第二十章 成果報告とシアの動揺(1)
「帰ってきた……」
道の先に見慣れたクラディムの街並みを見て、あたしは万感の思いをこめてつぶやいていた。
ほんの一週間半くらい離れていただけなのに、随分と久しぶりな気がする。
こうして町を遠くから眺めるだけで、安心感のようなものがわき上がってくる。今更だけど、クラディムはあたしにとってとっくに帰る場所になってたんだなあ、と実感させられて、胸の奥がくすぐったくなった。
思わず口元を緩めながら、あたしは歩みを速めた。早くシアや家族に会いたい。旅の成果を報告したい。
何なら走って家に帰りたいくらいだけど、いくら身体強化の魔法を使ってるっていっても旅の疲れは蓄積していて、速足で歩くのが精一杯だ。
サラヒハラを出た夜は結局野宿になっちゃったしな。その後は何とか毎晩宿屋――農民が農作業の片手間にやっている物含む――に泊まれたけど、一刻も早くクラディムに帰り着かなきゃって気が逸ってたせいで、うまく眠れなかったりして、体が結構重い。身体強化の魔法がなかったら、あたし倒れちゃっていたかも。
でも今晩は、自分の寝台で寝られるんだ。そう思うと、足取りも多少軽くなる。
青く晴れ渡った空から惜しみなく注がれる午後の日差しの中を、クラディムに入る。体にまとわせていた冷気はとっくに温まってしまって、汗で服がじっとりと濡れている。
あたしはもう一度火属性魔力で自分の体を包んで、冷気をまとった。魔力は結構減っていて、そろそろ限界に近いんだけど、ここまで来たら魔力切れ起こしても問題ないし、魔力の節約をする必要はもうない。
魔法使い放題だよー。あー、涼しい。
そう、旅の間は、道の途中で魔力切れ起こして倒れてしまわないように、魔法を使いすぎないように気をつかわないといけなかったから、それもめんどくさかったんだよね。旅って楽しいこともあるけど、大変なことも多かった。振り返ってみてそう思う。
……って、旅行の思い出を振り返るのは、まだちょっと早いか。それは無事に家に帰り着いてからだよね。
「あら、リューリア。旅に出てるって聞いたけど、帰ってきたのね」
屋台から声をかけられて、あたしは笑顔で手を振った。
「うん、無事に帰ってきました。この一週間くらい、変わったことは起きてませんか?」
「いいえ、特にないわね」
その答えを聞いて、ほっとする。魔獣がまた町を襲ってきたなんてことはなかったようだ。良かった。
もう一つ早急に知りたいのは、シアがまだ瘴気の浄化を行ってないかどうかなんだけど……それに関しては、ここで訊いても答えてもらえないよね。そもそも瘴気の浄化がまだ終わってないってことを、ほとんどの人は知らないんだし。
なのであたしは、その答えを求める気持ちに背中を押されながら、家に急いだ。
ちょうど昼の営業時間中なので、人が多い前の通りに向かって開いている宿屋の入口からではなく、裏にある私用の玄関から家の中に入る。階段を上って自室に入ると、荷物を下ろして、はあああー、と息を吐いた。
懐かしい我が家……っていう表現は大げさかな。でも、それくらい帰ってこられて嬉しいんだ。
さて、とはいっても、いつまでも喜びに浸ってはいられない。シアがまだ無事かどうかを確認しないと。義姉さんたちは仕事中のはずだから、ラピスを捜すかな。
薄汚れている旅装を解いて新しい服に着替えて、部屋を出た。宿屋の方に行ってみると、二階の廊下を箒で掃除しているラピスの姿がすぐに目に入った。
ラピスが家にいるってことは、ラピスが魔力暴走を起こしても対応できる人が家にいるってことで、つまりシアがいるってことだ。良かったあー。安堵に全身から力が抜けそうになる。
「ラピス!」
気を取り直して声をかけると、ラピスが顔を上げて、びっくりしたような表情を浮かべた。
「リューリア姉ちゃん! おかえり! 遅かったな!」
箒を放り出して、階段を駆け下りてくる。あたしはラピスを受け止めた。
「ただいま、ラピス! 予定になかった町まで足を伸ばしたんで、予定より遅くなっちゃったんだ」
「俺いい子にしてたぞ! ルチルさんを助ける方法見つかった?」
「一応可能性がある方法は見つかったよ。その方法を実行できるか、まだ断定はできないけどね」
ラピスの顔がぱあっと明るくなる。
「良かった! 旅に出たカイがあったな!」
「ふふ、そうだね」
あたしはラピスの黒い巻毛をぐしゃぐしゃとなでた。
「シアは今給仕中?」
「うん、そうだぞ」
「そっか。じゃあ、昼の営業時間が終わったら話そうかな」
それまでは少し休もうか、とあたしが考えていると、ラピスが「そーだ」と口を開いた。
