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第十一章 人柱の一族(4)

「な、なあ、リューリア姉ちゃん」


 ためらいがちにかけられた声に隣を見る。寝ていたはずのラピスが体を起こしてこっちを見ていた。その顔には怯えの色が浮かんでいる。


「ラピス……あんた、起きてたの」


 ラピスはあたしの言葉が聞こえていないかのような様子で続けた。


「……やっぱりルチルさんの命が危ないってことなのか……?」


 ラピスの瞳が縋るようにあたしを見つめる。あたしに否定してほしいんだろう。あたしだって否定したい。でも……できない。


 あたしは口を開いた。何を言おうとしたのかは自分でもわからない。何度か口を開閉させて、結局そこから出てきたのは、嗚咽だった。


 シアが、こんなにも大好きな人が、死んでしまうかもしれない危険なことをしている。それなのに、あたしにできることは何一つない。あたしはシアが危険な仕事に向かうんだってことを教えてもらうことさえできなかった。


 自分の無力さが恨めしくて、情けなくて、涙があふれてくる。


 うつむいて泣いていると、肩に小さな手が触れた。


「だ、大丈夫だよ、リューリア姉ちゃん」


 ラピスの声はちょっと震えている。でもがんばって元気な声を出そうとしているのが伝わってくる。


「ルチルさんはすっごく腕のいい魔術師なんだろ? マジュウだってあっという間に倒しちゃったんだろ? だからきっと無事に帰ってくるよ。約束したもん!」


 一生懸命あたしを励まそうとしてくれるラピスの気持ちが嬉しくて、ラピスにそんなことをさせちゃってる自分が恥ずかしくて、あたしは手を伸ばしてラピスをぎゅうっと抱きしめた。


「ご、ごめんね、ラピス……ありがと……ごめん……」


 ラピスがあたしを抱きしめ返して、ぽんぽんと背中を叩いてくれる。あたしは小さな体のぬくもりに縋りながら、何とか涙を止めた。


 ラピスから体を離して、ラピスの顔を見る。がんばって笑顔を作った。


「そうだよね。シア、帰ってくるって約束したもんね」


「うん、そうだぞ! ルチルさんは嘘ついたりしない!」


「そう……だね」


 そうだといい、と心から思う。シアがあたしたちを心配させないために嘘をついた可能性は、考えないことにした。


 何とか呼吸を整えながら、お師匠の方を見る。


「……あたしたち、もう帰ります。お邪魔しました」


 それだけ言って立ち上がる。まだお師匠への怒りが残っていて、これ以上お師匠の家にいたら、また感情を爆発させてしまいそうだった。


 ラピスと連れ立ってお師匠の家を出る。道をとぼとぼと歩いていると、ラピスがそっと手を握ってきた。ラピスの方に視線を向けると、そっぽを向いた顔が目に入る。


 あたしは小さく微笑んで、ラピスの手をぎゅっと握った。ラピスはまたあたしを慰めようとしてくれてるのかもしれないし、自分が不安なのかもしれない。どっちにしても、この手を握りたいと思ったから。


 家に帰り着くと、義姉さんが出迎えてくれた。あたしを見て心配そうな顔になる。


「良くない知らせ?」


「……うん。シア……ルチル、やっぱり命の危険があることをやってるんだって……」


 また涙が出そうになるけど必死にこらえた。これ以上ラピスの前で涙は見せられない。


「でも大丈夫だ! ルチルさんはすっごい魔術師だから! それに約束したから! だから無事に帰ってくるんだ!」


 ラピスが心の底から信じているような明るい声で言う。その明るさに、救われる。


 義姉さんは微笑んでラピスの頭をなでた。


「そうね。そうだといいわね」


 言って、微笑みをあたしに向ける。


「昼の開店時間までにはまだしばらくあるから、お風呂屋に行ってきたら? お風呂で汗を流せばさっぱりするわよ」


「うん……そうだね……」


 正直あんまりお風呂に入りたい気分じゃないけど、清潔にするのは飲食店の従業員としては当然の義務だ。そう自分に言い聞かせて、ラピスとお風呂屋に向かう。


 お風呂屋で体を洗っていると、声をかけられた。


「昨日町を襲ってきた獣……魔獣と言ったかしら? それを倒してくれたの、あなたなんですって? どうもありがとうね」


 そう言ったのは、人の好さそうな中年の女性で、安堵の色が濃い笑みを浮かべている。


「いえ、私は手伝いをしただけで、実際に倒したのは……」


 説明の途中であたしは口をつぐんだ。シアの名前を言おうとしたら、また涙が出そうになったからだ。


 シア、今頃どの辺りにいるんだろう。もう歪みを見つけただろうか。無事で、いるんだろうか?


