第十章 魔獣の襲撃(4)
手をつないだまま道を歩いていると、通りすがりの人や屋台の中から何度も声をかけられた。皆町を襲ってきた獣が本当に倒されたのか、もう危険はないのか、知りたくてたまらないんだ。
皆を安心させつつ、家に帰り着く。私用の玄関を開けながら「ただいま」と声をかけると、ラピスが飛び出してきた。
「ルチルさん、リューリア姉ちゃん、おかえり!」
ラピスはその勢いのままシアに飛びつく。そのはずみに、あたしとシアの手が離れた。あーあ、もっとつないでいたかったのにな。
「ルチルさん、大丈夫か? 怪我してないか? マジュウっての、倒したのか?」
「ええ、大丈夫よ。魔獣は倒したし、わたしもルリ……リューリアも怪我していないわ。だからもう心配いらないのよ」
「そっかー。良かったー」
ラピスが満面の笑みを浮かべる。ラピスの後から来ていた義姉さんも、安堵の表情を浮かべている。
「リューリアもルチルさんも無事で良かったわ」
「うん、ただいま、義姉さん。兄さんと父さんは?」
「自警団の招集がかかったから、出てるわ。現場で会わなかった?」
「ううん、気づかなかった。あたしもいっぱいいっぱいだったから」
「そうでしょうね。ご苦労様」
義姉さんが、ぽん、と肩を叩いてくれる。
「リューリア、汚れてるわね。そのままじゃ気持ち悪いでしょう。お風呂屋に行ってきたら?」
「あ、そういえばそうだった」
魔獣の血や肉片が体のあちこちについたし、救出作業で土ぼこりも結構浴びた。言われて気づいたけど、かなり汚れている。自覚したら、早く体をきれいにしたくてたまらなくなった。
「うん、風呂屋に行ってくる。シアもラピスも行くでしょ?」
シアとラピスが肯定の返事をする。
手早く準備をしてお風呂屋に向かった。その途中でもお風呂屋でも魔獣のことを訊かれては相手を安心させるのを繰り返す。ちょっとめんどくさいけど、訊きたくなる気持ちはわかるし、これも仕事の一環だと割りきって対応する。
家に帰ると、義姉さんが夕食を作って待っていてくれた。
「義姉さん一人で作ってくれたの? 待っていてくれたらあたしも手伝ったのに」
「いいのよ。リューリアは自警団や魔術師としての仕事をがんばったんだから、その労いだと思って。さ、早く食べて食べて」
義姉さんに促されるままテーブルに着いた。
「すみません。わたしまでごちそうになってしまって」
「いいんですよ。ルチルさんには普段からお世話になってるし、今日も町のために働いてくれたんでしょう? そのお礼だと思えば、全然足りないくらいです。それに、皆で一緒に食べた方が、食事はおいしいですし」
「俺もルチルさんと食べられて嬉しい!」
義姉さんとラピスの言葉に、シアは微笑んで「ありがとうございます」と言った。
「それより、町を襲ってきた獣……ラピスが魔獣だって言ってましたけど、魔獣って確か普通の獣の何倍も強いんですよね? よく倒せましたね」
「わたしの一族では、魔獣の倒し方も教わりますから。倒し方を知っていれば、そう厄介ではないんです。訓練を積んだ魔術師にとっては、ですけど」
「シア、すごいんだよ。魔獣をあっという間に倒しちゃったんだから」
「そうなの。……被害は結構出ましたか?」
義姉さんは不安気な顔であたしとシアを交互に見る。少しの沈黙の後、シアが答えてくれた。
「建物が結構壊れて……亡くなった方も十数人います」
義姉さんは、つめていた息をふうっと吐いた。
「そうですか。やっぱりみんな無事とは行きませんよね。リューリアもルチルさんも、つらかったでしょう。すぐに切り替えるのは無理でしょうけど、あまり引きずらないでくださいね。二人とも、やれるだけのことはやってくださったに違いないんだから。それでもしんどかったら、あたしで良ければ話くらいは聞けますし」
「うん……ありがと、義姉さん」
「お気づかいありがとうございます」
義姉さんは微笑んで、しんみりした空気を変えるように、「そうそう」と明るい声を上げた。
「ティスタちゃんに聞いたけど、リューリア、うちで働かないかティスタちゃんを誘ったんですって?」
「え? ああ、うん、そうだった。すっかり忘れてた」
