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第十一章 人柱の一族(3)

ブクマありがとうございます!

 ラピスはずっと眠りこけたままで、お師匠の家に着いても起きなかった。朝早くに叩き起こして連れ回しちゃったもんなあ。眠り足りなかったんだろうな。


 お師匠の家に入って、居間のソファーに、そっとラピスを寝かせる。何気なくテーブルの上を見ると、赤黒い肉の塊が置かれていた。


「わ、何ですかこれ」


 まさかこんな所で調理でもあるまいし、食材ではないだろう。半分くらいは毛に覆われていて食肉用に処理された物には見えないし。周囲には色々な器具が置かれていて、何か実験を行っているように見える。


「魔獣の残骸だよ。あんたたちが魔獣を倒した現場から拾ってきた物さ。それを色々調べて、魔獣の研究に役立てるんだ」


 お師匠は平然と言う。あたしは思わず引いてしまった。


 いや、魔獣を研究するのって多分大事なことなんだろうとは思うけど、よく見たら肉の塊には黒いもやが少しだけどまとわりついているし、そんな物をあれこれ調べるって、気持ち悪くないんだろうか? この黒いもや――多分これが瘴気なんだろうけど――相変わらず見ているだけで吐き気がしてくるのに。


 でもお師匠は何も気にしていない様子で、テーブルの向こう側に座る。


「リューリア、お茶を淹れてきとくれ」


「あ、はい」


 素直に従いつつも、あたしは内心更に引いていた。あの瘴気の横でお茶を飲むの? ……あたしは無理だ。お茶はお師匠の分だけでいいや。


 お師匠に仕込まれた手順でお茶を淹れながらも、気持ちはお師匠の話を聞きたくて逸っている。でもお茶の味が悪かったらきっと淹れ直しさせられるだろうから、なるべく気持ちを落ち着けて丁寧に淹れるよう心がけた。


 お師匠の分だけのお茶を持って、居間に戻る。ティーカップをお師匠の前に置いた。


 お師匠はティーカップを取り上げて一口飲んだ。特に味に文句はないようだ。それにしても、本当に瘴気を目の前にお茶を飲むのかあ。食事をするよりはましだけど……でもお師匠、きっとここで平然と食事もしてるんだろうな……。


「あの、お師匠、この魔獣の残骸ですけど、周囲に害とかないんですか? この黒いもや、瘴気なんですよね? 危険なものなんですよね?」


 気になって尋ねてみる。


「周囲に結界を張って、瘴気が拡散しないようにしてるから、平気さ」


 あ、ちゃんと対策はしてあるんだ。まあ、それはそうか。お師匠は研究に夢中になると周囲が見えなくなりがちだけど、考えなしな人じゃないもんね。


 納得したあたしは、本題に入ることにした。気を引きしめて、背筋を伸ばして、お師匠を見据えた。


「お師匠、シアの……ルチルのやってることは危険なことなんですか?」


 もう半ば以上確信しているけど、できれば違っていてほしいという気持ちもあって、疑問形になる。


 お師匠は、答える前にもう一口お茶を飲んだ。


「おまえは、歪みや瘴気についてはほとんど教えられていないんだったね」


「はい。一般的な知識だけです」


 あたしの知識の広さや深さについては、お師匠に弟子入りして以来折を見て調べられているから、そのことはお師匠も知っている。今口にしたのは、念のための確認だろう。


「先程の会合で私が言った、人の体には多少の瘴気を浄化する機能が備わっている、という話も初耳だったか」


「はい、そうです」


 言ってから、あたしはふと思いついた。


「シアは、瘴気を浄化して歪みを消すのは自分たちの一族の使命だって言ってましたよね。そのために特殊な力を神々に授かった、って。あの言い方だと、瘴気の浄化や歪みの消去はシアたちしかできないことみたいに聞こえましたけど、誰にでも瘴気を浄化する機能が備わっているなら、あたしたちにも瘴気を浄化したり歪みを消したりできるってことですか?」


「その質問には一言じゃ答えられないね。まず、瘴気の浄化と歪みの消去は別のこととして捉えるべきだ。そして、歪みの消去は〈神々の愛し児〉にしか行えない。少なくとも、これまで〈神々の愛し児〉でない人間が歪みの消去に成功した例はない」


「そうなんですか……」


 あたしはがっかりした。もしシアと一緒に行くことができていたとしても、あたしにはシアを手伝えなかったってことだ。


「だが、瘴気の浄化はまた別だ」


 お師匠の言葉に、あたしははっと顔を上げてお師匠を見つめた。


「さっきも言ったとおり、人の……いや、生き物の体には、多少の瘴気なら自然に浄化する機能がついているんだ。ただ、普通の生き物が浄化できる瘴気の量はそんなに多くない。その限度を超えて瘴気を取り込むと、死ぬか、瘴気への耐性が高い個体だと魔獣になる。興味深いのは、瘴気を取り込んだ人間が魔獣のように変質した例がないことだね。このことから、人は獣とは違うやり方で瘴気を浄化しているのではないかという説が通説だ。ただ、人は獣に比べて瘴気に耐性がないか体があまり頑丈ではないから魔獣のように変質するところまで行かないのではないかという説もある。そもそも一般人が瘴気に触れること自体が、獣よりも少ないから、変質した例がないだけではないかとも言われているし……」


