第十六章 ライファグ一族(2)
ティーカップをテーブルの上に戻して背を伸ばし、扉の方に顔を向ける。中年か年配の人を予想していたんだけど、入ってきたのは二十代前半くらいの男性だった。
大股で歩いてきて、どかっと向かい側のソファーに座る。足を組んで、背もたれに背を預け、こちらを見た。
大きな宝石を使った耳飾りと首飾りをつけ、手にもいくつもの指輪をしている。宿屋の男の子が、魔術師は宝石を使った飾りをいくつもつけてるものだと思った、みたいなこと言っていたっけ。あれは全部魔道具なんだろうか。
男性と一緒に入ってきたさっきの若い女性が、男性の前のティーカップにお茶を注ぐ。それから男性の座るソファーの後ろに控えた。
「私はこのライファグ一族の当主クオドール・ライファグの三男でクウェインという。父は多忙のため、私がそなたの相手を仰せつかった」
クウェインという男性は、態度も口調も尊大で、こちらを対等とは思っていないのが伝わってくる。
……この一族の人たちがみんな町の人たちに対してこういう態度を取ってるんだとしたら、町で人気がないのもうなずけるよ。
でもいちいち腹を立ててもいられない。それに、言っちゃ何だけど、見下されるのはシアの里での経験で慣れている。
あたしは、クウェインさんの態度に動じてないってのを強調するように、にこりと微笑んだ。
「私はリューリアといいます。クラディムという町で魔術師をしています。本日は、お会いくださりありがとうございます。面会をお願いしたのは――」
「説明は良い。話は聞いている」
クウェインさんは、あたしの言葉を遮って手を振った。
「私は時間を無駄にするのは好まぬので、単刀直入に言うが、そなたの要請は受け入れられない」
「え……」
あたしはぽかんとしてしまった。まさか交渉に入る前に断られるとは思ってもみなかった。
「知識は力であり宝だ。我が一族の宝を、他人に触れさせるつもりはない」
「ち、知識を一族外の人間と共有するのがお嫌なのは存じています。ですから、こちらも私の師匠の長年の研究の成果をお持ちしました。知識と知識の交換という形でなら――」
「あいにくだが交渉の余地はない。そなたと会うのを受け入れたのは、仲介役であるレリオール殿の顔を立てたまで。こうして会ったのだから、義理は果たした。おとなしく帰ってもらおう」
あたしは慌ててテーブルの上の紙束を取り上げた。
「ま、待ってください。せめてこの中身をご覧になってください。そうすればお考えが変わるかも――」
「一族外の人間に我らの知識をもらさぬ、というのが我が一族の総意だ。何があろうとその決定が覆ることはない。それに……」クウェインさんは、あたしの手にある紙束を見て、鼻で笑った。「はぐれの魔術師ごときの研究に、我が一族の知識と同等の価値があるはずがなかろう」
言い捨てたクウェインさんは、ソファーから立ち上がって応接間の入口に向かう。あたしは急いで立ち上がって、その腕をつかんだ。
「お願いします。話を聞いてください。人の命がかかっているんです……!」
「触るな、無礼者!」
乱暴に腕を振り払われて、あたしはよろめいた。ソファーの背につかまって、何とか転ぶのは回避する。でも紙束を落としてしまった。その拍子に、紙束を結んでいた紐が外れて、紙がばらばらと床に散らばる。
クウェインさんは、蔑むような目であたしを見下ろした。
「そなたのようなはぐれの魔術師が我が館に足を踏み入れ飲み食いすることを許されただけでも光栄だと思え。それ以上の要求など、口にすることさえ厚かましい。身の程を知れ」
歩き出したクウェインさんは、足元に散らばった紙を一片のためらいもなく踏みつけていった。そして応接間の扉を開け、そこに控えていた誰かに告げた。
「ワルイット、さっさとこの礼儀知らずな女を追い出せ」
「かしこまりました」
クウェインさんと入れ違いに、執事さんが入ってくる。
「待って……待ってください!」
クウェインさんに追い縋ろうとしたあたしの肩を、執事さんがつかんで押さえた。その年齢にしては力が強くて、振り払えない。何か武術でもやっているんだろうか。
「お願いします。ご当主様に取り次いでください。せめて話を聞くだけでも……」
執事さんの方を向いて懇願したけど、執事さんは冷然と首を振った。
「この件に関しては、旦那様よりクウェイン様に任せられております。クウェイン様の決定に反してあなたを旦那様に会わせることは致しかねます。――お引き取りを」
「そんな……」
あたしはクウェインさんが消えていった方向に顔を向けたけど、その姿はもう廊下のどこにも見えなかった。
どうしていいかわからず、しばらくそこに立ちつくしていると、「どうぞこちらを」と声をかけられた。視線を向けると、クウェインさんのお茶の用意をしていた若い女性が、あたしの肩かけ鞄を差し出していた。
「床に散らばっていた紙も集めて鞄の中に入れておきました。こちらを持って、お帰りください」
