任、って、何それ。そんなのあたしたちを完全に馬鹿にしてるよ。あたしたちは、自分の頭で考えて、自分の意思で決めて、命をかける覚悟をしてるんだよ。それを踏みにじらないで」
「わたしは……」シアは喘ぐように言った。「わたしはただ、あなたたちを……あなたを護りたいのよ……」
「そんなのわかってるよ。でもそれだけじゃないでしょ? シアは、命をかけて一般人を護る自分、でいたいんでしょ? それが正しいって、自分たち一族のあるべき姿だって思ってるんじゃないの? だから、護られるべき一般人が自分たちに協力することに拒否反応を覚えるんじゃないの?」
これは、さっきまでの会合での議論を聞いていて思ったことだ。シアは、町を護るために命を張るのは自警団員の仕事だ、って考えに固執していた人と同じなんじゃないのかな。命がけで他人を護ろうとするその気持ちは立派なものだけど……。
「でもそれは、やっぱりあたしたちを下に見てるってことだよ。だって、あたしたちが協力するのが嫌っていうのは、あたしたちが自分たちと対等になるのが嫌ってことでしょう?」
「そんな……わたしは、ルリを下に見てなんか……」
シアは言葉を途切らせて、そのまま黙り込んでしまった。その顔にははっきりと、傷ついた色が浮かんでいる。それを見て、あたしの胸が引き絞られるように痛んだ。
シアはジドさんの件があってから、誰にも批判されない完璧な“いい子”であろうとしているんだろう、ってヨルダ父様は言っていた。シアがこれまでどおりのやり方で瘴気を浄化することにこだわっているのは、多分そのせいもあるんだろう。シアだってきっと苦しんでいるんだ。
「……ごめん、シア」
あたしの声に、シアが伏せていた目を上げてこっちを見る。随分と動揺しているように見える。
「あたし、間違ったこと言ったとは思ってない。でも言い方は……もうちょっと違う言い方があったかもしれない。あたしの言い方が悪くてシアを必要以上に傷つけちゃったかもしれない。そこは謝る」
だけど、とあたしは目に力をこめてシアを見つめた。
「内容に関しては、謝らない」
だって、シアを護るためには言わなきゃいけなかったことだと思うから。……シアを護ろうとしていることが、シアを傷つけた免罪符になるなんて思ってはいないけど。
でも、たとえシアを傷つけたことでシアに嫌われてしまったとしても、あたしは道を変える気はないし、自分の発言を訂正する気もない。
そんな風に考えながらも、あたしは、心のどこかで、シアは最後にはあたしを赦してくれる、って思っている自分を自覚していた。
それが正しいかどうかは、全てが終わった時にわかる。今はただ、できること、すべきだと思うことをするだけだ。
シアは無言でじっとあたしを見ている。あたしは視線をそらさずにまた口を開いた。
「言いたいことは大体言っちゃったし、これ以上シアを傷つけたくないから、シアが言いたいことないなら、今はもう行くね。――でも最後にこれだけは言わせて。あたしは、シアがたとえ何て言ったって、大勢が参加する浄化の儀式を行うことを諦めたりしない。絶対に行ってみせるから」
シアの瞳が大きく揺らぐ。
一拍置いてからあたしは、以前シアに同じようなことを言われたのを思い出した。あの時あたしはすごく傷ついた。シアも、あの時のあたしと同じくらい傷ついているだろうか。
罪悪感で胸がいっぱいになる。あたしはシアを護りたいだけなのに、どうしてシアを傷つけなくっちゃいけないんだろう。どうしてシアにこんな顔させなきゃいけないんだろう。
涙が出そうになるのを、必死にこらえる。シアの前で泣いちゃいけない。シアを傷つけておいて泣くなんて、そんなの卑怯だ。
「……じゃあね、シア。おやすみ」
あたしは早口にそう言って、立ち上がった。急ぎ足で部屋を出る。シアはあたしを引き止めなかった。
扉を閉めると、少し気が抜けた。その途端に、ぽろぽろっと涙がこぼれた。
慌てて涙をぬぐいながら、住居部分に急ぐ。お客さんに泣いているところなんて見せちゃいけない。
無事誰にも見られずに住居部分に入って、ほっと息を吐く。自分の部屋に行こうか迷ったけど、結局居間に足を向けた。今は誰かと一緒にいたい気分だったから。それに家事もしないといけないし。