「リューリア姉ちゃん。今食堂に多分あの人たちいるぜ。コーラさんとペルルさんって人」
ラピスの口にした名前に、心臓がドクンと大きく音を立てた。まさかまさかまさか……。
「リューリア姉ちゃんの――」
「それって、金髪で深紅の瞳の女性と、銀髪で緑の瞳の男性!?」
「そうだよ」
ラピスがうなずくのとほぼ同時に、あたしは身を翻していた。もつれそうになる足を一生懸命動かして、宿屋と食堂をつなぐ入口から食堂の中に飛び込む。店の中をぐるっと見回した。
にぎわう食堂の中で、隅の方のテーブルに座っている金髪の女性と銀髪の男性の姿が目に飛び込んでくる。
ぐうっとわき上がってきた感情に思わず目が潤むのを感じながら、あたしは急いでそっちに足を向けた。声をかけたいけど、喉が熱いものでふさがれたように、声が出ない。
もう少しでテーブルに着く、というところで、金髪の女性がこっちに気づいた。その顔が輝く。
「ルリ!」
金髪の女性が椅子から立ち上がり、銀髪の男性が振り向く。
この世界でたった二人、シア以外であたしをルリって呼ぶ人たち。
「レティ母様! ヨルダ父様!」
あたしはあと数歩の距離を急いでつめて、テーブルを回ってこっちに歩み寄ってきたレティ母様に、倒れ込むように抱きついた。
「母様、何でここにいるの? 会いたかった! 会えて嬉しい!」
疲労と驚きに頭が回らず、浮かんだ言葉をそのまま口にする。そんなあたしを、懐かしい腕がしっかりと包み込んでくれた。
「わたしも会えて嬉しいわ、ルリ」
レティ母様の声に続いて、大きな手が肩に置かれる。
「僕もだよ。元気そうで良かった」
あたしは顔を上げて、優しい微笑みを浮かべているヨルダ父様を見上げた。
「ヨルダ父様も、元気そう。二人とも全然変わらないね」
レティ母様とヨルダ父様の顔を交互に見ながらそう言うと、レティ母様が嬉しそうに笑いながら、あたしの頬をなでた。
「ルリは大きくなったわねえ。見違えたわ」
「本当に。すっかり大人の女性って感じだよ」
「でも、レティ母様、一目であたしのことわかったじゃない」
「そりゃあ、わたしは母親ですもの。娘を見間違えたりしないわよ」
「うん……」
改めてレティ母様に抱きついてそのぬくもりを堪能していると、ぽんぽんと背を叩かれた。
「リューリア、気持ちはわかるけどー、お客さんたちがびっくりしてるから席に着いてくれないー?」
声の方を振り向くと、苦笑を浮かべるティスタが立っていた。片手には、料理の皿を乗せた盆を持っている。
「あ……ごめん」
ティスタに言われて初めて周囲のことに意識が行った。確かに、近くのテーブルに座っているお客さんたちは皆、何だ何だ、と言わんばかりの顔でこっちを見ている。
あたしは赤面して、レティ母様から離れた。ヨルダ父様の隣、レティ母様の向かい側に腰を下ろす。
「それで……何でレティ母様とヨルダ父様がうちにいるの? あたしに会いに来てくれたの?」
「それもあるけど、わたしたちはシアの応援よ。里から応援が来るって話は、シアに聞いてたでしょう?」
「え……レティ母様とヨルダ父様が応援なの?」あたしはぱちぱちと瞬きをした。「すごい偶然だね」
「偶然じゃないよ。魔獣に襲われたっていう町がルリの故郷だってわかったから、僕らが応援に行きます、って立候補したんだ」
「皆がこぞって行きたがる仕事には程遠いから、長老たちもすんなり受け入れてくれたわ」
「そう、なんだ……」
レティ母様とヨルダ父様が会いに来てくれたのは嬉しいけど、同時に胸がずんと重くなった。二人も、あたしのためなら死んでもいい、とか考えて、瘴気を浄化しに来たのかな。それは嫌だな……。
暗くなってしまったあたしの顔に気づいたのか、レティ母様が手を伸ばして、ぽんぽんとあたしの腕を叩いた。
「詳しい話は、ここじゃ何だし、場所を変えてしましょうか。食事が終わってからになるけど」
「あ、うん。そういえば、二人はうちに泊まってるの?」
「いや。できればそうしたかったんだけど、あいにく部屋が満室で泊まれなかったんだ。ここから少し離れた宿屋に泊まってるよ。〈カサット亭〉って所」
「でも、食事は大体いつもここに来てるの。ウルファンさんのお料理が、本当においしくって、三食食べても飽きないのよねえ」
「五年前、ルリをこの町まで送ってきた時も食べさせてもらったけど、あれから更に腕が上がったんじゃないかな。あの時でさえ滅多に食べられないおいしさだと思ったけど、今じゃ言葉で表現できないくらいおいしいよ」
二人の話に耳を傾けながら、店内をぐるっと見回す。シアの姿はすぐに見つかった。少し離れた所にあるテーブルでお客さんと何か喋っている。
