表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/98

第十七章 ヨムカム一族(2)

 外に出ると、涼しかった店内との落差で、実際よりも暑く感じる。あたしは少し顔をしかめてから、自分の体に冷気をまとわせた。暑いのは嫌だし、それに上等な服を着ているので、なるべく汗はかきたくないしね。


 それから、大衆向けの店が並んでいる区画に足を向ける。さっきリエットさんに教えてもらったおいしくて値段も手頃な店の一つで昼食を食べようかと思ってる。まだ〈エスティオス宝飾店〉に戻る時間までには鐘三つ分くらいあるから、行列ができていても多分大丈夫だろうし。

 おいしい物食べて、気分を上げて、体力と気力を充実させて、交渉に臨むんだ。


 しばらく歩いて周囲を歩く人のほとんどが中流階級くらいに見える人になった辺りで、親切そうな人をつかまえて〈タカム亭〉への道を訊く。さすがに人気の店なだけあって、一人目で道を知っている人が見つかった。


 〈タカム亭〉は、ちょうど昼の営業時間が始まったばかりらしく、思ったほど行列は長くなかった。半時間ほど待って、中に入り、席に着く。


 どうせだから飲んだことや食べたことのない物を頼もう、と思って、ロメロのジュースとシャムシャイと野菜のかき揚げを頼んだ。さっきリエットさんが教えてくれたところによると、シャムシャイというのは、この辺でしか取れない魚の一種だそうだ。


 ジュースはすぐに運ばれてきた。あまり甘くなくさっぱりとした味で、この季節にはちょうどいい。ただ、ぬるかったので、火魔法で冷たくしてから、もう一口飲んだ。うん、こっちの方がずっとおいしい。


 普通の人はそんなに魔力量が多くないので、注文される飲み物全てを冷やしていたら、すぐに魔力切れを起こしてしまう。だからといってそのためだけに何人もの火属性従業員を雇うような余裕がある店はそうそうないので、夏場の冷えた飲み物は高級品だ。結構な追加料金を払わないと手に入らない。だから、火魔法が使える人間は自分で冷やす。


 ちびちびとジュースを飲みながら、頭の中でヨムカム一族との交渉の展開を色々想定して対策を考えておく。


 料理が運ばれてきたので、思考を一旦中断して食事に取りかかる。かき揚げの衣はサクサクしているし、一方でシャムシャイの身はやわらかくて、その食感の違いがたまらない。野菜も新鮮な物が使われているようで、人気店の料理なだけはあるおいしさだった。


 この店に来て良かったなあ。後でリエットさんにお礼を言う機会があるといいんだけど。


 満足しながら食事を終えて、代金を机に置く。店を出る前にふと思いついて、すぐ傍を通った給仕を呼び止めた。


「すみません。この辺で、ゆっくり座って考え事ができるような場所ってありますか?」


「それなら、噴水広場に行ってみてはいかがですか? ここからだと……」


 給仕さんに礼を言って店を出て、教えてもらった道を歩く。噴水広場はすぐに見つかった。


 わあ、本物の噴水だ。本の挿絵で見たことはあるけど、本物を見るのは初めてだ。噴き上がる水と跳ね散る水しぶきがいかにも涼しげで良い。


 噴水の縁に腰かけて、一つ息を吐く。結構歩いたからなあ。ここで休みながら、ヨムカム一族への対策をもっと練ろう。


 日差しが燦々とまぶしくて、暑いせいだろう。座って時間をつぶしている人はほとんどいないけど、あたしは帽子をかぶっているし冷気もまとっているから、そんなに気にならない。


 そこで一時間くらい過ごしてから、立ち上がった。さて、そろそろ〈エスティオス宝飾店〉に戻るか。


 〈エスティオス宝飾店〉に着いたところで、ちょうど九の鐘が鳴った。時間ぴったり。


 店に入ると、ソファーで少し待たされた後、ティカロスさんが奥から出てきた。朝着ていた物よりもたっぷりと布を使った高級そうな服を着ている。


「それでは、リューリア様、参りましょうか。今入口に馬車を回させていますので」


 あたしは瞬きした。


「馬車ですか?」


「はい。ヨムカム家ほどの方の元へ伺う時は馬車でなければ」


 ふーん。そういうものなのか。


 ティカロスさんの後について外に出ると、本当に入口のすぐ前に馬車が止めてあった。派手ではないけど、結構上等そうに見える。御者もかっちりした服を着て身ぎれいにしている。


