第二十章 成果報告とシアの動揺(3)
お師匠の家に着くと、いつもどおり声をかけて勝手に中に入る。居間に行くと、お師匠が本に埋めていた顔を上げた。
「帰ってきたのかい、リューリア。旅はどうだった。成果はあったかい?」
「一応、ありました」
あたしの言葉に、お師匠は眉を上げた。
「ほう。それは興味深いね。どんな方法を見つけたのか教えとくれ」
あたしはお師匠の向かい側に腰を下ろした。
「お師匠が探していた、〈神々の愛し児〉に頼らない方法ではないんです。そうではなくて、〈神々の愛し児〉と無属性の人間とそれ以外の大勢の人たちが協力して瘴気を浄化する方法です」
「そんな方法があるのかい? 大勢ってのは、どのくらいだね」
「この方法を教えてくれた人が読んだ文献では、約八百人が儀式に参加したそうです」
お師匠は目を丸くした。
「八百人? それは無茶だ。そんな人数、とても瘴気の発生源まで行けないだろう」
「あ、発生源まで行く必要はないそうです。何でも、〈神々の愛し児〉は瘴気を発生地点から別の場所に転移させられるそうなので、その方法を使って、どこか広い場所に参加者を集めて儀式を行えばいいんだとか」
「ああ、なるほど。そういえばそうか。〈ラ・テイユの惨劇〉でもその方法が使われたんだろうしね」
あたしはお師匠の口から出てきた言葉に、ちょっと首を傾けた。
「その〈ラ・テイユの惨劇〉って、前にシアと話した時にも言ってましたよね。何なんですか?」
物騒な響きの言葉だから、印象に残っていたんだ。
「これはね、いわば〈神々の愛し児〉の危険性を表す逸話だよ。数百年前、隣国と戦争をしていたある国が、自国に仕えていた〈神々の愛し児〉を使って、自国の領土内に生じた瘴気を敵国の重要な防衛拠点である都市の近くに放出させ、更に捕らえた動物たちをその瘴気に触れさせることで大量の魔獣にその都市を襲わせたのさ。その結果、多くの死者が出てその都市が壊滅寸前になるという悲惨な事態になったんだ」
「そんなことがあったんですか……」
もしかして、シアたち一族が神々に繁栄だけでなく平和も願うようになったきっかけの惨劇ってそれなのかな。
「まあ、そういうわけだから、瘴気を発生地点から別の地点に転移させる方法は確かにあるんだろう。それで、転移させた瘴気はどうやって浄化するんだい。一般人や無属性の人間がどう儀式に関わる?」
「何でも、無属性の人間が、魔力の紐で参加者全員とつながって、〈神々の愛し児〉が取り込んだ瘴気を他の人たちの体に送り込むそうです。それで、全員の力で瘴気を浄化するんだとか」
お師匠は眉をひそめた。
「瘴気の浄化能力が高くない一般人の体に害はないのかい?」
「そこが問題なんです。大勢に危険を分散させることで死ぬ確率を下げることはできるけど、命の危険は参加者全員にあるそうなんです。文献にあった儀式では二人の死者が出たとか。参加する人数が多ければ多いほど死者が出る確率は下がるそうなので、もっと大勢参加者を集められれば死人を出さずに儀式を行うことも可能かもしれないとは言っていました。ただ、それだけ大勢と魔力の紐でつながるのは相当大変だから、現実的ではないと……」
「なるほどね」
お師匠は、一つ息を吐いた。
「やっぱり瘴気の浄化はそう簡単には行かないか。死ぬ危険があるとなると、参加者を集めるのはなかなか大変そうだ」
「そのことで相談に来たんです。自分たちの抱えてる問題は自分たちの手で解決すべきだ、って考えはこの町では根強いですよね。なら、自分たちの町は自分たちの力で護ろう、って呼びかければ、それなりの支持が得られるんじゃないかと思うんですけど、お師匠はどう思いますか?」
お師匠はしばらく考え込んだ。
「一定の効果はあると思うよ。だが何せ儀式に必要な人数が多い。自警団だけじゃ足りないから、それ以外からも参加者を募ることになるよね。いざという時には町を護るために命をかける覚悟をしている自警団の奴らならともかく、それ以外を命の危険にさらすって提案には抵抗がある者も多いだろう」
それに、とお師匠は目をすがめてあたしを見た。
「あんたが参加者全員と魔力の紐でつながる必要があるんだろう。数百人もの人間とつながれる自信があるのかい? おまけにその紐を通して瘴気を受け入れたり送り込んだりするってなると、かなりしんどいと思うよ」
う、とあたしは怯んだ。
「……自信があるかって訊かれると、正直ないです……。でも! でも、それが必要なことだっていうなら、死ぬ気でやってみせます……!」
お師匠は少しの間あたしを見つめていたけど、やがてふっと息を吐いた。
「まあ、魔法は最終的には意志の力次第、と言えるところがあるからね。あんたが本当に死ぬ気でやれば、八百人は無理でも何百人かは儀式に参加させられるだろう。となると、どうやって少しでも多くの参加者を集めるかを考えた方が良さそうだ」
「それじゃあ、お師匠は協力してくれるんですね?」
あたしは、安堵と共に確認した。
「乗りかかった船だからね。私にできることなら、やってやるよ。儀式にも参加する。――ただし」
