第十七章 ヨムカム一族(1)
「ここがコーラウスかあ。すごーい」
あたしは周囲を眺めながら感嘆の声をこぼした。右を向いても人の波。左を向いても人の波。とにかく人が多い。
朝早くにセザンの町を出て、一日中歩いて、日が暮れる頃にようやくコーラウスに着いた。この辺では一番大きな都市だから、そりゃあ立派な所なんだろうと予想はしていたけど、その予想を上回るにぎわいだ。
背の高い建物も多くて、しかも華やかな外見をしている。高価なガラス窓が、あっちでもこっちでも、夕日を照り返して光っている。
あ、いけないいけない。あんまり周囲の光景に見とれていたり、きょろきょろしていちゃいけないんだよね。田舎者丸出しで、すりやごろつきに狙われやすくなる、ってお師匠が言っていた。
あたしはこれまで同様、屋台で軽食を買って評判のいい宿屋の情報を仕入れた。広い都市なだけあって、名前の挙がった宿屋どうしは結構離れていて、空き室が見つかるまでにしばらく歩くことになった。
でも何とか真っ当そうな宿屋に落ち着いて、息を吐く。さっき軽食を食べたおかげでまだそんなにおなかは空いていなかったので、先にお風呂屋に行くことにした。
お風呂屋では、汚れを丹念に落として、ゆっくりとお湯に浸かる。今日はもう特にすることはないから、のんびりできる。
肌がふやけるまでお風呂を堪能してから、宿屋に帰った。一階の食堂がまだ営業中だったので、改めて夕食にする。
うーん、チョウダ子羊の肉入り野菜炒めを頼んだんだけど、味がいまいち。まずいってほどじゃないんだけど、味つけがなんか物足りないんだよなあ。調味料をけちってるっぽい。
金額を考えたらこんな物かもしれないけど、料理に手を抜かない父さんの味に慣れていると、残念な味って感想になってしまう。だから、よその店で食事してもなかなか満足できないんだよね。
高級な店なら父さんの料理に匹敵する満足感を味わえるのかもしれないけど、そんな贅沢はそうそうできないし。身近に料理の達人がいるっていうのも良し悪しだよね。まあ、いいことの方が多いけど。
そんなことを考えながら食事を終えて自室に戻る。明日必要な物を肩かけ鞄に移して、明日着ていく服にアイロンがけをして、今日の旅で汚れた服は宿屋に洗濯を頼む。それを終えたら、早々に寝ることにした。しっかり休んで英気を養っておかなくちゃ。
明日の商談に関する不安や緊張でなかなか寝つけないかもしれないって思ってたんだけど、寝台に入ると旅の疲れがどっと出てくる感じがして、あっという間に眠りに落ちた。
そしてすっきりした気分で目を覚ますと、もう朝だった。閉めてある木窓の向こうから聞こえてくる小鳥のさえずりに耳を傾けながら、うーん、と大きく伸びをする。
疲れていたせいか、本当にぐっすりと眠れて、夢も見なかった。そのおかげと、ゆうべゆっくりお風呂に浸かったおかげで、疲れも取れたし、最高の状態で今日の交渉に挑めそうだ。
あたしは、ぐっと拳を握りしめた。今度こそ絶対うまくやる。やってみせる。あたしがシアを護るんだから。
そう頭の中で繰り返して、やる気を高めていく。
……そうでもしないと、ライファグ一族の館で受けた扱いを思い出しちゃって、委縮しちゃいそうだから、って理由は結構大きい。今度はあそこまで酷い扱いは受けないだろうって思ってはいるけど、どうしても不安になってしまうから。
朝食を終えると、面会用の上等な服に着替えて、身支度を整える。今日は晴れていて日差しが強いので、道中かぶっていたのとは別の上等な白い帽子もかぶる。
そして部屋を出た。宿屋の受付で〈エスティオス宝飾店〉本店と神殿の場所を訊いて、宿屋を出る。
まず最初に向かうのは神殿だ。ライファグ一族との交渉がうまく行かなかったのは、神殿への参拝をおろそかにしたせいかもってちょっと思うので、今回は最初に神殿にお参りしてから交渉に向かうことにする。
泊まっているのはそれなりにいい宿屋だけど、何せ広い都市だから、神殿までは結構歩くことになった。
ようやく着いた神殿は、さすがに大きくてにぎわっている都市の神殿って感じで、敷地も広いし建物も大きいし、建物の壁に描かれた神話の場面には、金や銀、色とりどりの石が惜しみなく使われている。石といっても多分宝石ではなくガラスだろうと思うけど、それでもすごい。「うわあー……」と思わず声がもれてしまったくらいだ。
