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第十二章 シアの帰還(2)

 起きているシアとようやく顔を合わせたのは、翌朝のことだった。朝の営業時間が始まってしばらくしてから、シアが食堂に姿を現したんだ。


 使用済みの食器を回収していたあたしは、急いで作業を終えると、シアの元に速足で歩み寄った。


 こっちに気がついたシアが微笑む。その顔色は大分良くなっている。


「おはよう、ルリ」


「おはよう、シア。気分はどう?」


「もう大丈夫よ。お茶とミジュラ、ありがとう」


 シアは昨晩あたしが部屋に持っていった皿とティーポット、コップを差し出した。


「これ、食堂の厨房に返せばいいのかしら。それとも、台所の方に持っていった方がいい?」


「あ、いいよ。あたしがやるから、貸して」


 持っている食器を落とさないように気をつけながら片手を伸ばしたけど、シアは自分の持っている食器をあたしの手から遠ざけた。


「これくらいやらせてちょうだい」


「シアがそう言うなら……台所に持ってってくれる?」


「わかったわ」


 そう言って踵を返したシアは、台所に食器を置いて戻ってきた。ちょっと時間がかかったことを考えると、多分食器を洗うのもやってくれたんだろう。


 食堂に戻ってきたシアは、空いているテーブルに着く。ちょうど近くにいたティスタと何か話している。


 あたしは他のお客さんの相手をしながらも、そわそわとそっちの様子を窺っていた。シアと話をしに行きたいけど、なかなかその暇が見つからない。


 シアはティスタに朝食を注文したようで、少ししてティスタがシアに料理を運んできた。シアは略式の祈りを捧げて、食事を始める。


 シアは食べ方綺麗だよねえ、って改めて感じる。食事の仕方だけじゃなくて、一挙手一投足が綺麗なんだよね。だからいいところのお嬢様みたいに見える。


 食事中のシアを見るのなんてたったの五日ぶりなんだけど、なんか感慨深い。ああ、シアと一緒に食事したりお喋りしたりしたいなあ。


 でも残念ながら仕事中なので、それはかなわない。明後日は食堂が休みの日だし、またシアと街に出かけたりできたらいいな。そう夢想しながら、仕事をこなす。


 シアは、お客さんたちにも声をかけられていた。


「やあ、ルチルさん。帰ってきてたのか」


「魔獣がまた出ないように何かやりに行ってくれてたんだってねえ。ありがとうね。……もう大丈夫なんだよね?」


「新しく魔獣が生まれることがないようできることはしました。ただ、別の魔獣が町を襲ってくる可能性が全くないとは言えないので、しばらくは警戒していた方が良いと思います」


「そうなのかい。でもまあ、ひとまずは安心だよ。ありがとうよ、ルチル嬢ちゃん」


「いえ。わたしは一族の使命を果たしているだけですから」


「何にしてもありがたいよ」


 そんな会話を何度か交わしながら食事を終えると、シアはあたしに手を振ってから一度食堂を出ていったけど、朝の営業時間が終わって掃除も片がつく頃に、また食堂に顔を出した。


「ルリ、もうお仕事終わった? ちょっと話したいことがあるのだけれど」


「シア! うん、大丈夫! 話って何?」


 シアは、どこかはにかむような顔で厨房の方をちらっと見た。


「ここじゃちょっと……わたしの部屋に来られる?」


「うん、いいよ。ちょっと待ってて」


 あたしは前掛けを外して厨房の棚にしまうと、シアの部屋にいることを義姉さんたちに伝えた。それから食堂に戻って、シアと並んで宿屋部分の二階に向かう。


 シアは、どこか緊張しているような様子で、何も喋らない。一体どうしたんだろう?