お師匠は厳しい目であたしを見据えた。
「町の者たちを説得するのは、あんたの役目だよ。わかってるね?」
「……はい」
そう、これはあたしが始めたことで、あたしの望みだ。だから、実現させるためにあたしが動かなきゃならない。
お師匠がそこで何かを思いついた顔になった。
「ところで、なぜわざわざ無属性の人間を間に挟む必要があるんだい? 〈神々の愛し児〉が直接一般人の体に瘴気を送り込むのではいけないのかい? 瘴気の浄化に参加する〈神々の愛し児〉は今のところ三人の予定なんだろう。三人で分担した方が、大勢と魔力の紐でつながる負担を減らせていいと思うんだけどね」
「何でも、一度無属性の人間の体を通して、瘴気の毒性を弱める必要があるそうなんです。そうしないと、普通の人間には瘴気を受け止めきれず、大量の死者が出てしまうとか……」
「なるほど。それは無属性の人間が必要なわけだ。――それじゃあ、行くかね」
納得した顔になったお師匠が、本を置いてソファーから立ち上がる。あたしはきょとんとした。
「行くってどこへですか?」
「タリオンの家だよ。まずは町長に根回ししておかないといかんだろう。町会の会合を開くにもタリオンの同意が必要なんだ。話すなら早い方がいい。瘴気だっていつまでも放置してはおけないんだしね」
「あ、そっか。そうですね」
あたしは慌てて立ち上がると、お師匠の後について外に出た。
町長さんの家に着くまで手持ち無沙汰だったので、旅の間にあったことを話す。ライファグ一族の取りつく島もない対応を聞いたお師匠は、ふん、と鼻を鳴らした。
「魔術師一族のやりそうなことだ。会うだけで話もろくに聞かず追い返すとは。それでも、会うだけは会ったから、頼みは聞いた、って言い張るんだろうね。レリオールに苦情の一つでも入れるよう言っておかないとね」
「それであの人たちが悪かったなって思ったり態度を変えたりするとは、思えませんけど……」
あたしは正直な気持ちを口に出した。
「まあ、そうだろうね。奴らは反省なぞしやせんだろう。だからといって、何も言わずに済ませるのも業腹じゃないか。やるだけやって損はないよ」
「まあ、そうですね」
そんな話をしているうちに、町長さんの家に着いた。町長さんは家にいるというので、取り次ぎを頼む。応接間に通されてさほど経たないうちに、町長さんが現れた。人払いをして、ソファーに座る。
「やあ、イァルナさん、リューリア。待たせてしまいましたかな?」
「いえ。ほとんど待っていません」
「お茶を飲んでたから待つのも苦じゃなかったしね。あんたんとこの使用人も随分とお茶を淹れるのがうまくなったもんだ」
「イァルナさんにそう言っていただけると、嬉しいですな。後で使用人を褒めておきますよ」
町長さんは穏和な笑顔でそう言ってから、あたしに顔を向けた。
「それで、リューリア、旅はどうだったね? エルオーディナさんとは無事に会えたかい?」
「はい。エルオーディナさんご自身は情報は持っていなかったんですが、博識な親戚を紹介してくださって、何とか成果らしきものを手に入れることができました」
町長さんの笑みが大きくなった。
「それは良かった。なら、ルチルさんに命をかけてもらわなくても瘴気は浄化できるのかな」
あたしは大きく息を吸って背を伸ばした。さあ、説得の始まりだ。
「いえ。残念ながら、見つかったのは、全く命の危険を伴わない方法ではないんです。そうではなくて、大勢が浄化の儀式に参加することで命の危険を分散させて死ぬ確率を減らす方法なんです」
町長さんの顔が曇る。
「大勢が参加……ということは、町民を瘴気の浄化に関わらせるということかい?」
「そうです」
「……そして、その儀式に参加した者は、確率は低いとはいえ死ぬ可能性がある、という解釈で合っているかな」
「はい」
「リューリア……」
町長さんは困ったようにあたしを見つめた。
「君はつまり、皆を危険にさらす儀式を行いたい、ということだね?」
あたしは首を振った。
「ちょっと違います。瘴気の浄化をどんな方法で行おうと、命の危険はあるんです。問題は、この町の住民ではなく本来この町とは何の関わりもない人たちだけに命の危険を押しつけるか、それとも町のみんなで分かちあうか、ということです」
町長さんは一層困った顔になった。
「それは、確かに私もルチルさんたちだけに命の危険を負わせるのは心苦しいが……」
「町と町民の安全を護るのが仕事の町長さんとしては、簡単にこの方法に賛同できないのはわかります。でも、お願いです。あたしに、町のみんなを説得する機会をください」
あたしは頭を下げた。
「この方法を受け入れるよう皆に呼びかけてほしい、なんてことは言いません。ただ、町会の会合を開いて、あたしがみんなに話す場を作ってほしいんです。お願いします」
長い間の後、町長さんの声がした。
「イァルナさんは、この話をどう思っておられるんですか?」