ティスタとその話をしたのが、何日も前のことのように思える。
「ティスタは給仕の経験者だし、知りあいだから足元見てくることもないし、悪くない話でしょ?」
「そうなのよね。だからティスタちゃんと話しあって、さっそく明日から来てもらうことになったわ」
「話ついたんだ? 良かった」
そう言ってから、あたしは、はたと気がついた。
「あ、でもシア、明日から歪みを探しに行くんだよね? それだったら、シア目当てのお客さん来なくなっちゃって、ティスタに来てもらうと給仕が多すぎて無駄に経費が増えて、むしろ困っちゃうんじゃ……」
「あら、ルチルさん、どこかに行くんですか?」
「魔獣を生み出す世界の歪みを探しに行くんです。歪みを見つけて消して瘴気も浄化しないと、また魔獣が生まれてしまうので」
義姉さんは少し青ざめた。
「それは怖いですね……。そんなことにならないよう、どうかよろしくお願いします」
「はい。任せてください」
うなずいたシアは、ちょっと困った顔になった。
「でも、そのせいでお店にまた影響を与えてしまいますね。ティスタさんにもご迷惑をかけてしまうかもしれません」
義姉さんは少し考えてから、口を開いた。
「その……歪みを消すのには、どのくらい時間がかかるんですか?」
「歪みの場所と大きさにもよりますけれど、数日というところですね」
「それが終わったら、またこの町に帰ってきて、店を手伝ってくださるんですよね?」
「はい、そのつもりです」
「それなら特に問題はないと思います。明日ルチルさんがいなくなっても、同時にお客さんが減るわけじゃないですから。ルチルさん目当てのお客さんがすっかりいなくなるには数日かかるだろうし、ルチルさんが戻ってきたらまたそういうお客さんも戻ってくるだろうし、やっぱりティスタちゃんには来てもらった方がいいでしょう。その辺の細かいところは、様子を見ながらティスタちゃんと話しあうことにします。ルチルさんは心配なさらないでください」
「そうですか。それなら良かったです」
シアはほっとしたように微笑んだ。
「ルチルさん出かけちゃうの、つまんないなー」ラピスが口を尖らせて言う。「なるべく早く帰ってきてな!」
「ふふ、努力するわ。ラピスくんはその間、お手伝いと魔術の訓練がんばってね」
「わかった! 約束だな!」
「ええ、約束ね」
シアとラピスが笑いあう。
二人の会話を聞きながら、あたしはまたも言葉にできないもやもやを感じていた。シアが世界の歪みを探しに行くことを考えると、何だか嫌な予感がする。
シアが別の魔獣に遭遇するかもしれないって不安がまだ消えてないせいなのかな? でもそれだけじゃない気がする。気がする……んだけど、じゃあ何が不安なのか、自分でもわからない。それがもどかしい。
あたしは何とか自分の感情を理解しようと努めたけど、結局食事が終わる頃になってもわからない。
「洗い物、お手伝いしましょうか」
「いえいえ、気にしないでください。ルチルさんは疲れたでしょうから、ゆっくり休まれてくださいな」
「じゃあ、そうさせてもらいます」
「ルチルさん、俺とお喋りしよう!」
「ごめんね、ラピスくん。明日は朝早く出るつもりだから、早く寝てしっかり睡眠を取りたいの。お喋りは、また今度にしてくれる?」
「ちぇー」
「ごめんね。――そうだわ、ルリ」
ラピスと話していたシアがあたしの方を見る。心臓がドキッと跳ねたけど、何とか目をそらすのはこらえた。
「な、何?」
「携帯食を売っているお店の場所はわかる? 明日の朝、町を出る前に買っておかないといけないから」
「け、携帯食ね。それなら多分大通りの……」
旅人向けの商品を扱っている店や屋台の場所をいくつか挙げる。
「わかったわ。ありがとう。それじゃあ、わたしは部屋に戻るわね。おやすみなさい」
シアが手を振ってこっちに背を向ける。あたしは思わず叫んでいた。
「シ、シア!」
シアが振り返る。
「何?」
「あ……えっと、その、き、気をつけてね」
表情をやわらげたシアが歩み寄ってきた。あたしの手を握って、こつん、と額と額を合わせる。わーっ、近い近い。顔が近い!
