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第十三章 たった一つの道(2)

 ラピスを呼び寄せて、三人で家を出る。ラピスは、「おっ菓子っ、おっ菓子っ」と歌いながら、あたしとシアより数歩先に進んでいく。


 通りを歩きながら、シアがちらちらとこっちを見ているのを感じる。多分あたしと話したくて、でも何を言えばいいかわからないでいるんだろう。シアでもそういう時あるんだな。


 自分は上辺を取り繕うのがうまいだけ、というシアの言葉を思い出す。今は上辺を取り繕えないくらいシアも切羽詰まっているんだろうか。


 ……そうだよね。シアはもうすぐ死ぬかもしれないんだ。たとえ覚悟ができていたって、何にも感じないわけがない。死ぬ前にあたしと仲直りしたい、とか思うだろう。もっと時間があればいいのに、とか思ったりもするだろう。


 シアだって、あたしと同じ十五歳の女の子なんだから。死んでも構わないと思っているとしても、望んで死にたいわけじゃないんだから。


「……シア」


 あたしの声に、シアが髪を揺らした。


「何?」


 その声には驚きがにじんでいる。


「あたし、シアを死なせなくて済む方法を見つけるから」


「ルリ……」


 シアの声が困ったような響きを帯びる。


「シアが絶対に瘴気を浄化するって決めてるのはわかってる。反対したいけど、シアの言ってることの方が多分正しいんだってのも……認めたくないけど、わかってる。だったらあたしは、シアが犠牲にならなくても瘴気を浄化できる方法を見つける」


「ルリ、それは無理よ。そんな方法はないわ」


「探してみなくちゃわからないじゃない!」


 あたしは思わず語気を荒げて、シアの方を振り向いていた。


「あたしは……そりゃシアに比べたら、ううん、そうじゃなくたって瘴気のこと全然知らないけど、でも調べる。お師匠にも訊いて、お師匠の知りあいにも尋ねてもらって、方法を探す。絶対見つける。そう決めたの」


 シアは、困ったような悲しそうな顔でこっちを見ている。


「止めないでね、シア。ううん、シアが止めたって無駄だよ。あたしもう決めたんだから」


 シアはもう少しの間あたしを見つめてから、そっと息を吐いた。


「わかったわ。それでルリの気が済むなら、止めない」


 そう言って、いつの間にか止まっていた足を再び動かし始める。あたしはそれに倣いながら、ぎゅっと両手を拳にした。


 シアは、あたしが無力だって思ってる。あたしには何もできないって思ってる。そのことが、すごく悔しい。シアの考えが当たっているかもしれないことが、悔しくて怖い。


 あたしは必死にその感情を振り払った。無理かもしれないなんて考え始めたら動けなくなる。


 シアの隣に並んで、改めて口を開く。


「それじゃあ、シア、あたしに瘴気のことを教えて。瘴気って一体何なの? 何でそんなものが生まれるの?」


「そうね……。神話に出てくる神々の戦争のことは憶えている?」


「光の男神シィルナーゼと闇の男神ディンキオルが、空の支配権を巡って他の神々を巻き込んで争った戦いでしょう? それで、夫の川の男神スファルヴィーンを殺されて怒った空の女神セリエンティ……当時は大気の女神だったセリエンティが、戦争を止めるために空を自分の領域にして、光の男神シィルナーゼと闇の男神ディンキオルに空を半分ずつ支配させることにしたんだよね」


「ええ、そうよ。それではその戦争で亡くなった神々の体がどうなったかは?」


「宝石になったんでしょう? だから宝石には力があるんだよね」


「そのとおりよ。では、命を落とした神々の心は一体どうなったと思う?」


 あたしはぱちぱちと瞬いて、首を傾げた。記憶を掘り返してみるけど、それに関して聞いた憶えはない。


「聞いたことないと思うけど……心って魂みたいなものでしょ? 死の男神ユースディースによって死者の国に導かれたんじゃないの?」


「いいえ。死者の国は人間の魂のための場所で、神々の魂のための場所ではないわ。と、いうか、厳密には神々には人間のような魂はないのよ。神々の核となるのは魂ではなく心……感情の塊だと言われているわ。そして神が死ぬと、その心は世界に溶けるの。だけど、怒りや恨みのような負の感情は、完全には世界に溶けきれず、時間をかけて凝り、世界を歪ませる。そして生み出されるのが、瘴気なのよ。だから瘴気は、命を落とした神々の負の感情が形になったものだと言って良いわね」


「負の感情が形になったもの……」


「そうよ。そして、その負の感情を祓い、世界を護るために、神々に特殊な力と体を与えられたのが、わたしたち〈神々の愛し児〉なの」


 シアが口を閉じる。あたしは、頭に真っ先に浮かんだ疑問を口にしていた。


「何で神様たちは、自分たちで世界の歪みを消したり瘴気を浄化したりせず、シアたち一族に……人間にやらせることにしたんだろう?」


「なぜかしらね。神話では、その理由は語られていないわ。この神話を学校で教わった時、同じ質問をした子がいたの。先生は、こう言った。『神々の考えを人間が窺い知ることはできない』と。……そうやって諦めてしまうことが、神々を信じるということなのかしらね」


