第十九章 レザレイリア・クロー(2)
レザレイリアさんは、にっこりと笑って立ち上がった。
「それでは一緒に来てくださいな。実験室に案内いたしますわ」
急いで荷物をまとめて、レザレイリアさんについて応接間を出る。しばらく廊下を歩いたところで、レザレイリアさんが「ここですわ」と部屋の扉を開けた。
中に入ると、意外と物のない部屋だった。部屋の真ん中に大きなテーブルが置かれていて、ガラス窓から差し込む日差しが燦々と降り注いでいる。テーブルの上や棚には見たことのない器具が色々置いてあるけど、周囲はきれいに掃除されていて、床には物は置かれていない。
本棚がたくさんあるような部屋を想像してたんだけど、テーブルの上に何冊か本が置かれている程度だ。
そこまで考えてから、思いついた。もしかして、別に書斎があって、本はそこに置かれているのかな。これだけ広い館なんだから、何もかも一つの部屋につめ込むってことはないだろうし。
あたしが納得していると、レザレイリアさんは、棚に並んでいる器具の内の一つを取り上げた。二つの筒を並べてくっつけたような形で、筒の中にはガラスらしき物がはまっている。前に本の挿絵で見たことがある。確か双眼鏡っていう物だ。
レザレイリアさんは、双眼鏡を顔に当てると、その筒越しにこちらを見ているようだ。
「これは、魔力が少量でも目で見ることができるようにする魔道具ですの。まずはあなたの魔力を見せていただきたいのよ。手の平を前に突き出して、そこから魔力を放出してくださる? ただ放出するだけで、何か手を加えたりはしないでくださいね」
「わかりました」
あたしは言われたとおりに魔力を放出した。量や時間は指示されなかったので、止められるまでやればいいのかな、と魔力の放出をしばらく続ける。
レザレイリアさんは、あたしの魔力に見入っているようだったけど、やがてほうっと息を吐いた。
「やっぱりわたくしの仮説は正しかったのですわ」
独り言のような口調だったけど、無視するのも何だから、問いかける。
「仮説、ですか?」
「ええ、あなたの無属性魔力は、他の属性の方の無属性魔力に比べて、他属性の魔力の量が多いのです。おそらく属性変換の手順を踏まずにそのまま魔力を放出しているからだと思いますわ」
レザレイリアさんはそう説明すると、口をつぐんで、またしばらくあたしの魔力を観察しているようだった。それから、再び口を開く。
「あなたの魔力には火属性の影響が強いですわね。血縁に火属性の方がいらっしゃるのではない?」
「はい。父と兄が火属性です」
「やっぱりそうですの」
レザレイリアさんは、双眼鏡の形の魔道具を下ろすと、晴れやかな笑みを浮かべた。
「仮説が正しいと証明される瞬間というのは、本当に気持ちの良いものですわ」
もういいのかな、と判断して、あたしは魔力の放出をやめた。
ちょっと感慨にふけっている様子だったレザレイリアさんは、少しして気を取り直したようにこちらに意識を戻した。テーブルに歩み寄って、魔道具を持っていない方の手で一枚の紙とペン、インク壺を引き寄せる。
「それでは、魔法を使っていただける? まずは火魔法からお願いしますわ」
そう言って、また魔道具を目に当てる。あたしは言われるがままに、火魔法、水魔法、風魔法、地魔法と次々に魔法を使った。
レザレイリアさんはあたしの魔力を観察しながら、時々紙に何か書き込む。
一通り魔法を使い終えると、「ひとまずここまででいいですわ」と言われた。
レザレイリアさんは、魔道具をテーブルの上に置いて、色々書き込んでいた紙を見ながら、ぶつぶつつぶやいている。きれいに整えられていた黒髪が少し乱れて象牙色の肌に落ちかかっているけど、本人は全く気にした様子はない。もしかしたら、気づいてもないのかもしれない。
やっぱり研究とかに熱中すると身なりに構わなくなっちゃう人種なのかな。今のレザレイリアさん、目の前の研究に夢中で、あたしがいることさえ忘れちゃってるみたいな様子だし。
あたしはレザレイリアさんの集中を妨げないように、なるべく気配を殺してそこに立っていた。こういう状態の人はお師匠で慣れているから、そんなに苦ではない。
でも、この後にレザレイリアさんから貰うことになっている情報の内容が気になって、そわそわしてしまうのは抑えられない。瘴気の浄化方法を教えてもらえるのか、それともそんな方法は知らないと言われるのか……。
後者だったら本当に手づまりだ。シアを護るためにあたしができることは、もうなくなってしまう。シアを失ってしまうかもしれないんだ。
そう考えると、レザレイリアさんの持っている情報を知るのが怖くなる。早く聞きたいと思うのに、絶望の淵に突き落とされるかもしれないその瞬間をなるべく先延ばしにしたい気持ちもある。
あたしが無言で葛藤していると、レザレイリアさんが紙をテーブルに置いて、ふうっと息を吐き出した。あたしの体が思わずびくっと揺れる。
レザレイリアさんはあたしの方を向いて微笑んだ。
「研究につきあってくださってありがとうございました。あなたのおかげで研究が随分と進みそうですわ」
