第十七章 ヨムカム一族(3)
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ティカロスさんが立ち上がって頭を下げたので、あたしも倣う。男性がバルティラさんの隣に座ると、ティカロスさんがソファーに腰を下ろして口を開いた。
「お久しぶりです、ケイディース様」
「ああ、久しぶりだな、ティカロス」
「リューリア様、この方がケイディース様です」
「こんにちは。クラディムという町で魔術師をしているリューリアです。今日は、〈神々の愛し児〉に頼らない瘴気の浄化方法についてヨムカム一族の方々のお知恵を拝借したくて、お邪魔いたしました」
ケイディースさんがバルティラさんの方を見る。バルティラさんがうなずくのを確認してから、あたしに向き直った。
「それでは、ヨムカム一族の知識の番人として、お答えしよう。我々一族の知識には、そちらが求める情報はない」
きっぱりと言い放たれたその言葉の意味が頭に浸透するまで、少しかかった。あたしは呆然と、ケイディースさんを見つめた。
「……〈神々の愛し児〉に頼らない瘴気の浄化方法を、ヨムカム一族はご存じない……ということですか?」
「そういうことだ」
あたしはひゅっと息を呑んだ。交渉を成立させて浮かれていた気持ちが、一気に落ち込んで、胸が重い物にふさがれたように苦しくなる。
そんな……。せっかく魔術師一族との交渉に成功したのに。知恵を貸してもらうことができたのに。それなのに、その全てが無意味だったなんて……。
体から力が抜けて、あたしはソファーの背もたれに沈み込んだ。魔術師一族があたしの求める情報を持っていない可能性もわかってはいたはずなのに、こうして目の前に突きつけられると、絶望感が心を蝕む。
あたしのやってることは無駄足に終わるだろう、というシアの言葉が頭の中でこだまする。結局シアが正しかったの?
「それでは、交渉を進めよう」
バルティラさんの声に、あたしはのろのろと視線を上げた。バルティラさんの言っている意味がわからない。交渉はもう終わったはずだ。あたしは、求める結果を得られなかった。
「この金剛石の対価をそなたは硬貨以外の物で欲しいと言ったが、特別に大金貨二百枚を払おう。そなたを手ぶらで帰らせるのも、何じゃからの」
「いえ……お金はいりません。その石は、情報を教えてもらう対価にお譲りした物ですから……」
あたしは力なく言った。瘴気の浄化方法を知らない、というのも立派な情報だ。それを教えてもらった時点で、取引は成立している。
「こちらが払うと言っておるのじゃ。そなたは素直に受け取れば良い」
バルティラさんはそっけなく言う。あたしが困惑していると、ティカロスさんが身を寄せてきてささやいた。
「お金を貰っておいた方が良いですよ。理由は後でご説明します」
あたしは、ティカロスさんを見てから、バルティラさんに視線を戻した。バルティラさんには譲る気はないように見える。とてもじゃないけど押し問答をする気分になれないあたしは、降参するようにうなずいた。
「わかりました。ありがたく頂いておきます」
大金貨二百枚を受け取って、辞去の挨拶をしてヨムカム家の館を出る。馬車の中で、ティカロスさんが話し始めた。
「お求めの情報が得られなくて、残念でしたね」
「はい……」
「だからこそ、大金貨二百枚を貰っておいた方が良いと申し上げたのですよ」
あたしは、眉を寄せてティカロスさんを見た。
「どういう意味ですか?」
「ヨムカム家の方々がこの取引を内密のものにしておきたいのは、あなたも聞かれたでしょう? あのお金には、求めるものを得られなかったあなたへの口止め料という意味が大きかったはずです。もしあなたが受け取ることを頑なに拒んでいれば、あちらは疑心暗鬼になってあなたを探らせたでしょう。もっと乱暴な方法で口を封じようとした可能性すらあります。だから、あちらを安心させるために、貰っておいた方が良い、と助言させていただいたのです」
「そういうことだったんですか……」
