第十四章 商人たちとの交渉(2)
シアが宿屋の自室にいてくれるといいんだけど、と思いながら家に駆け戻る。ラピスを一階に置いて、宿屋の二階に上がり、シアの部屋の扉を叩いた。「はい」と返事があって、少しして扉が開く。
「ルリ? どうしたの?」
「お願いがあるの。中に入れて」
シアは不思議そうにしながらも、あたしを部屋に入れてくれた。
寝台の上には、布が広げられていて、干し肉やなんかが並べられている。
「シア、荷物の整理してたの?」
「明日、結界を張り直しに行くつもりだから、何か買い足しておかないといけない物がないか確認していたの」
その言葉に、あたしはちょっと顔を曇らせた。
「その、結界の張り直しってさ……それには命の危険、ないんだよね……?」
シアは、あたしを安心させるように微笑む。
「大丈夫よ。魔力が大量に必要になるけれど、命の危険はないわ」
「そっか。なら良かった」
シアは、寝台の空いている部分に腰かけて、隣をぽんぽんと叩いた。あたしはそこに座る。
「それで、話って何?」
「実はね、えっと、今あたしが何やってるか、どこまでわかってる?」
「魔術師一族との伝手がある人を探しているのは、知っているわ」
「うん、そうなんだ。それで、お師匠に提案されて、魔術師一族と取引してそうな高級宝飾店に行ってきたところなの」
ナハリさんとの会話を、かいつまんで話す。
「それで、魔術師一族が欲しがるような質のいい宝石があれば、魔術師一族に会えるかもしれないんだ」
あたしは手を伸ばして、膝の上にそろえて置かれているシアの手を握った。シアの紫の目を見つめて、続ける。
「シア、お願い。シアの力で、魔術師一族に売りに行ってもおかしくないような宝石を作ってくれない?」
シアの顔が少し曇った。
「わたしがそんな宝石を作ったら、ルリは魔術師一族に会いに行くのね? それで、どうするつもりなの?」
「シアが犠牲にならなくても瘴気を浄化できる方法がないか、その手がかりを持っていないか訊いてみるの」
シアが小さく息を吐く。
「そんなところじゃないかとは、思っていたわ。――その案には賛成できない」
あたしはぱちぱちと瞬いた。
「何で?」
「魔術師一族というのは……簡単に言えば、わたしの里の人たちと同じような人たちよ。ルリのような魔術師一族でない人間に対してどう振る舞うかは、想像がつくでしょう」
あたしは反射的に顔をしかめていた。
「ああ……あんな感じなのか……」
お師匠に警告はされていたけど、具体的に想像してみたら、何とも嫌な感じだ。できるなら、関わりあいになりたくない。
「そんな人たちに、相手の気が進まない頼み事をしに行くのよ? 屈辱的な思いをすることになるかもしれないし、傷つくことになるかもしれない。わたしのために、ルリにそんな思いをしてほしくないの」
シアの気持ちもわかる。でもあたしは引く気はなかった。シアを護るためだったら、どんな不快なことだって耐えてみせる自信はある。
「嫌な思いをすることになるだろうってのはわかってるよ。けど、それでも行くって決めたの。シアを護るためにやれることを全部やりたいの。そうしないでもしシアが……し、死んじゃったら、あたし、心底後悔する」
その確信があるから、揺らがない。揺らげない。
「どんな不快な思いをしたって、どれだけ傷ついたって、一生後悔しながら生きていくよりは遥かにましだよ。――だからお願い、シア、あたしに力を貸して」
シアはしばらくあたしを見つめていたけど、ふっとその顔が緩んだ。
「ルリは変わらないわね」
「え?」
「普段はどちらかというとおとなしいのに、一度こうと決めたら、頑固で、絶対譲らないの。それでわたしはつい譲っちゃうの。ルリのことが好きだから」
好き、って言葉にドキッとした。そ、そういえば、あたしシアに告白されたんだよね。その後色々あってなんか棚上げにしちゃってたけど。
改めて意識すると、鼓動がどんどん速さを増していく。シアの手を握っている両手にも汗がにじみ出す。
こ、告白されたらやっぱり返事をしないといけないんじゃないのかな。あたしもシアのこと好きだよ、って言った方がいいのかな。
でも、シアの告白を思い出したら、その後のやりとりまでよみがえってきた。あの時の痛みやつらさも一緒に。
……だめだ。今はまだ言えない。
シアにとって無力な存在のまま、好きなんて言えないよ。そんな勇気は出ない。あたしが勇気を振り絞れるとしたら、それはきっと、あたしが無力じゃなくなった時、つまりシアの行動を変えられた時だろう。
そのためにも、今は魔術師一族に会いに行く仕事に集中しなきゃ。
改めてそう決意して、シアを見据える。
「じゃあ……あたしに協力してくれるってこと?」
「惚れた弱みだもの。仕方ないわ」
さらっと言われてかっと頬が熱くなった。思わずシアの手を離して、目もそらしてしまう。