「いえ……役に立てたなら良かったです。それで、その、対価の情報なんですが……」
「そうでしたわね」
レザレイリアさんは、少し考えるように宙を見た。それからあたしに視線を戻す。その口がゆっくり開かれるのに合わせて、あたしの緊張も高まっていく。
「わたくし、〈神々の愛し児〉に頼らない瘴気の浄化方法は存じ上げませんわ。――ですけれど、〈神々の愛し児〉が瘴気の浄化で命を落とす確率を大幅に下げる方法なら存じています」
「……え?」
想像もしていなかった内容に、頭がうまくついていかない。
「わたくしの持っている知識は、あなたが元々求めていたものとは違っていますけれど、〈神々の愛し児〉である幼なじみが瘴気の浄化で命を落とすのを防ぎたい、というあなたの目的には適っていると思いますわ。いかがでしょう? その方法をお聞きになります?」
レザレイリアさんの言っていることの意味がようやく頭の奥に達して、あたしは身を乗り出してうなずいた。
「は、はい! 教えてください!」
「わかりましたわ。それでは応接間に戻ってお話ししましょうか」
レザレイリアさんの言葉で、あたしたちは応接間に戻った。レザレイリアさんが使用人に言いつけて、お茶を淹れ直させる。そのお茶を一口飲んでから、レザレイリアさんは口を開いた。
「わたくしが知っているのは、大勢で浄化の儀式を行い命の危険を分散させる方法です」
「大勢って、〈神々の愛し児〉何人くらいですか?」
レザレイリアさんは、ティーカップを置いて、首を振った。
「〈神々の愛し児〉のことではありませんわ。この儀式に参加するのは、一般人です」
「え……一般人って、魔術師でもない普通の人のことですか?」
「そうです。一般人でも瘴気を浄化する力を持っていることはご存じ?」
「はい。師匠に聞きました。でも〈神々の愛し児〉以外の人間は、自分の意思で瘴気を取り込むことができないって……」
「ええ、そのとおりですわ。ですから、〈神々の愛し児〉が取り込んだ瘴気を魔力の紐でつながった人たちに送り込んで、皆で瘴気の浄化を行うのです」
あたしは大きく目を見開いた。
「そんな方法があったんですか!」
「ええ。ただし、この儀式には欠かせない存在があります。〈神々の愛し児〉もそうですが、もう一人、〈無垢なる力を持つ者〉が必要なのです」
あたしははっとした。その言葉は聞いたことがある。
「〈無垢なる力を持つ者〉というのは古語で、意味は――」
「無属性の人間……」
あたしは、レザレイリアさんの言葉を遮るようにつぶやいていた。興奮で鼓動が速くなる。
「ご存じでしたのね。そう。つまりは、あなたのことですわ」
あたしは高鳴っている心臓を押さえた。あたしが、シアを護る力になれる。シアが命を落とす確率を下げるために、直接何かができる。こんな朗報はない。
「無属性は〈神々の愛し児〉より珍しい存在ですのに、その無属性の人間が通常の瘴気の浄化方法とは違う方法を求めて、知識を持つわたくしの元にやってくる。これはもう、何かの巡り合わせとしか思えませんわね」
レザレイリアさんの言葉に、あたしは無我夢中でうなずいた。
「はい! 本当に……!」
「――ですけれど」
レザレイリアさんの顔が険しくなる。
「この方法は、言うほど簡単ではありませんわよ。まず、あなたも命を落とす危険を背負うことになります」
その言葉にあたしは反射的に怯んだ。でもすぐに、唇をきっと結んで答えた。
「構いません」
死ぬのは怖い。死ぬかもしれないなんて、考えるだけで背筋が冷たくなる。
でも、シアを一人で死ぬかもしれない場所に追いやるより、二人で一緒に危険に立ち向かう方を、あたしは選ぶ。その方がずっとましだから。
「あなたの覚悟はわかりましたが、死ぬ可能性があるのは、〈神々の愛し児〉やあなただけではありません。儀式に参加する全ての人です。あなたの幼なじみが死ぬ確率を大幅に下げるためには、相当な人数が儀式に参加する必要があります。それだけの数の死ぬ覚悟を持った人々を、あなたは集められますの?」
「……大体どのくらいの人数が必要なんですか?」
「そうですわね……。わたくしはこの儀式について先祖の手記で読んだのですけれど、その時の儀式では、約八百人が参加したそうですわ。そして二人の死者が出たそうです。儀式に参加する人間が多ければ多いほど死者の数は減るそうなので、これ以上の人間を集められれば、死者を出さないようにすることも可能かもしれませんけれど……それだけの人数と魔力の紐でつながるのは相当な負担でしょうから、あまり現実的ではありませんわね」
「八百人……」
あたしは呆然とつぶやいた。クラディムの人口の三分の二近くの人数だ。自警団が確か予備の人数を入れて約四百人だったはずだから、それくらいは何とかなりそうだけど、それ以上はわからない。
でも……。
あたしはぎゅっと拳を握りしめた。ようやく見つけたシアを護るための糸口なんだ。まだまだ道は険しそうだけど、ここで諦めてなんかいられない。