シアの笑顔見るのも久しぶり。やっぱり美人だなあ。綺麗だなあ。好きだなあ。
じいいいっと見つめていると、その視線に気づいたのか、シアがこっちを見た。ばちっと目が合う。反射的に目をそらしてしまったけど、すぐにもったいなくなって、視線を戻した。シアは嬉しそうな笑みを浮かべてこっちに歩いてくるところだった。
あたしが帰ってきて、また会えて、嬉しいって、思ってくれてるんだよね。そう思うと顔が緩んで大きな笑みを浮かべてしまう。
「おかえりなさい、ルリ。久しぶり」
テーブルのすぐ傍まで来たシアが、あたしのに多分負けてないくらいの大きさの笑みを浮かべながら言う。シアがこんなに大きな笑みを浮かべてるのって、再会してからは珍しい。気持ちがもっと浮き立つ。
「ただいま、シア。会いたかったよ」
「ふふ。わたしもよ」
「あなたたちは相変わらず仲良しねえ」
その言葉に視線を動かすと、レティ母様が微笑ましいものを見る目であたしとシアを見ていた。ヨルダ父様もにこにこ笑っている。
「うん、そうだよ。仲良しなの。ね、シア」
シアにまた会えて嬉しい気持ちでちょっとたがが外れているのか、あたしの口からはそんな言葉が自分でも驚くくらいすらっと出てきた。
「ええ、そうね。仲良し、よね」
そう返してくるシアの頬がほんのりと染まっている。ちょっと照れてる? かわいいー。
あー、あたしなんか図太くなってるというか、気が大きくなってる? 旅に出る前より気持ちに余裕が出てきた感じ。
シアがあたしのこと好きだってわかったからなのか、しばらく離れていたからなのか、それともシアを護れそうな方法を見つけられたおかげなのかは、わからないけど。
「それより、ルリ、お誕生日おめでとう。一日遅れになっちゃったけれど」
話題を変えたかったらしいシアの口から出てきた言葉に、あたしは一瞬きょとんとした。それから思い出す。
「あ、そっか。昨日あたしの誕生日だったんだっけ」
旅でばたばたしていたから、そんなことすっかり忘れていた。
「成人になる大事な誕生日なのに、忘れてたの?」
シアがくすくすと笑う。あたしは唇を尖らせた。
「だって、色々忙しかったんだもん。考えることいっぱいあったし、それどころじゃなかったんだよ」
「小さい頃は、誕生日近くになると指折り数えてまだかまだかと待ってたのにねえ」
レティ母様が懐かしむように言った。
「もう、レティ母様ってば。あたしもうそこまで子どもじゃないよ。誕生日くらいでそうそう興奮したりしないんだから」
「あらそうなの? それは何だか残念だわ。――まあ、何にしても、誕生日おめでとう。一日遅れでも、節目になる大事な日を直接祝えて嬉しいわ」
「そうだね。誕生日と成人おめでとう、ルリ」
レティ母様とヨルダ父様に続けざまに祝われて、あたしは照れながら口を開いた。
「ありがとう、レティ母様、ヨルダ父様。シアも。あたしも、みんなに祝ってもらえて嬉しいよ」
「それじゃ、誕生日祝いに食事でもおごりましょうか。ルリ、お昼はまだよね?」
レティ母様に言われて、あたしはおなかを押さえた。
「そういえば、まだ食べてない。忘れてた」
気づいたら、急に空腹感に襲われた。おなかがぐうーと鳴る。
あたしは急いでお昼の献立が書いてある黒板を見て、料理を注文した。厨房に向かったシアの背を見送っていると、横に誰かが立ったのを感じた。
「おかえり、リューリア」
「義姉さん、ただいま」
「コーラさんとペルルさんに会えて良かったわね。随分興奮していたし」
義姉さんがからかうように言う。さっきあたしが子どもみたいにレティ母様に抱きついてたのを見てたんだろう。
あ、ちなみに、コーラさんとペルルさんっていうのは、レティ母様とヨルダ父様のことだ。正式な名前はクリソコーラ・レティとペルル・ヨルダ。
あたしは照れて頬をかいた。
「えへへ。騒いじゃってごめんね。あたしがいない間、お店大丈夫だった?」
「ええ。ティスタちゃんががんばってくれたし、ルチルさんも都合がつく時は給仕に入ってくれたから、何とかなったわ」
「そっか。良かった」
「そうそう、誕生日と成人おめでとう、リューリア。もう一人前ね」
「うん。ありがとう、義姉さん」
そこでシアが注文した料理を持って戻ってきた。
食堂は混んでいるので、シアも義姉さんも長々とお喋りはせずに、仕事に戻っていった。
あたしは目の前に置かれた料理に意識を向けた。手を重ねてから、一口目を口に運ぶ。いざ食べ出すと止まらなくて、少しの間一言も喋らずに食事を続けた。