 滔々と話していたお師匠は、途中で言葉を切った。


「いや、話がそれたね。人と獣の違いは今はどうでもいい。話を戻そう。――瘴気の浄化はある意味誰にでもできることだが、普通の人間には意図して瘴気を取り込むことができない。あくまでも受動的に取り込んでしまった瘴気を浄化するだけだ。だが、〈神々の愛し児〉は違う。かれらは自分の意思で瘴気を体内に取り込むことができる。更に、取り込める瘴気の限度量が普通の人間とは桁違いで、浄化能力も高い。だから、歪み周辺に溜まっている瘴気を浄化することができるんだ」


 あたしはお師匠の言葉を脳内で咀嚼してから、口を開いた。


「でも、シアたち一族でも、無限に瘴気を浄化できるわけではないんですよね。そして、限度量を超えた瘴気を取り込むと……死ぬ……?」


 お師匠は重々しくうなずいた。喉がからからに渇いているけど、何とか言葉を押し出す。


「じゃあ……やっぱり、瘴気を浄化する仕事は、命がけの仕事なんですね……?」


「そうだ。瘴気の量や濃さにもよるが、浄化の過程で命を落とす〈神々の愛し児〉は時々いると聞く」


 あたしは、ひゅうっと息を吸い込んだ。呼吸がうまくできない。頭ががんがんして、心臓がどくどく鳴っている音が耳の中でうるさく響いている。


 命を落とす……死ぬ……。シアが、死ぬ……。嫌だ。そんなの嫌だ。そんなの絶対に嫌だ……!


「しっかりしな、リューリア」


 頬に軽い痛みが走ると共に、鋭いお師匠の声が頭の中のもやを切り裂くように聞こえてきた。


 あたしは呆然と声のする方を見上げる。いつの間にかお師匠がすぐ傍に立っていた。


「命を落とすっていっても必ずってわけじゃない。ルチルさんが死ぬと決まったわけじゃないんだよ」


「で、でも……! 死ぬかもしれないって、そんな、そんなこと、あたし何も聞いてないです……っ!」


 声にすると、怒りがこみ上げてきた。言ってくれなかったシアもシアだし、お師匠だって酷い。


「お師匠は知ってたのに! 瘴気の浄化で命を落とすこともあるって知ってたのに! それなのに、何でシアを行かせたんですか!」


 激昂するあたしを、お師匠は冷静な目で見つめる。


「仕方がないだろう。瘴気の浄化と歪みの消去は行われなきゃならないんだ。そうでなくちゃ、また魔獣が生まれて町を襲うかもしれない」


「けど……っ!」


「ルチルさんにはそんな事態になるのを止める能力があって、本人にもその能力を使う意志があった。だから任せた。それがそんなに間違っていることかい」


「だって、何でシアがそんな危険なことしなきゃいけないんですか! 一族の使命って、何ですかそれ!」


 一族の使命だからって、自分たちにしかできないことだからって、シアもレティ母様もヨルダ父様も、そんな危険なことを進んでやってきたって言うの!? そんなのあたしは認められない!


「……あんたは、ルチルさんたち一族の別の呼び名を知ってるかい」


 唐突に変わった話題に、あたしはついていけず、ぽかんと口を開けて瞬きをした。お師匠は少し陰りのある表情で話を続ける。


「本人たちは〈神々の愛し児〉と名乗っていて、私たちも当人たちの前ではそう呼ぶけどね。それ以外のところでは、〈人柱の一族〉という呼び名の方が通りがいいのさ」


「人柱……?」


「そうだよ。この世界が平和であり続けるため、繁栄し続けるため、いや、存続し続けるためには、瘴気は浄化され歪みは消去されなければならない。それができるのはルチルさんたち一族だけ。だから、世界の平和と繁栄のための人柱だ、ってね」


「……そんな……そんなのって……酷すぎる……」


「そうだね。残酷な呼び名だよ。私だって好きじゃない。だから、〈神々の愛し児〉に頼らなくても瘴気を浄化したり歪みを消すことができないか、模索しているのさ。魔獣の残骸を調べているのだって、その研究の一環だよ」


 お師匠の言葉に、あたしは目を見開いた。


「できるんですか!?」


 お師匠は顔を曇らせたまま首を振る。


「研究は進めているが、今のところ有効な方法は見つかっていない」


 体から力が抜ける。あたしは、へたりとソファーの背もたれに寄りかかった。


 お師匠は少しの間あたしを見つめた後、テーブルをぐるりと回って元の場所に戻り、向かいのソファーに座った。何も言わずにお茶を飲み始める。

 あたしは動くのはもちろん何かを言う気にもなれず、ただそれを見ていた。


 沈黙を破ったのは、あたしでもお師匠でもなかった。



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