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第十章 魔獣の襲撃(3)

 食事を終えたシアと分担して、治療をどんどん終わらせていく。運ばれてくる怪我人が減ってきたかな、と周囲を見回したところで、こっちに歩いてくるお師匠の姿が目に入った。


「お師匠、救出作業はもう終わったんですか?」


「ああ、一通りはね。だからこっちに手伝いに来たんだよ。といっても、救出作業に大分魔力を使ったし、回復薬を飲んだばかりだから、すぐには無理だけどね」


「そうですか。じゃあ今はあたしとシア……ルチルに任せて、お師匠はそこに座って休んでいてください。あ、食事は取られましたか?」


「ああ、回復薬を飲んだ後に食べたよ。魔力の回復には栄養補給も大事だからね」


 お師匠は、よっこらせ、と空いている場所に座り込んだ。少しの沈黙の後、口を開く。


「ルチルさんや、ちょっと訊いてもいいかい」


「何でしょう?」


「あんたとリューリアが倒したっていう獣は、魔獣だったんだね?」


「はい」


「世界に歪みが生まれると、動物の様子がおかしくなったり、作物の出来に影響が出たりするっていう話だよね。それで、瘴気を生み出すくらい歪みが大きくなる前に、あんたらが歪みを見つけ出して、消すんだとか」


「はい、そのとおりです」


「あんたがこの町に来たのは、この町の近くに歪みが生まれたって気づいたからなのかい?」


「いいえ。わたしがこの町に来たのは、歪みを消す仕事とは何の関わりもありません」


「それじゃ、魔獣が現れた時にあんたがこの町にいたのは、完全な偶然ってわけかい?」


「はい、そうです」


 お師匠は、ふーっと長い息を吐いた。


「そうかい。……あんたがいてくれて助かったよ。そうでなきゃ、あんなに素早く魔獣を倒せなかっただろうからね。町を救ってくれて、ありがとうよ」


「どういたしまして。わたしもいられて良かったと思います。……魔獣が生まれてしまったのは、本当に不運でしたけれど」


「前触れなく大きな歪みが現れる場合があるんだよね。今度の騒動はそういう例外だったってことなんだね?」


「そのはずです。魔獣が現れるまで、この近辺に歪みの生まれた兆候はありませんでしたから」


「そりゃあ、本当に不運なことだったね」


 お師匠はまた息を吐いた。


「まあ、それは仕方がない。今回みたいな魔獣の出現はいわば天災だ。どうしようもない。それより今後のことなんだが、瘴気の発生源を見つけて瘴気を浄化して歪みを消す必要があるだろう。そっちは全部あんたに任せていいのかい?」


「はい。ここでの仕事が一段落したら、瘴気の発生源を探しに行くつもりです」


 シアの言葉に、あたしは思わず治療の手を止めてシアの方を振り向いていた。


「ちょ、ちょっと待って。それって危なくないの? 瘴気の発生源って、また別の魔獣がいたりするかもしれないんでしょ?」


 シアは、あたしに顔を向けて安心させるように微笑む。


「大丈夫よ。魔獣は続けて何体も自然発生するような物じゃないの。次の魔獣が現れるまでには、まだ時間があるはずだわ」


「けど、わかんないでしょ? あの獣が魔獣になってからこの町に現れるまで結構時間が空いてるかもしれないじゃない。そしたら、別の獣が魔獣になって、瘴気の発生源近くにいたりする可能性もあるんじゃないの?」


「その可能性は確かにあるけれど……そんなに高くはないし、わたしも警戒しながら行くから、そんなに心配しないで。それに、ルリも見たでしょう? わたしは魔獣を倒す訓練も受けているから、仮に魔獣がいたとしても倒せるわ」


 確かにシアは強かった。魔獣を手早く倒してしまった。だけど……。


「でも、やっぱり一人じゃ心配だよ。……あたしも一緒に行く」


 シアは少し眉をひそめた。


「だめよ。それこそ危ないわ。ルリを危険な場所に連れていけない」


「けど……!」


「それに、ラピスくんはどうするの? 危ない所に連れていくわけには行かないでしょう?」


「それは……そうだけど……」


 まだためらっているあたしに、シアは優しい声で言う。


「瘴気のことはわたしに任せて。――これは、わたしの一族の使命なんだから」


「使命……?」


「そう。瘴気を浄化して世界の歪みを消す。わたしたち〈神々の愛し児〉はそのためにいるの。そのために、大きな魔力と特殊な体質を神々から授かったの。だから、これはわたしの仕事なのよ」


