再び意識を戻して
タニアの記憶の中で、学園に編入した当日に見た、パメラを見るウイルザードの瞳と、タニアがウイルザードと1度だけ結ばれた夜に見たウイルザードの瞳が重なる。
(あの夜、ウイルザードが見せた熱い瞳は、、幻だったわけね。きっと、彼は、わたしを抱いたんじゃない。)
瞼を開けると其処は、かつての学園ではなく、寒いエンルーダ領の墓守りの建物。アースロとイグザムに置いていかれたまま、相変わらずタニアは石板の上に横たわっていた。きっとアースロ達が出て行った後に、そのまま意識を無くしていたのだろう。
意識を戻したタニアは、一頻り天井から滴り落ちる雪解け水を飲む事で、何とか喉の渇きを潤す。
「間違われて、処女を奪われただけ、なのね。」
6日ぶりに声を出す事が出来た。
(そして、間違われたまま、孕まされるなんて、、こんなに惨めな真実。涙もでない。)
ダン!!!
タニアは力など残っていない腕で、思い切り石板を叩いた。そのタニアの顔は大きく怒りで歪んだが、すぐに力尽きた様に無表情になる。
タニアは虚ろな瞳で骸袋から、もう片手を出す。見れば相変わらず、汚れて酷い有り様の手をしていた。
自分の腕をしげしげと見れば、叩いた拳は新たな血が滲み出している。
タニアは、意を決して石板の上に震える身体を起こし上げる事に決めた。
「好きに、、使っていいって、あの人は言ってた、、。」
只、6日も碌な食事をしていないからだろうか、タニアの身体に力が入らないのだ。タニアは瞳に涙を浮かべて、震える腕を使ってなんとか骸袋から出ようとするが、
ドタ!!
バランスを崩して、石板から派手に落ちてしまった。思わず自分の腹が無事かを、慌てて手で確認するタニアは、、
「あはははは、、バカみたい、、今更、流れてしまったとて構わないのに。何を慌てるのよ、、」
そのまま床に転がったまま、気が狂った様に大笑いする。再び、外の陽光がタニアの顔に降り注ぎ、外で唄う鳥の声が、耳に聞こえてきた。それでも冬の石畳は、痺れる程冷たい。
(このまま寝ていれば、きっと子は流れるし、そのまま出血すれば、わたしも死ねるかもしれない。)
さっきまで大笑いをしていたのに、タニアの頬を伝うのは涙。何の感情なのか既にタニア自身でも解らなくなっていた。
タニアは涙を拭う事もせず、暫くして骸袋から這いずり出ると、這うように床を移動する。思うより床が綺麗なのは、墓守りが掃除をしているのだろう。
ズリッ、、ズリッ、、、
汚れたドレスの姿が骸袋から出れば、見た目は穢い芋虫にも見える自分の身体を鞭打ち、タニアは遺体処理をする部屋を、這い出た。
(確か、こっちが墓守りの部屋。)
幼い頃の記憶を頼りに、タニアは身体を引き摺りながら隣の部屋へ向かう。今の墓守りは遺体の片付けにでも出ているのだろうか。
タニアは不思議に思いつつ、記憶に残る部屋に入った。
(どうやら、普段から管理されているみたい。)
墓守りの部屋には、大きな湯桶があるのだ。もちろん、遺体に最後の処理を施す部屋にもあるが、水しか出ない事をタニアは覚えている。
タニアの本当の父。貧乏男爵だった男が病で亡くなった時に使った建物も、此の場所だったからだ。
「良かった。」
タニアが思わず声を上げたのは、部屋の湯桶には、きちんと湯が出るからだ。どうしても臭いが付く仕事だからこその待遇。平民が湯に入るのは珍しいのだから。
タニアは湯桶に湯を溜めて、部屋の机に果物と、墓守りの服が置いてある事に気が付いた。
「・・・・」
(とりあえず服と食べ物を、もらってしまおう。誰も来ないうちに。)
タニアは余りにも汚れ過ぎたドレスを脱ぎ去り、溜めた湯に身体を沈めた。かつて辺境伯令嬢として生活をしていた時は、風呂に入る際の脱ぎ着さえも、侍女が全てやってくれた。今は遠い昔に思える。