「どれだけ集められるかはわかりませんけど、町に帰って町会で議題にかけてみます。私の町の人たちは自分たちの手で自分たちの町を護ろうって意識が強いので、何とかなるかもしれませんし……」
そうだよ。兄さんがいつも言ってるとおり、クラディムの町は自主自立の気風が強い。皆の協力が得られる可能性は決して低くないはずだ。魔獣と戦うのをあたしやお師匠に任せるのが不満だった人もいたくらいだし。
とにかく、帰ってお師匠や家族、それに町長さんに相談してみないと。
「それでは、あなたは本当にその儀式を行うつもりですのね?」
「そのつもりです。といっても、私一人で行える儀式ではないんですよね? だから、皆の協力を得られれば、になりますけど……」
「では、その儀式、わたくしに見せていただけません?」
「え……」
あたしはぽかんとした。レザレイリアさんは、目をきらきらとさせてこちらに身を乗り出している。
「もちろん、何の対価もなしにとは申しませんわ。わたくしも儀式に参加いたします。たった一人増えるだけでも、少しは意味があると思いますわ」
「それは、ありがたい、ですけど……レザレイリアさんは私の町に別に思い入れがあるわけでもないのに、なぜ命の危険を冒してまで儀式に参加したいんですか?」
「だって、こんな珍しい儀式を自分の目で見られて参加までできる機会なんて、そうそうありませんもの。命をかける価値もあるというものですわ」
……知識欲が強いとは聞いていたけど、それで命までかけるって、すごいな。あたしにはちょっと理解できない。
でもまあ、他人の生き方にあれこれ言うのも何なので、あたしはただうなずいた。
「わかりました。でも、レザレイリアさんは、私の町クラディムまでどうやっていらっしゃるつもりですか?」
「それはもちろん馬車を出しますわ」
やっぱりそうなるよね。いい家のお嬢様だもんね。
「とすると、旅の準備もありますし、身体強化で歩いて帰る私より多分クラディムへの到着が遅くなりますよね。まあ、帰ってすぐに儀式を行えるわけではなくて、町会の会合を開いて皆を説得したり儀式の準備をしたりしないといけないから、多分大丈夫でしょうけど、間に合わない可能性もありますよ? あなたの到着を待つためだけに儀式を先延ばしにすることは、多分できませんから」
レザレイリアさんは、眉を下げた。
「それは確かにそうですわね。瘴気の浄化はなるべく早く行わなければならないことですもの。……もし間に合わなかった時は、残念ですけれど仕方ありません。潔く諦めることにいたします」
あたしはほっと胸をなで下ろした。自分が到着するまで何が何でも待て、ってごねられたらどうしようかと思ってたんだ。
「それじゃあ、レザレイリアさんが間に合わなかった場合に備えて、儀式の詳細を聞いておきたいんですが……」
「わかりましたわ」
それからしばらく、あたしは儀式の手順の詳細をレザレイリアさんから聞いた。といっても、レザレイリアさんも先祖の手記で読んだだけだから、儀式の全てを知っているわけじゃないそうだ。レザレイリアさんの推測も多分に入っているとのことだった。実際にどうやって儀式を行うかに関しては、シアやお師匠のような魔術に詳しい人たちにも相談した方がいいだろう。
とりあえず、話を聞き終えて、お礼を言う。
「貴重な知識を分けていただいて、本当にありがとうございました」
「あら、礼なんてよろしいのよ。わたくしの方こそ実験に協力していただいて助かりましたもの。本で読んだ儀式に参加する貴重な機会も頂けるのですし」
レザレイリアさんはにっこりと笑った。
あたしはクラディムの位置とここサラヒハラからの道順、そして自分の家が〈フェイの宿屋〉であることを教えると、またクラディムで、と挨拶を交わしてレザレイリアさんの館を後にした。
通りを歩いている人の中から親切そうな男性をつかまえて、この町に鳩便屋があるか尋ねる。あるということだったので、道順を教えてもらって、礼をして別れた。
鳩便屋に行くと、クラディムまで鳩便を飛ばしてもらう。大きな町経由になるので多少日数はかかるけど、あたしが帰り着くよりは早く届く。
宛先は、〈フェイの宿屋〉気付でシアだ。文面は、少し悩んだけど、詳しく書くのはやめて要点だけにした。
『シアがやろうとしてるのとは別の瘴気の浄化方法が見つかったから、あたしが帰るまで待っていて』
ここサラヒハラに立ち寄るのは予定になかったので、帰り着くのは当初の予定より数日遅れる。その間にシアが瘴気の浄化を行ってしまわないように、念のため手を打っておきたかったんだ。
だけど、シアがどれだけ待てるかは、シアの里から応援に来る人たちの態度次第だから、少しでも早く帰らないといけない。
あたしは急いで宿屋に戻ると、手早く旅支度を整えた。今旅立つとまた野宿になる可能性もあるけど、でもだからって今日の残りをのんびり過ごすなんて無理だ。
そういうわけで、宿屋で昼食を取って、旅人向けの店で携帯食の補充をすると、早々にサラヒハラを出た。
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