あたしはため息をついた。そんなところまで頭が回らなかった。求めていた情報が手に入らなくてがっくりしているせいもあるだろうけど、普段の状態でもわからなかったんじゃないかな。
上流階級の人と取引するのって、やっぱりめんどくさい。いちいち言葉の裏を読まなきゃならないなんて。
「それで、リューリア様。気落ちしていらっしゃるところに申し上げるのは、気が引けるのですが、今度の交渉に関する仲介料金を頂けるでしょうか」
ティカロスさんの声に、あたしは顔を上げた。
「あ……そうですね。すみません。忘れるところでした。いくらになりますか?」
「大金貨五枚と小金貨六枚となります」
あたしの財布に入っているお金では足りない。あたしは、ヨムカム家で貰った布袋から、大金貨を六枚取り出した。
「これでお願いします」
「かしこまりました。お釣りは店に帰ってからお渡しするということでよろしいでしょうか」
「はい」
あたしは短く答えて、口を閉じた。ティカロスさんは喋る気力のわかないあたしに気をつかったのか、その後は店に着くまで何も話しかけずにいてくれた。
〈エスティオス宝飾店〉に戻ると、奥の部屋に通された。ティカロスさんは、部下に金貨を渡して、お釣りを持ってくるように言いつける。リエットさんがお茶を淹れてくれて、部屋の隅に控える。
ティカロスさんは、間を持たせるように話を振ってくれるけど、どうしても楽しくお喋りする気分になれなくて、短く相槌を打つだけになってしまう。
そんなあたしにティカロスさんも困ったのか、少しの間沈黙が落ちた。それから、ティカロスさんがまた口を開く。
「リューリア様は、ここコーラウス以外にもいくつか目的の場所があって旅をしているとおっしゃっておられましたよね。それは、ヨムカム家以外とも同じ情報を求めて取引をされる、ということですか?」
「はい……そうです。この後はパリエスに向かう予定です」
「そうですか。そちらの取引では、お求めの情報が手に入ると良いですね」
ティカロスさんが励ますように微笑みかけてくる。その言葉が、じんわりと頭にしみ入ってきた。
そうだ。まだ終わりじゃない。まだ旅は途中なんだ。まだ、パリエスのクロー一族の人がいる。その人との交渉が待っている。こんな所でくじけているわけには行かない。
あたしは、大きく息を吸って吐いた。それから、ティーカップに手を伸ばして、お茶を飲む。そしてティカロスさんに微笑み返した。
「ありがとうございます。少し元気が出てきました」
「お力になれたのなら、幸いです」
ティカロスさんが人当たりのいい笑みを浮かべたところで、扉を叩く音がした。ティカロスさんの許可を得て、お釣りを持った店員さんが入ってくる。あたしはその金額を確認してから、ティカロスさんに向き直った。
「今日はありがとうございました。色々お力添えしていただいて、本当に感謝しています」
「いえいえ、こちらも商売ですから、お気になさらないでください。また何かご用がありましたら、どうぞこの店でもクラディム支店でもお気軽にいらしてください」
ティカロスさんは笑顔で見送ってくれた。あたしはリエットさんに案内されて店の表に戻る。
その途中で思い出して、朝話した時にお店の情報を教えてくれたことへのお礼を言った。リエットさんにお薦めされた店で昼食を食べたこととその食事がとてもおいしかったことを告げると、リエットさんは嬉しそうに笑った。
「それは良かったです。どうぞコーラウスでの残りの滞在も楽しまれてくださいね」
「はい。案内ありがとうございました。それではリエットさんもお元気で」
店の前でリエットさんと別れて、あたしは歩き出した。時刻はもう夕方だ。リエットさんに聞いた店の一つで夕食を取ろうかな。おいしい物を食べて、元気を出したい。そしたら、明日の旅立ちに向けて、準備をしないと。
そう考えながら、あたしは西日に染まる道を歩いていった。
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