「大丈夫よ、ルリ。無事にあなたの元に帰ってくるわ」
「う、うん。ま、待ってるから……ね」
距離の近さに動揺しながらも、あたしは何とか返事をした。
「ええ。待っていて」
もう少しの間その体勢でいてから、シアはあたしの手を離して距離を取った。でも、あたしの心臓はまだ落ち着いてくれない。
「それじゃあね、ルリ」
シアはもう一度手を振って、今度こそ自室に帰っていく。あたしは熱さの引かない顔を持て余しながら、その背を見送った。
「リューリア姉ちゃん、顔赤いぞ」
ラピスが遠慮なく指摘してくる。
「う、うるさいな。いいでしょ、別に」
あたしはラピスに背を向けて、逃げるように台所に行った。
「義姉さん、ごめん、洗い物一人でさせて。あたしもやるよ」
「あら、いいのよ。あんたも疲れてるでしょ? 休んでてちょうだい」
「だ、大丈夫。今はなんか仕事をしていたい気分なの」
「そうなの? でも洗い物はもう終わりだし……針仕事でもしましょうか」
「う、うん、そうだね」
それからしばらく針仕事をしていると、兄さんと父さんが帰ってきた。二人が温め直した夕食を取る合間に、自警団が行った仕事の概要を聞く。崩壊しそうな建物を前もって取り壊したり、他に危険な獣がいないか町の周りを見回ったりしてきたそうだ。
そんな話をしていると、町長さんの使いが訪ねてきて、明日の会合は三の鐘からだと伝えられた。
「三の鐘か。店はどうする? 親父。いっそ朝は閉めるか?」
兄さんの問いに、父さんは少し考えてから首を振った。
「いや、こんな時だからこそ、いつもどおりに開けた方がいいだろう。厨房は俺一人で何とかする。給仕はティスタが来てくれるんだから、そっちもどうにかなるだろう」
「そうですね。あたしとティスタちゃんで何とか回せると思います。会合で人手が足りないのは、お客さんもわかってくれるだろうし」
「まあ、そうだな。それにティスタなら、ルチルさんがいなくて不満を言う客にもうまく対応してくれるだろうし、ティスタを雇えて良かったよなあ」
兄さんがしみじみと言う。シアが明日からしばらく出かけることとその理由は、さっき兄さんと父さんにも話した。
「本当よね。お給料も、覚悟してたより安くで済んだし」
義姉さんが相槌を打つ。
「じゃあ、そういうわけで、明日は朝に会合がある以外はいつもどおりってわけだな。なら、とっとと食べて寝るか。今日は休日なのに疲れたからな」
兄さんが話をまとめて、食事に専念し始めた。
あたしと義姉さんは兄さんと父さんの食事が終わるのを待って、洗い物を済ませてから、それぞれ自室に戻る。寝巻に着替えてから、寝台に座って祈りを捧げた。
狩猟の男神パライシャール、どうかシアをお護りください。シアの仕事が何事もなく成功しますように。
狩人の守護神であるパライシャールに願うのは普通狩猟の成功や狩猟中の身の安全で、シアは正確には狩猟に出かけるわけじゃないけど、そんなに大きく違わないだろう。
こうやって祈るのが今あたしにできる全てだ。そう自分に言い聞かせながら、蝋燭の火を消して部屋の空気を冷やして上掛けをかぶる。
でも、胸の中の嫌な予感は消えてくれなくて、なかなか寝つけない。本当に、何がそんなに引っかかってるんだろう?
