第十五章 出立(2)
その後家に帰り着くと、シアはしばらく休むと言って自室に向かった。あたしも自室に行って、買ってきた荷物を寝台の上に置く。
明日旅に出るって義姉さんたちに言わないといけないけど、今はみんな仕事中だろうから、夕食の時でいいか。その前に旅支度を済ませてしまおう。
服やら書状やらを背負い鞄につめていく。お金はどれだけ必要になるかわからないから、あたしの全財産を持っていく。
旅支度を整えるのも初めてのあたしは、何が必要なのかあれやこれや悩みながら、何とか荷物をまとめた。重さを確認するため背負い鞄を背負ってみる。うん、これくらいなら体に負担がかかることはないだろう。身体強化の魔法もかけるし、大丈夫なはずだ。
一人うなずいて背負い袋を寝台の脇に置いた。そろそろ夕食の頃合いだ。
一階に下りて食堂に入ると、義姉さんとラピス、ティスタがテーブルに座ってお喋りをしていた。
あたしに気づいた義姉さんが手を軽く上げる。
「ラピスに聞いたわよ、リューリア。明日にはもう旅に出るんですって?」
「あ、うん。今荷造りしてたとこ」
近いうちに旅に出るってのはもうティスタにも話してあったから、ティスタも驚いた様子はない。
「道中気をつけてねー。留守中のことは任せてー」
「ありがと。お師匠にもシアにも、一人旅で気をつけた方がいいことについて助言を貰ったから、多分大丈夫だと思う」
「そうなんだあ。一人旅はちょっと怖そうだけど、旅自体はうらやましいかもー。目的地はどこー?」
「セザンって町とコーラウスって都市とパリエスって町」
「コーラウスとパリエスは聞いたことあるー! 大きくてにぎわってる場所なんでしょー。珍しい物なんかも色々あるんだろうなあ」
ティスタが身を乗り出してくる。
「ねー。もし時間あったら何かお土産買ってきてよー」
「うーん。遊びに行くわけじゃないからそんな余裕あるかわかんないけど、もしあったらね」
「うんー。楽しみにしてるー」
あたしが旅に出る本当の目的を知らないティスタは、のんきに笑っている。
「何だ、リューリア。旅に出る日決まったのか?」
厨房から夕食を持って出てきた兄さんが尋ねてきた。
「うん。明日の朝出ることにした」
「そりゃまた急だな」
「そんなに時間の余裕がないからね。これでもぎりぎりだよ」
「そうか。うまく行くといいな」
兄さんの言葉に、事情を知っている家族が真面目な顔になる。
「うん。不安もあるけど、とにかく、できることは全部やってくるつもり」
「その意気よ。がんばって、リューリア」
「リューリア姉ちゃんがんばれ! 俺、約束どおりいい子にしてるから!」
義姉さんとラピスの励ましに、あたしは微笑んだ。あたしがシアを護るために動くことで、家族には色々負担をかけちゃってるから、こうやって応援してもらえるとほっとする。
世間話をしながら、夕食を終える。今晩は遅くならない程度にあたしも店を手伝おうかと思っていたんだけど、疲れると明日からの旅に響くからやらなくていい、と義姉さんとティスタに言われてしまった。
なので、素直に二人の気づかいを受け取って、自室に戻る。
いくら明日の朝早く起きるっていっても、寝るにはまだ早すぎるんだけどなあ。念のため改めて荷物の確認をして、忘れ物がないか調べていると、部屋の扉を叩く音がした。誰だろう。ラピスかな?