 あたしは思わずシアを見つめた。そんな風に、神々への信仰を否定するような、あるいは皮肉るようなことを言うのは、シアらしくない気がした。シアの一族は、神々の愛し児を自称するだけあって、信仰心が篤いものなのに。


 だけど、シアも、どうして自分たちが世界を護る犠牲にならなければならないのか、って考えたことがあるんだろうか。自分たちにその役割を背負わせた神々を恨むことがあるんだろうか。


 訊いてみたかったけど、シアの顔にはどこかこちらを拒絶するような色があって、あたしは疑問を声にできなかった。


 そのかわりに、ため息を吐き出す。


「瘴気が何なのか教えてもらっても、シアたちの一族がやってる以外の方法で瘴気を浄化する方法を見つける役には立たなそうだね」


 シアは、こっちをちらっと見る。


「そうね。……やる気が削がれた?」


「全っ然。あたし、諦めないからね」


 あたしは強い口調で言う。シアに聞かせるだけでなく、自分を鼓舞する意味あいもある。


 歩きながら、思い浮かんだことを口にする。


「瘴気が命を落とした神々の負の感情なら、神々に祈りを捧げたら消えちゃったりはしないの?」


「残念ながら、それはないわ」


「だよね……」


 わかってる。言ってみただけだ。そんなに簡単に瘴気を浄化できるなら、シアたちの一族だってわざわざ命をかけたりはしないだろう。


 もう一度ため息をついたところで、町長さんの家に着いた。


 通された一階の応接間では、もう町長さんが待っていた。お師匠はまだ来ていないようだ。


「よく来たね。さあ、座ってくれ」


 にこやかにそう言った町長さんは、シアに顔を向けた。


「ルチルさんには、お礼を言わないといけませんな。新たな魔獣が生まれないように処理してくれて、感謝しています」


 シアは首を振った。


「感謝の言葉はまだ頂けません。詳しくはイァルナさんが来てからお話ししますが、その件はまだ終わってはいないので」


 町長さんの顔が曇る。


「魔獣の件で話がある、と聞いて少々嫌な予感がしていたんですが……やはりそうなんですか」


 開かれている応接間の扉から女中さんが入ってきて、ティーカップやお菓子を乗せた皿をテーブルに並べていく。


 町長さんは、気を取り直すように一つ息を吐いて、テーブルを手の平で示した。


「まあ、何にしても、とりあえずお茶と茶菓子を召し上がってください」


 ラピスが嬉々としてお菓子に手を伸ばす。シアはティーカップを持ち上げて口をつける。あたしもお茶を飲むことにした。


 お茶を飲みながら世間話をしていると、執事さんがお師匠を案内して応接間に入ってきた。


「イァルナ様がお着きになられました」


「ああ、イァルナさん、どうぞ座ってください。それでは、さっそくですが、ルチルさんのお話をお伺いしたいのですが……」


 町長さんに視線を向けられたシアは、お師匠のティーカップにお茶を注いでいる執事さんをちらっと見た。


「内密の話になるので、人払いをしていただけますか。ラピスくんも、別の部屋に行っていてくれる?」


 ラピスはちょっと口を尖らせたけど、素直に立ち上がった。でも未練がましい顔で皿の上のお菓子を見る。


「このお菓子、持ってっていい?」


「わざわざ持っていかなくても、別に用意させるよ。パシエルト、頼んだよ」


 町長さんが執事さんに顔を向ける。執事さんは、「かしこまりました」と礼をして、ラピスを連れて応接間を出ていった。ちゃんと扉も閉めていく。


「それで、ルチルさん、人払いしなければならない重大な話とは何でしょう? また魔獣が町を襲う危険があるのでしょうか?」


 町長さんは、心配そうに尋ねた。


「その可能性は高くはないが否定もできない、というお話です。わたしが、魔獣が生まれる原因である瘴気を浄化しに向かったことはご存じですね?」


「ええ。瘴気を生み出す歪みを消して、すでに発生してしまった瘴気を浄化しに行ってくださったんですよね?」


「そうです。そして歪みは消しました。ですが、瘴気が予想よりも量が多く濃度も高くて、わたし一人では浄化しきれなかったんです」


 町長さんの顔色が変わる。


「それは……また魔獣が生まれる、ということなのでは……」


 シアは首を振って、町長さんを安心させるような声で続ける。


「先程申し上げたように、その可能性は高くはありません。瘴気の溜まっている辺りに結界を張って封じてありますから。ただ、その結界が何らかの理由で破れてしまう可能性はあります。結界はどちらにしろ数日ごとに張り直さないといけないので、わたしは頻繁に結界の様子を見に行きますから、結界が破れてもすぐに対処できますが、破れた結界を張り直す前に魔獣が生まれてしまう可能性は、否定できないんです。そのことを、町長さんやイァルナさんには、知っておいていただきたくて」