 シアはきっぱりと言いきる。反論できない雰囲気に、あたしは口をつぐむしかなかった。


 しょんぼりと視線を落としてしまったあたしを気づかってか、シアが傍に来る。肩に手が置かれて、あたしはシアを見上げた。


「一族の使命だってことは、それを果たすために必要な訓練を受けているってことなのよ。だから、本当にルリが心配する必要はないの。ね?」


 シアの眼差しは温かくて、嘘はないように見える。あたしはこくりとうなずいて、シアの手の上に自分の手を重ねた。


「絶対、無事に帰ってきてね」


「ええ。約束するわ」


 シアが微笑んでぎゅっとあたしの手を握る。その感触にちょっと心が落ち着いた。


 シアは少しの間そうしてくれていたけど、やがてあたしの手を離して怪我人の治療に戻った。あたしも治療を再開したけど、その合間にちらちらとシアの方を見てしまう。


 シアが一人で瘴気の発生源を探しに行くことに一応納得はしたけど、まだ不安は消えていない。自分でもうまく説明できないけど、何だか胸の奥にもやもやとした嫌な感じがある。


「さてと、大分魔力も回復したし、私も怪我人の治療にかかるとするかね」


 お師匠が立ち上がる。シアがふと何かに気づいたかのように顔を上げた。


「そういえば、イァルナさん、一つお願いしたいことがあるんですが」


「何だい?」


「魔獣を倒したとはいえ、また別の魔獣が現れて町が襲われるのではないかと怯えている人も結構いると思うんです。イァルナさんの方から、その可能性は低いことを説明して、皆を落ち着かせてくれませんか?」


「ああ、なるほど。確かにその必要はあるだろうね。わかった。明日この件で町会の会合があるはずだから、その時に言っとくよ。――でも、念のため、魔獣の倒し方を確認させてくれるかい。あんたが町にいない間にまた魔獣に襲われた時のためにね」


「そうですね。万が一ということもありますから、その方がいいですね」


「魔獣には、属性魔力はほぼ効果がないから、無属性の魔力を大量に叩き込むのが一番有効なんだったよね?」


「はい、そうです。それで魔獣を魔力飽和状態にすれば、内部から破裂します。ルリ……リューリアとイァルナさんなら、できるはずです」


「わかったよ。ありがとう。これで万が一の場合も大丈夫だろう」


「あ、それと、先程瘴気の影響を受けた怪我をしていた人がいたんですが、イァルナさんはそういう怪我の治療方法をご存じですか?」


「ああ。無属性魔力で瘴気を散らしてから水魔法で回復するんだろう」


「そうです。もう一つ、瘴気の浄化を助ける薬の作り方はご存じですか?」


「それも知ってるよ。無属性魔力をこめたチャルカの根を刻んで飲ませるんだろう?」


「それでも効果はありますが、もっと効果のある薬の作り方をお教えします。まず……」


 シアが色々薬材の名前を上げながら薬の作り方を説明していく。聞き終えたお師匠は感心したように息を吐いた。


「これはいいことを聞いたね。しかし、私に教えちまって良かったのかい。門外不出の薬だったりしないのかい?」


「そんなことはありません。門外不出どころか、必要があれば誰にでも教えるように、と指示されている物ですから」


「そうなのかい。秘密主義のあんたらにしちゃ珍しいね」


「この薬を作って配ることもわたしたちの使命の一端ですから」


「おや、そうなのかい?」


「ええ。魔獣が出た場所に魔術師がいないことや、いても瘴気の浄化を助ける薬の作り方を知らないことがありますから。そういう時に、魔獣に怪我をさせられて瘴気の影響を受けてしまった人に作って飲ませたり、他の魔術師や医師に薬の作り方を教えたりするんです。人々を瘴気から護るのが、わたしたちの使命ですから」


「なるほど。――じゃあ、その薬を作って魔獣に怪我させられた者に配っておくよ」


「お願いします」


 会話を終えると、お師匠は怪我人の治療を始めた。三人で手分けして進めたので、そんなに長くはかからずに、重傷者の治療は終わった。といっても、もう夕方だ。


「ご苦労だったね、ルチルさん、イァルナさん、リューリア。あとは私と自警団に任せて、家でゆっくり休んでくれ」


 怪我人の様子を見に来た町長さんが、穏やかな口調で言う。


「タリオン、明日この件で会合を開くんだろう? 何時頃にするかは決まってるのかい?」


「朝にしようかと思ってますよ。本来なら、夜の方が皆の仕事に支障が出なくていいんですが、今は皆を安心させることが先決ですからね。詳しい時間は今夜使いの者に各家庭を回らせる予定です。イァルナさんたちも会合に出てくださるんですよね?」


「ああ、そのつもりだよ。また魔獣が現れる可能性が低いって話は、魔術師の私からした方が説得力があるだろう」


 お師匠があたしの方に顔を向ける。


「リューリア、あんたも来るんだよ。魔獣を倒した魔術師が二人ともいないんじゃ、皆心配になるだろうからね」


「わかりました」


 お師匠と町長さんに挨拶をして、シアと並んで歩き出す。でも少し歩いたところで、足を止めた。魔獣を倒した時や瓦礫の下から救出した時にはもう手遅れだった人たちの遺体が並べられていたからだ。遺体に縋って泣いている人もいる。