 中に乗り込むと、馬車は動き出したけど、その速度は遅かった。


「馬車って結構遅いんですね」


「街中ですからね。速く走らせると、事故が起こりかねませんから」


「ああ、それはそうですね。でもこれだったら、歩いた方が速いですよね?」


 ティカロスさんは少し苦笑した。


「速さは問題ではないのですよ。馬車を用意できるだけの金銭的な余裕がある、と示すことが重要なのです。つまり、こちらはあなた方の取引相手にふさわしい格がある、と相手に言葉を使わずに伝えているわけですな。貴族の方やヨムカム家のように伝統や地位のある方々には、そうでなければ相手にしていただけませんから」


「そういうものなんですか……」


 上流階級の人たち相手に商売するってのは、色々大変そうだなあ。


 しばらくして、ゆっくり進んでいた馬車が止まった。馬車の窓にかかっている布を持ち上げたティカロスさんが「ヨムカム家のお屋敷に着きましたよ」と言う。


 あたしも反対側の窓のかけ布を持ち上げて、首を伸ばして外をのぞいた。


 ヨムカム家の屋敷は立派な建物だったけど、ライファグ家の館ほど近寄りがたい雰囲気ではなかった。簡単に表すなら、普通の貴族の館、って感じだろうか。貴族の館、行ったことないけど。


 でも、本や歌、劇での描写からこんな風かなって想像していた貴族の館の像によく合っている。この大都市の、それも高級住宅街らしき所に、それなりに広い敷地を構えて、歴史のありそうな石造りの建物はよく整備されているようで、庭園も綺麗に整えられている。


 門には門番がいて、御者さんが「〈エスティオス宝飾店〉から参りました」と告げている。それを聞いた門番さんは、うなずいて門を開けた。


 馬車がまた進み出す。門の中に入って、庭に造られた広い道を通って、屋敷の玄関前に止まった。「到着いたしました」と御者さんが言う。


 ティカロスさんは馬車の扉を開けると、先に下りて、こっちに手を差し出してくれた。そんな、どこかのご令嬢みたいに扱われたことはないので、ちょっとドキドキしながら、その手を取って下りる。


 さあ、いよいよヨムカム家との交渉の始まりだ。緊張するけど、それを他の人に気づかれないようにしないと。平常心、平常心。それから、なめられないように、堂々と振る舞わなきゃ。


 執事さんらしき中年の男性が玄関の扉を開けて「ようこそいらっしゃいました」と礼を取る。


「お久しぶりです、ティカロス様。お初にお目にかかります、リューリア様。こちらへどうぞ」


 執事さんに案内されて廊下を歩く。今まで見たことがないほど上等そうな調度品が並んでいるけど、きょろきょろしないように努める。でも、町長さんはもちろん、ライファグ一族よりもお金持ちそうなのが、視界に映るあらゆる物から伝わってくる。


 うう、一番上等な服を着ているのに、場違いみたいに感じてしまう。でも、そんな気持ちを表には出さないように、必死で何でもない顔を保つ。堂々としていれば、場違い感は何割か減るはず。……多分。


 応接間に案内されてソファーに座ると、中年の女性がお茶を淹れてくれる。


「ありがとうございます」


 反射的にお礼を言ってから、はっとした。こういう時にお礼言わないのが、上流階級では普通なのかな。先にお茶を貰ったティカロスさんも言わなかったし、ライファグ一族の館では、お礼を言ったら見下されたし。


 でも今度の女性は、驚いた様子もこっちを見下す様子もなく、ただ礼儀正しくうなずいただけだった。あたしにとっては普通の反応だけど、その普通さにほっとする。


 屋敷の外見だけでなく、使用人の態度も、ライファグ一族の館とは違って、冷たい感じがしない。ティカロスさんが一緒だからなのかもしれないけど、それだけで不安がちょっとは減る。


 それでも緊張はするから喉が渇いて、あたしはお茶を一口飲んだ。うわ、お師匠のお茶よりおいしい。本当にお金持ちなんだ、この家。


 ライファグ一族の時と同じくらい待たされることも覚悟してたんだけど、あたしがお茶で喉を潤してティーカップをソーサーに置くのと同時くらいに応接間の扉が開いて、年配の女性が入ってきた。

