第十章 魔獣の襲撃(2)
「次は怪我人の救出や治療ね。救出を任せていい? わたしは治療を担当するわ」
「あ、うん、わかった」
そうだ。まだ終わりじゃない。魔獣は倒せて当面の危機は去ったけど、まだやるべきことは残っている。
「怪我の重い方はいらっしゃいますか? 緊急に治療の必要な方がいるなら、教えてください。同時に瓦礫に閉じ込められている方の救出も行いたいと思います。どこに閉じ込められている方がいるかご存じの方は教えてください」
シアが周りの人たちに声をかける。
あたしはその隣で、周囲を見回した。半壊している建物や、完全に崩れている建物がいくつかある。あの瓦礫の下に人がいるかもしれない。もしそうなら、早く助けてあげないと。道に座り込んでいる人の中にも怪我人が何人も見える。あの人たちの治療も必要だ。
「こっちに人が埋もれてるぞ!」
崩れた建物の近くにいる人が声を上げる。あたしはそっちに駆け寄った。確かに瓦礫の下からうめき声が聞こえている。
風魔法でどんどん瓦礫を宙に浮かしていくと、倒れている人の姿がいくつか見えてきた。その人たちの体の上から瓦礫をどける。
「その人たちを、今のうちに安全な場所に移動させてください」
怪我がなかったり軽傷だったりする人たちが集まってきて、怪我人を運んでいく。あたしは誰もいなくなった場所に瓦礫を落とした。
「他に人が埋まっている場所は?」
「こっちだ。来てくれー!」
呼ぶ声に応えて走っていく。今度の場所は、崩れかけの建物の下で、一階は半分崩れているのに二階より上はほぼ形が残っている。でもその残っている部分がぐらついていて、今にも倒れてきそうで危なっかしい。早く埋まっている人を助けて場所を移動しないと。
あたしは、建物の上階部分に意識の半分を割きながら、急いで瓦礫をどけた。助け出された人たちは、通りの反対側の比較的被害がなかった場所に連れていかれる。そこでは、シアが怪我人の治療に当たっている。
ガラガラッと音がして、あたしははっと視線を目の前の建物に戻した。さっきからぐらぐらしていた上階部分がついに限界を迎えたらしく、崩れ落ちてくるのが目に入る。周囲から悲鳴が上がる。
あたしは、自分や周りにいる人たちの上に風を屋根のように広げた。瓦礫を受け止めて、誰もいない場所に落とす。
「大丈夫ですか? 今ので怪我人はいませんね?」
「あ、ああ。みんな無事みてえだ。ありがとよ」
「いいえ。皆さんが無事なら良かったです。次に助けが必要な場所は?」
そういう感じで他の風属性の人たちと手分けしながら救出を続ける。どんどん人が集まってくるので、救出の手には困らない。魔獣は森の方からやってきたようで、そちらに被害が続いているので、作業を行いながらそっちの方角に移動していく。
いくつめかの建物の下から怪我人を救出したところで、声をかけられた。
「リューリア」
振り向くと、町長さんとお師匠が立っている。
「お師匠、町長さん! 良かった。来てくれたんですね」
「ああ。他の者たちに聞いたところだと、君とルチルさんが暴れていた獣を倒してくれたそうだね。ありがとう」
あたしは町長さんの言葉に首を振った。
「あたしは自分のすべきことをやったまでです。あたしも自警団の一員ですから」
「ああ、そうだな。君がいてくれて良かったよ」
町長さんが微笑む。その隣に立つお師匠が、あたしに向かってぐいっと片手を突き出した。何だろう、とその手をしげしげと見ると、手には陶器の小瓶が握られている。
「お師匠、これは?」
「魔力の回復薬だよ。これを飲んで少し休みな。さっきから魔力を使いっぱなしだろう」
「でもまだ瓦礫の下に埋もれている人たちが……」
「救出作業は私がかわるよ。あんたが魔力切れで倒れちゃ困るんだ。長く役に立つために、さっさと魔力を回復させるのが、結局は皆のためってもんさ」
それもそうか、とあたしは回復薬を受け取って飲み干した。
「う、苦い……」
「私が発明した薬で、味は悪いが効果は抜群さ。ほら、とっととあっちへ行きな」
お師匠に追い立てられるまま、あたしは崩れている建物から離れた。周囲を見回すと、離れた場所に人が集まっている。
何かあったんだろうか、と人だかりに近づくと、威勢のいい声が聞こえてきた。
「ほら、ちゃんと並んで並んで!」
「パンもスープも全員に行き渡るくらいあるから、焦らないでくださーい!」
どうやら、炊き出しを行っているようだ。多分町長さんが手配したんだろう。