「平民同然だった頃に戻っただけね。」
タニアは、己から湯へと滲み出す汚れを見つめながら呟いた。
(お母様がアースロと再婚するまでは、貴族と言っても名ばかりの貧乏男爵の未亡人だったからね。でも、それで全然構わなかった。)
都の皇国学園に入るなど夢の夢で、母親がエンルーダ家の乳母として雇われ、アースロに見初められなければ皇都に足を踏み入れる事も今世はなかったはず。
「今世も本当はあのまま、死んでいたんだわ。1年、散々な目にあった末に、また断罪されてね。」
濁った湯の表面に、学園に編入してから数ヶ月たった頃、タニアに言い掛かりをつける、パメラの顔が浮かんだ。
『エンルーダ令嬢、貴方のお席から、わたくしの教本が出ていらしたみたいね。どういう事かしら?生まれが貧乏男爵だと、やることが賎しいのかしら?』
パメラ・ブリェンヌ公爵令嬢が扇を口元に当てながら、タニアに詰め寄る。タニアの席から出てきたという、パメラの教本は無残にもズタズタに切り裂かれていたのだ。この状況に、タニアは思わず眩暈を覚えた。
『あの、わたくしには、、全く覚えが、、ございません。』
『あら、けれども間違いなく貴方の机から出てきましたわよね?』
どんなに振る舞っても悪役令嬢になる状態と同じ事が起きているのだ。しかも本来ならば、愛され令嬢の教本が無残な姿になり、それを悪役令嬢がやったと断罪されるのが常だったのに!
『先日も同じ様な事がございましたわよね?それに、エンルーダ様は少し殿方と距離が近いのでは?
皆様、貴女とは違って、れっきとした婚約者がいらっしゃいましてよ?へんに親密な交流は控えてくださいな。』
『恐れおおいです!そんなつもりは、、、ございません。』
『貴女の為を思っての事ですわ。あら、その目!まるで被害者のような目をなさって!嫌だわ!』
『!!』
今世の自分は間違いなく、これまでに対峙してきた愛され令嬢そのものの容姿のはず。けれども何故か、ひとつも愛される事なく、目立たぬように生きているのに、何かにつけて言い掛かりをつけられた。
『どうして、こうなるの。』
散々パメラに横暴な言葉を投げつけられ、残されたタニアは呆然として立ち竦む。
『タニア、大丈夫?ご免なさい。わたくし、助けてあげられなくて。』
部屋の令嬢や子息達が、タニアを見て囁く中、エナリーナかタニアに駆け寄る。
『エナリーナ、そんな事言わないで。誰も一緒よ。さっき助けに入ったなら、エナリーナがパメラ様に詰め寄られていたわ。』
握り締めた両手の震えを胸の前で止めて、タニアを心配してくれたエナリーナの顔が、今度は湯の中へと消えていった。
その先にある、湯の中の自分の腹に手をやる。そうすれば下腹の先には間違いなく聖紋の感覚がある。
(今まで本物を見た事はなかったけれど、きっとそうだわ。一体どういう仕組みなのかは、わからないけれど、子を生んだら何とか消さないと、、、)
「それより、ひとりで生むしかないのよね、、」
辺境伯令嬢ならば、城内に召し抱え典医師がいる。けれどもタニアが呼べる訳がない。平民ならば産婆がいるが、無料ではない。
(今まで何度も死んだのだもの、子供を自分で生むのに、何を怖じ気づいているの?今までとは違う生き方が始まるなら、、)
湯に映る、真っ青な自分の顔に言い含めるようにタニアは呟くと、
「わたし、生き残れるかも、しれないのだから。」
言い切って、湯船から立ち上がる。汚れが落ちて、元の愛くるしい容姿が現れた。
机にある服は墓守りの服。それを躊躇いもなく着たタニアは、窓からの光を身体に浴びる。
「墓送り人になってでも、生きてやるわ。」