「そ、そっか。え、えと……ありがと」
シアが今どんな顔をしているか知りたくて、喋りながらちらっとシアの方を見ると、シアの頬はほんのりと染まっているし、目はこっちを見ていない。シアも照れてるんだ。
喜びでじわりと胸が温かくなる。あたしも好きだ、とは言えないけど、シアがあたしのこと好きでいてくれるって実感できるのは、素直に嬉しい。
「じゃ、じゃあ、今宝石生み出してもらっていい? そんなに時間かからないよね? これくれた時は、まだ六歳だったのにすぐに生み出していたし」
胸元の瑠璃の首飾りに触れながら言う。
「それを生み出した時は、質の高さはほとんど気にしていなかったもの。でも、魔術師一族に売りに行くほど質の高い物を生み出すなら、もう少し時間がかかるわ。といっても、四分の一時間というところだけれど」
「それなら、ここで待たせてもらっていい? それとも、見られてると気が散る?」
「大丈夫よ。待ってて」
言うと、シアは片方の手の平を上に向けて目を閉じた。その手の平の上に光の球が生まれる。
シアの集中を乱さないように息を潜めながら、手持ち無沙汰なあたしは部屋を見回す。シア、きれいに使ってくれているなあ。全然汚れていない。
ふと寝台の上に置かれている荷物に目が留まった。シア、明日結界を張り直しに行くって言ってたよね。それ自体には危険はないようだけど、魔獣と出くわしちゃったりする可能性は一応あるはず。そんなことが起こりませんように。今度もまたシアが無事に帰ってこられますように。
あたしは両手の人差し指を立てて胸の前で交差させた。
それから、シアを護る方法が見つかりますように。
続けて心の中で祈ってから、ふと思い出す。そういえばあたし、神々に、シアが無事に帰ってきてくれるなら、今後一生他のお願い事はかなわなくてもいい、って言ったよね。……ってことは、シアを護る方法を見つけるのに神々のご加護を祈っても無駄ってこと?
いやでも、シアは確かに一度は無事に帰ってきてくれたけど、瘴気の浄化に伴う命の危険はまだ去っていないんだから、あたしの願い事はまだかなってない、ってことにならない? シアが命を落とさずに瘴気を浄化できて初めて、あの時の願い事を神々が聞き届けてくれたってことになるんじゃない?
だったら、シアを犠牲にせずに済む瘴気の浄化方法が見つかることまで神々に祈ってもいいよね。お願いだから、神様たち、ちゃんと聞き届けてくださいね。後で神殿にも行って、そう念を押しておこう。
そう決めて、祈りを捧げ続ける。
「できたわ」
シアの声に、あたしははっと我に返って、シアの方を見た。シアの手の平には、指三本くらいの直径の球形をした赤い宝石が乗っていた。
「綺麗だね。これ、何て石?」
「金剛石よ。赤い金剛石は珍しくて価値が高いの。質もいいし、大きさも結構あるから、これなら魔術師一族に直接売り込みに行っても自然だと思うわ」
「色々考えて作ってくれたんだ。ありがとね」
「どういたしまして。これで、相手の魔術師一族のルリに対する態度が少しでも良くなるといいのだけれど」
シアはまた心配そうな顔をしている。あたしは、シアを安心させようと微笑んだ。
「きっとそうなるよ。じゃあ、あたしはこれを〈エスティオス宝飾店〉の店長さんに見せて、魔術師一族と会えるよう手筈を整えてもらう交渉してくるね」
「ええ。がんばって」
シアが、赤い金剛石を手渡してくれる。あたしはそれをハンカチにくるんで大事に肩かけ鞄にしまった。
扉に足を向けたところで、シアが「あ、待って、ルリ」と声を上げた。あたしは振り返った。
「どうしたの?」
「言おうと思っていたことがあったの。昨日、遠くの人と話せる魔道具で里と連絡を取った、って話をしたでしょう?」
「えっと……ああ、うん、そういえば言ってたかも」
他のことが衝撃的だったので、そこは今の今まで忘れてたけど。
「その話は、他の人には秘密にしてほしいの。遠くの人と話せる魔道具は、わたしたち一族が生み出した宝石を使わないと作れない物だから、一族外の人間には本当は話してはいけないことなのよ」
「そうなんだ。わかった。誰にも言わない」
「ありがとう」
あたしは今度こそシアの部屋を出た。
台所にいたラピスを連れて、家を出て、〈エスティオス宝飾店〉までの道をまたたどる。店に着くと、店員さんがすぐに気づいてくれた。
「今店長を呼んでまいりますので、ソファーでお待ちください」
そう言って奥に行こうとするのを引き止める。
「ちょっと待ってください。今度の話は、人目につかない所で行いたいのですが、奥に話のできる部屋はありませんか?」
店員さんはちょっと不思議そうな顔をしたけど、すぐに笑みを浮かべた。
「ございますよ。それでは、そちらにご案内いたしますね」
