第九章 橋の修繕作業(2)
あたしはシアとラピスを促して川原から街道に戻った。町の方向に歩いていく。
「でも、リューリア姉ちゃんの魔術、ほんとすごかったな! リューリア姉ちゃん、いかにも魔術師って感じだったし!」
ラピスはまだ興奮した様子で、大きな声で喋りながら歩いている。
「俺も絶対魔術師になるんだ! それであんなすごい魔術使えるようになる!」
ラピスが両の拳を握りしめて宣言する。それを聞き流しかけたけど、はっと気づいた。あれ、これっていい口実にならない?
「じゃあ、魔術の訓練がんばらないとね」
「わかってる! がんばってるし!」
「まあ、そうだけどね。でも、そうだなあ……」
あたしはシアの方に顔を向けた。
「あ、あのさ、シア。良かったら、今日もラピスの魔術の訓練見てあげてくれない?」
「え?」
シアが、少し驚いたような声を上げる。
「ほ、ほら、ラピス一人で訓練するより、誰かと一緒にやる方が訓練の質も上がって、ラピスも早く魔術を身につけられるようになるだろうし。あたしよりシアの方が教えるのうまいみたいだし、ラピスのやる気もシアが一緒の方が上がるだろうしね。それでラピスの魔術の腕が上がって魔術師になれれば、あたしも義姉さんたちも助かるしさ」
早口でばーっと喋ってから、あたしは思いきってシアを見た。シアはやっぱり綺麗で、胸が痛くて目をそらしたくなるけど、我慢する。
「だめ……かな?」
上目づかいで頼んでみる。シアはじっとあたしを見つめてきた。
「……ルリは、わたしがラピスくんの魔術の訓練を見たら、嬉しい?」
「う、うん」
「そう……わかったわ。それなら、ラピスくんの訓練を手伝うことにする」
「あ、ありがと!」
表情が明るくなるのが自分でもわかった。これでちょっとシアと距離を置ける。その間に心の整理ができるといいな。
「やったー! ルチルさんと訓練だー!」
ラピスも万歳して喜んでいる。
「ルチルさん、俺訓練がんばるからな! いっつもがんばってるけど、ルチルさんと一緒だから百倍がんばる!」
「わたしも、ラピスくんの魔術が上達するお手伝いがうまくできるよう、がんばるわね」
そこからの帰り道は、ラピスがシアに、一人でやる時の魔術の訓練についてずっと話す時間になった。シアはほぼ相槌を打っているだけで、あたしは話を振られないので何も喋らない。今は放っておいてほしい気分だから、それがありがたいんだけどね。
家に帰り着くと、義姉さんが出迎えてくれた。
「おかえりー。思ったより早かったわね」
「仕事一つだけだったから。兄さんたちはお風呂屋?」
「そうよ。あんたたちも今から行ってくれば? 急げば昼食前に帰ってこれるでしょ」
「そうしようかな。シアもラピスもそれでいい?」
シアとラピスから肯定の返事が返ってくる。
「あ、そういえば、リューリア……」
義姉さんに声をかけられて、あたしは自室に向かおうとしていた足を止めて義姉さんに顔を向けた。でも義姉さんは、思い直したように首を振る。
「ううん。帰ってからでいいわ」
「わかった。じゃあ後で」
義姉さんが何を言おうとしたのかちょっと気になるけど、後で教えてくれるっていうんなら、今考えなくてもいいだろう。
あたしとシア、ラピスは急いで準備をしてお風呂屋に向かった。ラピスは相変わらず絶好調で喋り続けている。
でもそのラピスも、お風呂屋で体と髪を洗い終えると他の子たちの所に行ってしまって、あたしとシアは二人きりになった。
無言のまま、並んでお風呂に浸かる。シアは何も声をかけてこなくて、あたしたちのいる場所は沈黙に包まれている。
シアがお風呂屋であまり喋らないのはいつものことだけど、何だかいつもよりよそよそしい気がする。……あたしがシアから離れようとしてるの、気づかれちゃったんだろうか? それとも、あたしの罪悪感が深読みさせてるだけなのかな。
あたしはため息を押し殺した。シアとぎくしゃくしたくはないけど、仲良くお喋りする気分にもなれない。沈黙は気まずいけど、同時にちょっとありがたくもある。
ああもう、あたしってほんとに矛盾ばっかりだなあ。前からこうだったっけ? 失恋したから一時的にこうなってるだけ? それとも、これが恋をするってことなんだろうか。
考えにふけっていると、隣のシアが立ち上がった。反射的に見上げてしまって、シアと目が合う。心の準備ができていなかったあたしは、ばっと目をそらしてしまった。
あー……やっちゃった。この状況で今の反応はまずいよね。謝った方がいいかな。それとも、何事もなかったふりして、もう一度シアの目を見た方がいいかな。