 あたしは、何とかしてシアの様子をいつもどおりに戻せないかと喋りかけた。


「そういえば、ラピスにはもう会った? シアが戻ったって聞いて、会いたがってたんだよ」


「え? ええ、会ったわ。大歓迎してくれた」


 シアはどこか上の空な様子で答える。


「シア、もう顔色いつもどおりに戻ったね。帰ってきた時は顔色悪くて、本当に心配したよ。仕事、そんなに大変だったんだね」


「ええ、まあ」


 言って、シアは淡く頬を染めた。


「……本当はもっと休んでから帰ってきた方が良かったのだけれど……どうしても少しでも早くルリに会いたかったの」


「え……」


 あたしはぱちぱちと瞬きしてから、えへへ、と頬をかいた。


「そうなんだ。嬉しいな。あたしもシアに会いたかったよ」


 シアからその類の言葉を聞けると、嬉しさが何倍にもなって、だらしなく笑ってしまう。


 シアもまだ頬を染めたまま、嬉しそうに笑い返してくれた。シアはやっぱり美人だしかわいいなあ。


 シアの部屋に着いたので、中に入る。中は木窓が開け放たれていて、明るい。シアに促されて、あたしはシアと並んで寝台に座った。


「それで、話したいことって何?」


 シアはまたしても緊張したような顔になって、そわそわと手を動かしている。シアのこんな様子、新鮮だなあ。再会してからは、いっつも落ち着いていたし。


 でも、そんなに話しにくいことって何だろう? 何か心配した方がいいこと? ちょっと不安が頭をもたげる。


 もしかして、予定を早めてもう里に帰っちゃうとか? そうだったら嫌だなあ……。せっかく無事に帰ってきてくれたんだもん。もっともっと一緒にいたいよ。


 そんなことを考えていると、ぎゅっと手を握られた。


 あたしは目の前のシアに意識を戻す。シアは覚悟を決めたような顔で、あたしを見つめている。その頬は上気していて、ちょっと色っぽい。艶があるって言えばいいんだろうか?


 シアに見とれていると、その形のいい唇が、一度ぎゅっと結ばれた後、開かれた。


「ルリ、わたし、あなたが好きよ。幼なじみより、友達より、もっともっと大好き。あなたを愛してる」


 …………………………え。


 え、え、え、え。あ、あたしの耳、正常に機能してる? これ、あたしの幻聴じゃない? あたし、ほんとにシアに告白されてる!?


 混乱するあたしをよそに、シアは話し続ける。


「わたし、あなたに会えて良かった。あなたがいるからわたしは全力で使命を果たせるの。あなたを護るため……この町の人たちを護るためなら、死んでもいいって思えるの」


「え……」


 あたしはシアをまじまじと見つめた。


「ちょ……ちょっと待って。待ってよ。それ、どういう意味? この町を護るために死んでもいい、って何? 瘴気を浄化して歪みも消したんでしょう? もう大丈夫なんでしょう?」


 シアの顔がふっと陰る。あたしの心臓が嫌な音を立てた。


「シア……?」


 シアは、ふうっと息を吐いて、また口を開いた。


「歪みは、消したわ。だけど……瘴気はまだ浄化できていないの」


「ど、どうして?」


「思っていたより遥かに瘴気の量が多くて、しかも濃度が高かったのよ。あ、でも、心配しないで。瘴気の発生している辺りに結界を張って獣が近づけないようにしてきたから、新しく魔獣が生まれることはないはずよ。瘴気の影響で結界は長く持たないから、頻繁に張り直さないといけないけれど、応援が来るまで何とかしのげると思う」


「……応援?」


「ええ。わたし一人ではあの量と濃さの瘴気を浄化できないから、里に応援を頼んだの。こういう時のために、旅をする時は、遠くからでも里と連絡を取れる魔道具を持っているのよ。それを使ったから、半月ほどで応援が到着するはず。そうしたら、瘴気の浄化を行うわ」


 顔からすうっと血の気が引くのがわかった。


 数日前にお師匠から聞いた話を急いで思い返す。命の危険が伴うのは、歪みの消去じゃなく、瘴気の浄化だったはずだ。


「瘴気の浄化がこれからってことは……じゃあ、シアが命を落とす危険はまだ去ってないってことなの?」


 思わず口からこぼれた言葉に、シアが少し目をみはった。


「ルリ、瘴気の浄化に命の危険が伴うこと、知っているの?」


「お師匠に聞いた。レティ母様とヨルダ父様の会話を夢で見て、不安になって、それで……」


 話しているうちに、あの時の感情がよみがえってくる。


「そうだよ。何でシア、瘴気の浄化で命を落とすかも、ってあたしに教えてくれなかったの? 何で、何も言わずに行っちゃったの!?」


 シアが無事に帰ってきてくれた喜びで忘れていた怒りがこみ上げてきて、あたしは声を荒らげた。


 シアは目を伏せる。


「言えば余計な心配をさせるだけだと思ったのよ。それに、無事に帰ってくるって約束したのは嘘じゃないわ。瘴気の浄化で命を落とすことはそう頻繁にあるわけじゃないし、命の危険がありそうな場合は、当面の対処法として結界を張って、里からの応援を待つことになっているもの。そうなったら、一度はこの町に帰ってくるのよ。だから、どっちにしても無事に帰ってこられるの。実際に帰ってきたでしょう?」


 シアはそう言って微笑むけど、あたしには詭弁にしか聞こえなかった。


「それは確かにそうだけど、そんなの一時的なものじゃない。里からの応援が来たら、シアはまた瘴気の浄化に行っちゃうんでしょう? それで、今度こそ命を落とすかもしれないんでしょう? そんなの、あたし嫌だよ! それに……瘴気の量が多くて濃度も高いってことは、命を落とす確率も高くなるってことなんじゃないの?」


 尋ねながら、あたしはほぼ確信していた。だってシア、今、命の危険がありそうな場合は結界を張って里からの応援を待つ、って言った。それ、正に今シアがやってることじゃない。