いいにおいが漂ってきて、ぐう、とおなかが鳴った。そういえば、もうお昼を過ぎているよね。救出作業中に七の鐘が鳴るのを聞いた気がするし。
あたしは炊き出しの列に並んで食事を受け取った。何の変哲もない丸パン一つと、素朴なスープだけど、空腹の身には嬉しい。
おなかが満たされると、気分が落ち着くし安心する。周りで地面に座り込んで食事している人たちも穏やかな顔になっている。
人心地ついたあたしは、立ち上がって食器を返し、炊き出し作業を行っている人たちに改めて礼を言った。
それから周囲の様子を確認する。お師匠は順調に救出作業を進めているようだ。町長さんは、あちらこちら動き回っては、作業の指示を出したり、動揺している人に声をかけたりしている。
そういえば、シアはどうしているだろう? シアもまだ昼食取ってないんじゃないだろうか。声かけて、休みと食事を取るように言った方がいいかもしれない。
あたしは怪我人が集められている場所に向かった。近づくと、怪我人を診ているリーナス先生やお弟子さんの姿が目に入る。比較的軽傷の人たちを担当しているんだろう。こういう時は、重傷者を優先して魔法で治してそれほど怪我が重くない人は医術で治療する、と決まっている。
水属性の人たちが治療を行っている中に、シアはいた。当然だけど、シアの周囲にはかなり怪我が重そうな人たちが集められている。
シアは、横たわる女の人の頭の怪我を治療しているところだ。あたしは、シアが治癒を終えるまで待ってから、声をかけた。
「シア、少し休んだら? あたしがかわるから、食事してくるといいよ。向こうで炊き出しやってるから」
シアがこっちを見る。
「ルリは大丈夫なの? 瓦礫に埋もれた人の救出で結構魔力を使ったでしょう?」
「あたしは、お師匠に貰った回復薬飲んだから。救出作業も、今はお師匠がかわってくれているし」
回復薬は、お師匠が言っていたとおりすごい効き目で、魔力はもうほとんど回復している。
「そうなの。じゃあ、ここはお願いしようかしら」
「うん、そうするといいよ。あ、シアは魔力大丈夫なの?」
「まだ余裕はあるけれど……そうね、わたしも回復薬を飲むことにするわ」
「シア、回復薬持ってるんだ?」
「何かあった時のために最低一つは持ち歩くことにしているの。今は二つ持っているから、魔力切れを起こすことはないはずよ」
「そうなんだ。準備がいいね」
「そうするように教わったからよ」
「へえー」
喋りながら、シアと場所を交代する。シアは手を振って、炊き出し場に向かっていった。
あたしは、怪我人の治療を始める。普通の水属性の人では手に負えない重傷者を治癒するのは魔術師の主な仕事の一つだから、ひどい怪我も見慣れている。最初の頃は怖くなっちゃったけどね。
意識がある人は痛みや違和感を自己申告してくれるからいいんだけど、意識がない人の場合はちょっと厄介だ。
ここに集められている人たちは皆見るからに大怪我をしている人たちだから、まずはその怪我を治す。その後、見えない場所にも怪我をしていないか、触診でざっと全身を確認する。怪我が見つかったらそこを治して、大丈夫そうなら次の人に行く。
あたしが気づけていない怪我もあるだろうけど、そこは考えても仕方がない。放置した結果悪化して取り返しのつかないことになったりしないよう、医療の男神シルヴァナーヤに祈りながら、治療を続ける。
しばらくそうしていると、声をかけられた。
「おい、魔術師の姉ちゃん、ちょっといいか?」
「はい、何でしょう?」
顔を上げると、若い男性と中年の男性が立っていた。若い男性は血で汚れたシャツの上から脇腹を押さえていて、中年の男性がその体を支えるようにしている。
「こいつの怪我が妙なんで、診てみてほしいんだ」
中年の男性が、若い男性を座らせながら説明する。
「妙な怪我、ですか?」
若い男性がシャツをまくり上げる。あらわになった脇腹には、鋭い物で切り裂かれたような傷があった。血は止まっているようだけど、周囲が黒く焼けただれたようになっている。確かに変な傷だ。
「回復魔法をかけたら、一応血は止まったんだがよ。それ以上治らねえんだよ。しかも変な火傷みてえなもんがあるしよ」
中年男性の言葉に、あたしは少し首を傾げた。
回復魔法をかけても治らない場合、真っ先に考えられるのは傷を治すのに必要な魔力を治療者が供給できていない場合だ。なので、少し多めの魔力で怪我している場所を包み込む。