女性の目には同情するような色が浮かんでいる。あたしはそれに少しだけ勇気を貰って、女性の手をつかんだ。
「お願いします。何とかもう一度クウェインさんに会えるように取り計らってはいただけませんか?」
女性は困ったようにちらっと執事さんを見てから、あたしの手を振りほどいた。
「それはできかねます。どうか、お帰りください」
「どうしても、クウェインさんかご当主様と話す必要があるんです。私の大切な人の命がかかっているんです。お願いします……!」
あたしは頭を下げた。だけど、響いたのは冷たい声だった。
「ロレア、手の空いている男たちを何人か呼んできなさい」
「あの、ワルイット様……」
「お客人がどうしても帰らぬとおっしゃるなら、力ずくで帰っていただく他ないでしょう」
顔を上げると、女性と目が合った。女性は目を伏せると、あたしに肩かけ鞄を押しつけてから、速足で廊下を奥の方に向かっていった。
あたしは、残った執事さんに向き直った。
「……どうしても、取り次いではいただけないのでしょうか」
「できない、と申し上げたはずです」
執事さんの目は凍っているように硬くて、どんな言葉も届かないのだと痛いほど思い知らされる。
あたしはうつむいて、ぎゅっと肩かけ鞄を握りしめた。このままここにいても追い出されるだけだろう。
「……わかりました。帰り、ます」
「それでは、玄関までご案内いたします」
あたしは、執事さんの後ろについてとぼとぼと歩き出した。しばらくして屋敷の玄関に着くと、表面上は丁寧に送り出される。
一歩外に踏み出して、雨粒を体に感じてから、雨除けを作るのを忘れていたことに気づいた。いっそ濡れてしまいたい気分だったけど、上等な服を台無しにするわけには行かないので、風の壁で体を包む。
門までは一人でも迷うことはない。門に着くと、それを見計らったように門が勝手に開いて、あたしが通り抜けて外に出ると勝手に閉まった。ガシャン、という音に改めて拒絶されたように感じて、気分が更に落ち込んでいく。
あたしは暗い気持ちのまま、宿屋まで帰った。
「あ、おかえりなさい。お客さん、ライファグ一族の館はどうでした? ご用件はうまく行きましたか?」
受付机に座っている男の子が、明るい声をかけてくる。あたしは力なく首を振った。男の子が同情の表情を浮かべる。
「そりゃあ残念でしたね。その調子だと、どうせすげなく断られたんでしょう。まあ、あんまり気を落とさないでください。こう言っちゃ何だけど、あの一族の対応としては、珍しいことじゃないですから」
慰めてくれているのはわかるけど、あたしには愛想笑いをする気力も残っていなかった。
「あたし、部屋に戻ります」
それだけ言って、自室に向かう。男の子は、それ以上声をかけてはこなかった。
自室に入って、寝台脇の小棚の上の手燭に火をつけてから、肩かけ鞄を寝台の上に放り投げた。自分もぼすりと寝台に倒れ込む。
あたしは甘かったんだ。その言葉が、頭の中でぐるぐる回っていた。
お師匠にもシアにも、魔術師一族とのやりとりでは苦労するだろう、って警告されていたけど、本当にはわかっていなかった。あんな風に、取りつく島もないほど頑なに拒絶されるとは思いもしなかった。せめて話くらいは聞いてもらえるものだと、思い込んでいた。
変な風にふくらんでいる肩かけ鞄に手を伸ばす。鞄を開けると、無理やりつめ込まれていた紙がばさりと出てきた。靴跡がついている物も何枚かある。それを見て、視界がじわりと歪んだ。
お師匠がせっかく持たせてくれた交渉材料だったのに、長年の研究の成果をあたしの願いをかなえるために差し出してくれたのに、それをあんな風に踏みにじるなんて酷すぎる。
クウェインさんだけでなく、お師匠の研究にあんな扱いをみすみすさせてしまった自分自身にも腹が立つ。悔しくて憤ろしくて、涙があふれてくる。
「ごめんなさい……お師匠……」
あたしが一つでも多くの魔術師一族に会えるよう手を尽くしてくれたのに、あたしはお師匠がつないでくれた縁を活かせなかった。いいようにあしらわれて、ただ惨めに館から退散するしかなかった。
あたしがもっとうまくやれていたら、もっと何か違う言動を取っていたら、そうしたら違う結果が得られていたかもしれなかったのに。
そんなことを考えながら少し泣いて、そしてうとうとしたらしい。
はっと目が覚めた。あれ……あたし、どれだけ寝ていたんだろう。
階下からにぎやかな話し声が聞こえてくるから、一階にある食堂は夜の営業時間中みたいだ。
手燭の蝋燭もまだついているから、そんなに長い時間眠っていたわけではなさそうだ。
もぞもぞと起き上がると、スカートが目に入って、はっとした。
あ、まずい。着たまま寝たからしわになっちゃってる。おまけに汗で結構湿っちゃってる。この服、残りの魔術師一族との面会でも着る予定なのに。