 派手ではないけど高級そうなドレスを着ていて、宝石を使った装飾品もいくつかつけている。


 ティカロスさんが立ち上がったので、あたしもそれに倣う。ティカロスさんは恭しく頭を下げて口を開いた。


「バルティラ様、ご無沙汰いたしております。こちらがお話しいたしましたリューリア殿です。リューリア様、ヨムカム家のご当主バルティラ様です」


 あたしはなるべく礼儀正しく頭を下げた。


「初めまして。クラディムという町で魔術師をしているリューリアといいます。この度は急な話にもかかわらず面会の申し入れを受けていただき、本当にありがとうございます」


 バルティラさんは、ゆったりしたしぐさでソファーに座ってから、口を開いた。


「構わぬ。そなたは赤い金剛石を売りたいというではないか。本物であれば、こちらにとってもまたとない機会なのでな。特に急ぎの予定もなかったし、ちょうど良いところであった」


 ティカロスさんとあたしがソファーに座り直すと、ティカロスさんがあたしを促した。


「それではリューリア様、石をお出しください」


 あたしはうなずいて、肩かけ鞄から布袋を取り出し、その中から赤い金剛石を出してテーブルに置いた。


 バルティラさんの目がきらりと光る。でもバルティラさんはすぐに手を出そうとはせず、まずティカロスさんに目を向けた。ティカロスさんは心得た表情で話し出す。


「イクシムが鑑定いたしましたが、高確率で本物であろう、ということでした」


「そうか。イクシムの目にかなったのであれば、間違いはなかろう。魔力をこめてみても良いかえ?」


 あたしは堂々と見えるように意識しながらうなずいた。


「もちろんです。どうぞご自分でお確かめください」


 バルティラさんは金剛石を持ち上げると、じっと見つめた。


「なるほど。確かに本物のようじゃ。魔力の通りが良い。これは質の良い金剛石じゃの」


 へえー、魔力をこめてみると、石の種類とか質がわかるんだ。それは知らなかった。あたし、魔術に宝石を使ったことないからなあ。というか、宝石自体、シアのくれた瑠璃と金剛石以外触ったことないし。


 バルティラさんは赤い金剛石をテーブルに置くと、あたしを見た。


「それで、リューリアとやら、そなたはこれをいくらで売りたいのじゃ?」


 あたしは虚をつかれて、咄嗟に言葉を出せなかった。金剛石を売るってのはあたしにとってあくまでも魔術師一族と面会を取りつける手段だから、売値なんて考えてなかった。宝石に詳しくないあたしには、いくらくらいが妥当なのかもわからない。


 困っていると、それを察したのか、ティカロスさんが口を挟んだ。


「私の見立てですと、大金貨八百枚から八百五十枚ほどが妥当かと思いますが、いかがでしょう? リューリア様」


 あたしは、顔から血の気が引くのを感じた。そんな大金、想像したこともない。一生遊んで暮らせるくらいの金額だ。


 とても現実とは思えない。話についていけない。気が遠くなりそうになる。


 でもあたしは、必死にそんな自分を引き戻した。こんな大金を代価に提案されるのは、良いことなんだ。それだけこの金剛石に価値があるってことなんだから。それは、交渉を有利に進められるかもしれないってことだ。


 あたしはごくりと唾を呑んで喉を湿らしてから、口を開いた。


「実は代価を硬貨以外の物で頂きたい、と言ったら聞いていただけるでしょうか」


 声はかすれていたけど、震えてはいなかった。……と思う。


 バルティラさんは、あたしを値踏みするように、少し目を細めた。


「それは物によるの。そなたは何が欲しいのじゃ?」


「情報です」


 バルティラさんが無言で先を促してくる。


「実は私の町クラディムは先日魔獣に襲われました。幸い魔獣はすぐに退治されましたが、町の近くに発生した瘴気を浄化する必要があります。欲しいのは、その浄化方法についての情報です。〈神々の愛し児〉に頼らない浄化方法を、ご存じではないでしょうか?」