なんか足を踏み入れづらいけど、神殿は神々に祈るつもりのある人全てに開かれている場所だ。だから何も気後れすることはない。
自分にそう言い聞かせて、内部に入る。壁や柱の細部にまで彫刻が施されているし、飾りも多いけど、建物の造り自体はクラディムの神殿と変わらないようで、ちょっと安心した。
道中で買った果物を供物として捧げて、神々の彫像が並ぶ廊下を抜けて、五大神の彫像の前で祈りの姿勢を取った。
「大地の女神メアノドゥーラよ、空の女神セリエンティよ、太陽と月の女神エルシャイーラよ、光の男神シィルナーゼよ、闇の男神ディンキオルよ。その他あまねく神々よ。どうかヨムカム一族との交渉がうまく行きますように。シアを護る方法が見つけられますように。どうぞご加護をお授けください。トゥッカーシャ」
あまり長々と祈っている時間はないので、短く、だけど真剣に祈りを捧げる。この祈りが神々に届いているといいんだけど。
神殿を後にして、〈エスティオス宝飾店〉本店に向かう。宿屋では大まかな場所しか教えてくれなかったので、近くまで来たところで、どこかの家の使用人みたいな服装をしている親切そうな中年女性を呼び止めて、詳しい場所を教えてもらった。
意外にも、〈エスティオス宝飾店〉本店は大きな店ではなかった。クラディム支店より小さいくらいだ。でも考えてみれば当然かもしれない。ここコーラウスの方が地価がずっと高いだろうから。
窓ガラスは透明度が高くて上等っぽいし、高級店らしい店構えではあるけど、クラディム支店と比べて遥かに敷居が高いってことはない。それに、さっきの神殿での驚きからは程遠い。なので、あまり緊張せずに中に入れた。
「いらっしゃいませ。〈エスティオス宝飾店〉へようこそ。本日はどのようなご用件でのご来店でしょうか?」
店員さんが声をかけてくる。
「あ、おはようございます。私はクラディムという町から来ました、リューリアといいます。こちらがクラディム支店の店長さんからの紹介状です」
肩かけ鞄から取り出した書状を店員さんに渡す。店員さんは恭しく受け取って礼をした。
「店長にこちらの書状を渡してまいりますので、そちらにおかけになってお待ちくださいませ」
ソファーを示されたので、おとなしくそこに座る。当たり前だが、ここのソファーも高価そうだ。まあ、知らない場所で高価な家具に取り巻かれるのも、慣れてきたといえば慣れてきた。
「今お茶をお持ちいたしますので、少々お待ちください」
書状を持って奥に行った店員さんとは別の店員さんがそう言ってくれたけど、そのお茶が来る前に、書状を持っていった店員さんが戻ってきた。
「店長がお目にかかりますので、奥にいらしていただけますでしょうか」
そう告げられて、奥にある部屋に案内される。そこにはすでに年配の男性と中年の男性が座って待っていて、別の店員さんによってテーブルの上のティーカップにお茶が注がれているところだった。お菓子の皿も置いてある。
あたしが挨拶をしてソファーに座ると、年配の男性が口を開いた。
「私がこの店の店長をしていますティカロスです。こっちは宝石鑑定士のイクシムと申します。お客様はお急ぎとのことで、前置きは抜きにして本題に入らせていただきますが、お客様はヨムカム家の方に赤い金剛石をお売りになりたいということでよろしいでしょうか?」
「ええと、はい。一番の目的は宝石の売買ではないんですが、簡単に言えばそうなりますね」
「それでは、その石をこちらのイクシムに鑑定させていただいてもよろしいでしょうか」ティカロスさんは温厚そうな笑顔で言う。「クラディム支店でナハリが確認したことは聞いておりますが、ナハリは専門の鑑定士ではありませんし、商談を仲介する以上は石の品質や種類を確実に知っておきたいのです。ご理解いただけるでしょうか」
「もちろんです」
あたしは肩かけ鞄から小さな布袋を取り出して、その中から出した赤い金剛石をテーブルの上に置いた。小さく息を呑む音がした。イクシムさんの方からだ。
「……それでは、鑑定させていただきます」