慌ててシャツとスカートを脱いで、別のもっと楽な服に着替える。それから、脱いだ服をたたんで持って、宿屋の一階に下りていった。
入口の脇にある受付机には、七、八歳くらいの女の子が座っている。
あたしは、開け放された扉からちらっと外を見て雨がやんでいるのを確認してから、女の子に声をかけた。
「こんばんは。あの、タライと洗剤か粉石けんが必要なんだけど、用意してもらえる?」
女の子はあたしの顔をまじまじと見てから、はっとしたように口を開いた。
「ちょっと待ってください。あたしではタライを運べないので、兄を呼んできます」
「あ、いいの。運ぶのは自分でやるから、場所だけ教えてもらえれば。それと、水を使いたいんだけど、庭に水瓶あるよね? 勝手に使っても大丈夫かな?」
「それは構いませんけど……」
「じゃあ、タライとかの置いてある場所に案内してくれる?」
「こっちです」
女の子に連れられて納戸に行き、タライと粉石けんを風魔法で運んで庭に出る。もう日は沈んでいるけど、空はまだぼんやりと明るい。雨雲は通り過ぎていってしまったようだ。
庭の水瓶の傍に着いたので、洗濯を始めようとして水を水瓶から浮き上がらせる。その水に顔が映って、思わず「あ」と声が出た。
慌ててポケットを探ってハンカチを取り出す。濡らして絞ってから、顔をぬぐった。化粧を落とさずに泣いちゃったから、化粧が崩れてちょっと人には見せられない顔になっていた。そりゃあ、女の子もあたしの顔を凝視するはずだ。
一通り顔をきれいにしてから、服とハンカチの洗濯を始めた。その一方で、まだ傍にいる女の子に話しかける。
「みっともない顔見せちゃってごめんね。びっくりしたでしょう」
「いえ! あの、その、そんなことないです。あたしの方こそ、じろじろ見ちゃってごめんなさい」
女の子は恥ずかしそうに両手をひねくり回していたけど、すぐに思いきったように顔を上げた。
「それよりお客さんすごいですね。風魔法と水魔法と両方使えるなんて」
「あたしは魔術師だから」
「あ、そういえば、今日来たお客さんに魔術師がいるってお兄ちゃんが言ってた。お姉さんのことだったんですね」
女の子はきらきらと輝く目で見上げてくる。その姿にラピスを思い出した。
「そうだと思う」
「魔術師なのに優しそうだった、って聞いたけど、ほんとですね!」
あたしは苦笑した。
「ありがとう」
女の子はまだ何か話したそうな顔をしていたけど、ちらっと宿屋の入口を見た。
「それじゃ、あたしは受付に戻ります。他に必要な物があったら言ってください」
「うん、わかった。ありがとね」
女の子は手を振って建物の中に戻っていく。
あたしはしばらく、無心で洗濯をしていた。慣れた作業だから、ほとんど意識しなくてもできるけど、あえて魔力で水を高速回転させることに集中する。
頭を空っぽにして魔力を操っていると、ふっとラピスの言葉が浮かんできた。さっきラピスのことを思い出したからかもしれない。
『俺はリューリア姉ちゃんのこと信じてるからな!』
あの時感じたラピスの期待の重さが、よみがえってくる。重い荷物を持つと自然と足腰に力が入るみたいに、その重みがあたしの心を踏ん張らせてくれた。
さっきうたたねしたのも良かったのかもしれない、気分が随分と落ち着いてくる。
そうだよ。まだ泣くのは早い。魔術師一族との面会は、あと二回残ってるんだ。一回失敗したからって、へこんで引きずって次の機会までだめにしたくない。
あたしは、パチンと両手で頬を叩いて気合いを入れ直した。次の面会では、せめて話くらいは聞いてもらおう。シアが作ってくれた貴重な赤い金剛石があるから、それくらいは何とかなるはずだ。
そう考えたら、少し希望を感じられるようになった。
「アッシェム」
ライファグ一族の館であったような嫌なことが続きませんように、という気持ちをこめて、厄除けの呪文を唱える。
そして、手首を鼻に近づけて、においを嗅ぐ。もう大分薄れてしまってるけど、かすかにキャルメの花の香りがした。
「あたし、がんばるからね……シア」
そうつぶやいて、少しの間香水の残り香を堪能した。
それから洗濯を終わらせて、タライや粉石けんを納戸に戻す。そして、受付机に座っている女の子に声をかけた。
「洗濯に使った物の代金は、明日部屋を引き払う時にまとめて請求してね」
「わかりました」
部屋に戻って、洗ったシャツとスカートをきれいにたたんで寝台の上に置く。これで良し、と。
次はどうするかな、と考えたところで、おなかがぐううーと鳴った。そうだ、夕飯を食べないと。明日はもう次の町に発つんだから、できるだけ速く進めるように、しっかり食べてしっかり休まなくっちゃね。シアにも言われたことだし。
そういうわけで、あたしはまた自室を出て、一階の食堂に足を向けた。
お読みくださりありがとうございます。「いいね」やブクマ、評価、感想など頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。