店の奥に入って少し歩く。町長さんちの応接間にも負けず劣らずの高級そうな家具が並ぶ部屋に通された。何となくだけど、表に置いてあるソファーやテーブルよりも高そうだ。多分上客との商談を行う部屋なんだろう。
座って待っていると、ナハリさんと女の人が部屋に入ってきた。女の人はティーセット一式を乗せたお盆を持っている。
「リューリアさん、お早いお戻りですね」
「来たり帰ったりして申し訳ありません、ナハリさん。見ていただきたい物があるんです」
あたしは、肩かけ鞄の中から赤い金剛石を取り出してテーブルに置いた。奥の部屋に通してもらったのは、このためだ。シアが珍しい石って言っていたから、人に見られたくなかったんだよね。
ソファーに腰を下ろしたナハリさんの目がきらりと輝く。
「これは?」
「金剛石です」
ナハリさんは目を見開いた。本物の驚きが顔に浮かんでいる。
「金剛石? 赤い金剛石ですか!?」
「はい、そうです。珍しい石なんですよね? これなら、魔術師一族の方との取引に使えませんか?」
ナハリさんは、唖然としたようにあたしを見つめてから、視線を動かしてしげしげとテーブルの上の金剛石を眺めた。少しして、自分を落ち着かせるように、深呼吸する。
「この石を調べさせていただいても?」
「どうぞ」
ナハリさんは立っていって、部屋の隅に置いてある棚から拡大鏡を取って戻ってきた。金剛石を持ち上げて、あれこれ調べ始める。
あたしはその間、お茶を貰うことにした。忙しく動いたから、喉渇いていたんだよね。お茶は予想どおりいい茶葉を使っていて、おいしい。
ついでにお菓子も一つつまむ。あ、甘ーい。砂糖がふんだんに使われているっぽい。さすが高級店。お茶菓子も上等だ。
ラピスもお菓子を食べながら、幸せそうな顔をしている。
あたしとラピスがお茶とお菓子を堪能している間に、ナハリさんは金剛石の鑑定を終えたらしく、ふうっと息を吐き出して金剛石をテーブルに置いた。
「私の目には、本物のように見えますな」
「でしたら、魔術師一族との間を仲介していただけますか?」
あたしは身を乗り出して尋ねた。
ナハリさんはまだ迷うようにしばらく考えていたけど、結局うなずいてくれた。
「わかりました。魔術師一族の方々と取引がある店に連絡を取ってみます」
「ありがとうございます!」
「ただし、これはあくまで例外的な対応だとは申し上げておきます。あなた様がイァルナ様のお使いであり、またこの町を救っていただいた魔術師の方をお助けするためだという話ですから、特別に顧客情報をもらすような真似をするのですよ」
「わかりました。このことでそちらのお店に迷惑をかけるような真似はしないとお約束します。この話を広めたりはしません」
そう言ってから、あたしは「あ」と声を上げた。
「あの、それで、注文をつけて申し訳ないんですが、急ぎの案件なんです。できれば半月以内に魔術師一族の方とお会いして、この町に戻ってきたいんです。可能でしょうか?」
ナハリさんは顎をなでた。
「簡単には行きませんが、これだけの品なら多少の無理はきくでしょう。ただ、連絡に鳩便を使うので、仲介料は高くなります」
あたしは少し怯んだけど、うなずいた。
「構いません。よろしくお願いします」
あたしの貯めてるお金で足りなかったら、お師匠に借金すればいい。お金で時間が買えるなら、いくらだって出す。
「それでは、先方と話がつき次第ご連絡いたします。連絡先はイァルナ様のお宅でよろしいでしょうか?」
「あ、いえ、〈フェイの宿屋〉にお願いします。場所は……」
うちの場所を説明して、金剛石をしまうと、挨拶をして〈エスティオス宝飾店〉を出た。通りに立って、はああーと大きく息を吐き出す。
「あー、緊張した。とりあえず話がまとまって良かったーあ」
まだ魔術師一族の人と会えるって決まったわけじゃないけど、希望は生まれた。あとは、うまく行くよう祈るだけだ。
それで思い出した。
「ラピス、宿屋や酒場を回る前に、神殿に寄るよ」
「わかったー」
神殿は近いのですぐに着く。ちなみに供物はミジュラ二つだ。もっと高い物にしようかとも思ったんだけど、仲介料やら路銀やらでこれから出費が増えるだろうから、節約することにした。そのかわり、一番おいしそうなのを選んで念もこめた。
神殿の五大神の像の前で祈りを捧げる。どうか、シアを犠牲にしなくても瘴気が浄化できますように。よろしくお願いいたします。
瘴気の浄化がまだ終わっていないことは皆には秘密だから、声には出さずに心の中だけで祈る。
シアたち〈神々の愛し児〉が命がけで瘴気を浄化することが本当に神々から授かった使命なら、シアが犠牲にならずに済む方法なんてないのかもしれない。いくら祈っても無駄なのかもしれない。それでも、祈らずにはいられない。
違う方法が見つかりますように。それが無理なら、シアが瘴気の浄化で命を落としませんように。
念入りに祈ってから、神殿を出た。
 