イクシムさんは慎重な手つきで金剛石を持ち上げ、懐から取り出した小さめの拡大鏡で色々調べ出した。
ティカロスさんはあたしにお茶とお菓子を勧めると、間を持たせるように話を始めた。あたしがコーラウスに来るのは初めてか、とか、ここまでの旅はどうだったか、とかそんな他愛もない話だ。
おいしいお茶とお菓子を楽しみながらあたしたちが話している横で、イクシムさんは金剛石の鑑定をしていたけど、しばらくして「お話し中よろしいでしょうか」と声をかけてきた。
あたしとティカロスさんは会話を中断して、イクシムさんに視線を向ける。
「この石をこちらのガラス板にこすりつけても構わないでしょうか。本物でしたら石に傷はつかないので、それを確認したいのです」
「そうなんですか。じゃあどうぞ試してみてください」
シアが生み出してくれた以上本物に決まっているし、質もいいって言っていたから、どんな試し方をされても大丈夫だろう。
イクシムさんが金剛石を小さなガラス板の角にこすりつけると、キイイッと硬質な音が立った。イクシムさんはガラス板をテーブルの上に置くと、また拡大鏡で金剛石を調べ出す。
少しして、ほうっと息を吐くと、金剛石を恭しい手つきでテーブルの上に置いた。
「私も赤い金剛石を見るのは初めてですので、絶対に間違いないとは言えませんが、これは高確率で本物だと思います。仮に金剛石ではないとしても、非常に貴重な石なのは間違いないでしょう」
その言葉に、ティカロスさんの顔に満面の笑みが浮かぶ。
「それは重畳。リューリア様、疑うような真似をして申し訳ありませんでした。ご無礼をどうぞお赦しください」
「いえ。そちらが自分たちの目で石の真贋を確認したいのは、当然のことですから」
それより、とあたしは身を乗り出した。
「これで話を進めることができますよね? 事情は詳しくお話しできませんが、少しでも早くヨムカム一族の方とお会いしたいんです。今日ヨムカム家をお訪ねすることは可能でしょうか?」
ティカロスさんは少し考えるようにした。
「そうですな。ヨムカム家のご当主様に今回の話を致しましたところ、大変興味を持たれておいででした。あちらも、早くお会いしたがっておいででしたので、うまく都合が合えば今日の午後に面会を取りつけることも可能でしょう。さっそく使いの者をやって、ヨムカム家のご当主様のご予定を確認してみます」
「よろしくお願いします」
ティカロスさんは、後ろに控えていた店員さんに指示を出してから、あたしの方に向き直った。その店員さんとイクシムさんは、礼をして部屋から出ていく。
「使いの者は一時間ほどで戻るでしょう。それまでお待ちになりますか?」
「ご迷惑でなければ、そうさせていただいても良いでしょうか」
時間をつぶすには、こんな高級店が並んでいる区画ではなく、大衆向けの店が並んでいる区画に行くことになる。でもそこまで結構歩くだろうし、行って戻ってくるだけで時間のほとんどはつぶれてしまいそうだ。だとしたら、ここで待たせてもらった方がいい。
「もちろん大歓迎ですよ。リューリア様も大事なお客様ですから」
ティカロスさんは笑顔でそう言ってくれた。
「ありがとうございます」
「いえいえ。それよりも、実はぜひともお訊きしたいことがあるのですが、こちらの金剛石は一体どのようにして手に入れられたのでしょう?」
「それは……申し訳ありませんが、明かせません」
シアの一族が宝石を生み出すことは秘密だ。本当は一族外のあたしが知っているのもまずいのに、他の人にもらすわけには行かない。シアに迷惑がかかる。
「そうですか。それは残念ですが、まあ無理もありませんな。こんな貴重な石の入手先を、そう簡単にもらすことはできますまい」
ティカロスさんは笑顔を崩さずにそう言う。あたしは曖昧に微笑み返した。
「それでは、リューリア様には、今後もその内密の伝手を使って宝石の売買を行うご意思はおありでしょうか? もしそうでしたら、わたくしどもがお力になれると思いますが」
「いえ、今回のことは例外です。私は商人ではありませんし、宝石の売買を続けるつもりはありません」
ティカロスさんが、今度は一瞬がっかりした顔になる。
「それはもったいない。この金剛石ほどとは行かなくても、上質な宝石を手に入れられる伝手がおありなら、いい商売ができるでしょうに」