「私は、悪くないと思ってるよ。歪みの消去や瘴気の浄化に関しては、ルチルさんの一族に全て任せっきりなのが現状だ。それがあるべき姿だとは思えない。私たちでも協力できることがあるなら、するべきだろう」
お師匠は気負いのない淡々とした口調で言う。
「できることがあるなら、するべきだ、というのは確かにそのとおりですが……」
町長さんはなおもためらっていたけど、しばらくして、ため息を吐き出した。
「これは私一人の判断では決められないことだな。確かに、会合を開いて皆に諮る必要があるだろう」
あたしはばっと頭を上げた。
「会合、開いていただけるんですね!」
「ああ。早い方がいいんだろう?」
「はい。瘴気を長く放置しておくのは良くないそうなので」
「それなら、今日今から触れを出して、明後日の夜に開こう。それでいいね?」
「はい! ありがとうございます!」
町長さんはテーブルの上の小さな鐘を鳴らした。応接間の扉が開いて、執事さんが現れる。町長さんは会合に関する触れを出すよう執事さんに言いつけた。執事さんが扉を閉めて出ていくと、あたしの方に向き直る。
「それで、会合の議題にするなら、もう少し詳しく話を聞いておきたいんだが、儀式には大勢が参加すると言っていたね。大体何人くらいが必要なんだい?」
「最低どのくらい必要かはわからないんですが、文献に残っている記録では、約八百人が参加したそうです」
町長さんが目を見開く。
「八百人? それは……それだけの人数を集めるのはかなり難しいよ、リューリア。四百人程度なら、自警団の面々で何とかなるが……それ以外の人たちにいくら町を護るためとはいえ命をかける覚悟を求めるのはねえ……」
「難しいのは承知の上です。それでも、やってみなければわかりません。あたしは、何が何でもこの儀式を行いたいんです。そのための努力は惜しみません」
町長さんは、諦めたように息を吐いた。
「そうか。それならまあ、やってみなさい。最悪でも自警団員の協力を得られる可能性はある。――ちなみに、その文献に載っているという儀式では、死者は出たのかね?」
「はい。参加者が二人亡くなったそうです」
「二人……か。我々が儀式を行った際も同じ数の死者が出るということかね?」
「人数が多いほど死者が出る可能性は低くなるそうなので、八百人以上集められれば、死者が出ずに済む可能性はあります。逆に八百人以下で儀式を行う場合は、二人以上死者が出るかもしれません。それに、死者の数は、参加者の人数だけでなく瘴気の量や濃さにも影響されるようなので、実際に何人死者が出るかは、やってみなければわかりません」
「……その情報が、皆を説得するのに有利に働くか不利に働くかは、微妙なところだな。会合ではどこまで明かすつもりだい?」
「あたしが知っていることを全て話します。嘘をついて参加者を集めるのは嫌ですし、そんなやり方で儀式を行うのは、シアが……ルチルが納得しないでしょうから」
町長さんの顔に、少し安堵したような色が浮かぶ。
「それは良かった。情報を秘匿するつもりなら、協力するのは考え直さないといけないところだったよ」
「町長さんがあたしに機会を下さったことを後悔するような真似はしないつもりです」
「そう願いたいね」
そう言って、町長さんは疲れたような顔でお茶を飲んだ。
「お師匠、もう話しあっておくことはないですよね?」
「そのはずだね」
「それじゃあ、あたしたちはこれで……」
立ち上がりかけたところで、町長さんが何かを思い出したような顔になった。
「そうだ。帰る前に、氷を作っていってくれないかい。妻がまだ夏バテ気味でね。火属性の使用人をやっともう一人雇えたから、部屋を涼しく保つのは何とかなっているんだが、それでも食が進まないようなんだ。冷やした果物でも食べさせてやりたい」
あたしは自分の中の魔力に意識を向けて、依頼がこなせる程度には魔力が残っているのを確認してから、返事をした。
「わかりました」
使用人が持ってきた手桶の水を氷に変え、その代金を貰った。それから、お師匠と共に町長さんの家を出る。
「お師匠、今日はありがとうございました」
「私は何にもしちゃいないよ」
「いえ、町長さんがあたしに機会をくれたのは、お師匠のおかげもあると思うので、感謝してます」
一緒に来てくれただけでも心強かったし、あたしへの賛同を表明してくれたのも助かった。
お師匠は肩をすくめた。
「大変なのはまだこれからだよ。あんたは会合で町会の面々を説得しなきゃいけないんだからね」
「はい。わかってます。全力を尽くします」
「ま、がんばりな。タリオンが言っていたように、最悪でも自警団員約四百人の協力を得られる可能性は結構あると思うよ」
「そうだといいんですが」
「あんたがよっぽど下手な話し方をするか、皆の感情を逆なでするようなことをしなきゃ大丈夫だろう」
「……気をつけます」
皆を怒らせるようなことをするつもりはないけど、そのつもりはなくてもやってしまうってことはあるし、それにあたしはまだまだ大勢の前で話すことに慣れてない。この二日でできる限りの準備をしておかなくっちゃ。