 バルティラさんはじっとあたしを見つめた。


「つまり、我が一族の知恵を貸すかわりに金剛石を譲る、と?」


「そう取っていただいて結構です」


 バルティラさんは、口の端を持ち上げてすごみのある笑みを浮かべた。


「そなた、なかなか度胸があるな。いくら希少な宝石の代価とはいえ、魔術師一族にとって宝とも言える知識を要求しようとは」


「魔術師一族の方が知識を一族外の人間と共有したがらないのは、存じています。ですが、どうしてもこの情報が必要なんです」


 あたしはバルティラさんの目を見据えて訴えた。


「この金剛石だけでは対価として不充分だとおっしゃるなら、こちらからも知識をお渡しします。私の師匠の長年にわたる遠隔魔術の魔法陣の研究成果です」


 あたしは紙束を肩かけ鞄から取り出して、テーブルに置いた。


 バルティラさんは、紙束に視線を落として考え込む。あたしはじわりと汗のにじむ手をぎゅっと握りしめて、バルティラさんの答えを待った。


 バルティラさんがゆっくりと目を上げる。


「一つ、条件がある」


「……何でしょう」


「わたくしがこの取引を受けたと仮定しよう。その場合、そなたとティカロスには、他言無用を誓ってもらう。一族の知識を一介のはぐれ魔術師に売ったなどという風聞が広まれば、我が一族の名に傷がつくのでな」


 バルティラさんの目が威圧感を増す。


「もし誓いを破って他言した場合には、そなたらだけでなく一族郎党まとめて生き地獄に叩き落としてやろうぞ」


 あたしは、怯みそうになる自分を奮い立たせてバルティラさんの目を見返した。


「私はその条件で構いません」


 ティカロスさんに視線をやる。ティカロスさんは、動揺した風もなくうなずいた。


「私も異論はありません。商売人として、口の軽さでお客様の信頼を損なうような真似をするつもりはありませんから」


 バルティラさんは、もう一度あたしとティカロスさんを見てから、うなずいた。


「良かろう。それでは交渉成立だ」


 バルティラさんは、お茶を淹れた後ずっと部屋の隅で控えていた中年の女性に顔を向けた。


「ミカレ、ケイディースを呼んで参れ」


「承りました」


 ミカレと呼ばれた女性は礼を取ると、部屋を出ていく。あたしは怪訝な思いで女性を見送った。あたしの戸惑いを察したのか、バルティラさんが説明してくれる。


「ケイディースは我が夫じゃ。そして、我が一族の当代の知識の番人でもある」


「知識の番人……ですか?」


「端的に言えば、一族に伝わる知識を誰より深く知る者のことじゃ。ケイディースに訊けば、我が一族がそなたの求める知識を持っておるかわかる」


「そうなんですか」


 あたしは納得して、ティーカップに手を伸ばした。緊張でからからになっていた喉を潤していくお茶は、最初に飲んだ時より一層おいしく感じられた。


 じわじわと喜びが胸を満たして、思わず笑みが浮かんでしまう。あたし、やったんだ。魔術師一族との交渉に、成功したんだ。


「その、そなたの師匠の研究とやら、目を通しても良いかの」


 不意に声をかけられて、あたしははっと意識をバルティラさんに戻した。急いで顔を引きしめて、うなずく。


「どうぞ」


 バルティラさんは紙束を手に取ると、パラパラとめくっていく。そして、「ふむ」とつぶやいた。


「はぐれの魔術師のものにしてはよくできた研究じゃ。興味深い点がいくつか見られる」


 お師匠の研究が褒められて嬉しくて、また笑みが浮かぶ。そうだよ。お師匠はすごいんだ。ライファグ一族には、はぐれの魔術師ごとき、って馬鹿にされたけど、そんな扱い受けるべき人なんかじゃないんだ。


「私には魔術のことはさっぱりわかりませんが、とすると、バルティラ様としても悪くない取引だったということでしょうか?」


 ティカロスさんが世間話をするような口調で尋ねる。バルティラさんは、紙束から顔を上げて、少し目をすがめてティカロスさんを見た。


「……損はしておらぬかの」


「それはようございました。私も取引を仲介した者として安堵しております」


 にこにこ笑うティカロスさんに、バルティラさんは苦笑めいた笑みを浮かべて、紙束をテーブルの上に置いた。


「そなたは相変わらず腹の底が読めぬな」


「何を申されます。私はいつでもお客様をご満足させることを一番に考えてございます」


「二番以降が何であるかは、訊かないでおいてやるわ」


 そのまま、ティカロスさんとバルティラさんはお茶を飲みながら、世間話を始めた。その親しげな様子に、あたしはちょっと戸惑う。


 でも、そういえば、普段から取引があるんだもんね。旧知の仲、って言っていいのかな。商人と客という関係を超えるほどの親しさはなさそうだけど、どちらも相手との会話に慣れている印象を受ける。


 あたしがぼんやりと二人の会話に耳を傾けていると、扉が開いてミカレさんと年配の男性が入ってきた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