「この石は今度の件のために特別に知人から譲ってもらっただけなので……」
ティカロスさんは、鷹揚に笑ってお茶を飲んだ。
「その知人の方をご紹介いただく、というのもやはり無理なのでしょうか」
あたしは少し考えた。
「そうですね……シ……彼女にその気があるなら構わないのですが。本人に確認してみなければ、私の一存では何とも言えません」
「では、うちの店と宝石の売買を行っていただければ決して損はさせません……とその方にお伝えいただけますか」
「そのくらいでしたら構いません」
「それはありがたい。せっかくご縁があったのですから、今回限りではなくできれば末永いおつきあいをしたいものですからな。――あ、ご遠慮せず菓子も茶もどんどん召し上がってください」
ティカロスさんに勧められるままお菓子を食べ、お茶を飲んで、話を続ける。しばらくして、ティカロスさんが残念そうな顔をした。
「申し訳ありませんが、私はそろそろ仕事に戻らなくてはいけません。お一人では退屈でしょうから、こちらのリエットとご歓談でもしてお待ちください。ヨムカム家に送った者が戻り次第、お伝えしますので」
ティカロスさんは、話の最中に戻ってきてまたソファーの後ろに控えていた若い女性店員を手で示してから、立ち上がった。
「それでは、実りあるお時間をありがとうございました」
「いえ、こちらこそ楽しいお話ができました。ありがとうございます」
ティカロスさんは実際話題が豊富で話し方もうまく、お喋りするのは楽しかったので、心からそう告げる。
ティカロスさんが出ていくと、リエットさんという女性があたしの向かい側に座った。
「リエットと申します。しばらくの間リューリア様のお相手を務めさせていただきます。至らぬところもあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「あ、こちらこそよろしくお願いします。私の相手なんかにわざわざ時間を割いていただいてすみません。お仕事の邪魔になっていないといいんですが」
リエットさんは、ふふ、とやわらかく笑った。
「お茶を飲んでお菓子を食べながらお喋りしているだけで給金を貰えるのですから、こんな楽な仕事はありませんよ。リューリア様には感謝しております」
そう言って、茶目っ気たっぷりに片目を閉じてみせる。気さくなその様子に、あたしも自然と微笑んでいた。
客のお喋りの相手をするのは、言うほど簡単な仕事じゃないだろうけど、そう言ってもらえると気が楽になる。多分そこまで見越して言ってくれているんだろうなあ。
「じゃあ、ヨムカム家への使いの方が戻るまで、よろしくお願いします」
「はい。承りました」
それからしばらくリエットさんとお喋りして過ごした。年頃の女性だからなのか、職業上か、リエットさんは最近コーラウスで流行している物だとか人気のお店だとかに詳しくて、色々教えてくれた。話の内容だけでなく話し方もうまくてお喋りしていると楽しくて、時間はあっという間に過ぎた。
コンコンと扉を叩く音がして、ティカロスさんが入ってきた。あたしに微笑みを向ける。
「ヨムカム家への使いが戻りました。良いお返事を頂けましたよ。今日の午後、十の鐘にあなたにお会いしたいそうです」
あたしは顔を輝かせた。
「ありがとうございます!」
「いえいえ。私どもは仲介しただけですから。――十の鐘まではいかがなされますか?」
「あ、さすがにそこまで居座っては申し訳ないですし、外で昼食を取ってからここに戻ってきます。こちらの店の方と一緒にヨムカム家の館に向かうんですよね?」
「はい。私がご同行いたします」
「そうなんですか。よろしくお願いします」
「こちらこそ。――それでは、九の鐘の頃にこちらにお戻りください。リエット、リューリア様をお見送りしなさい」
「はい。リューリア様、どうぞこちらへ」
リエットさんに案内されて表に戻り、店を出た。リエットさんにお喋りと案内の礼を言って別れる。
あ、もちろん赤い金剛石は持ってきているよ。ティカロスさんたちが盗むとは思わないけど、ヨムカム一族との交渉に使う大事な手札だ。万が一のことがあったら困る。