 町長さんは、胸ポケットから取り出したハンカチで額の汗をふいた。一拍置いて、部屋の気温が下がる。シアがやったんだろう。


「それで、魔獣の件はまだ終わっていない……ですか。なるほど。――すぐに警戒を強めなければならないとか、そういう切羽詰まった事態ではない、ということでいいのですよね?」


「はい。あくまでも、また魔獣が生まれる可能性がゼロではない、というお話です。可能性は低くても、お知らせしておかなければならないと思いましたので」


「そうですな。知らなければ、万が一の場合に備えることもできませんからな。……この状態はもしかしてずっと続くのでしょうか?」


「いいえ。半月ほどで、わたしの里から応援が来ます。そうなったら、今度こそ瘴気を完全に浄化できるはずです。その後は、魔獣が生まれる可能性に怯える必要はありません」


 町長さんが顔に安堵の表情を浮かべて、ほっと息を吐く。


「半月ですか。それならば、警戒しておくのもそんなに大変ではありませんな」


「はい。あと半月だけ、警戒していてください」


「話ってのはそれだけなのかい? それなら、わざわざ人払いする必要はなさそうだけどね」


 お師匠が口を挟む。シアはそっちに顔を向けた。


「可能性は低くてもまた魔獣が生まれるかもしれない、というのは、人によってはかなり恐ろしいことでしょうから。この情報を町民の皆さんと共有するかどうかは、この町のことを知らないわたしには決められませんし、町長さんやイァルナさんの意見を伺うまでは、知る人は少ない方がいいと思ったんです」


「なるほどね。あんたは若いのに気が回るねえ」


「いえ。こういう時にはこう対処する、と一族内で決められたとおりに動いているだけです」


「こういう時の対処法もしっかり決められているのかい。さすがは魔獣や瘴気の専門家、ってところだね」


 シアはその言葉に静かに微笑んだ。


 町長さんが、考え込むような顔で口を開く。


「しかし、どうしたものでしょうかね、イァルナさん。確かにこのことを知れば恐慌状態に陥る人もいそうではあるし、広く周知するのははばかられます。かといって、もう魔獣の危険はないと思い込んで皆が気を抜いてしまったら、万が一新たな魔獣が襲ってきた時に被害が広がる可能性がある。難しいところですな」


「そうだねえ……。ルチルさんや、あんた、町に帰ってきてから、魔獣がまた襲ってくる可能性はもうないのか、って訊かれただろう。何て言ったんだい?」


「新たな魔獣が生まれることはないよう手は尽くしたけれど、また魔獣が襲ってくる可能性は残っているので、まだ警戒は必要です、と」


 お師匠は唇の片端を上げた。


「うまい言いようだ。嘘はついていないが、完全な真実でもない。ルチルさん、あんた、さすがに食えないね。魔術師一族なだけのことはある」


 シアはただ微笑む。

 お師匠は町長さんに視線を向けた。


「私らもその線で行けばいいんじゃないかい。無駄に皆を不安がらせることもないが、警戒心を維持してもらうのも必要なんだから」


「そうですな。では、新たな魔獣が生まれることはないだろうが、他に魔獣がいる可能性はゼロではないので、もうしばらくは警戒を続けるように、と皆には言いますか」


 結論が出てほっとしたんだろう、町長さんがティーカップを持ち上げてお茶を飲む。


 お師匠は自分の分のお茶を飲み干して、立ち上がった。


「話はこれで終わりだね? それじゃあ、私は帰らせてもらうよ」


 あたしは慌てて口を開いた。


「待ってください、お師匠。少し訊きたいことがあるんですが、この後時間作ってもらえませんか」


 お師匠はあたしに顔を向ける。


「何の話だい?」


「瘴気の浄化についてです」


「へえ?」


 お師匠が興味を引かれたような顔になった。


「いいよ。じゃあ、私の家で話そうか」


「はい。それじゃあ町長さん、これで失礼します。――シアはどうする?」


「わたしはいいわ。薬屋に薬材を見に行きたいの。回復薬を結構使ってしまったから、結界を張り直しに行く時までに新しく作っておかないと」


「そっか。じゃあ、後でね」


 あたしはお師匠と並んで応接間を出た。扉の外で待っていた執事さんにラピスを連れてきてもらう。


 ラピスはおいしいお菓子をたくさん食べたようで、ご機嫌だった。これからお師匠の家に行くって聞いても、ちょっと嫌そうな顔をしただけで、文句は言わなかった。



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