 そんな考えがぐるぐると頭の中を巡って、言葉がうまく出てこない。無言になってしまったあたしに、女性は戸惑った顔をしたけど、気を取り直したように微笑んだ。


「どっちにしても、ありがたいわ。やっぱり魔術師ってすごいのねえ」


 その言葉に思わず、違う、と言いたくなった。襲ってきた魔獣から町を護ったのも、新たな魔獣が生まれて町を襲わないように現在進行形で町を護ろうとしているのも、あたしじゃない。シアだ。命がけで、クラディムのために働いてくれているんだ。


 感謝と称賛を向けられるべきなのは、シアなんだ。だからその言葉は、シアが帰ってきたら、シアに言ってあげてください……って言いたかった。


 でも、シアが帰ってきたら、って考えると、胸が不安で押しつぶされるみたいに苦しくなって、喋れない。


 シア……帰って、くるんだよね? 帰ってこなきゃだめだよ、シア。シアが無事に帰ってきてくれるなら、もう一度シアの笑顔が見られるなら、あたし他には何にもいらないから。あたしの気持ちなんて返してくれなくて構わないから。生きていてくれるならそれだけでいいから。


 だからお願い、帰ってきて、シア。


 あたしは目の前の女性のことをほとんど忘れ去って、必死に願った。そこでふと思いつく。そうだ、神殿に行こう。神々にシアの無事を祈ろう。今あたしにできることなんて、それくらいしかないんだから。


 そう決めたら、急いで体と髪を洗い終える。お湯には浸からずに、ラピスを見つけて呼び寄せた。


「何だよー、もう帰るのか? まだ時間あるだろ?」


「帰りに神殿に寄って、シアの……ルチルの無事を神々に祈りたいの。だから急いで」


 そう言うと、ラピスはおとなしくうなずいた。


 神殿への通り道にある屋台で、手持ちのお金で買える一番高い果物を買う。お風呂屋に行くだけのつもりだったからほとんどお金を持ってきてなくて、あまり高い物は買えなかった。明日はもっといい物を買って、神殿に捧げよう。シアが帰ってくるまで、毎日神殿で祈ろう。


 そう考えながら、神殿に急いだ。神殿に着くと買った果物を供物として捧げて、大地の女神メアノドゥーラを始めとする五大神の像が並んでいる場所に向かう。地面に片方の手の平をつけ、もう片方の手の平を空に向けて、祈る。


「大地の女神メアノドゥーラよ、空の女神セリエンティよ、太陽と月の女神エルシャイーラよ、光の男神シィルナーゼよ、闇の男神ディンキオルよ。その他あまねく神々よ。どうかシアを……ルチルカルツ・シアをお護りください。彼女が無事に仕事を終えて帰ってこられるよう、加護をお授けください」


 目を開けて、神々の像を見上げながら、訴える。


「シアたち一族は、神々の愛し児、なんでしょう? 神々に愛されている存在なんでしょう? だったら、シアを護ってください。シアを死なせないでください。それがかなうなら、あたしはもう一生どんな願いもかなわなくていいですから」


 神々の像には何の変化もない。あたしの祈りが神々に届いているのかわからない。そのことをこんなにもどかしく思ったことはない。


 それでもあたしは、再び目を閉じて、必死に祈りを捧げた。いつまでもそうやって祈っていたかったけど、鐘の音が神殿内に鳴り響く。五の鐘だ。そろそろ帰って、お昼の営業時間に備えないといけない。


 あたしは最後にもう一度祈りの言葉を繰り返してから、しぶしぶ立ち上がった。隣で立っていたラピスが見上げてくる。


「リューリア姉ちゃん、すっごい真剣に祈ってたな。あれだけ一生懸命祈ったらきっと神様たちにも届くよな!」


 ラピスのきらきらした目がまぶしい。あたしは笑顔を作った。


「そうだね。――さあ、帰ろう。お昼ごはん食べる時間がなくなっちゃう」


 ラピスを促して歩き出しながら、あたしは少し気持ちが軽くなっているのを自覚した。神々に祈ったことで不安が多少なりとも軽減されたらしい。もちろん不安が完全に消えたわけではないけど、神殿に来る前よりはましになっている。


 あたしは足を止めて、五大神の像を振り返った。


 また明日も来ますね、と心の中でつぶやいて、前を向く。そして再び足を動かし始めた。



お読みくださりありがとうございます。「いいね」やブクマ、評価、感想など頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。

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