「はーい。どうした、の……」
扉を開けると思いもよらない人物が立っていて、あたしはぽかんと口を開けた。
「シア?」
「ルリ、中に入ってもいい?」
「う、うん。もちろん」
あたしは後ろに下がってシアを招き入れた。
「シア、部屋で休んでたんじゃないの?」
「夕食を取ろうと思って食堂に行ったら、ルリがいなくて、セイーリンさんがルリは旅に備えてもう自室に行ったって教えてくれたの。住居の方に入る許可もくれたわ」
「そうなんだ。あたしに何か用?」
並んで寝台に座りながら尋ねる。
「ええ。これを渡しておきたくて」
シアが差し出した手の上には、小さな透明の石が三つ乗っている。
「金剛石よ。それなりに質がいいから、役に立つはず。売って路銀の足しにするなり、魔術師一族との交渉の手札にするなり、必要な時に使って」
「いいの? ありがとう。助かるよ」
路銀も手札も、多い方がいいに決まっている。それに何よりも、こうやってシアが積極的にあたしに協力してくれることが嬉しい。
あたしは三つの金剛石を受け取って、赤い金剛石と一緒に布袋に入れて、背負い袋の奥にしまった。
もう用は済んだはずだけど、シアはまだ何か言いたそうな顔をしている。あたしは黙ってシアが口を開くのを待つことにした。
少しして、シアが話し出す。
「あのね、ルリ、あなたの言ったとおりよ。わたし、あなたのやってることは無駄足に終わるだろう、って思ってる。でも……あなたがこうやってわたしを護ろうと必死に努力してくれているのは嬉しいの。だから、ありがとう。あなたの気持ちと努力は、幸せな記憶として最後まで憶えておくわ」
シアが綺麗に微笑む。その言葉と微笑みに、あたしがいるから死んでもいいって思える、とシアが言った時のことを思い出してしまった。
あたしはうつむいて、心を落ち着けようと努めた。よみがえってきた記憶に心がざわついてまた痛むけど、それは今の痛みじゃない。またシアに声を荒らげるようなことはしたくない。
シアはあたしが帰ってくるまで瘴気の浄化を待つって約束してくれたから、これが今生の別れになるようなことはないはずだけど、未来はわからない。できるだけ平和に、いい雰囲気で別れたい。
だからあたしは、深呼吸して顔を上げた。
「そのお礼は、今は受け取らない」
シアがぱちりと一つ瞬きをする。
「あたしは、自分がやってることが無駄だなんて思ってないから。だから、その言葉は、あたしが何も達成できずに帰ってきてしまった時に取っておいて」
そんなことになったら、あたしはきっと死ぬほど落ち込んで、シアがどんなに慰めてくれても響かないだろうけど、少なくとも今シアのお礼を聞きたくないってのは本当だ。シアがあたしを信じられないのはわかってるけど、それをわざわざ思い出させられたくはない。
シアはちょっと首を傾けて考えてから、うなずいた。
「そうね。お礼を言うのは、まだ早かったわね。――それじゃあ、ルリ。あなたの旅にヨッサラームのご加護がありますように」
ヨッサラームは旅人の守護神で、今シアが言ったのは、旅が安全に進み目的を達成できるように、という決まり文句だ。
口を閉じたシアは、一拍置いてそっと顔の距離をつめてきた。わ、わ、近い!
突然のことに硬直しているあたしの頬に、やわらかな物が触れて、ゆっくりと離れていく。
い、い、今口づけされた? されたよね? いや、口づけっていっても頬にだけど、でもシアの唇があたしに触れたことに変わりはない。
うわあ、うわあ、どうしよう。あたし、どんな顔したらいいの!?
動揺でまだ動けないでいるあたしに、シアは微笑みかけてから立ち上がった。
「それじゃ、わたしはもう行くわね。ルリがいない間、わたしもできるだけラピスくんの面倒を見て食堂や家事も手伝うようにするから、そっちの方は心配しないで」
そう言い残して、シアは軽やかな足取りで部屋から出ていく。扉がパタンと閉まる音と同時に、あたしはばったりと寝台に倒れ込んだ。
うううー。心臓がばくばく高鳴って今にも破裂しそう。湯気が出てるんじゃないかってくらい顔が熱くって、頭がくらくらする。
シアってば、シアってば、何であんなことさらっとできちゃうの?
もうもう、シアの馬鹿ー。これじゃ余計に眠れないよ。
まだシアの唇の感触が残る頬を押さえて、あたしは身もだえした。でもしばらく寝台の上でじたばたしていたら、徐々に落ち着いてきた。
……シアが突然口づけなんかしてきたのは、死ぬ前に一つでも多くいい思い出を作っておきたい、って気持ちからなのかもしれない。だってシア、あたしのことす、好きなんだもんね。
でも、これを最後の思い出になんて絶対にさせたくない。あたしは、シアを護る方法を見つけるんだから。それで、シアにあたしの気持ちを伝えて、本当の、唇どうしの口づけだってするんだから。
そう胸に誓う。
恋は大きな力をくれるっていうのは、本当なんだなあ、なんてしみじみと考える。あたしがシアを護りたいのは、シアに恋をしているからって理由だけじゃないけど、それもやっぱり大きい。シアと恋人になれる未来のためだと思えば、明日からの旅にどんな苦労が待っていたって耐えられる。
それに、そうだよ、シアが、〈神々の愛し児〉って呼ばれる人があたしの旅の成功を祈ってくれたんだ。旅の目的は絶対に達成できるはず。そう信じていよう。
あたしは寝支度をして、寝台に入った。暗闇の中で目を閉じて、シアの笑顔を思い描く。今夜はシアのことだけ考えていたい。それで幸せな夢を見られたら、旅の幸先も良いと思うんだ。
そんなことを考えながらシアとの思い出をたどっているうちに、気がつけば眠りに落ちていた。そして目論見どおり、少し大人になったあたしとシアが一緒に暮らしているっていう嬉しい夢を見られた。
この夢を正夢にするために、がんばるんだ。
そう胸に誓って、翌朝太陽が昇ってすぐに、あたしは旅に出た。
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