 シアは、あたしを安心させるような笑みを浮かべて、握った手に力をこめた。


「いいのよ、ルリ。これはわたしたち一族が神々から授かった使命なの。それに、言ったでしょう? あなたには感謝しているのよ。あなたが好きだから、何よりもあなたがいてくれるから、わたしはこの世界を護りたいって思える。世界を護る力を持って生まれたことを誇りに思えるんだもの。あなたのおかげで、使命を果たすために死んでも構わない、って生まれて初めて心から思えたのよ」


 シアはそう言って、綺麗に笑った。その笑みのあまりの美しさに、おなかの底から熱い感情がわき上がってくる。


「……何、それ」


 口が勝手に動いて、言葉がこぼれる。感情があふれ出す。涙が頬を伝い落ちるのがわかった。


「何よそれっ!」


 あたしの反応に、シアは戸惑ったような顔になった。


 あたしはぎゅっと拳を握った。あんまり腹が立って、すごく悲しくて、頭がくらくらする。


「シアはあたしのこと好きだって言うのに、あたしの気持ちなんて全然考えてない。でなきゃ、あたしのこと全然わかってない」


 シアがあたしのために死んじゃって、それであたしが幸せになんか、絶対になれるはずがないのに。シアはあたしのこと好きなのに、あたしの幸せなんか全然考えてくれないの!?


「あたし……あたしは、シアがここで死んじゃったら、自分のこと赦せない。シアにそんなことさせた自分を嫌って……ううん、憎んじゃうかもしれない……」


 シアは驚きの色を浮かべて目をみはった。


「どうしてそうなるの? ルリ。あなたは何にも悪くなんかないわ」


「だって、あたしがいなければシアは、使命を果たすために死んでも構わない、なんて思わなかったんでしょう? それに、あたしがいなければ、シアはクラディムに来ることはなかったし、そしたらここで瘴気の浄化を行うこともなかった。シアが死んじゃったら、全部あたしのせいじゃない!」


「それは違うわ、ルリ。わたしは元々使命のために命をかけるつもりがあったし――」


 あたしはシアの言葉を遮って続けた。


「あたしにそんなもの背負わせるの? あたしのせいでシアは死んじゃったんだって、いっそシアに出会わなければ良かったのにって、そう思いながらこの先ずっと生きていけって言うの!?」


 シアが息を呑む。


「ルリ……」


「そんなの酷いよ、シア」


「……違う。違うのよ、ルリ……わたしは……」


「違わない。シアが今言ってるのはそういうことだよ」


 重たい沈黙が落ちる。荒くなったあたしの呼吸音だけが部屋に響いている。


 シアはうつむいて黙っている。いつの間にかあたしの手を離していた。もしかしたら、あたしが無意識に振り払ったのかもしれない。


 どれくらい時間が経っただろう、シアが顔を上げて口を開いた。


「あなたを傷つけてしまってごめんなさい、ルリ。でもあなたにそんな思いをさせるつもりは本当になかったのよ。それは信じて」


 あたしは応えられなかった。シアに悪気がなかったのはわかってる。だけどそれでもやっぱり、シアが言ったのは酷いことだって思うから。シアの言葉でついた傷が、まだどくどくと血を流しているから。


 少し悲しげな顔をしたシアは、だけどすぐに決意の色を目に浮かべた。


「だけど、それでもわたしは瘴気を浄化するわ」


「……何で? 結界を張っておけば魔獣は生まれないんでしょう? だったら、そのままずっと結界で封じておけばいいじゃない!」


「結界の維持には多大な労力が必要なのよ。頻繁に張り直さないといけないし、かなりの魔力も使う。ずっと結界でしのぐのは、現実的じゃないわ。それに、何かの拍子に結界が破れてしまわないとも限らない。そうなったら、また魔獣が生まれてしまう。――だから、瘴気は浄化されなければならないの」


「……………………あたしが」


 あたしはかすれた声で言った。


「……あたしが、お願いだからやめて、って言っても……だめなの?」


 シアがはっきりと悲しそうな顔をする。それでもシアは口を開いた。


「ええ。あなたが何と言おうと、瘴気の浄化は行うわ」


 予想はついていたけど、シアはきっとそう答えるだろうってわかっていたけど、はっきり迷いなく口にされたシアの言葉は、ざっくりとあたしの心をえぐった。


 あたしの言葉はシアに届かない。あたしじゃシアの行動を変えられない。……あたしは、シアの前で、こんなにも無力なんだ。


 その事実が痛くて苦しくて、それ以上シアの傍にはいられなかった。あたしは逃げ出すように立ち上がって走り出した。


 ううん、「ように」じゃない。あたしは逃げたんだ。シアから、逃げた。思うようにならない現実から、逃げた。



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