だけど、しばらく魔法をかけ続けても、傷は少し小さくはなったものの、治ったとは言いがたい状態だ。しかも、周囲の黒い火傷は全く変わっていない。何だろう。魔力がうまく傷口に通っていかない。何かに妨害されてるみたいな感じだ。
「これは確かに変ですね」
「だろう? この怪我は、あの獣にやられた怪我なんだそうだ」
「魔獣にですか?」
中年男性に促されて、若い男性が口を開く。
「ああ。あいつが後ろから突進してきやがってよ。とっさに避けようとはしたんだが、間に合わなくて、一撃食らっちまったんだよ。牙でやられたんだと思うんだが、火傷はよくわからねえ」
あたしは少し考えた。こんな傷は見たことも聞いたこともない。魔獣に負わされた怪我なんだとすると、何か特殊な治療が必要なのかもしれない。これはあたしでは手に負えない。
そう判断して、あたしは立ち上がった。
「ちょっとここで待っていてください。わかりそうな人を呼んできます」
周囲を見回して、シアかお師匠の姿を捜す。お師匠は見当たらなかったけど、座って食事をしている人たちの間にシアが見えた。そっちに駆け足で向かう。
「シア、食事中ごめんね。ちょっといい?」
シアは食べかけの食事から顔を上げて微笑んだ。
「大丈夫よ。どうしたの?」
「なんかおかしな怪我を負った人がいるの。回復魔法をかけてもほとんど効果がないし、怪我の周りに黒い火傷みたいなものがあるんだ。魔獣に負わされた怪我なんだって」
シアは眉をひそめると、食器を持ったまま立ち上がった。
「診るわ。その人はどこ?」
シアを連れて男性たちの元に戻る。シアは食器を地面に置いて、若い男性の怪我を観察する。
「これは魔獣がまとっていた瘴気の影響を多分に受けていますね。――こういう怪我は普通の回復魔法ではほとんど効果がないの。まず無属性の魔力で瘴気を散らして、それから水魔法で治療するのよ」
後半はあたしに向けて話しながら、シアは若い男性の傷を治していく。黒い火傷はほとんど消えたし、傷も半分くらい治ったけど、まだ残っている。
「それでも完全に治すのは無理で、ある程度治療したら、あとは自然回復を待つしかありません。医師に手当てしてもらってから、安静にしていてください。瘴気の浄化を助ける薬も、イァルナさんから貰って飲んでください。それと、残念ですが、傷跡が残ると思います」
「傷跡はまあいいんだけどよ。俺は男だし。けど、傷がいつまでも治らねえのは困るんだよなあ……。仕事に響く。何とかならねえのか? あんたすげえ魔術師なんだろ?」
「すみませんが、わたしの知っている限り、瘴気の後遺症を完全に消し去る方法は存在しません。つまり、すぐにこの傷を完治させる方法はない、ということです」
若い男性はまだ眉間にしわを寄せて何か言いたげな様子だったけど、中年男性がその肩を叩いた。
「しばらく仕事できねえ分は、あまり心配するな。町会から支援金が出るはずだ。こういう災害時のために、普段から町会費収めてんだからな。何なら、町長さんに確認してみるといい」
一拍置いて、若い男性はため息を吐いた。
「そうしてみます。嬢ちゃんたちもありがとな」
「いえ。どうぞご無理なさらずに。町長さんとお話に行く前に、まず医師に診てもらってくださいね」
「ああ、そうするよ」
若い男性がリーナス先生のいる方に向かって歩いていく。水属性らしき中年男性は、怪我人の治療に戻るらしい。
あたしも治療を再開しながら、また食事を始めたシアに話しかけた。
「それにしても、傷の治療に無属性の魔力が必要になることがあるなんて知らなかったよ。シア、よく知ってたね」
「魔獣や瘴気は、わたしの一族のいわば専門分野だもの」
「そうなの? ああ、そういえばお師匠の家に行った時、魔獣の話してたっけ?」
ちゃんと聞いてたわけじゃないけど、そんな話題が出てたような気がする。
「ええ。イァルナさんは魔獣や瘴気、世界の歪みについて関心があるようだから。わたしたち〈神々の愛し児〉に興味があるのも、そのためらしいわ」
「そうなんだ」
相槌を打ってから、はたと気づいた。あれ、あたし今、シアと普通にお喋りできてる? 魔獣が現れたって聞いてから、失恋の痛みなんてすっかり忘れてたよ。それどころじゃなかったもんね。
でも、思い出してしまったら、またシアとどう話せばいいのかわかんなくなっちゃった……。ああもう、あたしの馬鹿馬鹿。胸の痛みなんて、忘れたままでいれば良かったのに。
けどまあ、今はシアとお喋りしなくても変じゃないよね。怪我人の治療で忙しいんだし。
そう自分を落ち着かせて、目の前の怪我人に集中する。