悶々としながら何度も寝返りを打っているうちに、いつの間にか眠りに落ちていたらしい。そして、夢を見た。
夢の中のあたしは、暗闇の中手さぐりで、小さい頃住んでいた家の階段を下りているところだった。お手洗いに行きたくて、夜中に目が覚めてしまったんだ。
一階に下りると、少しだけ開いた居間の扉から明かりがもれていた。レティ母様とヨルダ父様はまだ起きているようで、くぐもった声が聞こえてくる。
真っ暗闇の中お手洗いに一人で行くのは怖いし、レティ母様についてきてもらおうかな、と夢の中のあたしは考えている。でも恐怖を口にするのが、ちょっと恥ずかしい。
迷いながら居間の扉に近づくと、ヨルダ父様の声が聞こえてきた。
「いくら使命だといっても、君を命がけの旅に送り出すのは気が重いよ。瘴気があまり多くないといいんだが……」
その声は本当に心配そうで、深刻そうな響きもしていて、夢の中のあたしは足を止めてしまう。
夜の家は静かで、ヨルダ父様が、はあ、と大きく息を吐くのが聞こえた。
「いっそ僕がかわれたらいいんだけどな」
「それはだめよ。あなたはこの間旅に出かけたばかりじゃない。今度はわたしの番なのよ」
レティ母様がヨルダ父様をたしなめる。
「君の番の時に、よりにもよって魔獣が発生するなんて、ついてないよな」
「そうね。でも仕方ないわ。確率の問題よ。誰の時に魔獣が発生するかなんて、わからないんだから」
「それはわかっているんだが……」
ヨルダ父様はもう一度大きなため息をついた。ギシッと木のきしむ音がする。
「君に神々のご加護があるように、レティ。どうか、無事に僕とルリの元に帰ってきてくれ。生きて帰ってきてくれるなら、それ以上は望まないから」
「ええ。きっと無事に帰ってくるわ。あなたとルリを置いて逝ったりしない。約束する」
レティ母様が安心させるような声で言う。
夢の中のあたしは、その声にほっとして、おずおずと足を踏み出して、居間の扉に触れる。扉がギイッと音を立てて大きく開いて、居間の中で抱きあっていたレティ母様とヨルダ父様がこっちを見た。
そこで、目が覚めた。
外はもう朝になっているようで、小鳥のさえずりが聞こえてくる。でもあたしには、そののどかな歌声に意識を割いている余裕はほとんどなかった。
寝台に横たわったまま、天井を見つめながら、今見た夢を思い返す。そうだ。レティ母様もヨルダ父様も、使命を果たすためって理由で、定期的に旅に出ていた。この夢は、そんな旅の前の出来事だ。
二人の会話の内容からして、どこかで魔獣が出て、それでその発生源となった瘴気を浄化して歪みを消すためにレティ母様は旅に出るところだったんだろう。でも、今の夢で一番大事なのはそこじゃない。重要なのは……。
「瘴気を浄化するのには、命の危険が伴うってこと……?」
あたしは呆然とつぶやいた。レティ母様とヨルダ父様の会話は、そうとしか取れないものだった。単に魔獣と遭遇する可能性があるから危険だって感じじゃなかった。瘴気を浄化すること自体が危険を伴うような話し方だった。
……じゃあシアは? クラディムの近くにあるはずの歪みを消して瘴気を浄化しに行くシアの身にも危険があるってこと?
そんなの聞いてない。聞いてないよ、シア……。絶対無事に帰ってくるって言ったのに、あれは嘘だったの?
昨日感じていた嫌な予感が、激しさを増して一気によみがえってくる。あたしはがばっと起き上がった。
「シアを止めなきゃ……!」
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