あたしが心を決める前に、シアが口を開いた。
「そろそろ出ましょう。昼食に遅れてしまうわ」
その声が硬い。ごくりと唾を呑んでおそるおそる見上げてみると、シアはもう出口の方を向いていた。白い背中が遠ざかり始める。
「あ……!」
シアを引き止めたくて思わず手を伸ばして……でも、シアの腕をつかめなかった。
シアに触れるのが恐ろしい。あたしには手に入らない人なんだって思い知らされるのが怖くて、それでも手放したくないって駄々をこねてシアを傷つけてしまうのも、シアに嫌われてしまうのも怖い。
胸がずしんと重くなる。あたしは肩を落として立ち上がり、とぼとぼとシアの後を追った。シアはラピスに声をかけて、脱衣所に入っていく。あたしの方は振り返らない。
あたしだってシアの顔見ないようにしてるくせに、シアと距離を置こうとしてるくせに、シアにそっけなくされるとつらい。勝手だってわかってるけど、こんなの嫌だよ……。
本当に、どうしたらいいんだろう。どうしたら、この胸の痛みを抱えたまま、シアとうまくやれるんだろう。いくら考えても答えは出なくて、途方に暮れる。
そんな沈んだ気分のまま家に帰って昼食を取っていると、義姉さんが声をかけてきた。
「リューリア、お風呂屋さんで〈サムハの喫茶店〉の話聞いた?」
「ううん、聞いてないけど、〈サムハの喫茶店〉がどうかしたの?」
「ゆうべ〈サムハの喫茶店〉で小火があったらしいのよ。あたしもお風呂屋さんで聞いただけなんだけど」
「えっ」
あたしは持っていたフォークを取り落としそうになった。〈サムハの喫茶店〉は友達のティスタが働いている店だ。
「ぼ、小火ってどのくらいの規模? 被害は? 怪我人は?」
義姉さんがあたしを安心させるように微笑む。
「大丈夫よ。怪我人はいないって。店の一部が燃えただけらしいわ。本当はもっと早く話そうかと思ったんだけど、怪我人がいないなら、後でいいかと思って」
「そ、そうなんだ……」
あたしはほっとして肩の力を抜いた。じゃあティスタもティスタの同僚たちもみんな無事なんだ。良かった。
「でもやっぱり心配だな……。明日ティスタの家に行って様子見てこようかな」
明日はうちの食堂が休みの日だからちょうどいい。
「そうね。そうしてあげなさい。自分の職場で火事騒ぎがあったなんて、動揺するだろうし。あたしたちで力になれることがあれば遠慮なく言って、って伝えてちょうだい」
「うん、わかった」
義姉さんは、うなずいて兄さんと話し出す。
あたしは明日のことを考え始めた。ティスタは落ち込んでるかもしれないから、何か元気づけられる物を持っていってあげたいな。屋台で果物でも買っていこうか。それとも、お菓子の方がいいだろうか。だとしたら、どこの店に行こう。
ティスタのことを考えていたら、しばらくの間はシアとの問題を忘れられた。でも、昼の営業時間が終わって、掃除も終わったら、シアと二人きりで気まずい沈黙に包まれている状態が戻ってきてしまった。
シアに何か言った方がいいんだろうけど、シアと話してるうちに思わず気持ちが口からこぼれてしまわないかって心配になるんだよね。シアにみっともなく縋りついてでも自分のことを見てほしい、って気持ちが胸の中にあるから。
悶々としていると、ラピスがぴょこっと顔を出した。
「ルチルさん、掃除終わった? 俺と訓練できる?」
「ええ、わたしは終わったわ。ラピスくんは掃除終わったの?」
「ばっちり! ルチルさんと訓練するから、早く終わらせたんだ!」
「そうなの。じゃあ、庭に行って訓練を始めましょうか。ルリ、それで構わないわよね?」
「え、あ、う、うん。ラ、ラピスのことお願いね、シア」
「ええ、任せて」
シアはラピスと手をつないで庭の方に歩いていった。
あたしは、はあああー、と大きく息を吐いて近くの椅子に座り込んだ。うなだれていると、声をかけられた。
「あら、リューリア一人? ルチルさんは?」
顔を上げると、厨房の方から義姉さんが歩いてくる。洗い物が終わったみたいだ。
「ラピスと庭。シアには今日はラピスの魔術の訓練を見てもらうことにしたの」
「そうなの?」
義姉さんはちょっと首を傾げて、探るようにあたしを見た。何か言いたげな顔をしているけど、自分を抑えるように首を振って、いつもどおりの声で話し出した。
「まあ、毎日毎日家事の手伝いまでしてもらうのも、申し訳ないものね。もっとも、とはいってもラピスの面倒を見てもらってるんだから、結局手伝ってもらってることに変わりはないけど」