 どちらからともなく、シアと共に地面に膝をつく。片手を地面につけ、もう片方の手の平を天に向けて、祈りを捧げる。


「万物の母たる大地の女神メアノドゥーラよ、どうぞ御身の慈悲深き懐にこの世を去りし者たちの体をお迎え入れください。平等にして峻厳たる死の男神ユースディースよ、不慮の死を遂げし者たちの嘆きに満ちたる魂が迷うことなく死者の国へたどり着けるようお導きください。トゥッカーシャ」


 祈りを終えて立ち上がった。無言で歩き出す。シアと話すのがしんどいからとかじゃなくて、今見た遺体の姿が目に焼きついて離れなくて、口が重い。あんなにたくさんの遺体を一度に見たのは初めてだ。


「ルリ、大丈夫?」


 声をかけられてはっと顔を上げる。それで初めて、自分がうつむいていたことに気づいた。シアは心配そうにこっちを見ている。


「あ、えっと……わ、わかんない」


 一度口を開くと、言葉がぽろぽろこぼれてきた。


「もしあたしがもっと早く駆けつけてたら、あの人たち死ななくて済んだのかな。救出作業をもっと手早く進めてたら、一人でも多く助けられたのかな。あたしにももっと何かできることがあったんじゃないのかな。そうしたら……そうしたら……」


 並んでいた遺体の中には、まだ幼い子どもの物だってあった。大人なら死んでもいいってわけじゃないけど、あんなに早くに死んでしまうのはやっぱりかわいそうだ。


 シアがあたしの肩にそっと手を置く。


「イァルナさんが言っていたでしょう。今回のことは天災のようなものよ。突発的な事態で何の準備をする暇もなかったのに、ルリはよくやったわ。自分にできることを全部、一生懸命にやった。そうでしょう?」


「そ……れは、そう、かも……だけど……」


 あたしはぎゅっと両手を拳にした。何でだろう。さっきまでは平気だったのに、今になって頭の中がぐるぐるして、気分が悪い。両の拳で口元を押さえる。


 ふわっと甘い香りがしたかと思うと、優しく抱きしめられた。


「落ち着いて、ルリ」


「シ、シア?」


「大丈夫よ。大丈夫。大丈夫だから」


 やわらかな声と共に、なだめるように背中をさすられる。その温かさに、涙が出てきた。


「シア……シアアアアアアー」


 あたしはシアにしがみついて、しばらく泣いた。シアはその間ずっとあたしを慰めていてくれた。


 一しきり泣いたら気持ちが落ち着いて、涙が止まった。あたしはシアから一歩距離を取って、ハンカチを取り出して顔をふいた。


「ご、ごめんね、シア。いきなり泣いちゃって」


「いいのよ。それでルリの気持ちが楽になるなら」


「でも、へ、変だよね。さっきまでは大丈夫だったのに、なんかいきなりうわーってなっちゃって……」


「仕事が一段落して心に余裕ができたから、亡くなってしまった人たちのことを考えてしまったのよ。よくあることらしいわ」


「そうなの?」


「ええ」


 あたしはハンカチを握っている手を下ろして、シアを見上げた。


「シアも、泣いていいんだよ? シアだってこんな事態慣れてるわけじゃないでしょ」


「……そうね。じゃあ、少し肩を貸してくれる?」


 シアは、とん、とあたしの肩に額をつけた。あたしはシアを抱きしめて、さっきシアがしてくれたようにシアの背中をなでる。


「大丈夫だよ、シア。あ、あたしがいるから。頼りないかもしれないけど、ここにいるから」


「ルリは頼りなくなんかないわ。ルリがいてくれると、心強い」


 シアがくぐもった声で言う。声の調子からすると、泣いてはいないみたいだけど、あたしはシアの背をさする手を止めなかった。


 涙を流さないからって、悲しくないわけじゃない。悲しくても、しんどくても、泣けないことはある。そういう時に誰かに抱きしめてもらうと、少しは気分が楽になるんだ。あたしがシアにしてあげられることなんてそんなにないから、せめてこれくらいはやりたい。


 少しして、シアが、ふう、と息を吐き出した。顔を上げて、あたしを見る。


「ありがとう、ルリ。大分気持ちが楽になったわ」


「良かった。少しでもシアの力になれて嬉しいよ」


 シアはいつも強いから、こうして弱いところを見せてくれると嬉しい。それだけあたしを信頼してくれてるんだ、って思えるから。


「帰りましょうか。セイーリンさんたち、きっと心配しているわ」


「うん。そうだね」


 歩き出すと、そっと手を握られた。びっくりして隣を見ると、シアがはにかんだ顔を向けてくる。


「こうしてたいの。……だめ?」


「だ、だめじゃない……」


「ありがとう」


 シアは前を向いて歩みを再開した。あたしも遅れないようについていく。


 シアの手のぬくもりに、少し心が痛むけど、それよりも安心感の方が大きい。シアはここにいるんだ。生きて、怪我なんかもしないで、あたしの隣にいる。それは本当にありがたいことなんだ、って実感する。



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