「はは、そうだね」
あたしは力なく笑いながら立ち上がった。
義姉さんと洗濯をしながら、少し離れた場所で魔術の訓練をしているシアとラピスの様子を窺う。シアは一見変わった様子はないけど、こっちを全然見ない。あえてあたしの方を見ないようにしてるって思うのは、多分考えすぎじゃないよね……。
兄さんが水くみから帰ってきて、ラピスが兄さんと馬の世話に行ってしまうと、シアはあたしと義姉さんに合流して、いつもどおりあたしたちの手伝いをしてくれた。だけど、あたしの方を見たりあたしに声をかけたりするのはなるべく避けているように感じられる。
今のあたしにはそれがありがたくもあるんだけど、でもやっぱりさびしいよ……。
明日ティスタが元気そうだったら、ちょっとシアとのことを相談してみようかな。失恋したことはまだ口に出せないけど、友達と気まずくなっちゃって何とかしたいけど方法がわからない、って相談ならできる。
ティスタは友達多いし、いい助言をくれそうだもんね。ティスタはシアのこともシアとあたしの関係もほとんど知らないから、あたしの言う「友達」がシアのことだって気づかれる可能性も低いし。
そう決めたら、少し心が軽くなった。その状態で何とか夜の営業時間を乗りきって、閉店後の掃除をしながら、ふとシアに訊いておくことを思い出した。
「シ、シア、あのさ、明日の朝食どうする? うちの家族と一緒に食べない?」
シアと一緒にいる時間はできれば減らしたいけど、誘わないのもあからさますぎるしね。
一拍置いて、シアの返事が返ってくる。
「ううん。わたしは外で食べるわ」
「そ、そっか……」
ほっとしたけど、ちょっとだけがっかりしてる自分もいる。複雑な気分で、あたしは掃除を続けた。
掃除を終えて、シアに声をかける。
「じゃ、じゃあ、シア、おやすみ」
「ええ、おやすみなさい、ルリ」
あれ、シアの声がちょっとやわらかい? あたしは、手を振って去っていくシアの背中をまじまじと見つめた。何だろう。あたしの気のせい? それとも、朝食に誘ったのが良かったんだろうか?
このままなし崩しに仲直りできるといいんだけどなあ。そう考えながら、歯磨きをして、自室に戻る。もっとも、別に喧嘩しているわけじゃないけど。
それに、元の状態に戻れたとしても、あたしがシアに対して普通に振る舞えるようにならない限り、また気まずくなっちゃう可能性が高いんだよね。
そこの解決策はまだ見つかっていない。シアに対する複雑で矛盾した気持ちをどう解消すればいいのかわからない。
……自分の気持ちさえこんなにままならないんだもん。他人の気持ちなんて尚更どうにかできるわけないよなあ。だからシアがあたしと同じ感情を抱いてくれないのは、仕方がないことなんだ。
そう自分に言い聞かせてみるけど、胸の痛みは小さくなる気配もない。
あたしは、はあ、とため息をついた。寝巻姿で寝台に転がる。
そんなにうまくは行かないかあ。時間は心の痛みに効く最大の薬だとか言うけど、時間がこの傷を癒してくれるのを待ってたら、シアは里に帰っちゃうよ。
気まずいままシアと別れるなんて嫌だ。そんな別れ方したら、手紙のやりとりもうまく続けられなくなって、シアとの関係が自然消滅しちゃうかもしれないし。
それは一番避けたい事態だ。だから、あとどのくらい時間あるかわからないけど、シアがクラディムにいる間に、シアと普通に話せる関係に戻らなきゃならない。
そんなの無理だよう、って弱気な自分が言うけど、シアを失いたくないならやらなきゃだめなんだ。
……でも問題は、その方法がわからないことだよね。ああ、これじゃ堂々巡りだよ。一歩も前に進んでいない。
あたしはもう一度ため息を吐き出してから、蝋燭の火を消した。今日はもう寝よう。これ以上考えてもいい方法を思いつける気がしない。明日ティスタに相談してから、また考えることにする。
そう決めて、あたしは目を閉じた。でも寝る前に祈りは捧げておこう。
両手の人差し指を胸の前で交差させる。
導きの女神タスティーシャ、どうかご加護をください。あたしを、シアと良好な関係を続けられる未来へ導いてください。
そう祈った後は、呼吸に意識を集中する。吸って、吐いて、吸って、吐いて。ちょっと時間がかかったけど、何とか眠気がやってきた。
明日はどうか、今日よりいい日でありますように。心からそう願いながら、あたしは眠りに落ちた。
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